『ほかの惑星への気楽な旅』 テッド・ムーニイ (河出書房新社 ストレンジ・フィクション)
《ストレンジ・フィクション》叢書は、この手のいわゆる“スリップ・ストリーム”にしては面白い小説が多い。という印象だったので、結局最後に残った一冊も読んでみることにしたのだが……。
これはまさしく《ストレンジ・フィクション》。まったくもって奇妙な小説だった。不条理というわけでもないが、かといって腑に落ちるわけでもなく、なんとも宙ぶらりんな感じ。
出版経緯としても、訳者が思う抜群に“変な小説”だからという理由で企画に推薦し、その結果、訳に苦労して後悔するとか、解説には要するに「わからない」ということしか書いていないとか、本当にわけのわからない小説だ。
タイトルはいかにもSFっぽいが、小説中で明言されるのは死後の世界の暗示としてに過ぎない。かといって、この小説の舞台が「ほかの惑星」というのはさすがに安直に過ぎる。
他にもSF的なガジェットとして、人間に恋するイルカ、南極で勃発しそうな資源戦争、正体不明の情報病、本物なのか幻覚なのかわからないテレパシーなどが登場するが、どれも曖昧なベールの向こう側に(わざと)置かれている。
特にテレパシーなのか透視なのか予知なのか、唐突に違う場面の描写が文章に入り込んできていて、最初は本当に乱丁かと思った。これは情報過多な現代(といっても、すでにレトロな雰囲気もあるが、本当に80年代?)を表そうとしたものだそうだが、成功しているのかというと、かなり疑問。
これなら、J・G・バラードの濃縮小説(コンデンスト・ノヴェル)の方がましなんじゃないか。っていうか、混線する会話文で情報過多を表現って、そもそもダメだよね。情報って会話テキストだけなのか、そういうもんじゃないだろって小一時間問い詰めたい感じ。
だいたい、「禁断の愛」とか「性愛と破滅」とか、いろいろ煽ってる割に、性的描写はせいぜい村上春樹レベルで、エロチカとしても読めないという。いったいどう読めばいいんだこの小説。
ああ、でも『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』の頃の村上春樹に通じるものはあるかもしれない。ほら、カークなんていかにも「やれやれ」って言いそうだ。なんなら、最初から村上春樹調で訳してみたら、もっと面白くなったんじゃないの。