『vN』 マデリン・アシュビー (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)
タイトルの『vN』はフォン・ノイマンを示しているというのはすぐにわかった。しかし、ノイマンというと、ノイマン型コンピュータのイメージが強くって、vNはノイマン型じゃないだろと思って読んでいたのだけれど、自己複製するフォン・ノイマン・マシンから来てるのか。これは失敬。
主人公のvNの名前はエイミーで、これも明らかに『銀色の恋人』の著者であるエイミー・トムソンから。そのほか、訳者あとがきにも言及されているけれど、『ブレード・ランナー』=『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』や、その他のSF映画、ドラマ、果ては、日本のアニメに至るまでさまざまなオマージュがちりばめられている。
そうかといって、その部分は小ネタに過ぎず、本質的には祖母-母-娘の物語であり、ボーイ・ミーツ・ガールな恋愛物語である。
アンドロイドとは、とか、知性/知能とはという問題よりも、もっと普遍的な家族や子供(もしくは複製)の問題をテーマに描かれているような気がする。
そういうテーマについて論ずるには、論理的に頭の中を整理できていないので、ただの印象に過ぎないのだけれど、表面的なおたく的ネタの氾濫と、その奥に含まれるテーマのギャップはなかなか面白いと思った。
個人的に一番ツボったのは、エイミーに捕食されることによってエイミーの中で意識を再構築した祖母のポーシャに対して、悪魔祓いの台詞(映画『エクソシスト』)や、多重人格のカウンセリング的な台詞が投げかけられるところ。
コンピュータウィルスも、あれは感染なんじゃなくって悪魔憑きなのかもよ。あと、マルチユーザは多重人格ね。
エイミーの、というか、かの一族におけるフェイルセーフ(vNにおけるロボット三原則的な)の捻じ曲がり方については、結局のところ、唯一正しい“倫理”は存在しないという、しごく当たり前のことを言っているに過ぎないとは思うのだけれど、あれだけショッキングに見せられると衝撃的ではある。
昨今の、「ひとを殺してみたかった」という動機の殺人が衝撃的であることにも関係してくると思うんだけれど、深入りせずにこれにておしまい。