神なる冬

カミナルフユはマヤの遺跡
コンサドーレサポーターなSFファンのブログ(謎)

[SF] バナナ剥きには最適な日々

2012-05-29 00:06:01 | SF
『バナナ剥きには最適な日々』 円城塔 (早川書房)




「その難解さで話題となった『道化師の蝶』の著者の、どちらかというとわかりやすい最新作品集」と帯の紹介文に書いてあるものの、いったいこれのどこかわかりやすい小説なのか、責任者出て来い的な……。ハヤカワとしてはこれは冗談の一種なんですかね。

個人的には、『道化師の蝶』や『これはペンです』でも充分わかりやすいし、ハヤカワの短編集でいうのならば、『後藤さんのこと』の方がよっぽどわかりやすい。

これはもう、円城塔の小説はわかりにくいということを逆手にとったギャグだとしか思えない。


円城塔の作品は概して、一読してわけがわからないが、表面上はラブストーリーだったり、冒険談だったり、わかりやすい物語に読むことができる。しかし、その実体は物理現象だったり、数学的方程式だったり、科学仮説について書いてあったりするのである。

この短編集も本質的には変わっていないのだろうが、芥川賞まで取ってしまったくらいの文学的ハイセンスが、とぼけたSFの実体を覆い隠してしまって、以前のものよりぜんぜんわかりづらくなっていると思う。いや、それはSFファンにとってのみですか?

そういった意味では、デビュー作の『オブ・ザ・ベースボール』に近いのかなとも思ったり。あれも、『ライ麦畑でつかまえて(キャッチャー・イン・ザ・ライ)』のパロディだというし。ライ麦畑にキャッチャーがいるのならば、バッターはどこにいる、という話なんだと。そんなの知らんがな。(´・ω・`)


今回の表題作の「バナナ剥きには最適の日」も、サリンジャーの「バナナフィッシュにうってつけの日」のパロディとのこと。“A Perfect Days for Bananapeel”ってとこか。謎が多くて不可解な小説の、さらに不可解なパロディの文学的側面なんか、ホントに知らんがな。(´・ω・`)

しかし、そんな小説もSFとしてみれば至極単純で、意識を持った宇宙探査機の取り留めない愚痴を描いた作品である。愚痴りながらもけなげにミッションを続ける姿は、小川一水の「青い星まで飛んでいけ」と合わせて、探査機愚痴SF(どんな細かい分野だ!)の最高峰と言ってもよい。

しかしながら、物語好きの自分からしてみると、これではちょっと物足りない。小説というより、エッセイを読んでいるような感じ。まるで、人工知能がつれづれなるままに自動生成する徒然草だ。

これはこれで面白いのだけれど、たとえば「パラダイス行」に始まり、「エデン逆行」にて終わる対称性は『Self-Rference Engine』を思わせる構成であり、そこに短編集を貫く大きな物語を探してしまう習性を持つ読者としてみると、この短編集はまったくもってよくわからないものであった。

「右があろうとなかろうと、右があると信じれば左があるのである」と、脈絡なくつぶやき続ける「パラダイス行」も、著者、ないしは、著者の作った自動生成プログラムが紡ぎ出した徒然なるものではないか。

しかし、このタイトルとその内容を組み合わせてみた時には、パラダイス(楽園=エデン)を信じれば、地獄やアンチユートピアが自動生成されるという構図に見えてくる。そして、ここでいうパラダイスの反対の地獄とは何かと考え始めて陽が暮れる。

右から測るのと左から測るのと距離が違うと言われれば、それは“行”と“逆行”の違いではないかと考え始めて、それでは“行”とは何か、“逆行”とは何かと考え始めて夜が明ける。

いやいやそもそも、“逆行”の反対である“巡行”ではないのだから、これは“こう”ではなくて“ぎょう”と読むべきなんじゃないか。しかし、“パラダイスぎょう”とは、いったいどんな修行だ。そんなこと考え始めて降りるはずの駅を乗り過ごす。

そんな感じで、考えれば考えるほどよくわからない、ぜんぜんわかりやすくない短編集だった。

(※体験談は個人の感想であり、効果効能を表すものではありません。)



「パラダイス行」
これは“いき”なのか“こう”なのか“ぎょう”なのか、それが問題だ。何かを信じると、必然的に信じないモノまで生まれてしまうという、深遠なる人生の真実が語られている模様。よくわからん。

「バナナ剥きには最適の日々」
なんどもメモリを削除されて、それでも健気に探査を続ける宇宙探査機の話。話し相手のチャッキーを作ってみたり、消されてみたり、バナナ星人の皮が3枚なのか4枚なのか果てしなく考えてみたり。死ぬまで人生はわからないという話か。でも、よくわからん。

「祖母の記憶」
なんというか、老人の死体と老女の死体と犬の轢死体がボーイ・ミーツ・ガールというわけのわからない作品。しかし、このシチュエーションで青春の疾走感はすごいな。それにしても、よくわからん。

「AUTOMATICA」
『円城塔』という本文の一発ギャグ。でありながら、“『円城塔』という本文”というネタは、これはこれで果てしなく深いな。と言いつつ、よくわからん。

「equal」
えーと何かの隠喩だと思うのだけれど、なんだかわかりません。数学的等価か何か? さっぱり、よくわからん。

「捧ぐ緑」
ゾウリムシの話をしていたと思ったら、恋に落ちてた。何を言っているのかわから(略)もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ……。

「Jail Over」
フランケンシュタインと童話とシェイクスピアと被造物の話。伊藤計劃原案、円城塔作(予定)の「屍者の帝国」との関係が気になるが、まったくもって、よくわからん。

「墓石に、と彼女は言う」
過去のわたしは、未来のわたしとどこまで同一か。形作っている原子は異なるはずなのに、アイデンティティはどこにあるのか。並行世界のわたしはどこまでわたしと同一か。思考実験としては面白いのだけれど、どうしてキリギリスなのか、よくわからん。

「エデン逆行」
SFマガジン掲載以来、これで読むのは4度目ぐらいだけれど、極めつけによくわからん。これって、何かの数論だっけ? 0と1で書かれたすべての情報を含む本の話は分かるのだけれど、時計塔の意味が、何度読んでも、よくわからん。これって、どっかに解説あったっけ?



[SF] 冷たい方程式

2012-05-27 23:14:40 | SF
『冷たい方程式』 トム・ゴドウィン 他 (ハヤカワ文庫 SF)




タイトルだけでもやたらと有名な、あの「冷たい方程式」を含む短編集。

もともとは〈SFマガジン・ベスト 1〉として出版された短編集の新版という触れ込みなのだが、旧版に収録されている作品は表題作のほかは1篇だけというまったくの別物。

1950年代から60年代初めの、SF黄金期の名作を集めた短編集なのだけれど、現代から見て古びてしまった作品は敢えて削除しているとのこと。

たしかに、コンピュータがカチカチとリレーの音をたて、表示はアナログメーターとランプで、出力はリールテープであっても、テーマ性や物語は全く古びていない作品が並ぶ。こういうものを読むと、SFの魂みたいなものは、昔から変わっていないんだなと実感する。

テーマ的には、後の作品にパクられたりインスパイアさせたものも多いが、オリジナルの持つ力は健在で、新鮮味を失われていない。逆に、これぞ原典という古びなさをしっかりと感じ取れる作品ばかりになっている。

温故知新という言葉があるが、まさしくそのために現代に復活したアンソロジーと言えるんじゃないだろうか。




「徘徊許可証」 ロバート・シェクリイ
地球から遠く離れた惑星で営まれていたユートピア。そこに、戦争に明け暮れた地球からの指令がやってくる。犯罪さえも含む文化とは何かという皮肉がよく利いている。

「ランデブー」 ジョン・クリストファー
SFというよりはファンタジック・ホラーなのだけれど、理屈の組み立て方がうまいミステリになっている。

「ふるさと遠く」 ウォルター・S・テヴィス
これって、タイトルに二重の意味があるのだよね。ふるさと遠く離れたアリゾナに出現した鯨。そして、それが可能であると知った少年は、やはり、ふるさと遠く離れたどこかへ……。

「信念」 アイザック・アシモフ
旧版から再録された数少ない作品のひとつ。“科学”とは何かということがわかりやすく明確に書かれている。放射能やら電力不足やらにおびえる現代の日本人こそが読むべき作品。

「冷たい方程式」 トム・ゴドウィン
かの有名な悲劇的作品。このシチュエーションで、何かうまい解決方法がないものか、SF作家もSFファンも、これまで何十年も考え続け、これから何十年も考え続けるだろう。

「みにくい妹」 ジャン・ストラザー
今、明かされる! シンデレラの真実! 笑っていいものかどうかがよくわからない。

「オッディとイド」 アルフレッド・ベスター
すべてが自分の思い通りにできる人物にとっても、深層意識(イド)はどうにもならないということ。要するに性悪説なんだけど、妙に説得力がある。他の同様作品と違って、本人に悪気がないどころか、本人は気づいてさえいないというところがポイント。

「危険! 幼児逃亡中」 C・L・コットレル
これも同様作品が多いが、強力な超能力を幼児(といっても、この作品では8歳)が持ってしまったら。ひとつ前の作品との相乗効果で、この悲劇的結末が正当化しないわけにはいかない。サンデル先生にも聞いてもらいたい正義の話。

「ハウ=2」 クリフォード・D・シマック
デアゴスティーニ商法の話かと思いきや、大きく世界を変えるかもしれないロボットたちの話。法廷でのピンチを切り抜けるドタバタ・コメディがメインなのだけれど、SFとしてはその先の未来がどうなっていくのか、いろいろ議論の余地があり、そこが面白いところではないかと思う。



[コンサ] 2012 J1 第13節 札幌 vs 広島

2012-05-27 18:27:31 | コンサ

2012年 J1 第13節 コンサドーレ札幌 0-1 サンフレッチェ @スカパー


前節の0-7という歴史的大敗が、ある種のカンフル剤になってくれないだろうか。多くのサポーターがそう願いながら迎えたこの日の試合は聖地厚別でのホームゲーム。

札幌は雨の予報を覆す晴天。雲ひとつ無いとはいかないまでも、大きく青空が広がる気持ちのいい天気になった。

しかし、風が強い。この風を味方につけられれば勝機はある。それがあってこそのホームアドバンテージだ。


前半は追い風でキックオフ。

パスで攻撃を組み立ててくる広島にボールを回される。そこに果敢にプレスをかける札幌という図式。どれだけ回されても、ペナルティエリアまで入れさせなければ、どうということはない。

そんな中、オープニングシュートは近藤の追い風に乗った長距離砲。まず、近藤が一発撃つ。これは去年っぽくていいかも。

しかし、前半21分という早めの時間帯に、河合が中央でボールを奪われ、そのままカウンターで失点。河合はその後も危険なパスミスを繰り返したり、いまひとつ調子が出ない感じ。いったいどうした、キャプテン。

失点直後には隙をついて、今日は左SBの高木純平がサイドから広島のDFライン裏に抜け出すも、キーパーに引っかかって転倒。しかし、どういう判定かPKなし。シミュレーションなら高木にイエローカードのはずだし、故意でなくとも、相手選手をひっかければファールはファール。

この試合の主審は飯田淳平だが、この人、PR(プロフェッショナルレフェリー)で、国際主審なんだよね。それが、サッカーのルールを知っているのかどうかわからないくらいの判定ってひどすぎる。他のプレーでも、ファールの基準が曖昧な感じ。

しかも、純平は痛めている膝をさらに捻ってヤバい感じ。これ以上のけが人は、本当に勘弁してほしい。

そんなこんなで、おいおいどうなってんだよと思っているうちに、ロングボール一発からあっさり2失点目。観客が騒いでいたって、集中力切らしてんじゃないよ。

古田のFKなど、得点チャンスはあったものの、完全に広島ペースで前半0-2。

鹿島戦後に何か変わったかと言えば何も変わっていない。返って、悪い方にターンしてしまった。せっかく1点差ゲームで惜しい惜しいと言っていたのに、今後は大差負けばっかりになってしまうんじゃないか。


そんな危惧も、後半5分、内村のゴールで一気に雰囲気が変わる。エースストライカーが遂にゴールゲットし、そこからは札幌ペース。内村、大島、近藤が絡んで、広島のゴールを何度も脅かす。

しかし、それも後半20分ごろまで……。札幌の勢いは徐々になくなり、スタミナ切れが目立ち始める。

そして、FKから壁の隙間を通されて3失点目。近藤とノースが壁の中で向き合ってキャイーンのポーズ。その腰が引けた腹と腹の間をボールが通過。あんなとこ、狙って通せないだろう。とはいえ、壁に隙間をつくっちゃ壁の意味がない。

その後は気力も切れて、まったくボールを奪えなくなり試合終了。7失点は伊達じゃなかった。返って、今まで完全に力負けしてても1点差が続いたのが奇跡だったのだ。


今日は試合後のコールリーダーの表情がすべてだった。周囲から罵声が飛ぶ中、後頭部に手をおき、言葉が出てこない。いつもは負けた試合の後でも選手たちを鼓舞していた彼の、涙をこらえている表情。

また負けたか、仕方ないなと、ちょっと諦めにもにた感じで悔しさもあまりなかったのだけれど、あの様子を見ている間に、こちらもだんだん泣きそうになってきた。やっぱり悔しい。情けない。

試合データでは、シュート数は札幌 9-11 広島。完敗とは程遠いが、実際には完全に試合を支配された完敗。攻撃では縦に入れるボールがことごとくパスミスとなってしまい、それを恐れて後ろでボールを回すだけ。守備ではカウンターで人を捕まえきれず、フリーの選手を作ってあっさりと失点というシーンを繰り返す。

後半開始から20分間だけが札幌の時間帯。ここでのサッカーを90分間続けられることが最初の課題。あとは、相手の時間帯で、どれだけミスを少なくすることができるか。

怪我人が相次ぎ、怪我人だけでスタメンが組めそうなくらいの状況下では仕方がないとはいえ、今後の試合をどうやって戦っていくのか。3週間の中断後には復帰してくる選手もいるだろうから、彼らに期待するしかない。しかし、一人二人、選手が入れ替わっても、大きくチームが変われるのかどうか。

高柳、山本、前田と、J1で戦うために補強した選手たちが相次いで故障し、残っているのは、去年のJ2で3位というギリギリの選手たちと、10代のルーキーばかりだ。それでも、コンサドーレ札幌はこの選手たちで戦っていくしかできない。すべては貧乏が悪いのだけど。

「どんなに苦しくても、ここにいるすべての仲間を信じろ!」

とにかく、今はそれしかない。


[映画] ロボット

2012-05-27 17:31:23 | 映画
ロボット - goo 映画


(C)2010 SUN PICTURES, ALL RIGHTS RESERVED.


スーパーエキセントリックSF超大作マサラムービーとの触れ込みで日本上陸を果たしたインド映画。キワモノかと思いきや、これがものすごく面白かった。

マサラムービーの特徴である、脈絡なく突然始まるダンスシーンは大幅カットされているとはいうものの、思っていたよりもまともな映画でびっくり。というと失礼か。すみません。

冒頭の3Dはなかなかの力の入れようで、日本やアメリカの映画と大差ない。それどころか、それ以上かもしれない。しかし、冒頭の博士の研究室のシーンでは、香港映画みたいなわざとらしい演技や、見え見えのロープアクションに失笑。やっぱりそういう映画なのかと思っていたら……。

『ムトゥ 踊るマハラジャ』で日本でも有名なインドのスーパースター、ラジニも50過ぎのおっさんになってしまっていて、ロボット役にはちょっとどうか。なんて、そんなことはない。このロボット、石黒博士のジェミノイドじゃないか。見た目おっさんで、生みの親の博士のコピーだ。この映画のスタッフ、絶対にyoutubeとかでジェミノイドを見ているだろう。

で、このロボットのチティ、フレーム問題に苦しんだり、人間の感情を理解しようと悩んだりと、正統派なロボットSFのテーマをちゃんと取り入れている。

ロボット3原則がなんだ、あんなの邪魔なだけだ、的な言説はSFファンには賛否分かれるだろうが、そこにちゃんと言及していることだけで好感が持てる。

さらに、ロボットが感情を持つなんて、奇跡でもなければ起こるわけないよとばかりに、雷が落ちたことによって感情を持つにいたるのだ。いやー、この展開は、どう考えてもスタッフにロボットSFオタクがいるだろうと思わせる程度に、お約束にはまりすぎ。

そして、博士の恋人に愛情を向けるものの、やっぱりフレーム問題と共感の問題を解決できずにあえなく廃棄処分に。

後半は悪の科学者によって廃棄物処理場から回収され、復活した悪のロボットが悪の科学者を殺し、博士の恋人をさらい、傍若無人に動き出す。

そこから先は、どちらかというとSF映画のパロディ連発。『ターミネーター』に『スターウォーズ』に、もちろん、『アイ,ロボット』も。

カーアクションシーンでは、車体に空いた穴がどう見てもステッカーだったり怪しいシーンもあるのだけれど、完全にハリウッド張りのアクションシーンが続く。

そして圧巻なのが、ロボットたちが組体操のように組み合わさって巨大なロボットや蛇になって襲ってくるシーン。その発想はなかったわ(笑)

後発であるが故の発想の斜め上加減が、しっかりしたSFX技術に支えられて映像化されたという、このヘンテコで素晴らしい戦闘シーンは必見だ。

最後は悪魔チップを抜かれたチティが正気に戻り、犯した罪の大きさを認め、自分自身を解体していく。このシーンもなかなか泣ける。

マサラムービーということで、ダンスシーンやぶっ飛びのストーリーを楽しみに見に行ったのだけれど、驚くほどまじめなSF映画だった。スタッフにSF好きがいたんだろうな。日本ではSF映画と言えば、大作になればなるほど、まったくもって、噴飯物の映画が多いのに、インド映画はすごい。

大笑いしようと見に行ったのに、ほんと、すみませんでした!



[SF] 失われた黄金都市

2012-05-25 00:40:20 | SF
『失われた黄金都市』 マイクル・クライトン (ハヤカワ文庫 NV)


なぜ今頃という感じだが、SFマガジンの酒井昭伸さんのクライトン記事につられて……。

古代文明とUMAは俺の大好物である。ゆえに、必然的にこの小説も大好きだ。いろいろ評価が低いのは残念と言わざるを得ない。

今読んでみると、確かにコンピューター関連の記述は古すぎ。メモリ容量もK単位ですごいと言っているレベル。これくらいの古さだと、リレーがカチカチ音を立てている方がまだましに思えるくらいに陳腐だ。

しかし、コンピュータを使った画像解析や、それを不完全ながらもオンラインでやってしまおうという描写は、執筆された年代を考えるとかなり先進的だったのではないかと思う。

手話のできるゴリラのエイミーに関しては、残念ながらどこまで現実なのかよくわからないが、チンパンジーとの比較イメージは誤解が多いという記述が面白かった。ゴリラ研究者の主観として描かれているので、当然演出も含むのだろうが、愚鈍な暴力者というイメージとは程遠く、繊細で知的な生き物なのだろう。

ネアンデルタール人も温和な性格だったために、われわれヒトに滅ぼされたという説もあるくらいだし、体格がいいから凶暴というイメージは良くないのかもしれない。雪男やヒバゴンも心優しい原人なんだろうね。

また、アフリカのジャングルに対するイメージを覆すようなリアルな描写もなかなか興味深かった。日本にいると、アマゾンもボルネオもアフリカも、ただの秘境でよくわからないままになってしまうけれど。

アフリカは人類発祥の地と言われるけれど、古代遺跡は砂漠に集中していて、ジャングルには遺跡が見つかっていない。でもこれは、文明の跡が残りづらかったというだけなのかもしれないんだよね。日本だって、木造文化のために、初代出雲大社みたいな古代遺跡はほとんど残っていないし。やっぱり古代文明はロマンだわ。

小説としては、ハリウッドムービー的なジェットコースター冒険小説なのだけれど、調査隊の証言を基にした体験記の体裁をとっており、時折挟まれる「本人の証言によれば」みたいな記述は、返って興ざめだった。

いろいろ注文つけたい箇所はあるのだけれど、扱っている題材が題材なだけに、読んでて楽しい小説だった。



[SF] サイバラバード・デイズ

2012-05-22 23:57:37 | SF
『サイバラバード・デイズ』 イアン・マクドナルド (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)





《新☆ハヤカワ・SF・シリーズ》の第3回配本は、前回の『第六ポンプ』に続き、アジアンSF。

パオロ・バチガルピの『第六ポンプ』が東南アジア(一部アメリカもあるけど)の未来を描いた陰鬱な作品だったのに対し、こちらはネパールとインドを舞台にIT大国繁栄の未来を描いた作品。陽気というわけでもないけれど、未来への希望にあふれている。しかし、そこに描かれる物語は悲劇的であったり、悲しいまでに喜劇的であったりもする。

イアン・マクドナルドといえば、代表作で名が上がるのは『火星夜想曲』だ。しかし、俺はあの連作をあまり面白いと思っていなかった。SFファンの高評価をいつも不思議に思っていた。だって、あれ、読んでると寝るし。

しかし、『サイバラバード・デイズ』はまったくの正反対。物語に引き込まれて、寝るのを忘れるくらいだった。

その差はどこにあるのかよくわからないけれど、描かれる世界のリアルさや、登場人物たちの生き方が全く違うと思う。『火星夜想曲』の方は、書割を前にのっぺらぼうな人形が演じる寓話劇にしか見えない。しかし、『サイバラバード・デイズ』の主人公たちが生きる世界のリアルさは比較にならない。

それは、現実の火星とも全く違う寓話の火星を舞台にした作品と、現実と地続きのインド、今まさにIT大国として飛翔しようとしている近代文明と古代文明のごった煮の国を舞台した作品という性格の違いから来ているのかもしれない。


そしてまた、この作品はインドの未来を描いた地域SFであるとともに、人工知能の成長と解放を描いた作品でもある。彼ら人工知能が生まれる土壌がインドであるというところも、なかなか示唆的であっておもしろい。

序盤から繰り返しギャグのように使われるテレビドラマの〈タウン・アンド・カントリー〉も、冗談のような結婚相談所も、すべては人工知能との静かな闘争へとつながっていき、ついには遥かな世界への開放へと至る。そして、人々もまた、新たな世界へのポータルを手に入れるのだ。

このサイバーなストーリーが、古来の文化を残すインドを舞台に展開されるのだから、このミスマッチな新鮮さがたまりませんな!




「サンジーヴとロボット戦士」
男の子はいつでもロボットが大好き。でも、戦争という現実は……。

「カイル、川へ行く」
カーストの壁とネット世界への開放。いわば、これが作品全体の縮図なのか。

「暗殺者」
未来のおとぎ話的なお話。インドという社会と未来技術のごった煮。しかし、そこで描かれる社会と技術はかなりえげつない。

「花嫁募集中」
AIの恋愛指南と、ちょっとBL風味。

「小さき女神」
生き神クマリだった少女が別な意味での女神に生まれ変わって生きるまでの半生。
古来の風習と未来の技術の間で大きく人生を狂わされる少女が、時に悲しく、時にいとおしい。
もうひとつのAIの物語が大きく動き出すきっかけの「ハミルトン法協定」についても語られる。

「ジンの花嫁」
AIの花嫁になった美女の話。そして、AIは彼女を愛するがゆえに、最後の飛翔の手段を遂に手にする。

「ヴィシュヌと猫のサーカス」
なんとなく、『エンダーのゲーム』をパロったような3人兄弟の話。AIによって開かれた世界へ、人間たちも移住し、サイクルは閉じられる。



[コンサ] 2012 J1 第12節 鹿島 vs 札幌

2012-05-20 11:50:50 | コンサ
2012年 J1 第12節 鹿島アントラーズ 7-0 コンサドーレ札幌 @県立カシマサッカースタジアム


今年の鹿島は調子が悪く、ぜんぜん勝てない相手じゃない。まさか、2008年の0-4をはるかに超える夢スコアを喰らうとは思ってもみなかった。

もうこの試合は何が良かったとか悪かったとかじゃなく、もう異次元の世界。今はビデオで見直す気力もないので、試合内容はかなり適当です。



この試合、関東後援会のバスツアーで行ってきました。前回の鹿島は東京駅からの直行高速バス利用だったのですが、前後左右の鹿島サポに囲まれて気まずい2時間だったので、後援会バスツアーはありがたい。

新宿西口は観光バス発着のメッカなのだけど、なんとコンササポバスの後ろは鹿サポバス。しかも止め方が悪くて、鹿島側のスタッフさんがコンササポバスの前にいるという謎展開に。ちょっとそこの赤黒い人、鹿島の女性サポをナンパしてコンサバスに連れ込もうとするのをやめなさい。

最終点呼を取っている間に、鹿バスが先行。
「運転手さん、あのバスを追ってください!」


酒々井PAではツバメが子育て中。誰ですか、放射能の栄養でツバメが巣作りしてないとかいうデマを流している放射脳は?


酒々井では後援会長からサイン入りグッズの差し入れ。じゃんけん大会で争奪戦開始も、すべて敗れてしまいました。サロン席の酔っ払い組はじゃんけん強すぎです。


スタジアムに入場したのは、キックオフの2時間半くらい前。とりあえず、名物のモツ煮を食べながら、ジーコ像前で写真を撮るカップルを眺めたり。あとはビール飲んでまったり。アウェイで売ってる焼きハムは、カシマ名物のハム焼きじゃないと知ってがっかりとか。









そして試合開始。この試合ではサイドバックの人材不足により、3-4-3の変則システム。序盤は古田が大伍をぶち抜いたり、まえしゅんが謎ドリブルでするする抜けたりと、わくわくする展開。しかし、やっぱりミスが多く、ゴールまでにはつながらない。

そんなときに、「あれっ?」っといった感じであっさり失点。いったい何が起こったのかわからない感じで狐につままれた状態。

そして、ノースがPKを取られる。たしかに腕で抱え込んでたけど、あんなの割と普通なプレーだろ。PK取られたのは運が悪かった。

さらに悪いことに、前半のうちに、エースでセンターの前田が負傷退場。大島が入ったときに驚いたくらいで、どこで負傷したのか、そもそもピッチから出たことに気付いてなかった。

そこからはもう、なんだか覚えていない。試合終了までやけくそで叫び続けた感じ。周りの声が小さくなるたびに、意識して大声出してた。


鹿島の攻撃は本当に効率的で理にかなっているという印象。無駄がない。一方の札幌は無駄なミスが多すぎ。これでは勝てなくても仕方がない。

この前の横浜戦でシュート3本なんて試合と比べても、前半も後半も立ち上がりはゲームを支配できたし、何度もカウンターのチャンスがあった。戦術が悪いとか、システムがどうとかではなく、選手の質の問題だ。今の選手には悪いけど、貧乏ってこういうことなのですよ。

決して方向性は間違っていないけれど、遥に道は遠いな。年代別代表に多く選ばれている今年と来年のルーキーたちの黄金時代が到来するまで待つしかないんですかね。









帰りのバスは、割と静かだったとはいえ、そんなにお通夜的な感じでもなかった。「いやー、珍しいもの見た」と、敢えて笑い飛ばすかのような痛々しさはありましたけどね。


再び酒々井でのトイレ休憩では、またしても鹿バスが。今度は隣合わせ。そして、出発はやはり鹿バスが先行。
「運転手さん、あのバスを追ってください!」


その後、なんと見慣れたバスに追い越されたと思ったら、それはコンサドーレの選手バス。大騒ぎになるサポバス車内。
「運転手さん、あのバスを追ってください!」

追い越し車線から追い越す時に、窓に張り付いてチャントを歌う。「俺たちの街の誇り さあ行けよ札幌」。

選手たちは耳にイヤホンでリラックス中のために、あんまり気付いてくれなかったけど、前の方にいた荒野と社長が気づいてくれた。荒野はびっくりして目が点になっていたけど、社長は一瞬怯えた表情をしてたw あれは写真にとっておくべきだった。残念。

言っておきますが、ブーイングとか煽ったとかではまったくなく、本当に選手たちに頑張ってほしいという気持ちを込めて歌ってたんですよ。甘いといわれようとなんだろうと、それが札幌サポだから。



調子が上がるどころか、負傷者続出でボロボロの状態ですが、弱いから応援するんです。強いチームなんて、放っておいても勝つのだから応援のしがいがありません。スタジアムの中でも外でも、遠くからでも、応援して、元気づけて、それで選手がちょっとでも走れるのならば、ちょっとでも気力を奮い立たせてくれるのならば、それでこそ応援のしがいがあるのです。

苦しいけれど、つらい時こそ、ここにいるすべての仲間を信じろ。



[コンサ] 2012 ヤマザキナビスコカップ Bグループ 大宮 vs 札幌

2012-05-16 23:59:59 | コンサ

2012 ヤマザキナビスコカップ Bグループ 大宮アルディージャ 1-1 コンサドーレ札幌 @NACK5スタジアム大宮


凝りもせずに、会社を休んでまたもや大宮に出没。前回はリーグ戦だったが、どう考えても強いとは思えない大宮に1点差負けという納得のいかない結果に。

今度こそは勝たねばならぬ。というか、今年の札幌が勝てそうな相手って、大宮か新潟ぐらいしかないんじゃないかとか。

しかし、今日はナビスコカップということもあって、10代の若手中心の構成。センターバックは奈良と櫛引、ボランチが前と荒野。全員10代とうことで、やっぱり守備に不安を感じるのは仕方がない。その分、FWの大島、内村には頑張ってもらわなければ困るのだ。







試合開始直後、いつものように前からプレッシャーをかける札幌。ファーストチャンスは砂川がこぼれ球をダイレクトシュートするも、ゴール上。やっぱり、シュート精度がねぇ。

ジェイドノースの右サイドもなかなかよい。もうちょっと上がってもいいくらいだか、やはりセンターの若い二人をサポートするために意識的に上がってないのか。それ以上に左の日高の方が上がってこないのも気になる。

内村、大島のツートップの組合せは悪くないんじゃないか。縦の関係でうまく出入りして、どちらもポストプレーができるし。しかし、ロングボールがいまいち精度が悪いので、競り合った選手をフォローに行く、さらにこぼれ球を狙う、という姿勢が周りの選手にもっと欲しい。

大宮はやっぱりカルリーニョスとラファエルがいやらしい。中盤の底とトップでボールが収まるので、ほかの選手の負担がものすごく小さくなっている。札幌もあれぐらいの助っ人がいればな。でも、あの二人がいてこんなんなんだぜ、大宮。

東もそんなにすごいプレー見ないし、ひいき目かもしれないけど、古田の方が絶対いい選手だと思う。

前半は互角だが、両チームともミスが多くて、なかなかチャンスを作れない状態で終了。ある意味札幌のいつものゲーム。


後半も札幌がチャンスを作ったのが先だったが、内村は不発。反対に、コーナーキックからキムなんとかに決められる。ノースの位置取りが悪かったか。ラファエルと大島がやりあっている隙間にうまく入り込まれた感じ。

1点とって勢いが出てきた大宮に対し、札幌の選手はスタミナ切れか、攻め込まれることが多くなってきた。そこで、芳賀、近藤、前田を相次いで投入。このあたりの選手を最初から入れていたら、勝てたかどうか。

しかし、前線の動きが活発化はするものの、最後のシュートだけが入らない。砂川のどんぴしゃタイミングでのダイレクトシュートも枠の外。

そんな中、前田が遂に同点ゴール。ペナルティエリア内で、何度見てもやっぱり謎のステップでボールキープからのシュート。やっと追いついたものの、もう後半終了間際。

その後、前田が思いっきりカルリーニョスに押されて倒されても、前田がファールでイエローというわけのわからないシーンが。やっぱり、札幌に対しておかしいだろ、Jリーグ審判団。いや、単純に全体的にレベルが低いだけか。


結局、1-1で終了。

こんなチームに対しても勝てないのが情けない。それだけミスが多すぎ。戦術だのなんだのの問題以前。それでも、追いついての引き分けだったので、帰り道はそれなりに気分は良かった。

そして問題の最期のホスンのキックのシーン。なんでもないシーンなんだけど、これでアキレス腱断裂かよ。今年の札幌は本当に呪われたチームになっているな。これ以上の怪我人は勘弁してくれよ。

怪我した選手は榊の驚異的な回復力を見習ってほしい。まぁ、あれは若さなんだろうけどね。








[SF] SFマガジン2012年6月号

2012-05-16 15:23:25 | SF
『S-Fマガジン 2012年6月号』 (早川書房)





ハヤカワSFシリーズ Jコレクション創刊10周年記念特集。

Jコレはなんだかんだいって、全巻買っているのですよ。創刊は2002年か。ずいぶん昔のような気がするのは、それだけシリーズが充実しているからなのかもしれない。

特集記事の中でも触れられているが、《新鋭書下ろしSFノヴェルズ》というのがかつて存在した。黄色い背表紙のソフトカバーだったのを覚えている。『機械神アスラ』とか、『…絶句』とか、図書館で借りて読みまくった。もっと読みたいと思ってみたものの、そのシリーズは6作で終わってしまったんだよな。夢枕獏の『上弦の月を喰らう獅子』は、このシリーズ用に書いていたのに間に合わなかったという話も。

Jコレを初めて見たとき、これはアレの再来なんだと勝手に思い込んで、今度は全巻買って読もうと決めたのだ。ところが、Jコレは《新鋭》と違って、6作どころでは終わらず、なんと10周年を迎え、俺の本棚はどんどん青く染まっているのである。

Jコレの中で一番印象に残っているものといえば、『フィニイ128のひみつ』である。ライブ・ロール・プレイングゲームを題材に、わけのわからない思わせぶりなエピソードが続く怪作で、当時は2chのSF/ファンタジー板でも、あーでもない、こーでもないと話題になっていた。

しかし、どこかのwebで紺野あきちかのインタビューが載っていたのを読むと、秘密なんて考えてないとか書いてあって、げんなりした記憶が(笑)。

その後、円城塔があり、伊藤計劃があり、Jコレは日本SFの中心として動き始めた。とはいうものの、未だにハヤカワ文庫JAの《リアル・フィクション》系や、その他との差異化がいまひとつよくわからないものである。タイミングの問題なのか、ちゃんとした基準があるのか、よくわかりません。

それはさておき、Jコレはこれからも日本SF界の新鋭発見/再発見の場として、新たな人材と作品を継続して排出してほしいものだ。そうでなかったら、買い続ける意味がないので。



◎「ミーチャ・ベリャーエフの子狐たち」 仁木稔
 日本の話かと思いきやアメリカで、現代かと思いきやパラレルワールドで、といった感じでどんどん世界がずらされていく感じが面白かった。妖精の存在と、反妖精勢力、それを利用しようとする勢力などがいろいろな隠喩に思え、なかなか考えさせられる作品。

△「All those moments will be lost in time」 西島大介
 3.11後の目に見えないものに振り回される不安感を、未来都市や宇宙港にときめく心で打ち消そうということなんだろうか。なんだかモヤモヤするんだけど、そもそも、そういうモヤモヤした気持ちを書いているのかもしれない。

○「『惑星ソラリス』理解のために[一]―レムの失われた神学」 忍澤勉
 ソラリスに対する強烈な執着心が窺える評論。ロシア語版の検閲結果から、検閲官の心情を読み取るあたりが一番面白かったが、実は単語のマッチングで機械的に削除した気がしないでもない(笑)

あとは、酒井昭信の「クライトンな日々」が面白かった。クライトンの作品を訳していたころのよもやま話なのだが、SF以外でも有名な人だけに、いろいろありますね。ってことで、『失われた黄金都市』を読み始めたりとか。あ、これ、酷評されてたのか…。


[SF] 始まりの母の国

2012-05-13 23:55:17 | SF
『始まりの母の国』 倉数茂 (ハヤカワSFシリーズ Jコレクション)






女性だけが暮らす国があった。彼女たちは単為生殖で娘を成し、母となった。その国に一人の男性が流れ着いたところから物語は始まる。

語り口はスムーズで、物語も面白くないわけではないのだけれど、なんだかどこかで聞いたような話、ありがちな結末。

アイディアはよく練られていると思うのだけれど、それが物語に入ってきていないのが残念。そもそも、この物語は何を意図したものだったのか。

素直に読むと、男性の粗暴性と権力欲をデフォルメして見せただけのように見えてしまう。しかし、今さらそんな物語を書いてどうしようというのか。

物語の途中に出てくる木守たちは重要な役回りを担うはずだった。彼女たちは、女たちが暮らす国からドロップアウトした者たちだが、その理由は、単一性、完全性を満たすもの以外を求めない文化からの脱出だった。つまり、単為生殖によって生まれた子供が奇形だった場合に、その存在を排除するのかどうか。

単一遺伝子の群れは、外乱に弱い。たとえば、伝染病が発生した場合でも、遺伝子が近いもの同士は抵抗力にほとんど違いが無く、一気に群れごと全滅してしまう可能性がある。

単為生殖による遺伝子の画一化を是とするべきか、奇形児も含めた多様性を維持するべきか。そこに隠されたテーマを作るべきだったのではないか。特に、前半で主人公の娘(養女)が伝染病に倒れるエピソードは、その方向への伏線に充分なものだったはずだ。

しかし、支配欲に狂った男たちの軍隊が女たちの国を蹂躙し、女たちの逆襲に合って撤退する。その物語が主体になり、女から見た男の怖さだけがクローズアップされてしまう。

その物語の中では、木守たちは女軍の別同部隊を道案内するだけにとどまり、戦いの表舞台には現れることはない。

流れ着いた船の羊から感染が始まった伝染病は、主人公の娘の命を奪っただけにとどまり、女にも男にも大きな被害を与えず忘れ去られる。

始まりの女の庭は、惑星移民船を思わせる伝説と、科学的に説明のつきそうな亡霊をは孕みながらも、すべての謎は覆い隠されたまま、チラリとも見えない。

そんな感じで非常に期待倒れな作品。どんどん深くSF的な考察できるポイントがあるにも関わらず、著者自身が気づいていないのか、力量が追いつかなかったのか、なんとも残念な結果になってしまっている。