全10巻構成で予告された《天冥の標》は、ここにきて1つの巻が3部構成。濃密な物語によって、シリーズは最大のターニングポイントを迎える。
第1巻で描かれた植民星メニー・メニー・シープのできごと。それが謎のまま、地球上での発端である2015年のパンデミック(2巻)までさかのぼり、さまざまな紆余曲折を経てここまで来た。
特に第6巻の終盤である『PART3』では、章タイトルにシリーズ名と同一の「天冥の標」が使われ、さらに「終章 全太陽系応答なし」で終わる。この目次だけ見ても、背筋に鳥肌が立つ。
第2巻での冥王斑パンデミックから生まれたサバイバーたち救世群は、保菌者であるという原罪を背負い、隔離と迫害の苦難の歴史を歩む。アウレーリア一党のような華々しい独立ではなく、嫌悪と恐怖を伴ったアンタッチャブルとしての隔離。溜まりに溜まった宿怨は遂に最悪の形で爆発する。
その暴発は、カルミアンとの不幸な誤解のせいもあり、影で攻防を続けるノルルスカインやミスチフさえも制御不可能な事態を招く。それはまさしく、ボーリング・フォー・コロンバインのような、あるいは、秋葉原通り魔事件のような、虐げられたものの暴発である。
少年セアキと少女イサリの邂逅はこの暴発を防ぐ鍵であったかもしれない。「天冥の標」で示された共存の道が正しい道だったかもしれない。しかし、ミヒルの若すぎる心がすべてを打ち砕く。これらの何もかもが、とてつもなく悲しい。
《救世群》の辿ってきた歴史はあまりにも過酷で同情を禁じ得ない。しかし、それがすべてを肯定するわけではない。特に、我々は彼らの始祖である檜澤千茅を知っている。彼女と紀ノ川青葉の友情を読んでいる。だからこそ、彼らに同情するだけではなく、彼らの行く末を気にかけていた。それが、こんな結末を迎えるとは……。
《天冥の標》が持つ物語の構造は、本当に効果的に、我々の心を揺さぶる。1巻の尻切れトンボな結末から2巻の発端を読んだ衝撃。3巻の疾走感を感じた後に、4巻のセクシャルさに戸惑い、5巻で明らかにされたノルルスカインの正体に驚く。そして、これだ。
年表上では、1巻へ続くには300年あるが、すべての謎はまだ素直につながっていない。きっと、これからも驚愕のミッシングリンクが用意されているに違いない。
しかし、1巻の《娼婦たち》が《恋人たち》なのは明らかなのであろう。ということは、イサリもイサリであり、1巻での出会いは、長い時を越えた“再会”だったのか。そう思うと、あの出会いもまた、とてつもなく悲しい。
読めば読むほど先が読みたくなり、読めば読むほど読み返したくなる。そして、シリーズの結末はまったく想像もつかない。