神なる冬

カミナルフユはマヤの遺跡
コンサドーレサポーターなSFファンのブログ(謎)

[SF] 突変世界 異境の水都

2018-02-22 21:43:57 | SF

『突変世界 異境の水都』 森岡浩之 (徳間文庫)

 

いつの間にか日本SF大賞を受賞していた『突変世界』の前日譚が、これまたいつの間にか出ていた。徳間文庫の新刊なんて、チェックしていなかったから仕方がない。

すごい天変地異が起こっているのに、町内会規模でゆるゆるだった『突変世界』とは異なり、こちらはそれなりの緊迫感。とはいえ、最悪だったという久米島移災とはまた別の話。

今回は大阪移災のエピソードがメインとなる。前作との違いは、移災が大規模であり、ある程度の政治的中枢を含む災害だったということだろう。さらに特筆すべきことに、まだ政府が移災に対する備えを固める前でありながら、複数の集団が独自に移災に対する準備を始めていたということ。

当初は無意味な狂人のたわごとだった教義が、偶然に(←ここ重要)移災と重なり、信者を増やした新興宗教集団。警備会社や倉庫管理会社を含む商社グループ。さらには、暴走族がサバイバリストと結びついた世紀末ヒャッハー集団が複数。

このような大規模災害が起こった時に、サバイバル可能な集団は何かという思考実験としては、なかなか面白い。あとは、ゾンビでお馴染みのショッピングセンターとか、大規模工場なんかもサバイバル集団として有望な気がする。少なくとも前作の町内会よりは。

しかし、いろいろなエピソードはあるけれども、やはりどうにも、手ぬるさとうか、ゆるさというか、悲壮感が足りない気がする。

主人公は信仰宗教団体の教祖の娘の警備を依頼された、商社グループの警備員。ひょうひょうとした雰囲気の青年でありながら、格闘技は意外に強くて、予想外のピンチにも安心だ。

銃器の撃ち合いでひとがバタバタ死んでいるというのに現実感が無く、馬鹿馬鹿しさと苛立ちの方が先に来る。わずかな出番しかないチェンジリングの方が、はるかに悍ましい。これはわざとやっているのだろうか、それとも著者の性格的な限界なのか。

舞台となった関西系のノリも影響しているのかもしれない。なんとなく関西弁だと笑わなければいけない強迫観念が出てくる。関西でこんな話をやってはいけないということか(偏見)。

それよりも気になったのが、移災の原因への言及。ちょっと量子力学に喧嘩を売っているのではないかというレベルの仮説なので、それは無いんじゃないかと思った。

移災の原因解明や、それに対する対策などは、時間軸的には前日譚となるこちらの作品の方が進んでいるので、その対策の結果というか、落としどころは気になる。そういった意味ではシリーズ化して欲しいのだけれど、ディザスター小説としてはもっと切迫した危機感と悲壮感が欲しい。

こういうのこそ、シェアワールド化したらいいんじゃないかな。設定も単純だし、「憑依都市」みたいな揉め事も少ない気がする。

 


[SF]スチーム・ガール

2018-02-21 22:12:19 | SF

『スチーム・ガール』 エリザベス・ベア (創元SF文庫)

 

「少女は蒸気駆動の甲冑機械を身にまとう」という惹句が印象的で、Web上の感想もそれに引っ張られたものが多かったけれど、想像していたのとはかなり違った。

舞台はゴールドラッシュ時代のアメリカ西海岸。ただし、スチームパンク的なパラレルワールド。

主人公はお針子さん。とは言っても、これは当時の隠語で、娼婦を示す。つまり、寸法を正確に測るには裸にならなければならないというわけだ。日本で言うと、お風呂屋さんですかね。

そこで出てくるのが、蒸気駆動のミシン。全身を覆うような形状で、分厚いデニムも簡単にひと縫いだ。これが“蒸気駆動の甲冑機械”なわけ。なにしろ、ミシンの語源はmachineだからな。

そんなスチーム・パンクな世界で、娼館どうしの勢力争いやら、娼婦を狙う連続殺人鬼やら、テスラ・マシンみたいな催眠装置やら、ロシア人やらフランス人やらが大騒ぎ。泣けるし笑える傑作アクションSFだった。

解説では「『ハックルベリー・フィンの冒険』の主人公を16歳の娼婦にしたよう」とのローカス誌の評が引用されているけれど、読んでいて思い出したのは、『赤毛のアン』や『あしながおじさん』といった少女文学。世界名作劇場でアニメ化されているようなやつだ。

主人公カレンの一人称は、原作の文体もそうなのだろうが、訳文もあえてそういった名作に似せた文体にしてるんじゃないだろうか。このミスマッチがなかなか面白かった。

そして、著者にとっては、甲冑機械よりもこっちの方が本題のようだ。

主人公のカレンは父親が事故死したせいで娼館で働くことになった娼婦だが、お金を貯めて牧場を開くという夢に向かって前向きに生きている。ほかにも、娼館には様々な理由で割を食わされたわけありの少女たち(ゲイのおっさんまで)が集まっている。しかし、彼女たちも明るく、前向きに運命を切り開き、これ以上女性が虐げられないように世の中を変えていこうとする。いわば女性の解放を描いた作品でもあるわけだ。

過酷な境遇にありながらも、ユーモアを忘れず、自ら運命を切り開いていく少女の姿は、たとえ甲冑機械をまとった娼婦であっても、世界名作劇場の主人公たちに負けない尊さがあるのである。

そして、女性であろうと男性であろうと、読者は彼女たちに共感し、応援し、その冒険を見守るしかないのである。

 


[SF]シルトの梯子

2018-02-20 22:43:25 | SF

『シルトの梯子』 グレッグ・イーガン (ハヤカワ文庫)SF

 

おなじみイーガンの、イーガンらしいハードSF。

相変わらず、ハードな部分はなんとなくしかわからないが、それを取り去ってしまうと、わりと甘美な絆(それを恋愛と呼ぶのかどうか)の物語なのかもしれない。ただ、いろんなものが取り込まれ過ぎていて、物語としては何となくとっ散らかってしまった印象も否めない。

 

以下は、どういう話であると理解したかという個人的なメモのようなもの。

真空(いわゆる宇宙)は結節点と複数の辺からなる格子(グラフ)でできている、らしい。このへんは、良くわからないが、そもそも架空の理論なので、そういうものだと理解しよう。そこで、グラフを組み替えてしまうと、新たな真空(つまり別な宇宙)が生まれる。そんな実験をしてみたら、一瞬で掻き消えるはず(その状態保持のためにエネルギーが必要だから)の新たな真空は、ドミノ倒しのようにグラフを組み替え続け、光速の半分という爆発的なスピードで、我々の真空を飲み込み始めた。これが大惨事の始まり。

ところが、そんな大惨事においても、コード化して無限に近い寿命を持った人類には、充分に観察する余裕があった。人類は新しい真空と共存する、つまりはいずれ宇宙を明け渡す“譲渡派”と、新しい宇宙の拡大を止め、さらには消滅させようとする“防御派”に分かれ、宇宙が宇宙を喰らう最前線で観測を続ける宇宙船〈リンドラー〉の中で大論争を始める。

“譲渡派”に与するチカヤは、“防御派”の中に、なんと幼馴染のマリアマを見つける。ふたりには、幼き頃に分かち合った秘密があった。ふたりの絆は友情なのか、恋愛なのか。性を超越し、解放された人類にとって、その感情は我々旧人類に理解できるほど単純ではないだろう。

曲線にそって平行線を移動させ続ける“シルトの梯子”。しかし、惑星儀上(つまりは曲がった空間)のふたつの異なる曲線にそって動かし、一本の矢が再び出会ったとき、その方向は異なってしまう。「矢を前に運ぶ方法はつねにあるが、それはお前が取る道によって変わる」。その言葉通り、再会したふたりのベクトルは“譲渡派”と“防御派”に分かれてしまっていた。

そんなとき、新たな真空が知的生命体の存在を示唆する反応を見せる。その事件は、ふたりのかつての秘密を呼び起こし、ふたたび“間違い”を犯さないように、ともに行動を始める。

そして、破壊工作があり、事故があり、ふたりは新たな真空へと落ちていく……。


宇宙の浸食は光速よりも遅いのだから、移動し続ければ危険なんて無いよ、という譲渡派の意見は、頭では納得するものの、どうしても感覚的に共感できない。それはやはり、物質に縛られた旧人類の限界なのかもしれないけれど、どうなんですかね。

あと、まったく別に、ちょうどこれを読書中に「ヴィーガンフェミニズム論争」 に出会ってしまって、ちょっと考えてしまった。物語上は新しい真空に生まれた生物が知的生命体であり、意思疎通もできてしまうから、たちが悪いのだけれど、それでは、どの程度のレベルだったら“譲渡派”から“防御派”へ宗旨替えする人が出るのだろうか。あるいは、単細胞生物のような生命体を、全く別な物理法則の宇宙において、自然現象と区別を付けることは可能なのだろうか。もちろん、真の“譲渡派”にとってはそんなことは関係ないんだろうけどさ!

そんなわけで、とっ散らかっているのはお前の頭だ、っていう結論ですかね。

 


[SF] 未必のマクベス

2017-12-25 21:08:35 | SF

『未必のマクベス』 早瀬耕 (ハヤカワ文庫 JA)

 

「ぜんぜんSFじゃないけど」という前振りで、S-Fマガジンの編集長が大々的に勧めていた小説。

個人的には、ニール・スティーヴンスンの『クリプトノミコン』がSFならば、これもSFでかまわないのではないかと思う。これは立派なSF。

とはいえ、良く考えてみると、秘密鍵を推測できる方法が存在する公開鍵暗号なんて使い物にならないし、“自分で解法を知らない暗号化方式を考えるなんて、馬鹿のすること”というのは、優秀すぎて常人には理解できないのではなく、そもそも暗号の概念を理解できていない、暗号屋として無能なんではないかと思うのだけれど、どうだろうか。

逆に言うと、そこがIFとして働いているSFと言えないことも無い。(ちょっと苦しい……)

ただ、この小説は、もちろん主人公が犯罪を起こすクライム・ノベルであるし、失踪した暗号学者を探すミステリでもあるし、あまりにもピュアな恋愛小説でもある。

なんというか、主人公が初恋の相手に寄せる思いは、20年の時を越えて変わりなく、ハードボイルドというよりは、ちょっと硬派で恋愛に気恥ずかしさを感じる年頃の想いがそのまま重ねられている気がする。だから、この小説にザックリと胸を切り裂かれる人が続出するのではないかと思う。

成行き上で内縁の妻状態になった今カノと、相思相愛でありながら告白もできなかった初恋の人を、天秤にかけるどころか自分が犠牲になって姿を消す。それは無償の愛というよりは、無駄な美学だったり、過剰なカッコ付けだと思うのだけれど、俺の胸の中の10代の少年が絶賛する。それが男というものだと。

 


[映画] ブレードランナー 2049

2017-12-19 22:03:03 | SF

『ブレードランナー 2049』

 

いまとなっては記憶は定かではないが、どうも昔見たのはオリジナル版とディレクターズカット版で、この映画に直接つながるファイナルカット版は見ていないような気がする。

とはいえ、デッカードはレプリカントで、レイチェルとともに姿を消したというのはSFファンの常識レベルになっている。まさに、“読破したふり禁止”ではなく、“観たふり禁止”案件である。それだけ、『ブレードランナー』は常識というか、一般教養レベルにまで昇華したということだ。

この続篇は、30年以上もの時を越え、まさしく『ブレードランナー』の続編、リメイクではない続篇だった。

暗い画面、降りしきる雨、無駄に過剰な日本趣味、そして、ニセモノ……まさに、『ブレードランナー』の続編らしい続篇を見せてくれた。それだけで満足だった気がする。

個人的に惹かれたのは、バーチャルキャラクターのジョイ。演じた女優のアナ・デ・アルマスはキューバ人だけれど、日本趣味のロサンゼルスという舞台に合わせた可愛い系のメイクで、バーチャルっぽさが際立っていた。終盤に出てきた青髪の巨大CG少女よりもバーチャルっぽい印象があった。

ジョイというキャラクターは、レプリカントのさらに先を行く、身体を持たない存在という意味ではニセモノの極地でもあるわけだが、それはレプリカントたちの救いとはならず、ジョイも身体を希求する。

レプリカントはたとえ子を成そうとも、レプリカントであることに変わりは無いと思うのだけれど、それでも彼らはモノであることからヒトへと近づくことにすべてを賭ける。

このあたりは非常に宗教的に感じたし、神がヒトを作ったという刷り込みの弱い我々には、ちょっと本質的に理解しがたい部分があるのではないかとも思った。

なんかこう、レプリカントはレプリカントとして、バーチャルキャラクターはバーチャルキャラクターとしての人権を訴えてもいいような気がするんだけれどね。

 


[SF] S-Fマガジン2017年12月号

2017-12-18 22:35:20 | SF

『S-Fマガジン2017年12月号』

 

「オールタイム・ベストSF映画総解説 PART2」。今回は1988年の『1999年の夏休み』から、2004年の『ハウルの動く城』まで。

このあたりは大学生でSF研に所属していたこともあって、かなり見ている。懐かしい。

先頭の『1999年の夏休み』なんて、レンタルビデオで割と初期に借りたもので、メジャーじゃないビデオ、しかも、アイドル主演の百合系ってことで、レジに持っていくのにかなり躊躇した甘酸っぱい記憶が。客の趣味なんて、店員には知ったこっちゃないのに、自意識過剰だったんだろうな。

しかもこのビデオ、その後に声優になっちゃった宮島依里とか、深津絵里になっちゃった水原里絵とか、川合俊一と結婚した中野みゆき(「毎度お騒がせします」にも出てた気がするんだけど、勘違い?別人?)とか、出演者もインパクトあるうえ、原案は『トーマの心臓』だし、「ウテナ」や「あの花」にも影響を与えたとか、与えてないとか、いろいろネタが詰まった作品であり、内容も“死”という概念に対する多感な時期の少年少女たちの複雑な感情を、オカルトなのかファンタジーなのかSFなのか紙一重な感じで描いており、とてもおすすめなので、ぜひ。

という感じで、一作一作ごとに、その作品というか、当時の大学生活が思い出されて、なかなか感傷深い特集だった。

『ブレードランナー 2049』関連の記事は、わざと読まずにおいて、映画を観たあとで読んだ。いちいちうなずける内容で納得。4人の女性たちの物語というのは、ちょっと言い過ぎのような気もするが、確かに女性キャラクターの印象が強い作品だった。

 


○「天岩戸」草上仁
ごめん、これは企画倒れだと思う。

○「忘却のワクチン」早瀬耕
元北大生としては、校歌のエピソードに大笑い。ネタ的に『未必のマクベス』にかぶる部分があって興味深い。

○「花とロボット」ブライアン・W・オールディス
オールディス追悼の掲載としては悪くないんだけれど、SF小説としてはどうなのか。

○「と、ある日のシンプル・イズ・ベスト」宮崎夏次系
「アンタがさっきみんな捨てたでしょ」の破壊力。かくて、部屋にはガラクタが溢れる。

○「ペルソナの影」 谷甲州
航空宇宙軍史って、図書館で借りて読んでたから持ってないのよね。買って読み直すべきか、まだ迷っている。

○「マルドゥック・アノニマス」冲方丁
バロットの卒業式でののどかな描写が、かえってこれから起こる惨劇を予言しているようで怖い。

○「忘られのリメメント」三雲岳斗
急展開続きで、さらに訳が分からなくなっていく。これってわざと連載を意識してやってるのか。

○「プラスチックの恋人」山本弘
これで完かよ。マジかよ。議論は深まらず、狂信者が勝つという後味の悪さ。もしかして、描きたかったのは非実在ロリぺドの是非ではなく、無敵の人の無敵っぷりだったとか。

あれ、藤井太洋の「マンカインド」はどこにいった?

 


[SF] 隣接界

2017-12-11 23:08:57 | SF

『隣接界』 クリストファー・プリースト (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

 

『奇術師』や『双生児』でおなじみのプリーストの新作。

この人の作品は、まさに気持ちよく騙されることが多いので、それを期待して読んだのだけれど、なんとなく肩透かしを食らってしまった感じ。

これまでの作品のモチーフがちりばめられ、一部の登場人物も再出演するので、プリーストの集大成というか、オールキャストの特別版といった感じ。プリーストの過去の作品を知っているならば、ニヤニヤしながら読める。そういう意味では、初心者向けというより、プリーストの作品を読み切った人が最後に読むべき本かもしれない。

しかしながら、モチーフの使い方があまりに露骨で、プリーストおたくが書いた二次創作のようなうさん臭さも感じる。なんだろう、この感じ。

メインとなるストーリーの舞台は、イスラム勢力によって政治的に支配されたイギリス。世界は異常気象と戦火による混乱の最中にある。そんな世界の中で、主人公のカメラマンは謎の消失現象に巻き込まれる。これは兵器による攻撃なのか、事故なのか。はたまた、ただの悪夢なのか。

そして、そのメインストーリーの合間に、第一次世界大戦で航空機を消す方法の研究を依頼された奇術師、第二次世界大戦でポーランドから亡命してきた女性パイロットのエピソードなどが挟まれる。

それらのエピソードは、さらにあの《夢幻諸島(アーキペラゴ)》へと繋がっていく。

テーマは明らかにいわゆる“並行世界”であり、物理学的な裏付けっぽいエピソードも出てくるが、おそらくうさん臭いのはこのあたり。

プリーストの作風は、ファンタジーともSFともつかない、科学的ではなくても論理的ではあるような、そんな危ういバランスで成り立っている。そこを、SF寄りに説明しようとして失敗したような、そんな感じを受ける。

アーキペラゴのプラチョウスに舞台が移ってからも、それぞれのエピソードは微妙にずれていて、ねじれている。そもそも《夢幻諸島》とは“そういうもの”だと理解していたけれども、それを「隣接界」として説明されてしまうと、なんだか途端に色褪せてしまった感じがして、なんだかせつない。

プリーストが描きたかったものは、第一次世界大戦、第二次世界大戦のエピソードが出てきて、さらにイスラムに支配されたイギリスが舞台であり、それをもうひとつの有り得る現実としての「隣接界」として描くことによる効果として、これはもう明らかであると思う。

しかしながら、それはプリーストらしからぬ直球すぎて、誰かがプリーストを騙って書いたのではないかという印象を受けてしまった。

さらに言うと、メインストーリーにおける幾多の謎は解明されないまま放り出されているのも不満だし、《夢幻諸島》が冥府下りの類型の舞台のように使われてるところも不満。こういう舞台設定なのであれば、あなたの愛した人は並行世界の別人、ぐらいな意地悪な世界であっても良かったのではないかという気がしてならない。


[SF] 忘れられた巨人

2017-11-29 22:34:12 | SF

『忘れられた巨人』 カズオ・イシグロ (ハヤカワepi文庫)

 

ノーベル文学賞受賞作家の作品というと、どのようなイメージがあるだろうか。高尚で、難解で、政治的メッセージに富み、作品そのものよりも作家の社会的位置付けが重要であるような、個人的にはそんなイメージだった。

だいたい、以前に意識して読んだノーベル賞受賞作家は大江健三郎くらいだし、そもそも読んだのは『治療塔』なんてSFとしてはクソみたいな話だったし。ほかには『蠅の王』のゴールディングがノーベル賞受賞だったのをついさっき知ったくらい。万年候補の誰かさんの作品も、なかなかノレないものが多いし。

ところが、カズオ・イシグロの作品は、そんなイメージとはまったく異なる。特に最近の二作は(といっても寡作な人なので10年の間隔はあるが)いわゆる純文学ではなく、私小説ですらなく、エンターテイメント小説とか、ジャンル小説とかに分類されるべき作品だと思う。

前作の『わたしを離さないで』は、“いま”とは異なるパラレルワールドを描いた紛れも無いSFだった。そして、この『忘れられた巨人』はさらに凄い。

舞台設定は中世ファンタジーだ。アーサー王が平定した後のブリテン島が舞台。人間関係から村を追われるように旅に出た老夫婦を主人公に、竜退治のフォーマットに従った物語が描かれる。

さらに、この作品はミステリでもある。世界は記憶を奪う霧に覆われている。人々は少しずつ何かを忘れ、何かを失っていく。本当に物忘れの原因は霧なのか。この世界にはいったい何が起こっているのか。この謎を解明していくことが物語の背骨になっていく。

そしてまた、この物語はたったひとつのIFから始まっている。そこから、当時のブリテン島の社会情勢や生活風俗を外挿し、世界を構築していく。この手法は、世界を丸ごと創造するハイファンタジーというよりは、まさにSFの描き方を踏襲している。

さらにもちろん、恋愛小説でもある。主人公の老夫婦が交わす言葉には深い信頼感と愛情を感じることができて、微笑ましい。ふたりは失われた過去に苦しみながらも、それを乗り越えていく。まさに王道の恋愛小説。

ファンタジーでミステリでSFで恋愛小説で、それでいて、ゴチャゴチャせずに美しく物語を描いている。さすがに凄いと思った。

しかも、ノーベル文学賞にふさわしい社会的テーマ、政治的メッセージを兼ね備えている。タイトルの“忘られた巨人”の意味に気付いたとき、ちょっと鳥肌がたった。それが指し示す、現代社会における“忘られた巨人”の存在に思い至ったとき、恐怖と無力さに慄くしかない。

著者のカズオ・イシグロはこのテーマをユーゴスラビア紛争から着想したそうだが、日本にも忘られたどころか、半分目を覚ましかけた巨人が居座っている。

臭いものに蓋のごとく、巨人は霧の彼方に忘却されたままの方が良いのか、あるいは、負の連鎖を断ち来ることは可能なのか。隣人を愛せよとの言葉はむなしく、深い霧もいずれは暴かれる。はてさて、いったいどうしたものか……。

 


[SF] ゲームの王国

2017-11-16 22:45:39 | SF

『ゲームの王国(上下)』 小川哲 早川書房

 

いやー、びっくりした。まごうことなきSF巨編だった。

上巻を読み終わった時点では、マジックリアリズムの良作かもしれないけれど、これのどこがSFなのか。また汎SF拡大主義者に騙されたかと思った。

しかしながら、下巻を読み終わった時点で評価は逆転。なんというSFか。世界がひっくり返るこの感覚こそ、センス・オブ・ワンダーなのだよ!


上巻は暗黒時代のカンボジアを舞台に、シハヌーク、ロン・ノル、そして、ポル・ポトへと支配者がかわっても、不条理と暴力に苦しみ続けた人々が描かれる。その中で聡明な少年ムイタックと、聡明な少女ソリヤは、運命的な出会いから、それぞれが生き抜くためにもがいた末、悲劇的な事件へと至る。

彼らの共通の夢は、社会が、人生が、公正なゲームであること。そのためのルールとは何か。ルールのルールとは何か。そもそも、ゲームとは何か。そういった主題が繰り返し語られる。

下巻では民主化の進む近未来(2023年)のカンボジアで、政治の頂点に上りつめようとするソリヤと、過去の悲劇的な事件ゆえ、それを阻止しようとするムイタックが描かれる。ムイタックの武器は、あくまでゲームだけ。

楽しめないゲームはルールが悪い。ならば、楽しむことをルールに織り込んでしまえばいい。そんな発想を、ほんの子供の頃からしていたムイタックが作り上げたゲームとは。

それを詳しく語るとどうにもネタバレになりそうなので、やめておく。とにかく読むべき。


そして、上巻をもう一度“思い返す”のだ。ヒントはいくつもある。

かつてのムイタックとソリヤのゲームの勝敗はどうだったのか。不思議な力を持つ村人は本当に存在するのか。ソリヤの夫であるマットレスの経歴はポル・ポトのインタビュー(これはGoogleで検索してね)と関係があるのか。

ついでに、P120関連では事象関連電位を検索してもおもしろい。ポケモン事件とかも出てくるよ。(ムイタック教授はググれカス好き)

そういうことをいろいろ考えると、物語世界はくるっとひっくり返るのだよ。まさに、物語、革命、想像力を主題とした規格外のSF巨編だった。

 


[SF] PSYCHO-PASS GENESIS 3,4

2017-11-08 19:54:45 | SF

『PSYCHO-PASS GENESIS 3』 吉上亮 (ハヤカワ文庫 JA)

『PSYCHO-PASS GENESIS 4』 吉上亮 (ハヤカワ文庫 JA)

 
 
すっかり今さらながら、積読消化。やっぱり、こういうのは熱いうちに読まないといかんな。

『PSYCHO-PASS GENESIS』は、1、2が征陸智己篇とするならば、3、4は禾生壌宗篇とでも言うべきか。禾生壌宗のモノローグで始まり、主人公が免罪体質を疑われるのであれば、もう結末は決まっているようなもの。ハッピーエンドで終わることの無い運命。

〈シビュラシステム〉の黎明期。初期型の〈ドミネーター〉。そして、〈ノナタワー落成式襲撃事件〉の真相。前日譚という性格上、予定調和に終わることは仕方がない。それでも、アニメ本篇のキーワードを丹念に拾って世界を構築するというのはなかなかできることではない。そこは尊敬に値する。

ふたりの主人公、滄と茉莉の百合めいた関係も、その壮絶なる人生も、PSYCHO-PASSという舞台の上で踊るには充分に美しく、哀しく。そして、ふたりの物語が迎えた結末が、アニメ本篇のセリフに重層的な意味を持たせることになるとは。アニメのスピンオフ・ノベルとしてはとてもよくできた作品だった。

一方で、いろいろモヤモヤした部分は残る。

何と言っても、共感できる登場人物が一人もいないという異常さ。滄と茉莉はもちろん、唐之杜兄弟にしろ、野芽も、泉宮司も、もちろんアブラム・ベッカムにも、まったく共感できない。完全なる傍観者として、常軌を逸脱した登場人物たちの行動を見届けたという読後感。彼らと比較すると、アニメの槙島の方がまだ理解できたような気がする。

そして、あとがきにおける著者の結論「無数の人の営みによって構成される社会それ自体に、善も悪も無い」。それは命題として正しいとしても、ここに描き出された物語は、そんな風に片付けられるべきものだっただろうか。

おそらく、アブラム・ベッカムは正しい。社会のために個人が犠牲となるシステムはおかしい。しかし、それを打倒するために個人が犠牲となるのはもっとおかしい。

瑛俊のように、社会を守るために自ら犠牲になるのは確かに美しい。しかし、社会を成立させるためのシステムが個人の犠牲を必然とすることは、また話が違う。

登場人物の主張はどれも、一見正しいようで、ちぐはぐだ。まるで、本心を隠して建前を述べているような。あるいは、自分自身を屁理屈で騙しているような。

日本という楽園を守るためにすべての不条理を押し付けられた国外の様相も極端すぎて現実味が無いし、〈シビュラ〉の出自にしたって何かが解明されたわけでもないし、突っ込みどころを探せばイライラとモヤモヤがつのるだけだ。

この方向でPSYCHO-PASSの物語を完成させるには、〈シビュラ〉の本当の原点までさかのぼった、さらなる前日譚が必要なんじゃないかな。極度の混乱の中で、日本という国を救うために、未来を〈シビュラ〉に賭けた想い。そんな話を読んでみたい。