神なる冬

カミナルフユはマヤの遺跡
コンサドーレサポーターなSFファンのブログ(謎)

[SF] 母の記憶に

2017-08-21 22:13:54 | SF

『母の記憶に』 ケン・リュウ (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

 

ケン・リュウの日本オリジナル第二短編集。

ケン・リュウといえば、前回の『紙の動物園』や、今回の表題作「母の記憶に」などから叙情的なSFの名手と思っていたのだけれど、今回の短編集はもの凄くバラエティに富んでいて、ちょと認識を改めた。

SF的要素のほとんどない中華ファンタジーから、バリバリの本格SFに至るまで、様々な形式の作品が収められている。ひとりの人間がこれらを全部書いたというのが信じられないほどだ。ピース又吉から『紙の動物園』経由でこの本を手に取った人に取っては、逆に違和感があったり、新鮮だったりするんじゃないだろうか。

さらに、このブログでは特に言っておかなければいけないのは、こういう境界領域と見做される作家に多い、SFへの理解の無さを全く感じることがなかったということ。この人、こちら側の人だよ。

「重荷は常に汝とともに」なんて、60年代の日本SFと言われても納得するし、「シミュラクラ」なんて、イーガンが書いてもおかしくない本格SFだし、「レギュラー」にいたってはSFハードボイルドで本当にびっくりだ。

それでいて、「草を結びて……」だったり、「万味調和」だったり、中国生まれのアメリカ人としての立ち位置を体現するような作品も素晴らしいし、一般的にはこちらの顔の方がフィーチャーされるのは良くわかる。

そんなわけで、いずれも甲乙つけがたい珠玉の作品集であるわけだが、今回の作品集の中で敢えて【好み】で選ぶとすれば、やはり「烏蘇里羆」と「母の記憶に」。前者は北海道ゆかりの作品であるというだけで満点。後者はSFファンだからこそ、この濃縮された感動を味わえるのだと思いたい。

一方で、どれが【完成度】が高いかと言われれば、「万味調和」を選ばなければならないだろう。アメリカ西海岸に渡った中国人たちの物語なわけだが、事実だけが書かれているはずのエピローグが、まるでSFのオチであるかのような衝撃だった。


「烏蘇里羆」
魔術(妖怪)とスチームパンクの共存する世界はワクワクするが、歴史はその共存を許さない。蝦夷の地から満洲へ追いやられた羆族には三毛別事件の影も見られるし、アイヌの姿も重なる。道産子としては必読の一篇。

「草を結びて環を銜えん」
緑鶸が雀を守ろうとする気持ちと、それに最後まで気づけなかった雀の幼さが泣ける。緑鶸の優しさと勇気が伝えるメッセージが多くの人々に届きますように。

「重荷は常に汝とともに」
古代文明を読み解くことの難しさを皮肉るような作品。なんというか、とても日本SFっぽい。

「母の記憶に」
ものすごく短いシーンの羅列にすぎないのだけれど、そこに濃縮された時間の積み重ねを感じる。娘を思う母の気持ちと、母を思う娘の気持ちが何度もすれ違い、それが寄り添った時には残された時間はあまりに少ない。良くある話がさらに圧縮されて、感動が際立つ。

「存在」
こちらも良くある話が、テレプレゼンスという技術によって距離が圧縮される。このタイトルに「遠隔(テレ)」を付けない「存在(プレゼンス)」としたのもテーマを際立たせている。

「シミュラクラ」
これも父と娘のすれ違いの可視化。ちょっとSF的な視点では、登場キャラクターのどこまでがシミュレーションなのかが曖昧なところが面白い。

「レギュラー」
驚くほど形式にのっとったSFハードボイルド。タイトルの言葉が様々な意味で物語に登場するが、“regular”とはどういうことかと、そのたびに考えさせられる。

「ループのなかで」
“こちら側”のループ。描かれない“向こう側”のループ。悲劇も愚行も繰り返される。

「状態変化」
魂のありかの問題と、そんなの気のせいということ。

「パーフェクト・マッチ」
人に奉仕するアルゴリズムがモンスター化する話を、もうひとひねりしている。こっちの方が本質的な問題。

「カサンドラ」
運命と自由意思の戦い。敵はスーパーマン。

「残されし者」
著者にとっては重要なテーマの様だが、この手の話はいろいろ破綻しているように見える。世界が破滅したなら、誰がサーバーを管理しているのだ?

「上級読者のための比較認知科学絵本」
タイトルが指すものが何かが分かったときのちょっとした感動。

「訴訟師と猿の王」
史実を下敷きにした中華系ファンタジー。しかしまぁ、彼の地での虐殺事件は多いな。そのあたりは南京事件の認識にも影響しているんだろう。ところで、孫悟空って、アメリカ人は知ってるのか。

「万味調和」
悟空の次は関羽。これも史実を下敷きにした中華系ファンタジーと言えるが、ファンタジー成分はほとんど無し。しかしながら、史実がまるで作り話のように聞こえるところが皮肉にもファンタジー。

「『輸送年報』より「長距離貨物輸送飛行船」(〈パシフィック・マンスリー〉誌二〇〇九年五月号掲載)」
舞台は現代的なパラレルワールド。作風としては、魔術とスチームパンクの系譜。初読では世界観に惹かれたが、読み直してみると、夫婦のすれ違いと、それでも揺るがない絆の話。こういう、普遍的なテーマをSF的に凝縮するテクニックは巧い。

 


[SF] S-Fマガジン2017年8月号

2017-08-01 22:22:47 | SF

『S-Fマガジン2017年8月号』

 

スペースオペラ&ミリタリーSF特集。

ローダンのリブート《ローダンNEO》は非常に大きな驚きだ。《ローダン》さえ読み切れないのに、新版かよと。これからの若者たちは、NEOだけを読むのだとすると、本家《ローダン》は先細りになってしまうんじゃないかとか。そもそも、《ローダン》ってどれくらい売れてるんだろう。これだけ続いているってことは、充分な読者がいるんだよな。正直言って、高校大学時代から、熱心に読んでいる人は周囲に誰もいなかったんだけど。これが凄い不思議。

そして、《ローダン》はさておき、最近のハヤカワ文庫 SFは《オナー・ハリントン》やら《シーフォート》やら、やたらとミリタリー系スペースオペラを出版しているイメージ。これが個人的にはなかなか乗れないものがあり、あんまり読んでいない。

おそらく、ミリタリー系(宇宙軍をミリタリーって言っていいのかは議論があるのかもしれないけれど)SF以外は、新☆ハヤカワ・SF・シリーズからの文庫化以外、ほとんどないんじゃないかと言う勢いだ。

個人的な趣味からすると、もうちょっと本格SF(だからそれはいったいなんだ!)的な作品も出して欲しいと思うわけだが、そういう視点では、どう考えたって、去年も今年も創元SF文庫の圧勝だ。『SFが読みたい!』のベストSFでも文庫勢が上位にくることを考えると、日本SFに続き、海外SFもハヤカワ惨敗なんてことになるんじゃないか。

いや、きっとおれの知らないところにミリタリーSFのファンがいっぱいいるんだろう。実物は見たことないけどさ。

特集以外の記事で興味深かったのは、「筒井康孝自作を語る」と、藤井太洋とケン・リュウの対談ぐらいか。特集のネタにあまり興味がないと、読み応えが無いな。

 


「プラネタリウムの外側」 早瀬耕
あまりに簡単に再現できてしまうあたりは嘘臭いけれど、ちょっと胸に来るエピソード。死者が“残せなかった想い”をどう受け止めるかというのは、重たい問題。

「と、ある日のズゥン」 宮崎夏次系
いろいろなものが詰め込み過ぎで濃縮過ぎ。これはこれでよい。

「《偉大な日》明ける」 R・A・ラファティ
残念ながら、どこが面白いのかさっぱりわからず。

「鰐乗り〈前篇〉」 グレッグ・イーガン
良くわからないので、〈後篇〉の前に再読予定。

谷甲州「新航空宇宙軍史」は読み切りとは認めない。なんで連載じゃないんだろう。

大井昌和「すこしふしぎな小松さん」は宣伝メタもの。最近、こういうの多いな。

連載では、山本弘「プラスチックの恋人」が遂にショタコン歓喜の濡れ場。

三雲岳斗「忘られのリメメント」はショッキングな展開の割に、いまだ行先不明。

冲方丁「マルドゥック・アノニマス」は痛快な反撃開始だが、彼らを“善の勢力”と呼んでいいのか?

新連載の藤井太洋「マン・カインド」は出だしとしては面白そうで、期待大。果たして、これこそミリタリーSFになるのかどうか。