神なる冬

カミナルフユはマヤの遺跡
コンサドーレサポーターなSFファンのブログ(謎)

ミステリー・ワンダー・ランドのセンス・オブ・ワンダー[2] リマ上陸

2016-02-27 21:54:15 | ペルー

アトランタ空港の乗り換え時間はわずかに2時間弱。国際線乗り換えだと普通は3時間くらいとるのに大丈夫かと思ったら、荷物がスルーなのでこれで間に合うらしい。

入国審査前にとりあえずツアーメンバー集合。実はこれが初顔合わせ。この旅行会社(H.I.S)では珍しいことに、老夫婦、老夫婦+弟、既婚女、既婚男(俺)、未婚男という8人構成。30代前半以下の若者がまったくいない。ちょっとびっくり。人気のペルーなのに、時期的にこういう時もあるんですかね。

アメリカ入国はESTA登録済みで、去年のボリビア行きのおかげで入国経験もあるので、自動チェック機の方に行こうと思ったら、添乗員さんがツアーのグループが分かれることを嫌って、全員未登録の列へ。また指紋取られた。

そんなこんなで多少モタモタしたが、搭乗時間までは30分程度の余裕があり。

恒例の25セント硬貨を使おう企画でベンディングマシーンを探してアトランタ空港をうろうろして見たが、見当たらず。しかも売店では水がなんと2.6ドル。コーラ類も2.5ドル以上。さすがに高過ぎじゃないのか。アメリカってこんなに物価高かったっけ。

そして、これまた予定通りにリマ行き機へ搭乗。

機内サービスのビールの銘柄……ハイネケン、ミラー・ライト、クスケーニャ。CUSQUENA!!!

キタ━━━━━━(゜∀゜)━━━━━━ !!!!!

来ました。やっと。ペルーのビールクスケーニャ。アトランタ便の状況から、載せててもCristalだろうと思ってたら、うれしい誤算。機内で初クスケーニャいただきました。

クスケーニャはクスコのビール。クスコの市街地図にもデカいビール工場が載っている。苦みが少なく、うまみが濃いヨーロッパ系のビール。これは好みですわ。

機内食はチキンorパスタ。パスタはどうせチーズマカロニかラザニアだろう。ということで、ビールに合いそうなパスタを選択。案の定、トマトソースのショートパスタ。やっぱりビールが旨いと食事も旨い。ジャンクフードでも充分。

食べ終わった後は、プログラムも同じだし、見たい映画も特になく、Axolotes Mexicanosをヘビーローテーションしたまま就寝。

着陸前の軽食はサンドイッチ。ハインツのマヨネーズ付き。あと、なぜか箱にお菓子がいっぱい。

そんな感じでやっとのことでリマ到着。日本からは実に20時間以上。アメリカでの乗り換え時間が短かったので、これでも早い方。しかし、現地時間は真夜中。飛行機の上から見たリマは、高い建物が目立たず、大きな道路も目立たず、ひたすら一面に街灯の光が並んでいて、遊園地のアトラクションにありそうな光の林の中に降りていくようだった。後から考えると、実はこれはリマの中心街ではなく、海岸沿いの町はずれっぽいんだけど。

しかし、飛行機は着陸したものの、扉は開かず。シートベルトサインが点いたままで、機内にカンヅメ。トイレに行きたい。ゲートが故障とのことで、結局、30分後に別なゲートへ移動。やっと機内脱出。

入国審査は何もなくあっさり通過。手荷物受け取りではペルーの名所の画像が流れる巨大スクリーン。こりゃ完全に先進国並。メキシコやボリビアで見たような運命のルーレットランプは無かった。あれって、中南米のデフォルト装備じゃないんだ。

真夜中とはいえ、空港はそれなりの混雑。どんどん飛行機が着陸するし、この時間に離陸する便もある。さすが、観光大国ペルー。

空港の建物を出ると、でかでかとクスケーニャの看板が。あれ、クスケーニャってクスコなんじゃ、と思ったら、今ではリマのCristalを抑えて、ペルーで一番売れてるビールらしい。そうか、それで飛行機にも積んであるのか。

そして、ほんのりと磯の香りが。あれ、リマって海岸沿いだったっけ。そう、リマは海岸沿いの街だった。アンデスの麓というイメージで、海岸沿いという感覚は全くなかったのでびっくりした。そして、蒸し暑い。深夜だというのに、むっとする生ぬるい風が吹いている。さすが、真夏の港町。

リマに降りた瞬間に「空気が薄い。高山病だ」と言い出すのは良くある笑い話らしい。いや、さすがに低地なのは知ったてけど。インカのせいで、ペルーは高地というイメージが強すぎるんだろうな。

ここからバスに乗ってホテルへ移動。のはずが、海岸沿いの坂道でまさかのギヤ故障。前にも後ろにも動けないバス。そして、窓の外にはサカリのついた野良犬が。

別なバスを呼ばなければいけないらしいが、時刻はそろそろ夜中の2時。いまから呼んで、新しいバスが来るのか? 飛行機に続いて、バスの中にカンヅメ。そして、窓の外は腰を振る犬。

そうこうしていると、新たなバスが登場。通りすがりのバスを捕まえたのかと思うくらいのタイミング。

野良犬を蹴散らしながら、やっとバスを乗り換え。

新市街のホテルに着いたら、もう3時。時間外なのか、シャワーが生ぬるい。しかし、気温が高いのでこれでもいい。

明日の出発はなんと5時。ほとんど寝る間もなく、出発。弾丸ツアーか!

 

 


ミステリー・ワンダー・ランドのセンス・オブ・ワンダー[1] 日本脱出

2016-02-20 17:49:55 | ペルー

日本脱出は1月23日。成田空港に14:25に集合。なんでも、午後から雪が降るかもとのことで、飛行機が飛ばなかったらどうしようかとひたすら心配しながら、早めに出発。

珍しく電車も遅れず、何事もなく成田空港に到着。これだけ何事もないとは幸先がいいのか悪いのか。

まずは昼食と思い、困ったときの銀座ライオンを探すが、ショッピングエリアに見当たらない。仕方がないので、適当なパスタ屋でトマトとモッツアレラチーズのパスタ。そして、集合場所にたどり着いたら、そこは銀座ライオン成田空港店の目の前だった。ぎゃふん。ショッピングエリアじゃなくって、チェックインカウンターの端にあったのね……。

集合といっても特に何かあるわけでもなく、Eチケット控えを渡されて、個人でチェックインしてこいとのこと。航空会社はデルタ航空。チェックインカウンターはなんと全部、自動チェックイン機。表示されている番号種別がどれもEチケットの記載と違うので、どの番号を入れたらよいのか悩む。適当にTICKET NUMBERを予約番号として入力。これで合っていたらしい。

もたもたしてると、中国語なまりのおばちゃん係員が日本語で説明してくれるんだけど、返ってわかりづらいわ。英語メニューにした方が、実はわかりやすかったかも。

で、そのまま搭乗口で待っていてくださいとのことだが、現在14時過ぎ。出発時刻は17時過ぎ。それまで何をしていろと……。

結局、指示通り出国カウンターを抜けて搭乗口まで来てしまったのだけれど、中にはマックぐらいしか見当たらず、ビールはアサヒしか売ってないし、別に日本土産を買うわけでもなし、手持無沙汰の約3時間。ライオンで日本最後のビールを飲んでくれば良かったと大後悔。

そして、やっと搭乗時刻。雪はまだ降っていない。どうやら日本脱出は問題無いようだ。

搭乗前に突然、「セキュリティチェックにご協力ください」と言われ、衝立の裏に連れて行かれる。あぶら取り紙のような小さな紙で、ポケットやカバンを拭く。カバンの中を開けて、カメラやポーチも拭く。そして、それをラジカセぐらいの大きさの機械に喰わせる。不思議に思って、これって何がわかるんですかと聞くと、微粒子を検出するとかなんとか。ああ、あれだ。爆薬を検出するやつ。なんとも、SFみたいな時代になったな。

さて、デルタ航空といえば、エコノミーでもクラフトビールが飲めるというのが売り。さて、それではと、シートポケットに入っていたメニューを見て見ると……。

・ アサヒ
・ 一番搾り
・ プレミアムモルツ
・ ハイネケン
・ ミラー・ライト

……以上

え。クラフトビールはどうした。そもそもサッポロも無いじゃないか!!

しょうがないのでプレモルでも頼もうかと思ったが、どうにもこうにもCAに伝わらず、ハイネケンを。どうやら、外人の発音を聞くと、SUNTORYは「聖オリーさん」みたいな感じで、オにアクセントを置かないと通じないようだ。まあいか。

機内食は米国航空会社にしては珍しく、米がまともだ。しかも、メニューがかつ丼。これまでに乗ったユナイテッドやアメリカンにくらべ、一番おいしかったのではないかと思う。

機内サービスの映画では『オデッセイ』が早くもやっていたので、日本語吹き替えで視聴。感想はこちら

他に気になったのは音楽メニューにあった「Holi <3 Axolotes Mexicanos」。ジャケット写真はどう見ても日本の女子高生だし、アニメ声のボーカルがアイドルポップス調の曲を歌っている。いったいなんじゃこりゃ。ちなみに、グループ名は「メキシコ産のウーパールーパー」さらになんじゃこりゃ。と思ったけど、意外に有名なのかね。

今回のルートじゃグランドキャニオンも見えないし、窓側の席だけど窓の外は見事に主翼しか見えないし、ってことでひと眠りすると、何やらアナウンスで「Galley function probrem」だとか。日本語のアナウンスによると、機内積み込みトラブルで、到着前の軽食が人数分無いとのこと。英語だと暖められないと言ってたような気がするんだけど。

食べなかった人には空港で何か補償があるとのことだったけど、トランジットの時間が短いので、そのままいただく。メニューはヤキソバ(笑) これが思ったよりちゃんとした日本風の醤油味焼きそばで、いわゆるchow meinみたいに細切れになっていない。なぜか肉は豚肉ではなく、チキン。ただし、これをプラスチックのフォークで食べるのは意外に難しい。箸くれ。

そんなこんなでアトランタ着。旅はまだまだ続く。

 


ミステリー・ワンダー・ランドのセンス・オブ・ワンダー [0]

2016-02-20 16:45:33 | ペルー

1月の末。去年ボリビアに行ったばかりだというのに、隣国のペルーに行って来た。

仕事面では、転職したつもりもないのに急に勤務先が変わるという慌ただしい時期(5年ぶり2度目)。その切り替わりギリギリに滑り込みで勤続○年記念の連続休暇を取得するという暴挙。思えば、5年前のメキシコ行きもそうだった。これはもう運命ということか。

ペルーといえば、ナスカの地上絵、天空の街マチュピチュ、謎の文明インカ、南米の文明発祥の地チチカカ湖と、まさにミステリー・ワンダーランド。小学生時代からの憧れの地に、仕事も身重の妻もすべて放り出して1週間行ってきた。といっても、スペイン語がまったくしゃべれないので、団体ツアーなんだけどね。

これはその時の記録。

 


【以前の記事】
[メキシコ編] ククルカンをつかまえに

 

[ボリビア編] 天空の鏡に憧れて

 

 


[SF] 宇宙の眼

2016-02-18 23:59:59 | SF

『宇宙の眼』 フィリップ・K・ディック (ハヤカワ文庫 SF)

 

積読消化。というより、去年の10月ぐらいに、ブックカバー応募目当てに「凛々しい物語。ハヤカワ文庫の100冊フェア2015」で購入した本。だって、他のは既読ばっかりだったんだもの。

ブックカバーは見事にハズレたようですけどね……。

で、感想ですが、1957年に出版されたにしては、今読んでも普通におもしろい。さすが、P・K・ディックの出世作。

主人公たちが誰かのインナースペースに紛れ込んでしまうという設定は、現代のいろいろな物語(ほら、ハルヒとかもあれだよね)の原型と言ってもよい。

ただし、時代を感じさせる部分もあり、その最大のものがコミュニストに関する記述。アカって、当時は本当に社会の敵だったのだ。

主人公たち8人は「60億ヴォルトの陽子ビーム」を浴びて気を失い、気付いた時にはこれまでの現実とはちょっと違う世界にいた。この世界というのが主人公たちの誰かの頭の中という設定。(超絶ネタバレ)

おもしろいのは、それぞれの世界が、よくある思想を茶化したこっけいで陳腐なものになっているところ。(キリスト教ではなく、それとは明示的に異なる第2バーブ教とされているものの)聖書原理主義者、倫理的潔癖症、オカルトマニア、そして、コミュニストの世界をめぐり、それぞれの世界が実現したときの薄気味悪さや理不尽さがこれでもかと描かれる。

コミュニストはともかく、他の思想を実現しようとしている人々は今でもいるし、特にラディフェミ関連はtogetterあたりを舞台に反フェミと罵倒合戦(#まなざし村)を繰り広げていたりする。ディックが取り上げた過激思想の鬱陶しさとか、それが実現した暁のディストピア感は現代でも共感できるものだった。あの界隈は60年も変わっていないのだなと思うと、本当に感慨深い。

後年のディックは理解できない変人だけれど、やっぱり初期のディックは好きだな。

 


[SF] クロックワークロケット

2016-02-15 23:44:03 | SF

『クロックワーク・ロケット』 グレッグ・イーガン (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

 

『白熱光』と同様、まったくの異星を舞台に、科学的探究心に燃える若者が世界の謎を解き、破滅から救う物語。かと思ったら、異星どころか物理法則の異なる異世界だったよ!

惑星上から見える星がプリズム越しのように赤から紫へ分散しているとか、いったいどういう原理なんだろうかとか考えていた。実は惑星ではなく、亜高速で飛んでいる世代宇宙船とか。

主人公のヤルダが発見したのは相対性理論に反する法則だった。ああ、これは試行錯誤しながら相対性理論までたどり着く話なんだと思った。

なんてことを考えながら読んでいたら、いろいろ裏切られた。まさか、そもそも物理法則が違う世界だったとは!

天体観測から世界の破滅を予見し、これを解決するためにロケットで飛び出すというやたらと早い怒涛の展開。しかも、ロケットは片道の世代宇宙船だ。帰還方法はいずれ子孫が解決するだろうって、そんな楽観的な。というか、そのレベルで切羽詰っているのだけれど。

なんでこれが可能なのかというと、やっぱりこの種族がある程度真空に耐えられたり、それなりに頑丈だという設定だからなんだろうな。これが人間だと、すぐに全滅してしまいそうだ。

本線となる異世界物理学や、疾走星の話はともかく、付随的な異星人の繁殖方法がまたすさまじい。なんと、メスがオスの誘引によって4つに分裂するのだ。比喩ではなく、物理的に。これがまたジェンダー的に大問題。

たとえば、女性が子供を産む=死だとしたら、女性に高等教育の機会や、男性と同じ権利が与えられるのだろうかかという思考実験。

主人公のヤルダはメスでありながらパートナーを失った異端児、もしくは障害者として扱われる。オスからの強引な、あるいは事故的な誘引から身を守るために、常に分裂を抑止するための薬を服用している。これがある意味、彼女たちの生命線。

そこに、強姦を恐れてピルを服用する人間の女性を重ね合わせるのは、短絡的すぎてちょっと本筋から外れすぎているようにも思えるのだけれど、イーガンはどうしてこんな設定をくっつけたのか。人類女性のカリカチュアとしても、かなりグロテスクで、ショッキングだ。

ヤルダの一生を描いたこの小説は三部作の第一部。結局のところ、世界を救えるかもしれない宇宙船の旅は始まったばかり。しかしながら、たとえこの旅が無限に続いたとしても、最終的な解決策さえ見つかれば、時間を捻じ曲げて世界の破滅には間に合わせることができるというなんともな設定。

これがある意味ご都合主義ではなく、架空物理学的な拘束になりえるのかかどうか、イーガンの手腕に期待しよう。

 


[SF] 世界の涯ての夏

2016-02-15 23:35:26 | SF

『世界の涯ての夏』 つかいまこと (ハヤカワ文庫 JA)

 

2chでよく見かける“せつなくなる系”の夏の画像スレがよく似合う作品。

《涯て》=異世界による世界の侵食というのは、小説でもゲームでも割とよく見かけるネタで、あんまり新しさを感じない。しかし、それを上回るような圧倒的な夏のせつなさが魅力的。

そもそもなんでそうなったのかという理屈は良くわからないのだけれど、《涯て》の侵食を止めるには、人間の脳が計算した波動を《涯て》に投げ返せばいい。そのためには、人間は何かを意識的に計算するのではなく、なんでもいいから想起し続けるだけでいい。

この設定を読めば、もう結末はわかりきっているレベルなのだけれど、それでも読ませるのはミウの造形があまりにもせつない夏にぴったりとマッチしているせいなんだろうな。これもある意味典型的といえば典型的なのだけどさ。

ラストは著者がインタビューで言っている「愛」というよりは、エヴァ(旧映画版)の人類補完計画としか思えない。最後は、タッチンがミユの首を絞める。

ああ、そうか、やっぱり「愛」だ。

 


[SF] マップメイカー

2016-02-10 23:59:59 | SF

『マップメイカー(上下)』 S・E・グローヴ (ハヤカワ文庫 FT)

 

懐かしいNHKアニメの雰囲気がするジュブナイル。『未来少年コナン』とか、『太陽の子エステバン』とか、あるいは、『ふしぎの海のナディア』とか……。

ちょっとSFチックで、NHKにしてはちょっとおふざけが入って、それでもなおかつ品行方正というか、そんな感じ。

物語の始まりは1891年のボストン。とはいっても、世界は〈大崩壊〉によってずたずたになっており、いろいろな時代のパッチワークとなってしまったという設定なので、年号は余り意味が無いかもしれない。しかし、それでも主人公であるソフィアの文化的背景を規定するものとして充分に意味のある設定になっている。

思えば、世界は狭くなり、フロンティアはどんどん減っていった。暗黒大陸も、新航路も、大西部も消えてしまった。それでも、冒険家は未踏の高峰や深きジャングル、さらには、宇宙へ深海へと冒険場所を求め続ける。そのフロンティア消滅が意識され始めた時期というのが、19世紀末ということなのだろうか。

そうしたフロンティアの消滅を無効化し、地球上に新たなフロンティアをいくつも出現させたのがこの〈大崩壊〉というわけ。これによって、誰もが冒険者になりうる世界がやってくる。その中でも、マップメイカーとして天賦の才能を持った少女が主人公として活躍するという構成。

いろいろな時代のパッチワークと言うと、世界史上のビッグイベントをはしごするような旅行記にでもなりそうなのだが、今のところそうではなくて、まったくの未知の時代(遠過去、もしくは遠未来)への冒険が主眼になっている。

実際、ボストンを含む北米東海岸(ニューオクシデント)の隣には、海賊時代のカリブ海がある程度で、他はほとんど人間の住まない怪しい土地のようだし、たどり着いたノクトランド(メキシコシティーのあたり?)は、どうやら世界史上には登場しない時代のようだ。そういった意味では、この世界はまだまだ謎に満ちている。

このシリーズにおいて、ソフィアの最終目的は両親を探し出すことにあるので、そもそも今回は世界を説明するための横道っぽい。両親を探しにヨーロッパへ赴く時には、もっと紀行文的な、あるいは世界史をたどる的な物語になるんだろうか。

実は、世界がいろいろな時代のパッチーワークになってしまうというのは、フレッド・ホイルの『10月1日では遅すぎる』と同じ設定なのだけれど、扱っているテーマや読後感はまったく異なる。比較して読んでみるのも面白いかも。

 

ところで、Googleで「マップメイカー ハヤカワ」を検索すると、あの“早川マップ”がサジェストされるというのが、なんともかんとも。

 


[SF] ユートロニカのこちら側

2016-02-10 23:59:59 | SF

『ユートロニカのこちら側』 小川哲 (ハヤカワSFシリーズ Jコレクション)

 

 

第3回「ハヤカワSFコンテスト」 大賞受賞作。

ユートロニカとは、すべてが思い通りになるような楽園のこと。たとえば、扉を開けるときにいちいちドアノブを意識するか。すべてのことが無意識にできるようになると、人々は意識を失うかもしれない。

物語の中心は、すべての個人情報、行動履歴を把握することにより犯罪に走るような危険な兆候を見つけ出し、事前にこれを阻止するシステム、BAP。すべての個人情報の提供と引き換えに生活を保障するというアガスティア・リゾートを取り巻く人々を背景に、BAPの誕生とその功罪が語られる。

P・K・ディックの『マイノリティ・リポート』が下敷きにあるのは明示されている。言うまでも無く、楽園(ユートピア)において個人の意識が喪失するというのは伊藤計劃の『ハーモニー』でも描かれている。犯罪の事前阻止といえば、そのものずばりのアニメ『PSYCHO-PASS サイコパス』がある。それらの影響を受けた上で、その先を描くことができたか。

たとえば新潮社や文藝春秋などではなく、ハヤカワの新人賞を受賞して出版されたということは、必然的にSF的な考察に関してはそれだけハードルが上がるということだ。著者がそれを応募時に意識していたかどうかは関係なく。

タイトルどおり、この物語はユートロニカの“こちら側”でとどまっている。そして、物語が進むにつれれて、“こちら側”にとどめようとする人々の想いが主眼になっていく。

この物語では“こちら側”へのこだわりが強く見える。すべてをシステムにゆだねてしまうのではなく、人間が人間として、システムにはじかれそうな人間を人間のままで救い出そうとする努力。システムの前に、人間として人間のまま立ち向かおうとする戦い。

システムによって世界が住みやすい楽園となる期待感と、すべてをシステムにゆだねてしまうことへの不信感のジレンマ。その葛藤が生む物語。しかし、どうあがこうとも、“エントロピーの法則”には逆らえない。

神林長平がコンテストの選評で「なぜ日本を舞台にしないのか」と書いていた。読み終わってみれば、人権意識の強さと、キリスト教的な倫理感が物語の大きな背景となる以上、日本を舞台にすることができなかったのが良くわかる。

しかし、逆に、日本でこのアガスティア・リゾートが始まっていたらどうなっていたかという考察もおもしろい。日本人の横並び意識、お天道様が見ているという倫理感、人権意識の違い、それらは、おそらく違った物語をつむぎ出すに違いない。

すべての個人情報、プライバシーを買い取る企業と言うと、世界的にはGoogleが思い浮かぶのだけれど、日本のCCC(TSUTAYA)もなかなかのものだ。しかし、日本人のCCCに対する意識は両極端だ。便利になったと喜ぶ人もいれば、セキュリティ面の杜撰さを声高に叫ぶひともいる。さて、GoogleやCCCがユートロニカへの第一歩なのだとしたら……。

はたして、すべての個人情報、行動履歴からビッグデータ解析によって、個人の行動すべてが推測可能なのであれば、自由意識はどこにあるのか。あるいは、自由意識が存在しないことは何が問題なのか、なぜ問題なのか。

この手のネタ的にはまだまだ掘れそうで、ひとつの分野になるポテンシャルがありそう。

 


[SF] 叛逆航路

2016-02-02 23:59:59 | SF

『叛逆航路』 アン・レッキー (創元SF文庫)

 

処女長編にして、ヒューゴー&ネビュラのダブルクラウンをはじめ、全7冠という驚異の評価を残した作品。

分類的には、ニュー・スペース・オペラとか、ワイド・スクリーン・バロックとかになるのかな。かつて宇宙戦艦(!)だった主人公が、宇宙を支配する皇帝アナーンダ・ミアナーイへ復讐を挑むストーリー。

SF的なネタとしては、属躰(アンシラリー)と呼ばれるものがメインだと思う。属躰はいわば働きアリのようなもので、複数の個体が単一の意志や思考を持つ群体として存在している。属躰のひとつひとつは、クローンだったり、元は普通の人間だったりする。

主人公のブレクは戦艦、および、その乗組員としての群体であったが、艦を失い、たった一人の属躰として取り残されている。そして、彼女(属躰の三人称はすべて女性系)の過去の記憶から二つの事件が断片的に語られることにより、彼女の復讐の理由が明らかになっていく。

もうひとつのネタである、ジェンダーの存在しない社会というのは、この属躰の副産物なのではないかと思う。つまり、働き蟻なのであれば、全員女性なのだろうさということ。

そういった意味では、この作品をジェンダーの方向から読むのはあんまり意味が無いと思うんだけど、どうだろうか。確かに、言語的にはすべて女性型として語ることによる混乱は異化効果をもたらし、物語的なスパイスにはなっている。しかし、やはり複数群体である皇帝アナーンダは複数の年齢のクローンを含み、そこから生まれるちょっとした混乱も読者に提示されている。

すべての三人称が彼女という設定とか、クローンの区別をつけないとか、そういう文章的試みはすべて読者を混乱させることに主眼があると思われ、ジェンダー的なテーマがあるとすれば読み手の側に内在するものではないかと。

で、自分の読み方では、ここからはブレクの外見的特長が描かれていないことからの個人的妄想なのだけれど……、実はブレクは相当魅力的な女性型をしているのではないかと考える。

もうひとりの主人公であるセイヴァーデンとのバディものとの読み方もできるのだが、このセイヴァーデンはジェンダー的にかなり男っぽい、というか、いわば麻薬で身を落としたダメンズなのである。

瀕死の状態でブレクに拾われたセイヴァーデンは、当初は心を閉ざしているものの、だんだんとブレクに惹かれていくわけだが、そこはほれ、やっぱりブレクが美少女型だったら、とたんに絵になる立派な萌え作品になるじゃないですか。

そんな感じで、なんだか叙述トリック的にいろいろな解釈が出来そうなので、何度か読み直しても楽しいかも。