『2312 ─太陽系動乱─ (上下)』 キム・スタンリー・ロビンスン (創元SF文庫)
本質は断片である。
メインとなるストーリーはあるものの、ミステリとしてはクズと言えるレベルであるし、ラブストーリーとしては陳腐すぎる。
しかし、西暦2312年という混沌とした太陽系社会における“何かの前夜”を、主人公のスワンを中心に切り取った断片としてみれば、非常に興味深いし、未来予測の示唆に富んでいる。
その時代の社会情勢や科学技術を説明するための「リスト」や「抜粋」と称する断章がいたるところに埋め込まれており、これが作品本体と言っても言い過ぎではない。どこかに、注釈が本体という作品があったかと思うが、まさにそんな感じ。
スワンが水星から冥王星まで太陽系を縦横無尽に駆け巡るのも、2312年の太陽系社会をまんべんなく紹介するための設定に思えてしまう。
水星の自転に合わせて軌道上を動く都市、テラフォーミングと中国化が進む金星、気象変動により荒廃した地球、さらには木星や土星の衛星、外惑星、そして、それらを結ぶ交通機関は、なんと、内部をくり抜かれ、スペースコロニーと宇宙船の機能を併せ持ち、なおかつ、失われた地球の生態系を再現したテラリウムだった。
このあたりはまさに2312年の太陽系観光案内でもあるわけだ。
そして、2312年の太陽系社会は激変のさなかにあり、ひとつの時代の始まりをまさに迎えようとしていた。
“ヨーロッパの火薬庫”と言われた時代のバルカン半島を示す“バルカン化”という単語が登場するように、この時代は更なる混乱の前夜であることが強く示唆されるが、これから起こることは明示どころか暗示もされない。
しかし、それと同時に多用される“アッチェレランド(次第に速く)”という言葉が指し示すように、あるいは、人工知能による反乱と追放というメインラインの物語が指し示すように、SFファンならばその先の世界を幻視できるのじゃないか。
ところで、両性具有関連をアーシュラって呼ぶのは、阿修羅じゃなってSFヲタネタだよね。