いまとなっては記憶は定かではないが、どうも昔見たのはオリジナル版とディレクターズカット版で、この映画に直接つながるファイナルカット版は見ていないような気がする。
とはいえ、デッカードはレプリカントで、レイチェルとともに姿を消したというのはSFファンの常識レベルになっている。まさに、“読破したふり禁止”ではなく、“観たふり禁止”案件である。それだけ、『ブレードランナー』は常識というか、一般教養レベルにまで昇華したということだ。
この続篇は、30年以上もの時を越え、まさしく『ブレードランナー』の続編、リメイクではない続篇だった。
暗い画面、降りしきる雨、無駄に過剰な日本趣味、そして、ニセモノ……まさに、『ブレードランナー』の続編らしい続篇を見せてくれた。それだけで満足だった気がする。
個人的に惹かれたのは、バーチャルキャラクターのジョイ。演じた女優のアナ・デ・アルマスはキューバ人だけれど、日本趣味のロサンゼルスという舞台に合わせた可愛い系のメイクで、バーチャルっぽさが際立っていた。終盤に出てきた青髪の巨大CG少女よりもバーチャルっぽい印象があった。
ジョイというキャラクターは、レプリカントのさらに先を行く、身体を持たない存在という意味ではニセモノの極地でもあるわけだが、それはレプリカントたちの救いとはならず、ジョイも身体を希求する。
レプリカントはたとえ子を成そうとも、レプリカントであることに変わりは無いと思うのだけれど、それでも彼らはモノであることからヒトへと近づくことにすべてを賭ける。
このあたりは非常に宗教的に感じたし、神がヒトを作ったという刷り込みの弱い我々には、ちょっと本質的に理解しがたい部分があるのではないかとも思った。
なんかこう、レプリカントはレプリカントとして、バーチャルキャラクターはバーチャルキャラクターとしての人権を訴えてもいいような気がするんだけれどね。
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