美の巨人たち:パリ国立オペラ座
パリを俯瞰すると、整然とした大通りが印象的である。
この大通りの中でも、取り分け親しまれているのは
オペラ座大通り。
その正面にあるのが、73.6m×125m×173m
のオペラ座である。
華美な装飾、音楽の女神・詩の女神をあしらう
パリの代表的なモニュメントである。
建物に印字された「N」はナポレオンⅢ世を意味し、
「E」は皇帝を意味する。
そう、あのナポレオンⅢ世がパリ大改造を行い、
そのおり、メイン建築物としたのが始まりである。
(いまでこそ、パリのランドマークであるが・・・)
このオペラ座は有名な建築の手によるものではない。
当為は無名のシャルル・カルニエなる人物による。
ナポレオンⅢ世は、当時の薄汚れた汚物垂れ流しの
パリを大改造し整備することとした。
そして生まれたのが、現在のパリ。
高さ・壁・色を規制し、街全体が整然とした、
それでいて一貫性のある芸術の都の出現である。
1860年、171名のコンペから選出されたのが、オペラ座
建築家シャルル・カルニエ。
かれは、鉄筋を全て覆い隠し、曲線的美の殿堂を築く。
荘厳華美な外装も注目の要素であるが、
内部はそれに勝るほど用意周到に考えられている。
客は荘厳な入り口で迎えられ、二階のグランホワイエ
では、58mの芸術、シャンデリアに迎えられる。
ベルサイユ宮殿を模したと言われる程の荘厳華美な
つくりである。
これだけの建築物である。
それゆえ、長年の苦労があったようだ。
建築中の水の浸水は、工期を遅らせ、オペラ座の怪人
伝説を生む。
さらに、普仏戦争によりナポレオンⅢ世が失脚し、
主を失う。
中断後の再開で、1875年1月15日完成。
カルニエさん、ご苦労様でした。
パリの市民は、ここを別名ガルニエ宮と親しみを込め
呼ぶようだ。
さて、歴史から内部の話へ変わる。
ここの主人公はナポレオンⅢ世から市民、すなわち
お客様へ変わる。
オペラ座の構造がそれを物語る。
ガルニエ宮の三分の一が広間である。
客である市民は、ここで晴れ舞台を飾る。
荘厳華美な広間での主人公は自分自身。
後年、天井にはシャガールの絵が飾られ、
さらに魅力を増す。
三分の一がホールである。
席数は少なく2000席弱。
5%傾斜した舞台は、客の目線を隅々まで行き渡らせ
ることができる。
細分にも気を使うところがにくい。
残りの三分の一が舞台装置と楽屋裏。
これも手抜きはない。
よい舞台は良い装置と俳優達への配慮が行き渡る。
もう一度、あの舞台に立ちたいという魅力。
全てが計算された建築物。
ガルニエの言葉が全てを語る。
「微笑を絶やさない。生き生きとした人々の姿、
出会い、交わされる挨拶、これら全てが喜びである」
この精神で作られた建築物は、独りの皇帝の建築物
から人々の建築物に変容した。
そして、これからも、語り続けられるであろう。
芸術の殿堂、美の殿堂、音楽の殿堂として。
パリを俯瞰すると、整然とした大通りが印象的である。
この大通りの中でも、取り分け親しまれているのは
オペラ座大通り。
その正面にあるのが、73.6m×125m×173m
のオペラ座である。
華美な装飾、音楽の女神・詩の女神をあしらう
パリの代表的なモニュメントである。
建物に印字された「N」はナポレオンⅢ世を意味し、
「E」は皇帝を意味する。
そう、あのナポレオンⅢ世がパリ大改造を行い、
そのおり、メイン建築物としたのが始まりである。
(いまでこそ、パリのランドマークであるが・・・)
このオペラ座は有名な建築の手によるものではない。
当為は無名のシャルル・カルニエなる人物による。
ナポレオンⅢ世は、当時の薄汚れた汚物垂れ流しの
パリを大改造し整備することとした。
そして生まれたのが、現在のパリ。
高さ・壁・色を規制し、街全体が整然とした、
それでいて一貫性のある芸術の都の出現である。
1860年、171名のコンペから選出されたのが、オペラ座
建築家シャルル・カルニエ。
かれは、鉄筋を全て覆い隠し、曲線的美の殿堂を築く。
荘厳華美な外装も注目の要素であるが、
内部はそれに勝るほど用意周到に考えられている。
客は荘厳な入り口で迎えられ、二階のグランホワイエ
では、58mの芸術、シャンデリアに迎えられる。
ベルサイユ宮殿を模したと言われる程の荘厳華美な
つくりである。
これだけの建築物である。
それゆえ、長年の苦労があったようだ。
建築中の水の浸水は、工期を遅らせ、オペラ座の怪人
伝説を生む。
さらに、普仏戦争によりナポレオンⅢ世が失脚し、
主を失う。
中断後の再開で、1875年1月15日完成。
カルニエさん、ご苦労様でした。
パリの市民は、ここを別名ガルニエ宮と親しみを込め
呼ぶようだ。
さて、歴史から内部の話へ変わる。
ここの主人公はナポレオンⅢ世から市民、すなわち
お客様へ変わる。
オペラ座の構造がそれを物語る。
ガルニエ宮の三分の一が広間である。
客である市民は、ここで晴れ舞台を飾る。
荘厳華美な広間での主人公は自分自身。
後年、天井にはシャガールの絵が飾られ、
さらに魅力を増す。
三分の一がホールである。
席数は少なく2000席弱。
5%傾斜した舞台は、客の目線を隅々まで行き渡らせ
ることができる。
細分にも気を使うところがにくい。
残りの三分の一が舞台装置と楽屋裏。
これも手抜きはない。
よい舞台は良い装置と俳優達への配慮が行き渡る。
もう一度、あの舞台に立ちたいという魅力。
全てが計算された建築物。
ガルニエの言葉が全てを語る。
「微笑を絶やさない。生き生きとした人々の姿、
出会い、交わされる挨拶、これら全てが喜びである」
この精神で作られた建築物は、独りの皇帝の建築物
から人々の建築物に変容した。
そして、これからも、語り続けられるであろう。
芸術の殿堂、美の殿堂、音楽の殿堂として。
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