美の壺:益子焼
本日の美の壺はあの益子焼!
あのとは、濱田庄司氏とハーナード・リーチ氏のこと。
私の知識の中では、濱田26歳の時、リーチと共に
英国に渡りアーツ&クラフツ運動に携わり
帰国後、民芸運動を推進しながら、益子で作陶を
継続した。
濱田の自宅が益子参考館として開放されていたはず。
では、番組に戻り美の壺を3つ程、おさらいしよう。
<美の壺1:益子焼の土の香り>
田舎の土の香りが益子の魅力
益子焼きは、栃木県という田舎の素朴な風情を
思い出す。
日常使いの食器に代表される日本の民芸
日々の食卓を飾る食器
そこには、気取らない田舎の香りがする。
それは、益子と言う土地の「土」に原因がある。
益子の土は、砂っぽく、荒い土である。
それゆえに、洗練さとは縁遠い分厚いつくり。
厚いとは、手ごたえのある重量感とも言える。
粘り気のない、砂質の土が生んだ益子の魅力
そこには、さらに陶家の工夫が不可欠であった。
<美の壺2:器を彩る柿の色>
柿色の釉薬に思いあり
柿の色を彷彿させる釉薬
それは、日本の秋の色、土地の色。
従来赤粉と言われる防水性に富むことで知られた
独特の釉薬。
屋根瓦や瓶に利用された。
この赤粉に手を入れて柿色の釉薬を生み出したのが
あの濱田庄司である。
配分や配合物を工夫して、
深みのある黒やあめ色を生み出した。
実りの秋が代名詞の釉薬となる。
<美の壺3:流し掛けに益子焼きの真髄をみよ>
濱田の益子焼に絵が帰れた文様は、ひしゃくによる
流し掛けに特徴がある。
それは、筆で描く方法と異なり、
自在な線、生き生きとした躍動美が特徴である。
鼓動が聞こえる
「つくったものではなく、生まれてくるもの」
という表現をされることがある。
計算で生まれない無意識の伸び
躍動感や生命力を見るものに感じさせる魅力がある。
番組の後半は濱田の話になってしまいましたが、
益子焼は濱田の前にも脈々と息づいていました。
江戸後期から日常雑器の生産で有名です。
その職人技も伝統技術として残っていた。
濱田庄司を生み出す土壌がそこにあったようだ。
本日の美の壺はあの益子焼!
あのとは、濱田庄司氏とハーナード・リーチ氏のこと。
私の知識の中では、濱田26歳の時、リーチと共に
英国に渡りアーツ&クラフツ運動に携わり
帰国後、民芸運動を推進しながら、益子で作陶を
継続した。
濱田の自宅が益子参考館として開放されていたはず。
では、番組に戻り美の壺を3つ程、おさらいしよう。
<美の壺1:益子焼の土の香り>
田舎の土の香りが益子の魅力
益子焼きは、栃木県という田舎の素朴な風情を
思い出す。
日常使いの食器に代表される日本の民芸
日々の食卓を飾る食器
そこには、気取らない田舎の香りがする。
それは、益子と言う土地の「土」に原因がある。
益子の土は、砂っぽく、荒い土である。
それゆえに、洗練さとは縁遠い分厚いつくり。
厚いとは、手ごたえのある重量感とも言える。
粘り気のない、砂質の土が生んだ益子の魅力
そこには、さらに陶家の工夫が不可欠であった。
<美の壺2:器を彩る柿の色>
柿色の釉薬に思いあり
柿の色を彷彿させる釉薬
それは、日本の秋の色、土地の色。
従来赤粉と言われる防水性に富むことで知られた
独特の釉薬。
屋根瓦や瓶に利用された。
この赤粉に手を入れて柿色の釉薬を生み出したのが
あの濱田庄司である。
配分や配合物を工夫して、
深みのある黒やあめ色を生み出した。
実りの秋が代名詞の釉薬となる。
<美の壺3:流し掛けに益子焼きの真髄をみよ>
濱田の益子焼に絵が帰れた文様は、ひしゃくによる
流し掛けに特徴がある。
それは、筆で描く方法と異なり、
自在な線、生き生きとした躍動美が特徴である。
鼓動が聞こえる
「つくったものではなく、生まれてくるもの」
という表現をされることがある。
計算で生まれない無意識の伸び
躍動感や生命力を見るものに感じさせる魅力がある。
番組の後半は濱田の話になってしまいましたが、
益子焼は濱田の前にも脈々と息づいていました。
江戸後期から日常雑器の生産で有名です。
その職人技も伝統技術として残っていた。
濱田庄司を生み出す土壌がそこにあったようだ。
焼物の里を訪ねて 益子・笠間 (エイムック 1816) | |
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