実家に帰省していた間で撮ったカッコウです。通常使っている望遠レンズではなかったため、鮮明度に欠けます。
故郷への帰省は帰省目的によって楽しくもあり、寂しさもありで、複雑な思いをする。自分の故郷は現在の居住地であり、特にあるわけではないが、結婚後女房の故郷が転勤で勤務地であったため、5年間を九州の地で暮らした。長男が生まれた場所で、約5年間在住した。女房の実家が車で1時間の場所にあり、土曜・日曜日には実家で過ごすことが多かった。
山里にあるが空港から近く、最近では2年間に1度ぐらいは空路で訪ねることにしている。実家の母は100歳に近く3年前から地元の特別養護老人ホームの方でお世話になっている。寄る年波で介護度も徐々に上がっている。実家は普段、空き家になっていて、誰も住んでいないが、女房の方は3~4ヶ月に1度は帰省している。
帰省の度に母親を特養ホームから実家に連れ出し、自宅で過ごすようにしてきた。今回の帰省でも同様に連れ出したが、日頃から、ホームからの生活状況については連絡を受け、それとはなしに聞き及んでいたが、実際生活を一緒にすることで痴呆の進み状態や、難聴の度合いが進んでいることが分かった。
痴呆については、昔のことは鮮明に話すが、間近に話したことは直ぐに忘れてしまうようで、難聴の影響で勝手に解釈し、周りの顔色を見て判断していたようである。特養ホームの利用者は難聴者が多いようであるが、難聴者同士、補聴器もなく話している。一見すると会話が通じ合っているようであるが、内実は全く聞こえていないとのヘルパーの話であった。どうしても伝えたいときは、耳元に口を近づけて話すと良いとのことであった。そのことさえも後になって分かったことで、日頃、両親を早く亡くしため、高齢者介護をする必要がない生活であったため、介護ヘルパーのご苦労さが分かった次第である。
施設にいれば、脱走や徘徊などは簡単には出来ない管理体制が敷かれているが、自宅ではそのようにはいかない。四六時中見守っていることが出来ないし、何かあってもナースコールが出来るような設備が完備していないためである。一応、段差を無くし、各所に手すりを付けてはいるが、どこへ移動するにしても旧家故、車いすが使えない。自宅での介護には限界があると思い知らされる今回の帰省であった。