長周新聞リンクより
>社会人にとって、一般常識として知っておかなければならない漢字が読めない、書けない、あるいは意味を知らない、字が汚いというのは決して威張れるものではない。
>場合によっては育ちを疑われることすらある。
それは残念なことです。
>成長過程やそれまでの人生において、本人が如何に努力を怠ってきたかを映し出しているからだ。
努力もありますが、文化の枠組みもありますからね。
>ところが世の中の一部には、漢字が読めないことについて恥ずかしいという自覚がないばかりか、「この漢字が読めない!」と他人に向かって怒る人種もいるから驚く。
>そんなものは他人がどうこうできるものではない。
お言葉返すようですが、どうこうできるものだと思いますよ。ローマ字表記にすれば、皆がたちどころに読めます。漢字圏外の人でも読める。
ローマ字表記にしなければ、中国人でも読めない。中国では、地方により、漢字の読み方は違いますからね。北京大学に入学してから、中国語の発音の練習をするのだそうです。
和文が自由に音読できるようになれば、外国人による日本語の習得も加速されます。会話が出来れば議論もできます。第二言語として日本語は国際語に近づきます。
>本人が学習を重ねるなり、積極的に書物に触れて理解する以外に解決の道などない。
そうですね。友達との議論も必要ですね。
>恥を忍んでコッソリと辞書を調べ、一歩ずつ賢くなれば良いだけなのに、どうしてわからない自分を棚に上げて怒るのだろうか?
漢字の音読は、無駄な努力だと思っているかもしれませんね。大体の外国人は、そう思っているようです。
>そうやって人間としての向上を放棄するから、いつまでたっても漢字が読めないのではないか? と思うのだった。
漢字が無くても、人間としての向上が可能ではありませんか。
>というより、私たちの周囲でも漢字すら読めない者が「世の中を変える」などと勇ましいことを口にする分については、ちょっと世間に対しておこがましいので、「まずあなたは漢字ドリルをした方がいいのではないか」と指摘しなければならないと思う。
漢字を使っても、世界はあまり広がりませんね。
(略)
>日本の識字率は99%といわれている。>殆どの人口が文字を読み書きできる。>世界でもっとも識字率の低い南スーダンの27%と比べても、いかに文字を通じて学べる贅沢な環境であるかがわかる。
>その恵まれた環境のなかで、学ぶことを放棄してしまってはもったいない。
その通りですね。外国人とも日本語で議論したいですね。
>知識は読書量に裏付けされるともいう。
そうですね。全ての考えは、文章になる。文章にならないものは、考えではない。考えは、書籍となって保存される。英語書籍の出版は世界の70%近くあります。日本語のものは6%程度。
>わからないことをわかるように努力する過程を省いて知を育むことなどできないし、サボっていては成長などない。
同感です。我々は、考える人になる必要がありますね。
>豊かさに胡座をかいて脳味噌の貧困化が進行していないか?
我々には、豊かな教養が必要ですね。
>先人たちが貪欲に吸収していったのと比較して、現代の方が意欲性を失って退化していないか? と「読めない漢字」から思うのだった。
現在の世界は、漢字圏よりも広いですからね。日本語を国際語とするために、ローマ字表記にすべきですね。
>人間にとって恵まれすぎる環境は怠け者を作り出して良くないのかも知れない。
兎と亀の物語になりますか。(イソップ寓話) 広い視野を持つべきですね。