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正義や誠実  

2022-03-18 02:58:07 | 文化

 

>武田教授が警告。「正義」を振りかざす日本外交は世界で通用しない  >国際2022.03.09 322 by 武田邦彦『武田邦彦メールマガジン「テレビが伝えない真実」』 >shutterstock_2129423792

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>国連が把握しているだけでも、すでに500人に迫る民間人が犠牲となっているロシアによるウクライナ侵攻。 >その責任はプーチン大統領に求められて然るべきですが、何が彼を軍事行動に走らせたのでしょうか。 

 

彼はジンギスカンのようなものですね。 彼の解決法には軍事行動しかない。   

 

>今回のメルマガ『武田邦彦メールマガジン「テレビが伝えない真実」』では中部大学教授の武田邦彦さんが、その原因を考察。 >さらに「正義や誠実」を重んじる日本外交の危険性を指摘しています。

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>ウクライナ紛争が起こるいま、浮き彫りになる日本の下手な外交  >日本外交は下手で傲慢だ。  

 

そうですね。

日下公人氏は、<よく考えてみると、日本の未来はこうなります。> の中で、日本人に関するW.チャーチルの感想を以下のごとく紹介しています。

日本人は無理な要求をしても怒らず、反論もしない。笑みを浮かべて要求を呑んでくれる。しかし、これでは困る。反論する相手をねじ伏せてこそ政治家としての点数があがるのに、それができない。

 それでもう一度無理難題を要求すると、またこれも呑んでくれる。すると議会は、今まで以上の要求をしろと言う。無理を承知で要求してみると、今度は笑みを浮かべていた日本人が全く別人の顔になって、「これほどこちらが譲歩しているのに、そんなことを言うとは、あなたは話のわからない人だ。ここに至っては、刺し違えるしかない」と言って突っかかってくる。

 英国はその後マレー半島沖で戦艦プリンスオブウェールズとレパルスを日本軍に撃沈され、シンガポールを失った。日本にこれほどの力があったなら、もっと早く発言して欲しかった。日本人は外交を知らない。(引用終り)     

 

>でも、それが日本人になにも影響がなければよいが、外交は下手をするととんでもないことになり、東亜戦争の前には、対華21か条要求や、満州国のリットン調査団、そして対米戦争開始の経緯など、外交としては最低のレベルで進み、それがやがて310万人の日本人が死ぬ原因となった。  

 

‘●●は死ななきゃ治らないですね。いや、死んでも治らないですね。     

 

>それぞれの相手になった、中国、白人植民地国家、そしてアメリカはいずれもそれほど悪徳ではない。 >日本人が相手のことを知り、相手や周辺諸国も「自分のことを考えているのだ」ということを知っていればよかった。

 

そうですね。

彼を知り己を知れば百戦あやうからず。(孫子・謀攻  

 

>日本以外の相手の国や世界の国々は「普通の人間」である。 >お金持ちになりたい、楽になりたい、威張りたいと思っているのだが、それに対して日本人だけが「正義」や「誠実」を求める。  

 

日本人はがり勉で鍛えた暗記力を誇りますね。   

 

>それは絶対的な正義や誠実ではなく、日本人が日本の風土と歴史、日本人の自然と祖先に対する信仰という特殊な環境から見た正義と誠実なのである。

 

そうですね。日本人は独特ですね。我々の文化には形があって内容がない。これも無哲学・能天気のせいですね。      

 

>日本が中国に攻め入った時、それはそれで日本側には理由があり、ロシアの進出を止める力が当時の清国にはなかったので仕方がないと思っているうちに、戦線は拡大していった。>でも、中国(清国から中華民国に変わったが)は満州は仕方がないとしても、中国本土に日本が軍隊を派遣してくるのはやはり屈辱だったのだ。  

 

中国人には中華思想がありますからね。

中国は中原 (ちゅうげん) に鹿を逐 () う伝統的な覇者の国である。だから、覇者の物語 '三国志' は、中国人の愛読書となっている。覇者は周辺諸国に覇権を打ち立てようとして傍若無人のふるまいをし、多大な迷惑をかけている。これは皇帝の時代も国家主席の時代も漢民族のメンタリティが同じであるから変わらない。漢民族は、自分たちの考えを示すために漢字を作った。しかし、彼らは外国人の考えを示すための漢字は作らなかった。だから、外国人に対して自己の内容を発信はできるが、外国人からの内容を受信することは難しい。独断専行に陥りやすい。印欧語族のインド哲学を経文 (漢文) に表すことが至難の業であることがわかる。漢文の書物をいくら読んでも外国人の考えは出てこない。だから、中華思想を堅持し自己中心的にならざるを得ない。周辺諸国を中国化することに専心してやまない。中国人が外国人の影響を受けて発想の転換 (paradigm shift) をすることは期待薄である。

・・・・・

中華 (ちゅうか)  [外国との交渉が少なかった時代に] 自国を、世界の中心にある、一番優れた国とみなしたこと。[狭義では、漢民族のそれを指し、またその呼称としても用いられる]    東夷 (とうい)  [東方の野蛮人の意] 昔、中国から見た東方諸国の称。[広義では朝鮮・沖縄を含み、狭義では日本を指した]     南蛮 (なんばん)  [南方の野蛮人の意] 昔、中国で、インドシナなど南海地方の諸民族の称。 西戎 (せいじゅう)  [西方の野蛮人の意] 昔、中国で、チベット族やトルコ族など西方の異民族の称。北てき (ほくてき)  [北方の野蛮人の意] 昔、中国で、匈奴 (きょうど)・韃靼 (だったん) などの遊牧民族の称。    

 

>満州の運営では白人はもっとひどいことをしているし、満州国の国際調査団リットン報告では暗に「俺たちにも少し甘い汁を吸わせてくれ」と言っているだけだ。 >さらにアメリカと戦争になったのは、「石油の禁輸」ではなく、その前にアメリカが「中国の利権を少し分けてくれ」と希望しているのに断ったからに他ならない。  

 

日本人は外交を知らないですね。議論もできない。だから、日本人は絶対的な正義や誠実にしがみつくしかない。そうでなければ、返答ができない。           

 

>石油の禁輸はその結果であって原因ではなかった。 >日本だけが独自の道徳や誠実さを求めてもダメで、国際的な常識に沿わないと孤立する。

 

そうですね。日本の常識は、世界の非常識ですね。      

 

>今回のウクライナでも、日本の報道でニュースを聞いている日本人はまた大きく異なる道に進んでいるように思う。 () >ソ連が崩壊してウクライナが独立してから西側諸国はずっとウクライナにちょっかいを出し、なんとかウクライナで紛争を起こしてロシアを揺さぶろうとしてきた。 >もともと共産国に対する防衛であったNATO(北大西洋条約機構)を共産国が崩壊した後も続けているばかりか、東ドイツから南に延びていたNATOの活動領域をポーランド、ルーマニアなども取り込んでロシアの国境近くまで来ている。 >NATOの「東進」はロシアに危機を与え、得をするのは西側であり、アメリカの軍需産業であり、ロシアの複雑な民族問題に付け込んだという形でもある。  

 

ロシアは哲学による団結はできませんからね。孤独感にさいなまれますね。   

 

>日本は「正義や誠実」を重んじるが、他国は「利益と勢力の拡大」が目的で行動する。 

 

がり勉と暗記力の弊害ですね。    

 

>日本人にとっては正義や誠実の方が大切のように思うが、「正義の道は地獄に通じる」と言われるように多様な価値観を持っている世界では「正義」ほど危険なものはないのだ(「正義の道は地獄に通じる」とは、民族や国家で正義が違うので、ある国で正義と思ったことを強制する危険性を言う)。  

 

‘アフガニスタン軍自身が戦う意思のない戦争を米軍が戦うべきでない。米国の国益に合致せず、米国民が求めているものでもない。’ (バイデン大統領)  

 

>むしろ正義をかざすのは偽善的に感じられ、利益追求の方が相手の態度もわかりやすいので交渉も成立する。  

 

Win-Win の話をまとめるのですね。   

 

>今回のロシアのウクライナ侵攻の真なる原因は、 >アメリカの軍需産業か? >多彩な民族構成か(ユダヤ人を含む)? >ウクライナのNATO加盟申請か? >プーチン大統領の判断か? >というところだ。 

 

西洋人とロシア人のメンタリティの相違が原因でしょうね。ロシア人は白人であるが、彼らのメンタリティは蒙古風ですからね。   

 

>最終的にはプーチン大統領が判断したわけだが、「そうせざるを得ない状況」にもっていったのは明らかに西側とも考えられる。  

 

そうですね。ロシア人は哲学で他国と団結することはできない。だから孤立しかない。      

 

>なぜ、日本では感情的で稚拙な報道と議論しかないのだろうか?    

 

日本人は無哲学・能天気ですからね。だから規則があって内容 (哲学) がない。これでは歌詠みになるしか方法がない。  

言語は伝達の手段であるばかりでなく、思考の重要な手段でもあります。ですから我々の考えの疎かな所は日本語のせいであることもあります。   

非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。これらの三世界は時制により構文が異なるので、同次元で語ることができない。それで独立した三世界になっている。この規則を the sequence of tenses (時制の一致) と呼ぶ。日本人の初学者が英論文を書くときに難渋する規則である。 

世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を自分自身で埋めて行く。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。来るべき世界の内容を語ることは、時代を先取りすることである。

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実 (things as they are) の内容を批判 (縦並びの比較) すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になれる。批判精神のない人の文章は、ただ現実の内容の垂れ流しになる。全ての事柄は他人事になる。これは子供のようなものである。日本人も英米人も子供の時には非現実 (考え) の内容というものがない。だから ‘話を告げる’ (to tell a story) ということは、’作り話をする’ とか ‘嘘を吐く’ という風に受け取られて悪い子供とされている。この判定だけがわが国では一生涯続く。

日本語の文法には時制がない。だから、日本人には非現実を内容とする世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。残念ながらマッカーサ元帥の '日本人12歳説' を否定できる人はいない。  

意見は比較の問題である。現実の内容と非現実の内容があれば批判精神が発揮できる。英米人の意見はこれである。これは縦並びの比較ということができる。建設的である。進歩が期待できる。希望が持てる。現実の内容だけであれば、その比較は '現実' '現実' の上下判断 (横並びの比較) になり、'どっちもどっちだ' がある。そこで、不完全な現実に囲まれて無力感に苛まれる。この種の比較は復讐に復讐を重ねる民族同士の争いの原動力にもなっていて進歩が期待できない。 

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)       

 

>(メルマガ『武田邦彦メールマガジン「テレビが伝えない真実」』より一部抜粋。続きはご登録の上、お楽しみください。初月無料です)