>学校は命令に従順に従う生徒を作る為の機関としてある事を再認識しておく事が重要だ。
そうですね。日本人には意思が無い。ですから、従順です。従順を求めるのが、従来の日本式の教育のあり方ですね。
日本人には意思が無い。意思は、未来時制の文章内容でありますが、日本語文法には未来時制というものはありません。ですから、日本人には、意思がありません。優柔不断・意志薄弱に見えます。自発性・積極性が見られません。
>それは現在社会の序列意識を学校先生を筆頭に生徒同士も学校教育の日常の中で徹底的に教え込まれる。
これは、日本人の考え方の基本ですね。序列社会を保つために、生徒に序列意識を教え込むことですね。
日本語には、階称 (言葉遣い) というものがある。’上と見るか・下と見るか’ の世俗的な上下の基準を覚えなければ、日本語も満足には使うことはできません。
日本人の礼儀作法は序列作法になっていて、序列のない所には礼儀作法もありません。序列社会の中においては、時と所によって人々は、態度を大きくしたり小さくしたりしなくてはなりません。そうでなければ、礼儀正しい日本人になる事はできません。
個人の利益も序列に従って配分されるため、小さな子供にも向上心が芽生えます。’小さな体に、大きな望み’ は昔からのことです。官僚の出世欲の様なものかな。’、、、、国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う’ と、日本国憲法前文にも高らかに宣言されています。だから、我々の序列メンタリティには根強いものがあります。
>学校で序列教育を受けた生徒達が、社会に出て社会に順応していくが、それでは益々社会の人間関係は歪んでいく。
そうですね。封建時代からの伝統ですね。個性無視が原因になっていて、社会のひずみが是正されませんね。
個性の競争は楽しいが、没個性の競争は過当競争に成ります。学校内では試験地獄になっています。
>結局、学校そして教育を根本的に変えないと社会閉塞から抜け出る事が出来ない。
そうですね。教育の根本的な変革が必要ですね。個人無視は、社会閉塞の原因ですね。自由に競争しなくてはなりませんね。ですから、個人主義を育てなくてはなりません。
現実の内容は、頭の外にある。それは、一つである。見ればわかる。改革の実行には、現実の制約が加わる。
非現実の内容は、頭の中にある。頭の中にある内容は、考えの内容である。それは、個人個人であり、多数であるが、見ることが出来ない。内容に制約はないが、矛盾は受け入れられない。矛盾のない考えは全て正しい。正しい考えは、いくらでもある。考えの自由を守ることが個人主義になりますね。個性の表れが実現します。社会の閉塞が解消されます。
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