>婦人公論.jp >3月3日はひな祭り。「もう関係ない」なんて考えずに神社にお参りしてみると…和田秀樹流・節目の日を新鮮な気持ちで過ごすアイデア >和田秀樹によるストーリー・ >3時間・
>「『日々、ためす、楽しむ』。
>これこそが、若々しさの秘訣です」そう語るのは、著者累計1000万部を超えるベストセラー作家であり、長年高齢者医療の現場に携わる精神科医・和田秀樹先生。
>そんな和田先生の著書『60歳からはわたしらしく若返る: 一生、元気に美しく年を重ねられる365のヒント』から一部引用・再編集し、「脳・心・体に自信を持ち続けるために取り入れたいこと」を、当連載にてご提案します。
>今回のテーマは「ひな祭りは神社に参拝!」です。
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>ひな祭りは神社に参拝!
>3月3日といえばひな祭り。
>女の子の健やかな成長を願う行事として知られていますが、本来の意味は「節句」。
>季節の変わり目に穢(けが)れを祓(はら)い、万物に感謝し、お祝いをする日です。
そうですね。
>正式には、旧暦3月の最初の巳(み)の日の節句であることから、「上巳(じょうし)の節句」と呼ばれます。
>節目の日を新鮮な気持ちで
>もしあなたが、女の子という年でもないし、もうひな祭りなんて関係ないと思っていたなら、これからはぜひ神社にお参りし、春の空気を思いっきり感じましょう。
>毎年、ちらし寿司やはまぐりのお吸い物をいただくという人は、いつもと違うことをしてみてください。
>ひな祭りの行事で有名な神社を調べて訪れてみたり、いつもと違う料理を食べたり。
>人を誘って一緒に楽しむのもいいアイデアです。
>いつもと違う神社の様子、新しい景色、料理、会話など、すべてが脳への刺激になり、新鮮な気持ちで節目の日を過ごせるでしょう。
そうですね。それは気分・雰囲気・感情の問題ですね。それだけで過ごせたら我が国民は万々歳ですね。
(略)
日本人には意思がない。だから、受動はあっても能動がない。 被害者意識はあっても、加害者意識はない。 恨みはあっても罪の意識に苛まれることはない。だから謝罪がない。あっても身が入らない。 かたき討ちは流行るが、罪滅ぼしの運動には流行らない。
我が国のキリスト教徒はあくまでも日本教徒である。だから、彼らは日本教徒のキリスト派になる。彼らはキリスト教的儀式をするが、それが贖罪の目的であるとは理解していない。病める魂の持ち主が見当たらないから、需要がなくて彼等の勢力もわが国では伸び悩んでいる。 カルトであれば逆に良く伸びる。
日本人は思考を停止している。だから、無哲学で能天気の状態になっている。頭の外には現実 (事実) があるが、頭の中に非現実 (考え) の内容がない。だからことさら現実 (事実) に固執することになる。相手の理由を理解しない守旧派になっていて改革運動の妨げなっている。ただ目の前の内容 (現実) だけを信じているから、形式 (現実) があって内容 (非現実) がない。この状態で割り切ることができれば、日本人の生活は円滑に進行する。生まれた時には宮参りをして、結婚式はキリスト教会で行う。葬儀の時は仏式で済ませばよい。
‘これは矛盾している’ 外人が指摘すれば、’矛盾している’ と日本人は同意する。だが、’矛盾の原因は何であるか’ とか、’矛盾があれば改める’とか言った態度にまではわが国民は進まない。日本人は思考を停止しているから、どうにもならないのである。だから、現実肯定主義になっている。それが、日本人の浅はかなところである。これがただ今行われている日本人の脳足りん生活である。
英米流の高等教育の目的は個人が考え (非現実) の内容を生み出すためにある。その考えの内容は文になり、論文として公表される。日本語は ‘写生画の言葉’ ともいわれ、現実ばかりで非現実の内容を示さない。だから、わが国の英米流高等教育の成果は上がらない。わが国の高等教育は使用言語を英語に改める必要がある。
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