>日本の特徴のひとつに「言語化しない文化」がある。
日本語の機能が不十分なために、非言語化の文化が発達したとも考えられますね。
他のアニマルも同じこと。
>端的なのは、伊勢神宮の式年遷宮だろう。
>20年に一度、2つの正殿と14の社殿、1,000点を超える調度品を造りかえて神座を遷すという「仕組み」を通じ、1,300年にわたって日本古来の建築様式や伝統工芸の技術を継承している。
>これほど大掛かりなものでなくても、大工仕事にも、茶道にも、華道にも、日本の多くの伝統文化には「書かれたマニュアル」は存在しない。
日本人には、感性があって理性が無い。弟子は他人のやり方を見て覚える。先達は知的な教え方ができない。他のアニマルも同じこと。
>師匠の背中を見て、空気を読んで、肌で感じることが習得の術である。
以心伝心か。西洋式の学校では、非言語の高等教育はできませんね。
>東北地方は、歴史上、幾度となく地震や津波の被害を受けてきた。
そうですねえ。気の毒なことです。同じ被害を繰り返すのは、まことに残念です。
>浸水の恐れがある低地には「地震があったら津波に用心」という石碑がポツリ、ポツリと残っている。
>しかし津波の記憶は驚くほど簡単に失われていく。
日本人は、過去の世界の内容を考えとして脳裏に保つ力がない。書いてある過去のことは、目の前の現実とは関係がない。だから、日本人は、過去の内容に重きをおいて考えない。
日本人は、現実肯定主義者である。’そんなこと言っても駄目だぞ。現実はそうなっていない’という。
>人々は生活のために再び海に出ていき、甚大な被害を被った地域も復興していく。
日本人は、眼前の事実のみに精神を集中する能力がある。過去は幻、未来は夢となっている。雑念を振り払って、過去と未来に挟まれた、ごく狭い現実に光を当てて日本人は生きている。あとは野となれ、山となれ。
>石碑の存在はあっという間に忘れられていく。
ああむなしい。過去の世界の内容は疾く脳裏から消え去って風化する。語り部の虚しさ。世の中に変革をもたらす術はない。
>しかし一方で、伝承には文字に加え口伝えという方法もある。
過去の世界を再現するのでなければ、日本人は空想・妄想の世界で気分・雰囲気を盛り上げる能力を発揮する。
>妖怪や河童など、その土地固有に紡がれてきた物語がそれにあたり、災害と結びつくものが多いというのである。
空想・妄想の世界なら、日本人は漫画・アニメを駆使して得意の表現ができる。それで、現代の日本は、漫画・アニメの大国になった。
>個人として体験した災害や苦しみは、心に異様な風景を生み出す。
>それが時間を経て少しずつ消化され、個の記憶が、地域全体の記憶として昇華する。
気分・雰囲気として言い残されているのですね。
>龍の物語は、水にまつわる不幸な出来事を発端に生まれたものが多いとされる。
鬼怒川の不幸な出来事のようなものでしょうか。
>事実は消滅しても、その土地の感情として、次世代に継承されていく。
残すことができるのは、もらい泣きだけ。過去の世界を細かく再現して、悔いなき対策を残すことは至難の業である。これを克服するには、言語に過去時制の文章内容が必要です。
>言語で定義されたものに比べ、日本式の体験による継承は時間がかかる。
>解釈の幅も生まれる。そのため同一性を保つ強さはない。
そうですね。細かな正確さを期すことは難しいですね。
>しかし、物事の本質を思考させ、形状やディテールは変化しても、本質的な価値を維持しようとする、動的な継承法と読み解くことができるかもしれない。
日本人が言語教育において時制を習得することができれば、形状やディテールを継承することも可能になります。
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