gooブログはじめました!

日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

日本の開国 英語とローマ字

2016-07-14 02:39:53 | 国際・政治
対話がない。言いっぱなしになる。粘り強い協力関係が得られない。
自分さえ善ければと考えて、孤立無援・孤軍奮闘となる。挙句の果てに自滅する。
今は、民主主義の時代である。民の力で世界が変えられる。それには、民の理解が必要である。
雄弁が必要である。高尚な話が必要である。民が高尚な話を理解できるか。それだから、高等教育の普及が必要である。

日本語の ‘理解’ という言葉に一つ気になることがある。我が国の役人の使う言葉に、’ぜひ、この件につき、ご理解をいただきたい’ というセリフがある。これは、’こちらの言い分を容認せよ’ という意味であるが、これは本当の ‘理解’ ではない。理解は、話の筋に矛盾のないことを確認することであって、その内容を容認することとは関係がない。矛盾のない筋書きならいくらでもある。理解は、相手がそれを受け入れるか、受け入れないかには関係がない。

日本語には、時制がない。現実のみ文章内容になる。日本人は、現実肯定主義者になる。矛盾の指摘も、高々現実止まりである。そして、その多くの矛盾は序列の壁で阻止されて非難としては成立しない。
日本語には階称 (言葉遣い) がある。’上とみるか・下とみるか’ の世界を発展させてゆくと、序列の社会が出来上がる。
序列社会の政治では、上位の者の恣意は上意下達で実行される。問答無用であるから、矛盾のチェックなどはなされない。
堪え難きを堪え、忍び難きを忍んで上意の実現に励めば、南の島に雪が降る。
朕は国家なり。民は国家のためにある。民は朕のためにある。キム・ジョンウォン 朝鮮語にも階称がある。

日本語には時制が無いので、日本人には意思がない。意思は、未来時制の文章内容である。だから、日本人には意思がない。だが、恣意 (私意・我がまま・身勝手) は有る。恣意は文章にならない。他者の察しにより汲み上げられる。恣意には文章が無いから、意味もなく矛盾もない。だから、問答無用である。恣意は以心伝心により取り上げられる。恣意は、どこの社会でも認められない。恣意の不自由は常と思えば不足なし。

個人は、全体の為にある。これは全体主義である。
日本人の責任感は、序列に基づく責任感である。上位下達を守ること。言語を持たないアニマルの責任感のようなものである。この掟は下の者に負担がかかるだけ。とかく、この世は無責任。国がひっくり返っても、その政治責任者は出なかった。

英語には、時制がある。時制があると、非現実の文章内容が表現できる。だから、英米人の頭の中には現実と非現実の内容がある。非現実の ‘あるべき姿’ の内容を大切にするのが理想主義である。
時制があるので意思が有る。意思は未来時制の文章内容で表現される。文章があれば意味もある、意味が通らなければ、その矛盾を外部から指摘することもできる。矛盾を除去すれば正しい考え方が得られる。だから、議論は有用である。建設的な意見となる。
政治は、責任ある者の理性判断に従って、責任者の意思により執り行われる。個人のリーズン (理性・理由・適当) を大切にするのが個人主義である。リーズナブルな答えが得られる。自由な発想が尊重される。
個人に意思の表明があるので、責任者を名指しすることもできる。

日本人には、有言の説得力がない。哲学 (非現実) が無いから、大同を示すことができない。小異 (現実) を主張する人たちばかりでは、大同につく結論は得られない。だから、なーなー主義の人たちは国際社会の指導者にはなれない。英語を勉強して、哲学を習得すれば、説得力のある人物になる。
一旦理性判断を獲得した人は、日本語を話しても無哲学・能天気の状態には戻らない。

そうはいっても、日本人には無言の説得力がある。神経 (注意力) を目先手先の事柄に集中させることができるので、細工物の仕上がりが良い。我が国の製品は世界の消費者に広く受け入れられて、日本は技術立国となった。大量の資金が我が国に還流して、我が国は経済大国にもなった。

技術は誰もが習得したいもの。それで、わが国には多数の技術研修生を擁しているが、日本語の習得がはなはだ悪い。これが難問である。外人は字が読めないからである。非漢字圏の人には漢字の習得が難関となっている。日本語をローマ字表記にすれば、たちどころにこの問題は解決する。だが、これを実施する気配はない。日本語を話すためには、日本語の音読が欠かせない。漢字の音読は特に難解で、日本人でも振り仮名の表記が必要である。これには漢字の本家である中国人も驚いている。日本語の表記を容易にして、日本語を国際社会に第二言語として広めたら、世界に対する我が国の恩恵は計り知れないものになる。日本人の得意な日本語で実学 (技術) の国際基準を作ることも可能になる。国際社会において、民の力を獲得しよう。日本人は、日本語を解する民に有言の説得力をもつに至る。
この世のあるべき姿は、暗記ものではない。相手と話し合って練り上げるもの。だから、会話が必要である。無言の内容を有言に変える努力が必要である。今は、民主主義の時代である。民の理解が欠かせない。民の力で、この世界を動かすことができる。国際的な対話のできない人はみじめである。時代に取り残されて孤軍奮闘・自滅が待っている。

総理大臣の田中角栄は、今太閤であり闇将軍であった。彼は列島改造論というこの国の ‘あるべき姿’ を掲げて自分の夢を追いかけていた。彼の構想は、国民に夢と希望を与えた。彼は政治の力を利用して非現実の内容を現実の内容に変えた。今時、珍しい日本人であった。
我々は、矛盾を交えることなく、非現実の世界の有様を熱意をもって語らなければならない。マスター・プラン、グランド・デザイン、グローバルな構想、ユニバーサルな着想が必要である。さすれば、非現実の世界を現実の世界として実現させる可能性が生まれてくる。我が国も、この地球も、政治の力により新世界に突入する。
我々日本人は、細やかな心遣いを得意としている。だが、そればかりでは、新世界は到来しない。地球村の村長には、有言の説得力が必要である。


.





能力の低下

2016-07-07 02:19:29 | 教育
>昔の一高生や三高生は、よくデカンショ節などを放吟していたが、デカンショとはデカルト・カント・ショーペンハウエルのことで、試験に出る訳でもないのに、彼らはそれらの難解な哲学書を読みこなしていた。

西洋文明への漠然としたあこがれでしょう。

>つまり、昔の東大・京大生は余裕を持って入学してきた。>だから、優秀な人が多かった。
>しかし、’70年、豊かさが実現され、誰でも大学に行けるようになると、受験競争が激化し、中学受験塾が幅を利かすようになる。

経済力が増して、進学率が高まったのですね。

>そこでは、小3の頃から勉強漬けにされ、全く追求力のない「暗記脳」が強固に形成されてしまう。

科挙のまねごとですか。暗記試験は、採点が容易ですね。

>勉強漬けにしないと、合格できなくなって終ったからである。

がり勉には、ゆとりがない。考える力が衰えます。

>その上、受験勉強を通じて、「自分脳」の極致ともいうべき歪んだエリート意識にも染められてしまう。

序列社会において、利己主義になります。’自分さえ善ければ’ ということになるでしょう。

>しかし、現実の社会でぶつかるのは、答えのない問題ばかりであり、決まりきった答えやパターンを暗記しているだけの暗記脳では、全く答えを出せない。

暗記試験では、正解は一つ。暗記脳には考える力がない。日本語による現実のコピーにより達成できます。没個性的な人間になります。
考える試験では、正解は多数。矛盾のない考えは、すべて正しい回答になります。だが、内容を自分自身で考える必要があります。個性にあふれる人間が出てきますね。考えの内容は非現実ですから、日本語脳の持ち主にはこの試験は難しいでしょうね。

>かくして、暗記脳しか持ち合わせていない(かつ、己の利権を維持することしか頭にない)無能な受験エリートに率いられた日本は、わずか20年の間にガタガタになって終った。

民度の低い、処世術の持ち主ばかりになりました。

>受験圧力に押し潰され、生きる意欲を失っているのは、東大・京大生だけではない。

序列競争に参加しているすべての人たちに被害が及びました。

>大半の学生が、親や先生から「いい生活、いい大学」と言われ続けて来たが、「いい大学」を出た筈の父親を見ても、とても「いい人生」とは思えず、従ってそんな目的では意欲が湧いてこない。

無哲学・能天気では、人格に感心するところがないですよね。

>それに、教科書や問題集に書かれていることが、何の役に立つのか、よく分からない(実際、実社会では、殆ど役に立たない)。

実社会で役立つ学問は、実学 (技術) でありましょう。

>加えて、それらのテキストは大半が今や引力を失って終った近代観念で書かれているので、何の興味も湧かない。

哲学の内容では、日本人には意味もない。

>今や、志を持って勉強してきた者は殆ど居らず、親に言われて「仕方なく勉強してきた」学生が大半である。

学問は学歴社会・序列社会の単なる手段にしかなっていません。

>それどころか、勉強だけではなく、部活にも、仲間づきあいにも意欲が湧かず、何の為に生きているのか分からないまま「仕方なく生きている」学生も多い。

あるべき姿の内容が無いので、人生に目的がない。

>しかし、それは子供や若者だけではなく、40代の壮年も、同じなのかも知れない。

無哲学・能天気の状態は、年齢には関係が有りません。

>(私見だが、若者が大学に行かなくなれば、それだけでもこの社会は随分と活力を取り戻すに違いない。)

ナウな感じの社会になるでしょう。江戸時代に逆戻りすることになるかもしれません。


.


教育革命

2016-07-04 05:25:01 | 教育
>現代人の思考力をドン底にまで劣化させた明治以降の学校教育=「教える教育」の罪は図り知れません。

日本人には現実の世界しかないから、現実肯定主義にならざるを得ない。これは、子どものようなものである。
英米人には非現実の世界がある。だから、話の内容が哲学的になり高尚になる。
過去の世界は過去時制の文章内容で表現される。現在・未来についても、それぞれの時制の文章内容のみで表現できる。これを時制の一致 (the sequence of tenses) という。これは英文法である。すると、非現実の三世界を考えることができるようになる。

現実の内容は正解と誤り二種類に分類される。日本人は、今なお ‘嘘・本当’ の世界に住んでいる。
非現実の内容になると、矛盾のない文章は全て正しい考えとなるから、嘘・本当のテストは成立しない。
英米の高等教育は、哲学博士 (Doctor of Philosophy: Ph. D.) の育成を目指している。

>しかし、今、教育の在り方を問い直す「教育革命」があちらこちらで湧き起こっています。

使用言語により、学問の成否が決まることを知らなくてはならない。
だから、高等教育には留学が効果的である。

東南アジアでは自国で教科書もできない。だから、彼らは、学問をするには英語の教科書を使わなければならないという説明を聞いたことがある。
母国語で完全に教育ができるのは、アジアでは日本だけだそうである。だから、英米への留学に人気がないのであろうか。
人口大国であるインドや中国の学生は、大挙してアメリカやイギリスの大学を目指す。
しかし、彼らの学問の成果は、母国には受け入れられないだろう。メンタリティの違いから、海外組は祖国で浮き上がって留学の成果を発揮することはできないであろう。だから、異文化による母国の社会改革は容易ではない。だが、学問に対する、無知と誤解だけは避けなくてはならない。

.