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藤田尚徳  

2025-02-23 10:31:47 | 文化

>現代ビジネス   >昭和天皇が「大空襲に焼かれた東京の街」を見て、口にしたこと   >学術文庫&選書メチエ編集部によるストーリー・   >2時間・   

>側近が見た天皇   

>日本という国の現在のあり方を知るためには、その歴史を学ぶことが重要です。   

 

そうですね。   

 

>とりわけ、近代化を遂げた日本が、なぜ太平洋戦争という無謀な戦いに突入したのか、その戦争のさなかにはどのようなことが起きていたのか、そして、いかにして戦争が終結したかを知ることには、大きな意義があることでしょう。   

 

そうですね。飛んで火にいる夏の虫ですね。   

 

>戦時中、国家の意思決定に大きな影響を与えた一人として昭和天皇があげられますが、その昭和天皇が戦中どのようなことをしていたかを知るのに便利なのが、『侍従長の回想』(講談社学術文庫)という本です。   

>著者の藤田尚徳は、海軍兵学校、海軍大学校を出たあと、海軍省人事局長、海軍省次官などを経て、1944(昭和19)年の8月に天皇の最側近である「侍従長」となった人物です。   

>本書は、藤田が1961年に侍従長時代のことを振り返ったもの。   

>本書では、藤田の目から見た昭和天皇の戦時中の日々がつづられており、そこからは天皇の知られざる姿とともに、終戦が近づくなかでの政府中枢の動向が見えてきます。   

>たとえば、敗戦の年である1945(昭和20)年の早い段階で、天皇は終戦工作を始めていたふしがあると、藤田は回想しています。   

>同書より引用します(読みやすさのため、改行などを編集しています)。   

>***   

318日、私は陛下に供奉して東京の空襲被害地を巡った。   

>この日は彼岸の入りであったが風が冷たく、陛下の御巡幸の道順の警戒もできぬほど、焼け跡の整理はできていない。   

>深川富岡八幡宮の焼け落ちた本殿の跡で、大達(おおだち)[茂雄]内相が被害状況をご説明申上げたが、この日の御巡幸を知らぬ都民は、ふと陛下のお姿をみて、驚きの表情でお迎えしていた。   

>陸軍の軍装を召された陛下は、都民のモンペ姿、防空頭巾姿にいちいち会釈しながら、汐見橋、東陽公園、錦糸町、駒形橋、上野、湯島切通坂と一巡なさった。   

>車中で私に悲痛なお言葉をおもらしになったのは、湯島を通り過ぎる頃であったろうか。   

>「大正12年の関東震災の後にも、馬で市内を巡ったが、今回の方が遥かに無惨だ。   

>あの頃は焼け跡といっても、大きな建物が少かったせいだろうが、それほどむごたらしく感じなかったが、今度はビルの焼け跡などが多くて一段と胸が痛む。   

>侍従長、これで東京も焦土になったね」   

>戦争の惨状を、つぶさにご覧になって、国民の不安と苦しみが、陛下の御心をうった。   

>自然をそのままに感じとられる陛下は、それだけに直感力にすぐれ、その理解の正確さは驚くほどだったが、この日も戦争終結の必要を感じとられたのであったろう。   

>沈痛な面もちで宮城に帰還された。   

4月に入ると米軍は沖縄に上陸、いよいよ本土決戦も迫って来た。   

 

好きで 好きで大好きで 死ぬほど好きな戦でも 原爆投下にゃ勝てはせぬ 泣いて崩れた敗戦日 

残念ながらわが国は原爆開発においてアメリカに後れをとった。しかし本土決戦と一億総玉砕はまぬがれた。 めでたしめでたし。    

太平洋戦争初期に、フィリピンの米比軍はキング少将もジョーンズ少将も早々と投降して、75000人以上の将兵の命を救った。

太平洋戦争後期に、日本軍は米空軍の飛来をゆるして、1945年3月10日未明、東京の下町の江東地区がB29約300機による空襲をうけ、死者10万をこす被害を出した。

日本人の指導者には、作戦の成否を予測する力はなかったのか。

人の命はどのように考えられていたのか。 ‘ぬちだ宝’(いのちは宝)ではなかったか。  

 

>***   

>関東大震災と東京大空襲を比較する昭和天皇の視線からは、この人物が歩んできた時代の奥行きが浮かび上がってくるようです。   

 

われわれ日本人には意思が無い。意思の無い人間には責任が無い。相手の信頼が得られない。日本人は責任者捜しに苦労する。    

たとえば【英対する開戦の詔勅】では

洵ニ已ムヲ得サルモノアリ豈朕カ志ナラムヤ

まことにやむをえざるものあり。あにちんがこころざしならんや。

開戦はまことにやむをえないことで、私の本意ではない。   

となる。  

天皇の意思でなければ一体誰の本意で我が国の意思決定が為されたのでしょうか。 

 

日本人は思考を停止しているから、自分自身の意見を明らかにできない。わが国のマスコミの編集長でも例外ではない。だからいくら外部の情報を流しても、それが社会の木鐸の役割を果すことはない。「それでどうした、それがどうした」の問いに答えが出せないのである。我々日本人は自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。だから個人の価値が低い。[木鐸=ぼくたく:世人を教え導く人]        

高等教育機関において自己の個人的な見解を明らかにすれば学位 (博士号など) が得られる。ぜひやるべき勉強です。   

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)     

 

 

 

 

 

 

 

 



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