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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

中国の夢 

2020-11-23 01:39:56 | 文化

 

>361949 偉大なる中華帝国の復興?2028年までに「台湾統一」に出る習近平  >伊達政宗 ( 会社員 )  20/11/22 AM02 【印刷用へ】 >リンク

>習近平率いる中国共産党はなぜ侵略を繰り返すのか? > 和田です。

>2012年に、習近平が中国国家主席の座についた時、「偉大なる中華帝国の復興」という発言をしました。 >これは過去には「偉大なる中華帝国」があったし、それをこの現代で取り戻さねばならないというもの。

> 習近平が言っているこの「中華帝国」とは、今現在の中華人民共和国とは全く関係のない王朝ですが、過去にも自分たちの帝国があったのだからそれは取り返さないといけないという、弱肉強食の中国大陸に生きる人間の強いメンタルを感じます。

>かつてモンゴル系や満州族らの民族が支配し拡大した過去の「中華帝国」の業績を自分たち漢族の成功体験にすり替えている。>自分のものでなくとも、自分の成功体験として図々しくも持ち続けている点を侮ってはいけない。

 

そうですね。

中国は中原の鹿を追う伝統的な覇者の国である。覇者の物語は、中国人の愛読書となっている。覇者は周辺諸国に覇権を打ち立てようとして傍若無人のふるまいをし、多大な迷惑をかけている。漢民族は、自分たちの考えを示すために漢字を作った。しかし、彼らは外国人の考えを示すための漢字は作らなかった。だから、外国人に対して自己の内容を発信はできるが、外国人からの内容を受信することは難しい。漢文の書物をいくら読んでも外国人の考えは出てこない。だから、中華思想を堅持し自己中心的にならざるを得ない。周辺諸国を中国化することに専心してやまない。中国人が外国人の影響を受けて発想の転換 (paradigm shift) をすることは期待薄である。     

 

> 中国国防大学教授で上級大佐の劉明福はインタビューでこう答えている。

>劉は習近平の政治スローガン「中国の夢」の理論的支柱で、長年教壇に立って軍高官らを指導してきた人物です

>戦略は3つあります。

>1つ目が「興国の夢」。>建国100周年の2049年までに経済や科学技術などの総合国力で米国を超え、中華民族の偉大な復興を成し遂げる。

>2つ目が「強軍の夢」。>世界最強の米軍を上回る一流の軍隊をつくる。

>そして最後が、「統一の夢」。>国家統一の完成です。

>中でも台湾問題の解決が、「中国の夢」の重要な戦略目標となります。>まずは平和的な統一を試みるが、それを拒むならば軍事行動も辞さない。> 習は、2018年3月に「2期10年」だった国家主席の任期を撤廃している。>ただ、現在67歳という習の年齢を考えると、3期目が終わる2028年には引退する可能性が高い。>それまでには台湾統一を実現するということになる。

> 同時に、彼ら中国人には強烈な劣等感からくる、復讐思想があることも忘れてはいけない。 > 「百年屈辱」「恥辱の一世紀」、「勿忘国恥」(国恥を忘れることなかれ)なども標語になっている。

> 清時代に欧米列強に好き勝手に侵略され、アヘン戦争で香港を割譲してしまったことなどは大きなルサンチマンとして持ち合わせている。

> 人は自分が落とした財布なら取り戻して当たり前だと思うだろう。>さらにスリに盗まれてそれに気づくとキレて取り返すに違いない。> 習近平のスローガン「中国の夢」とは落としていた財布は中国の財布ではないのに、それは不当に盗まれたものだと主張し、キレて取り返すべしという話なのです。>これが今の中国の性質・体質ということです。

 

中国は多民族国家である。 懸念されるのは、’中国の夢’ で天賦人権性が無視されていることである。これは近代の人権観念の端的な否定であり、見過ごすことはできませんね。立憲主義、人権、民主主義といった近代憲法の諸概念は欧米由来のものであり、これらを後に受け入れた日本を含む国々では反発を呼ぶこともある。しかしこうした諸原理自体は、多様な個人の共生を可能にする基礎であり、普遍的なものとして受け入れなければならない。

 

>この論理で見ると、チベット、ウイグル・香港などは、もちろん、自分のものなのだ!という果てしない強欲さも納得ではないでしょうか? 

 

そうでしょうね。  

中華 (ちゅうか)  [外国との交渉が少なかった時代に] 自国を、世界の中心にある、一番優れた国とみなしたこと。[狭義では、漢民族のそれを指し、またその呼称としても用いられる]    

東夷 (とうい)  [東方の野蛮人の意] 昔、中国から見た東方諸国の称。[広義では朝鮮・沖縄を含み、狭義では日本を指した]     

南蛮 (なんばん)  [南方の野蛮人の意] 昔、中国で、インドシナなど南海地方の諸民族の称。 

西戎 (せいじゅう)  [西方の野蛮人の意] 昔、中国で、チベット族やトルコ族など西方の異民族の称。

北てき (ほくてき)  [北方の野蛮人の意] 昔、中国で、匈奴 (きょうど)・韃靼 (だったん) などの遊牧民族の称。

 

 

 

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石原信雄氏 2/2 

2020-11-22 04:00:12 | 文化

 

>▼不祥事には「忖度(そんたく)」という言葉が付きまとう。

 

見ることのできる内容は本当の事である。見ることのできない内容は嘘である。誰しも嘘つきにはなりたくない。だから、自分の非現実は語らない。これが、日本人の思考停止の原因である。

現実の内容は頭の外にある。だから、見ることが可能である。見ればわかる。だから、考える必要はない。これは楽ちんである。正解はただ一つである。これは人とアニマルが共有する非言語の世界である。

非現実 (考え) の内容は頭の中にある。だから、見ることができない。それは、ただの話である。その内容を知るには文法に基づいて文章の内容を理解しなくてはならない。これは、骨の折れる仕事である。だから、通常、日本人は理解をしない。忖度 (推察) で代用して済ませている。これは人間だけが持つ言語の世界である。

理解と忖度は似て非なるものであるから注意が必要である。忖度 (推察) は聞き手の勝手な解釈であるから、話し手には何の責任もない。たとえ両者の間に齟齬が存在しても議論にもならない。現実直視になっていないことを忖度の主に指摘しても、'だって、私は本当にそう思ったのだから仕方がないではないか' と懸命に反発するので取りつく島がない。かくして、日本人の対話は成立しない。 

 

>人事権を握る1強政権に取り入らなければ、出世の道もないということか。

 

日本語には階称 (言葉遣い) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。

日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、日本人は序列なきところに礼儀なしである。

礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて堅ぐるしい日常生活を送っている。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の表現に過ぎないため、個人的精神的な意味がない。無哲学・能天気である事は、人々にとって全然気にならないことである。だから、日本人の尊敬には浅薄さが付きまとう。   

序列人間は人間序列を作る。上位の者と下位の者の間に自分を差し挟むことにより自己の存在感を意識している。だから、自己の所属する序列に帰属意識を持っている。義理 (序列関係から生じる義務) を果たすことにより仕事にやりがいを感じている。周囲の序列人間が序列に対する貢献を評価するからである。これにより自己の順位は上昇する可能性がある。それが人生の楽しみである。 

 

>公務員は、特定の誰かのために働くのではなく「国民全体の奉仕者」だと憲法は定めているのに

 

非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を埋めて行く。世界は過去から現在・未来へと移動する。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実の内容を批判すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になる。批判精神のない人の文章は、現実の内容の垂れ流しになる。子供のようなものである。

日本語の文法には時制がない。だから、日本人には世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。マスコミも現実の内容をただ垂れ流す。だから、個性がない。個人主義が理解できない。本人にも相手にも何を考えているのかわからない。それで、相手からも信頼されない。広く国際的な協力者が得られないので社会に貢献する度合いが限られる。

 

>▼石原さんは後輩に望む。>「まず担当分野をしっかり研究すること。 

 

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に力を合わせることも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。 

 

>決めるのは政治だが、問われれば正しいと信じる意見を述べる力と勇気を持ってほしい」

 

義を見てせざるは勇無きなり。

 

>=2018/12/28西日本新聞朝刊=

 

 

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石原信雄氏 1/2 

2020-11-22 03:14:25 | 文化

 

>春秋  >自治事務次官を経て7代の内閣で官房副長官を務めた石原信雄さんの話を聞く機会があった… >2018/12/28 10:31  >西日本新聞  > Facebook >Twitter >はてなブックマーク

> 自治事務次官を経て7代の内閣で官房副長官を務めた石原信雄さんの話を聞く機会があった。 >「官僚の中の官僚」は、最近の政治と官僚の関係について「飛躍的に首相官邸の力が強くなった」と言う  

 

政治家が政治力を飛躍的に強く発揮するようになったのですね。   

 

>▼かつては「省益あって国益なし」といわれるほど官僚が幅を利かせていた。  

 

それは、縦社会 (序列社会・上下社会) の弊害によるものですね。   

 

>省庁は権限争いに明け暮れ、政治家は役人の“操り人形”とも。

 

宮本政於の著書〈お役所の掟〉には、官僚絶対主義のことが出ている。以下は、著者(宮)と厚生省幹部(幹)との会話である。

宮「憲法に三権分立がうたわれているのは、権力が集中すると幣害がおきるから、との認識に基づいているのでしょう。今の日本のように、官僚組織にこれだけ権力が集中すると幣害もでてきますよね」、幹「ただ、日本はこれまで現状の組織でうまく機能してきたのだ。それによく考えてみろ。いまの政治家たちに法律を作ることをまかせられると思うのか。そんなことをしたら日本がつぶれる」、「日本の立法組織にそれほど造詣(ぞうけい)が深くないのですが、私も認めざるをえません」、「そうだろう。『やくざ』とたいしてかわらないのもいるぞ」、「私もテレビ中継を見て、これが日本を代表する国会議員か、と驚いたことがなん度かあります。とくに、アメリカとか英国とは違い、知性という部分から評価しようとすると、程遠い人たちが多いですね。でも中には優秀な人がいるんですがね」、「政治は数だから。いくら優秀なのがひとりふたりいてもしようがない。ある程度の政治家たちしかいないとなれば、役人が日本をしょって立つ以外ないのだ」(引用終り)     

 

>政官業の癒着も目に余った。>国のかじ取りを「政治主導」に改めようと、省庁の幹部人事を官邸が決める内閣人事局ができた  

 

政治家が、自己の政治哲学を持つことが必要ですね。無哲学・能天気では哲学は難しいですね。   

非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を埋めて行く。世界は過去から現在・未来へと移動する。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実の内容を批判すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になる。批判精神のない人の文章は、現実の内容の垂れ流しになる。子供のようなものである。

日本語の文法には時制がない。だから、日本人には世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。マスコミも現実の内容をただ垂れ流す。だから、個性がない。個人主義が理解できない。本人にも相手にも何を考えているのかわからない。それで、相手からも信頼されない。広く国際的な協力者が得られないので社会に貢献する度合いが限られる。

 

>▼結果は。官僚の不祥事が後を絶たない昨今である。 >本紙社説が今年取り上げた主なものだけでも、もり・かけ問題、イラク日報隠し、文科省局長の「裏口入学」事件、文科事務次官が飲食接待で辞任、財務事務次官がセクハラ発言で辞任 >▼まだある。裁量労働制を巡り厚労省が、外国人実習生で法務省がずさん調査。 >多くの行政機関で障害者雇用水増し。>金融庁が総務相に関する情報公開請求の内容を総務省に伝えた件も  

 

官僚の不祥事は沢山ありますね。

日本人には意思 (will) がない。意思は英語の未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がない。仕方がないので無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。生きる力 (vitality) が不足している。困った時には '他力本願・神頼み' になる。

 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)  

 

 

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老舗大国 

2020-11-20 05:25:00 | 文化

 

>日本を守るのに、右も左もない 

>361859 老舗大国日本の秘密~なぜ老舗が多いのか?~ >穴瀬博一 ( 31 会社員 )  20/11/18 PM05 【印刷用へ】 

>以下引用(リンク)

>―――――――――――――――――――――――――――――――――

>世界中で創業200年以上の老舗といわれる会社が多い国はどこか御存知ですか?  > 答えは、日本。  > 約3000社の老舗が今も全国で営業を続けています。>2位のドイツが800社という数字をみれば桁違いに多い数です。>ちなみにアメリカさんは14社。>3000年の文明を誇る中国には3社しか存在してません。

 

中国は革命の国ですからね。何事も新しい方法が良い。だが、この考え自体が非常に古い。    

中国は中原の鹿を追う伝統的な覇者の国である。覇者の物語は、中国人の愛読書となっている。覇者は周辺諸国に覇権を打ち立てようとして傍若無人のふるまいをし、多大な迷惑をかけている。漢民族は、自分たちの考えを示すために漢字を作った。しかし、彼らは外国人の考えを示すための漢字は作らなかった。だから、外国人に対して自己の内容を発信はできるが、外国人からの内容を受信することは難しい。漢文の書物をいくら読んでも外国人の考えは出てこない。だから、中華思想を堅持し自己中心的にならざるを得ない。周辺諸国を中国化することに専心してやまない。中国人が外国人の影響を受けて発想の転換 (paradigm shift) をすることは期待薄である。民主主義と自由といった諸原理自体は、多様な個人の共生を可能にする基礎であり、普遍的なものとして受け入れなければならないですね。    

 

>では、なぜ日本にだけこれだけ多くの老舗が残ったのか? 

 

日本人は、人間序列に特別な関心を払っていますね。序列を見れば一も二も無く価値あるものと評価します。’万世一系の天皇’ と言ったようなものか。序列観念はわが国の国体の基礎をなしている。             

日本語には階称 (言葉遣い) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。

日本人の礼儀作法も、序列作法に基づいている。だから、序列なきところに礼儀なしである。

礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて堅ぐるしい日常生活を送っている。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の表現に過ぎないため、個人的精神的な意味がない。無哲学・能天気である事は、人々にとって全然気にならないことである。だから、日本人の尊敬には浅薄さが付きまとう。   

序列人間は人間序列を作る。上位の者と下位の者の間に自分を差し挟むことにより自己の存在感を意識している。だから、自己の所属する序列に帰属意識を持っている。義理 (序列関係から生じる義務) を果たすことにより仕事にやりがいを感じている。周囲の序列人間が自己の序列に対する貢献を評価するからである。これにより自己の順位は上昇する可能性がある。それが人生の楽しみである。 

 

(略)

 

 

 

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カマラ・ハリス氏 

2020-11-18 20:25:48 | 文化

 

>361828 副大統領カマラ・ハリスの欺瞞性  >山澤貴志 ( 55 ITコンサル )  20/11/17 AM01 【印刷用へ】 

>バイデン政権の副大統領として、カマラ・ハリスが注目を集めている。 >その出自は、女性運動、黒人解放運動。 >リンク より引用

> 全米初の黒人女性大学生の交流団体「アルファ・カッパ・アルファ・ソロリティ」や、アフリカ系アメリカ人コミュニティーの強化を目的とするボランティア組織「The Links, Incorporated」などのメンバーになることで、ハリス議員は黒人に政治的影響力を与えるために構築されてきたアメリカの制度の中に自ら進んで参加してきた。 

 

自主性のある人ですね。   

 

>しかし、民主主義のリーダーというのは表の顔でしかない。 >リンク より引用

> >ハリスはカリフォルニア州のオークランド生まれ。>>父親はジャマイカ出身で、スタンフォード大学で経済学の教授をしていた人物。  

 

先祖は奴隷の身分からの出発ですね。   

 

>>母親はインドからアメリカへ移り住んだのだが、生家はバラモン階級、つまりカーストの最上位に属し、インド政府高官を輩出している。  

 

バラモン階級のインド人はアメリカに移民したがりますね。最上位でも何か祖国に不満でもあるのでしょうかね。これが日本人であれば、貧乏人であってもアメリカに移民したいとは思いませんね。   

 

>>インドのデリー大学を出た後、アメリカではカリフォルニア大学バークレー校で栄養学と内分泌学で博士号を取得した。 

 

博士号取得とは努力の賜物ですね。   

 

>>カリフォルニア大学で夫妻は知り合っている。  

 

学者同志の結びつきですね。珍しいことではないですね。   

 

>>彼女は同大学の動物学科の癌研究所で研究を続け、後に乳癌大統領特別委員会に加わった。 

 

彼女は新世界での成功者ですね。

 

> >それに対し、カマラ・ハリスは法律の世界へ進む。>>2004年1月から11年1月までサンフランシスコ第27地区検事を、また11年1月から17年1月までカリフォルニア州司法長官を務めたのだが、エリート一家の出身ということもあり、社会的な弱者には厳しかった。

 

カマラは育ちに影響されたのでしょうね。  

 

>>その当時のことを民主党の大統領候補者選びに参加していた タルシ・ガッバード下院議員に批判されている。

 

生身の人間は、なかなか無謬性を発揮できませんね。候補者選びは、清濁併せ呑むことになりますね。中庸の徳を如何に発揮するかが候補者選びの見せどころですね。        

 

> >州司法長官時代のカマラは人びとを刑務所へ入れることに熱心で、不登校の子どもの親も刑務所へ送り込んでいたが、それ以上に批判されているのはケビン・クーパーという死刑囚に対する姿勢だ。 

 

選挙となれば相手の粗探しが政策論争と同程度に重要な関心事となりますね。何しろ、相手を倒すことが自分を選ばせる道に通じているのですから。

 

> >この人物は1983年に引き起こされた殺人事件で有罪となり、2004年2月10日に死刑が執行されることになっていた。>>逮捕されたときから彼は無罪を主張、DNAの検査をするように嘆願していたが、検事時代も州司法長官時代もカマラは拒否している。 

 

それは残念なことですね。  

 

>>主張を変えたのは大統領選挙が視野に入り始めた2018年である。

 

過ちを改めることに何の躊躇もいりませんね。    .

 

>>こうした経歴のカマラを副大統領候補に選んだことから、バイデン、あるいは民主党の幹部は大統領選挙で敗北する道を選んだのではないかと勘ぐる人がいた。

 

考え (非現実) は人様々ですからね。他の候補者たちもそれぞれ経歴があるでしょうね。    

 

>マスコミは民主主義の騎手と持ち上げるが、その実態はカースト主義者であるというのは笑えない話であるが、所詮、民主主義というのはそのような欺瞞観念であるということを知っておくべきである。 

 

相手を褒めて政治成果を上げさせるのが良策ですね。

インド人がカースト主義者であることは見ても分かりますね。彼らは外国においても印度服を愛用して手放しませんね。衣装を見れば身分がわかる。だから、日本人の民族衣装とは愛着の度合いが違います。  

政治家は人気商売ですからね。学者稼業ではありません。我々常人の判断とは少々違っているでしょうね。      

 

 

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