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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

野田元首相  

2024-07-23 17:30:03 | 文化

>読売新聞   >立憲民主の野田元首相「政権交代こそが最大の政治改革」...党代表選出馬には慎重姿勢   >読売新聞によるストーリー・   >20時間・   

> 立憲民主党の野田佳彦・元首相は22日、東京都内で講演し、次期衆院選に向け、「信用される政治を取り戻すためには政権交代しかない。   

 

信用ある政治家には政権交代は可能ですね。  

‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’ (あるアメリカの国務長官)   

(たみ) (しん) () くば立たず。(政治は民衆の信頼無くして成り立つものではない論語・顔淵

日本人は政治下手ですね。どうしたら人の信頼が得られるか分かっていない。政治家には政治哲学が必要である。     

 

>政権交代こそが最大の政治改革だ」と訴えた。   

 

政治家に政治哲学がなくては政治改革も意味がないですね。  

 

> 9月に予定されている立民代表選への立候補については、「自分がトップになったら、逆に引く人も出るかもしれない。   

 

信無くば立たずですね。    

 

>『昔の名前で出ています』ではいけないところもある」と述べ、慎重な姿勢を示した。

 

看板ではなくて、その内容ですね。   

英米流の高等教育は子供を大人にする為の教育である。思春期の到来とともに言語能力の発達する頃を待ってこの教育は行われる。英文法の中の時制 (tense) を活用して非現実の内容を文に表現する訓練である。子供には現実 (事実) ばかりがあって非現実(哲学・考え) がない。英米流の高等教育は子供から大人に変わる人間に哲学を獲得させようとする仕組みである。すると浅薄な人間が思慮深い人間に変身する。だからどこの国でも英語の高等教育に力を入れることになる。

日本語は現実の内容だけを表す言語である。哲学は非現実 (考え) の内容であるから、思考を停止している日本人には縁がない。日本式の判断だと、見ることのできる内容は本当の事である。見ることのできない内容は嘘である。だから現実ばかりの言葉 (日本語) を話す人が非現実の内容を語る学習をすると常に失敗する。嘘(きれいごと) ばかりを語っていては学習に力が入らない。だから思考停止になっている。それで日本人は相変わらず無哲学・能天気の民となっている。わが国の有権者はあらかた高等教育の真価を体得していない。だから高等教育の無償化は国民の総意が得られない。わが国は英米流の高等教育の導入に失敗し続けているので、何処の国も日本に我が子の高等教育の成果を期待する親はいない。  

今の地球はアングロ・サクソンの支配体制の下にある。個人の哲学が相手を引き付けて人々の尊敬を得る。アフリカ系米国人はアメリカの大統領になった。インド系英国人は英国の首相になっていた。彼等の出世は高等教育の賜物である。   

 

マッカーサ元帥は1951年5月5日の上院合同委員会で日本人を以下のように評していました。  

‘もしアングロ・サクソンが人間としての発達という点で、科学とか芸術とか文化において、まあ45歳であるとすれば、ドイツ人もまったく同じくらいでした。しかし日本人は、時間的には古くからいる人々なのですが、指導を受けるべき状態にありました。近代文明の尺度で測れば、我々が45歳で、成熟した年齢であるのに比べると、12歳の少年といったところ like a boy of twelve でしょう。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて )  

マ元帥の発言はどの駐日大使よりも率直でしたね。外交辞令がない。彼は知日派の人であった。     

 

 

 

 

 


遠藤功氏  

2024-07-23 00:44:47 | 文化

>東洋経済オンライン   >日本企業が「20年で世界から没落した」2大理由 日本企業の「現場」で何が起こっていたのか   >遠藤功によるストーリー・   >13時間・   

>経営コンサルタントとして50社を超える経営に関与し、300を超える現場を訪ね歩いてきた遠藤功氏。   

2023年に16社ランクインした米国企業のうち、なんと6社は「2004年にもランクイン」していた。   

>その「6社の企業名」は?   

3617万部のロングセラー『現場力を鍛える』は、「現場力」という言葉を日本に定着させ、「現場力こそが、日本企業の競争力の源泉」という考えを広めるきっかけとなった。   

>しかし、現在、大企業でも不正・不祥事が相次ぐなど、ほとんどすべての日本企業から「現場力」は消え失せようとしている。   

>「なぜ現場力は死んでしまったのか?」「どうすればもう一度、強い組織・チームを作れるのか?」を解説した新刊『新しい現場力 最強の現場力にアップデートする実践的方法論』を、遠藤氏が書き下ろした。   

>その遠藤氏が、「日本企業が世界で『存在感』を失ってしまった2大理由」について解説する。   

>20年で日本企業の「世界での立ち位置」が大きく下落   

>私は過去30年以上にわたり、日本企業の現場を訪ね歩いてきた。   

>その数は300を超える。   

>いまも経営顧問先の現場やコンサルティングを行う企業の現場を訪ね歩き、現場の人たちと直接的な触れ合いを大事にしている。   

>「現場力」こそが、日本企業の競争力の源泉であると信じてきた。   

>私が『現場力を鍛える』を出版したのは、20年前の2004年である。   

>「十年一昔」とよく言われるが、それになぞらえれば「ふた昔」も前のことである。   

>その間に、世界は大きく変わり、日本経済、日本企業の立ち位置も大きく変わっている。   

>近年の日本および日本企業の世界での立ち位置を数字で確認すると、この20年で「その地位」が大きく下落していることにあらためて愕然とする。   

>なぜ、日本企業はこれほどまでに、世界と差がついてしまったのだろうか。   

>【事実】「世界の企業トップ50」から日本企業が消えた   

>世界の時価総額ランキングトップ20を見ると、35年前の1989年にはなんと14もの日本企業がランクインしていた。   

>バブル経済の絶頂期であり、「Made in Japan」がもてはやされた時期だった。   

>しかし、そこを頂点に、日本企業の存在感は下降の一途を辿る。   

20年前の2004年にランクインした日本企業は、すでにトヨタ自動車(15位)のみという状況だった。   

>そして、2023年にはトップ20から日本企業の名前は消えた。   

>日本経済を牽引してきたトヨタ自動車でさえ52位である。   

>米国は「トップ20に入る企業」が増えつづけている   

>驚くのは、アメリカ企業の圧倒的存在感である。   

1989年にはわずか5社だったが、2004年には13社が、そして2023年には16社がランクインしている。   

2023年の上位にはアップル(1位)、アルファベット(4位)、アマゾン・ドット・コム(5位)、テスラ(7位)、エヌビディア(8位)と躍進目覚ましいフレッシュな企業が名を連ねるが、じつは本当の驚きはそこではない。   

>ランクインした16社のうち、なんと6社は「2004年にもランクイン」しているのだ。   

>その名を挙げると、   

>マイクロソフト(3位)   

>エクソンモービル(10位)   

JPモルガン・チェース(15位)   

>ジョンソン・エンド・ジョンソン(17位)   

>ウォルマート(18位)   

>プロクター・アンド・ギャンブル(20位)   

>といった老舗のエクセレントカンパニーだ。   

>企業の入れ替わりが激しいなかで、こうした老舗企業群はしたたかに、そして、たくましくビジネスモデルを変えながら、エクセレントでありつづけている。   

>なぜ日本企業はこの20年、ずるずると後退を続けたのか。   

>さまざまな理由が考えられるが、致命的な理由が2つある。   

>【理由1】「マイナーチェンジ」ばかりで「延命」することだけに必死だった   

>ひとつめの理由は、経営陣が新しいことに本気でチャレンジしたり、覚悟を持って生まれ変わったりしようとせず、「延命」することだけに汲々としてきたからにほかならない。   

 

そうですね。昔から続いているというのが序列人間の誇りですね。帰属意識に満足している。天皇制のようなものか。      

 

>「うちの会社だって、新規事業へのチャレンジや構造改革に取り組んでいる」という声が聞こえてきそうだが、私が知る限り、本気で会社を「変身」させようとしてきた日本企業はほんのわずかにすぎない。   

 

そうですね。お変わりのないことが何よりなことです。   

 

>マイクロソフトも大胆な「フルモデルチェンジ」に挑戦   

2004年の時価総額ランキング3位だったマイクロソフトが、2023年においても3位にランクインしているのは「偶然」ではない。    

>この20年、マイクロソフトはけっして順風満帆だったわけではない。   

>時代のモバイル化、クラウド化に後れをとり、一時期は危機的な状況に陥った。   

 

そうですね。現実は千変万化していますからね。それに対する対処が重要です。   

 

>しかし、2014年にCEOに就任したサティア・ナデラ氏が、過去の成功体験にあぐらをかいていた組織を一変させた。   

>自社のOSにこだわり、OSと一緒にソフトを売るという従来の戦略を大転換し、ライバル会社のOSでも自社製品を使えるように方針を大転換した。   

>また、サブスクリプションをいち早く導入した。   

>マイクロソフトは、大胆な「フルモデルチェンジ」に果敢に挑戦したことによって、エクセレントカンパニーでありつづけている。   

>日本企業においても高い評価を受けている企業は、ソニーグループ、日立製作所、リクルートなどの「フルモデルチェンジ」に挑戦している企業だ。   

>しかし、大半の日本企業は「マイナーチェンジ」程度の改革でお茶を濁し、過去の経営戦略やビジネスモデルを引きずったまま、「延命」させることばかりに必死だった。

 

日本人には世界観が無い。新しい世界の内容が無い。だから「フルモデルチェンジ」ができない。   

 

2つめの理由は「『延命』の大きなツケが『現場』に押し寄せた」ことだ。   

>【理由2】「延命」「身を削るコストダウン」の大きなツケが「現場」に押し寄せた   

>言うまでもなく「延命」をいくら続けたところで「再生」は果たせない。   

>事業の大胆な入れ替えを行わず、設備投資や人材教育投資を先送りにし、人件費や経費は極力カットし、現場に我慢と忍耐だけを強いてきた。   

 

そうですね。大胆な変革が無い。現状修復を繰り返している。現状維持がやっとですね。      

 

>いまだに多くの日本企業には封建的な主従関係がある。   

>そのため、上からの「圧」がきわめて強く、我慢と忍耐のなかで現場に深刻な問題が起きても、それを上に上げることができない。   

>上に上げようとしても、真正面から向き合ってくれない。   

>現場は問題を抱え込み、孤立する。   

 

そうですね。これは序列社会に住む序列人間の定めですね。      

 

>その結果、「延命措置」が限界に達した。   

>日本を代表する大手企業で品質不正、検査不正、不祥事が続発した。   

>これは、長年声を上げることができなかった「現場の断末魔の悲鳴」である。   

 

そうですね。悪行もこれまでですね。   

 

>さらに、「生産現場で改善を繰り返す」「極限まで無駄を省く」「効率性を高める」という地道な努力の積層によって成長を遂げてきた「自分たちを犠牲にするような身を削るコストダウン経営」も限界を迎えている。   

 

そうですね。思考を停止した状態では新世界は開けませんね。   

 

>人手不足どころか人手枯渇で人件費は高騰し、未来を担う若手従業員の確保もままならない。   

>エネルギーコストや原材料費も高止まりが続いている。   

>現場の「知恵」と「努力」だけで成り立っていたビジネスモデルそのものが終焉を迎えているのだ。   

 

そうですね。現実界にのみ拘る者の悲劇ですね。   

 

>「現場力を再生できるか」が日本企業最大の課題   

 

>表向きの業績が多少回復したからといって、手放しで喜ぶわけにはいかない。   

>逆に、これで大胆な改革が先延ばしになることを私は心底危惧する。   

>表向きの数字がよくなると、根深い本当の問題は隠れてしまう。   

>なにより大事なことは、「日本企業にとっての生命線である現場力は死んでしまった」という「強い危機感」を持ちつづけることだ。   

>どん底の状況で喘いでいる現場に再び火をつけ、現場力を再興させることができるのか。   

 

意思のない世界では社会の動きは頓挫する。いつまでたっても未来社会の建設には至らない。   

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英文法にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。 

意思のある所に方法 (仕方) はある。Where there's a will, there's a way.  

求めよさらば与えられん。 (自ら積極的に求める態度が必要であるという事)  

 

>これこそが、いまの日本企業に突きつけられた最大の経営課題である。   

 

そうですね。   

 

 

 

 


政権変容  

2024-07-22 17:16:26 | 文化

>現代ビジネス   >ただ反対するだけの野党にはウンザリ橋下徹「野党が目指すべきは政権『交代』よりも政権『変容』」   >橋下徹(元大阪府知事・元大阪市長)によるストーリー・   >8時間・   

>黒船なき令和の日本で、革命なき安逸の日々のなかで、激烈な政権交代は起きるのか?   

 

起きないでしょうね。日本人には世界観が無い。だから、来るべき世界の内容を詮索しない。国民には斬新な内容の未来社会を求める情熱も無い。      

 

>しかし、いま変わらなければ――かならず日本は、沈む!   

 

そうですね。我が国は誰が見ても衰退途上国ですね。      

 

>百戦錬磨の戦略家、橋下徹(55歳)。   

>時代を見定め、歴史を洞察し、日本人の本質を透徹した先に見えた悪魔的リアリズム、それが「政権変容論」だ。   

>橋下氏は言う。   

>「『政権変容』が劇的に新しいのは、自民党がどうであろうと関係なく、野党が腹を括って決断しさえすれば次の総選挙で実現できるところです」   

 

そうですね。野党は自民党にしがみつく必要は無いのです。ただ新しい世界を国民の前に提示すればよい。      

 

2024年の選挙から、グレートリセットは始まるのだ。   

 

そうあって欲しいものですね。   

 

719日発売の最新刊『政権変容論』(講談社刊)から、特別に内容を抜粋してお届けしていこう。   

>『政権変容論』連載第4回   

>『橋下徹「国民には民主党政権の苦い記憶がまだ染みついている」…自民党に嫌気が差しても「政権」が変わらないワケ​』より続く   

>野党のあるべき姿   

55年体制の、与党の提案に対して野党が必ず抵抗・反対するという構図。   

>この茶番劇に国民は辟易としています。   

 

そうですね。しかし無哲学・能天気の日本人にはこれしかない。永久の茶番人生ですね。      

 

>ときにはそのような抵抗・反対が必要だとしても、やはり今の日本社会の、いや国際社会の課題を解決するための政策をいかに実行するかについて、建設的な議論を聞きたいのが国民の思いでしょう。   

 

そうですね。無哲学・能天気の民には建設的な話はない。   

 

>野党はただ反対するよりも、どう政策を実現するかにエネルギーを割いてほしい。   

 

そうですね。   

 

>ただし自公が過半数を得ていると、慢心して野党の言い分に真剣に耳を傾けません。   

 

そうですね。慢心に入り浸っているとそれでわが国は終わりですね。      

 

>自公の考えを押し通すために、野党の言い分を聞いたふりだけしてその場をしのぐのです。   

>そこで野党はいつも微々たる修正案だけを自公に飲ませて大きな成果があったと喧伝しますが、国民は野党の修正案など気にも留めていません。   

 

そうですね。浅薄な人間のする自己満足ですね。      

 

>国民民主党も必死になってガソリン税のトリガー条項凍結解除の協議を自公に迫りましたが、自公はのらりくらりと逃げます。   

>維新は旧文通費の領収書公開を自公に迫りますが、これまた自公はのらりくらりと逃げ続けます。   

>自公が過半数を割ったら      

>しかし自公が過半数割れになったらどうでしょうか?   

>自公は野党の言い分を飲まなければ政策を実現することができなくなります。   

>この自公が野党の言い分を飲むところで、これまでの自公政権に「変容」が起きるというのが政権変容の要諦です。   

>政権変容が起きると、野党の言い分のいくつかが政策として実行されていきます。   

>そして野党議員の中に政策を実行するための知恵と経験が積み重ねられていき、気づいたときには野党に政権担当能力が備わっている。   

>そこでいよいよ政権交代のステージになるのです。   

 

そうですね。おめでたい話ですね。    

 

>ところが今の野党にそうした大局観はなく、それどころか野党各党は自党の勢力を拡大することに精を出しています。   

 

そうですね。政治家には政治哲学が必要ですね。   

 

>特に野党第二党である日本維新の会は野党第一党になることに心血を注いでいます。   

>しかし実は、野党第一党がどこかなどに、国民はまったく関心がありません。   

 

そうですね。蝸牛角上の争いですね。      

 

>自公が過半数を維持したのであれば、野党第一党がどこの党になろうが政治に大きな変化は起きないのですから。   

>ここを国民はよくわかっています。   

>国民が真に求めていること   

>野党の中の第一党争いなど、コップの中の争いにすぎません。   

>永田町での立場が少し強くなったり、政党交付金が増額されたりすることを主目的とした保身そのものです。   

 

そうですね。   

 

>国民が強く求めていることは政権「変容」。   

>そのためには、是が非でも自公過半数割れに持ち込まなければならない。   

>野党第一党を目指すことなど国民にまったく響かないし、それを達成したところで国民の利益にもならない。   

>とにかく自公過半数割れ。   

>しかも政権交代ではなく政権変容を、野党は大きく目標に掲げるべきです。   

 

そうですね。野党は未来社会の青写真を国民に示す必要がありますね。      

 

>そしてこの政権変容の意味と必要性が国民に伝われば、それを実現しようとする大きな風が吹くことでしょう。   

 

そうですね。   

わが国は資源小国である。天然資源は不足しているが、人口は一億以上ある。決して小国ではない。この人口の頭脳を活用すれば、わが国は衰退途上国から脱することができる。

我が国には人手不足はあるが、頭脳不足の話はない。日本人は思考を停止しているが、それが当たり前のことになっていて頭脳不足とは考えられていない。

わが国は、無哲学・能天気の国である。だから、国民は歌詠みになる。バラバラな単語ばかりの歌詞には意味がない。だから議論がない。ただ、気分・雰囲気・感情を伝えることにより満足している。 

日本語は写生画の言葉である。現実 (事実) は見ればわかる。Seeing is believing. 現実の正解は一つしかない。問答無用である。だから、日本語はご唱和の内容になる。

非現実 (考え) の内容は見ることができない。だが文になる。だからその内容は文法を辿って行けば理解できる。文にならないものは考えではない。

矛盾を含まない文は、全て正しい考えを表している。考えは、一人一人違っているから、正解は無数にある。考えの優劣を競い合う議論も可能になる。     

 

 <日本はなぜ敗れるのか・敗因21か条> を著した山本七平の指摘する事例からも、大和民族自滅の過程は見て取れます。その一例を以下に掲げます。

私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。 、、、、、あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。 、、、、、 これらの言葉の中には「あらゆる方法を探求し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるために払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。(引用終り)  

 

体系のない日本人の発想は哲学には成らずして、空想・妄想になる。これを白昼夢というのかな。大学での哲学は成果が上がらないが、お陰様でわが国は、漫画アニメの大国になりました。  

体系的な考えは哲学になる。各人に哲学は必要である。 Everyone needs a philosophy.  

日本人には自己の考え (非現実) がない。だから、わが国のインテリは受け売り専門の人になる。その後追いに忙しい。思考を停止している人は、つかみどころのない人間になる。     

つかみどころのない人間への批判は愚痴・わがままとなり、議論は単なる言い争いに終始する。’和を以て貴しとなす’ の教えと事なかれ主義の圧力により人類の進歩は期待できない。   

 

イザヤ・ベンダサンは、自著<ユダヤ人と日本人>の中で、我が国の評論家に関して下の段落のように述べています。

評論家といわれる人びとが、日本ほど多い国は、まずあるまい。本職評論家はもとより、大学教授から落語家まで (失礼! 落語家から大学教授までかも知れない) 、いわゆる評論的活動をしている人びとの総数を考えれば、まさに「浜の真砂」である。もちろん英米にも評論家はいる。しかし英語圏という、実に広大で多種多様の文化を包含するさまざまな読者層を対象としていることを考えるとき、日本語圏のみを対象として、これだけ多くの人が、一本のペンで二本の箸を動かすどころか、高級車まで動かしていることは、やはり非常に特異な現象であって、日本を考える場合、見逃しえない一面である。 (引用終り)

 

大学などの高等教育機関で論文作りに励めば学士・修士・博士などの称号が得られる。博士は普通 '哲学博士' (Doctor of Philosophy: Ph. D.) と呼ばれる。

私は日本のインテリから ‘哲学とは何ですか’ と何度も聞かれた。外国人からは、このような質問を受けたことはない。日本人は大学で、自己の哲学を作ることを学んでこなかった。だから彼らは退屈男・退屈女となって大学在学中の4年間を遊んで暮らさなければならなかった。そして無哲学の子供らしい大人になる。       

政治に関する考えは政治哲学になる。宗教に関する考えは宗教哲学になる。科学に関する考えは科学哲学になる。人生に関する考えは人生哲学になる。などなど。  

我が国の政治家には政治哲学がなく、わが国の宗教家には宗教哲学がない。わが国の科学者には科学哲学がなく、わが国の著述家には人生哲学がない。などなど。   

‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’  (あるアメリカの国務長官)    

信無くば立たず。衰退途上国ですね。   

 

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我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英文法にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。     

 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 

 

 

 

 

 


岡健作氏  

2024-07-22 06:18:32 | 文化

>東洋経済オンライン   >勉強は実技科目、知識を使うスキルが不可欠だ 社会人の「勉強の戦略」のために知るべき本質   >岡健作によるストーリー・   >11か月・   

>多くの方は、社会人の勉強を難しく考えすぎています。   

>勉強の本質は「できないことをできるようにすること」。   

>そのうえで必要になるのは「知識」と「スキル」を分けて習得し、最終的な自分の目標に向けて「どう生かすか」を考えることです。   

>こう語るのは、これまで2万人の社会人の勉強に成果をもたらしてきた、社会人向けの学習塾を中心に展開するスタディーハッカー代表取締役の岡健作さん。   

>岡さんの『勉強の戦略──9割の「努力」をやめ、真に必要な一点に集中する』から抜粋・編集し、社会人が最短の時間、最高の効率で勉強するための戦略をお伝えします。   

>勉強とはすべて「実技科目」である   

>多くの人は「勉強」について、難しく考えすぎています。   

>勉強とは、シンプルに言うと「できないことを、できるようにする」という行為です。   

>そのためには「できないこと」、つまり「課題」の解像度を上げないといけません。   

>もっと言えば「〇〇について勉強する」ということ自体が、より大きな人生の課題を解決するための手段なのです。   

>「勉強することそのものが目的です」という考えの方ももちろんいらっしゃいますが、この記事の読者の皆さんには、あまり当てはまらないと思います。   

>もしそうであるならば、勉強の先には「仕事や人生をよりよくしたい」という目的があるはず。   

>そのための手段である勉強に、いろいろとほかの意味を持たせても、ただノイズになるだけです。  

>これは、学生の勉強と社会人の勉強の、大きな違いかもしれません。   

>学校では基本的に、知識を身につけることを目的として勉強します。   

>しかし、学校を卒業したら、学校で得た知識は「あると有利になることが多い武器」ではありますが、「最終的な目的」ではなくなります。   

>社会人にとっては、勉強ができるということよりも、それを「どう生かすか」を考える力のほうが大切な要素になります。   

 

そうですね。自らの発想が生かせるとなお良いですね。      

トットちゃん (黒柳徹子氏) のように小さい時から自分の好きなことだけをやっていれば、仕事に興味津々で神経は集中して能率は上がるし、それ相当の自己実現が期待できますね。その上、個性豊かな社会が形成されます。  

 

>勉強して身につくことには、大きく2つの種類があります。   

1つは「知識」。   

>もう1つは「スキル」です。   

>「知識」とは、暗記したり、理解したりして身につけていくもの。   

 

他人の内容の受け売りですね。没個性であるから、その競争も激烈ですね。      

 

>一方で、「英語を速く読む」「計算をすばやく正確にする」などのような「スキル」はトレーニングによって習得する必要があります。   

>この2つは鍛え方が違うのです。   

>たとえば、数学の応用問題を解くとします。   

>微分や積分などは、計算のスキルです。   

>微分や積分は、やり方を知っていて、ゆっくり時間をかけてもいいのなら、できる人も多いでしょう。   

>ですが、実際には、問題を時間内に解くためには、スピードも重要です。   

>そのために「スキル」が必要なのです。   

 

スキルとは要領の事ですね。   

 

>スキルがなく、計算に負荷がかかりすぎると、問題はなかなか解けません。   

>計算に必死で、問題の全体像を忘れてしまい、ロジックもわからなくなってくるでしょう。   

>数学の応用問題を解くには、複数の知識を組み合わせて、ロジックを立てないといけません。   

>そこに脳のリソースを可能な限り割くようにしないといけない。   

>だから、その前段階の「この公式はどう使うのか」「この数式はどうやって解くのか」といったところは、半自動化できるぐらいまでトレーニングしておく必要があります。   

>「微分や積分なら、もう知ってるよ」という人でも、それを半自動的にこなすスキルが足りないから、その先の難しい問題でつまずいている可能性があります。   

>ちなみに塾を作ったときから、うちのコンセプトは「教えるな、鍛えろ」です。   

>知識だけあってもダメで、スキルを鍛えないといけない。   

>英語でいうなら「英語の知識」だけをたくさん身につけても、試験の点数は、ほとんど上がりません。   

>ただの「英語ものしり」になるだけです。   

>知識があるだけでは「だから何?」という状態。   

 

人生には意味・意義が大切ですね。   

 

>知識を生かして英語を素早く読んだり、聞いたり、それを受けて話したりするために、どうトレーニングするかが大切です。   

>英語のYouTube2時間ぐらい見て「あ〜、今日は2時間も勉強したな」と満足して寝てしまったら、絶対に成績は上がりません。   

>英語は「実技科目」です。   

>知識だけ入れたってしょうがないのです。   

>「知識とスキルは違う」   

>これを知っているだけで、勉強に対する解像度はぐんと上がります。   

>あなたは今、知識を身につけているのか?    

>スキルを身につけているのか?    

>これを認識したうえで勉強すると、思考がクリアになっていきます。   

>知識量が「理解力」の底上げをする   

>では「理解力」とは何か?    

>理解力とは「知識の量」に支えられています。   

>論理が理解できないのは「そこに使われている言葉の知識がない」のが原因であることがほとんど。   

>理解ができないのは、多くの場合、知識が足りないからなのです。   

>たとえば「雨が降りました。   

>だから傘を買いました」という文章のロジックが理解できないという人はいないはずです。   

>シンプルな順接です。   

>でもこの文章は、実際にはいくつかの論理をスキップしています。   

>ものすごく丁寧に論理をつなぐと「雨が降りました。   

>今は傘を持っていなくて、濡れるのが嫌だから、濡れないために傘を買いました」となるでしょう。   

>これが理解できるのは、「前提知識」が揃っているからです。   

>この文章を理解できたあなたは、「雨」についての知識もあるし、「濡れたら嫌だな」という感覚も共有できているし、「傘は雨を防ぐためのツールだ」ということも知っています。   

>現代文で、「小林秀雄の文章がわかりにくい」と言われることがあります。   

>でもこれも知識があれば、ある程度わかるようになるものです。   

>小林秀雄の文章は、まず語彙が現代のものと違いますよね。   

>このような言葉の前提知識にズレがあって、さらに背景知識も不足しがち。   

>そのせいで正確に捉えきれないから、現代の人にとっては難しく感じるのです。   

>物事を理解できないのは「論理的思考力」が欠けているからではなく、単に「知識」の問題であることが多いのです。   

>知識さえ身につければ、誰でもある程度は理解できるようになるはずです。   

>傘が雨を防ぐツールだということを知らなかったら「雨が降りました。   

>だから傘を買いました」という文章は理解できません。   

>この「知識」を使うことによって、知らない言葉も推測することができます。   

>たとえば、まったく英語ができない人でも「雨が降ったから、アンブレラを買ったんだよね」と言われたら「アンブレラは傘のことかな」と推測できます。    

>知識とスキルは同時並行で習得する   

>このように、知識を増やすことは、勉強の土台になります。   

>何かを身につけるときには「知識」と「スキル」が必要です。   

>しかし、知識がないと理解が進まず、理解できていないと、スキルも身につきません。   

>どの分野の知識を、どのぐらいのレベルで身につけるべきか。   

>それは「ゴール」次第で変わってきます。   

>そうなってくると、少なくとも、自分が進もうとしている道について、一般的な知識は持っておかないといけないでしょう。   

>たとえば、本を読むことは「スキル」です。   

>「読書」というスキルを身につけるためには、「漢字を読める」という知識がないといけません。   

>また、専門分野を体系的に理解していくためには、ある程度の基礎的な知識がないと無理でしょう。   

>まったく知らない分野の本をいきなり読むなんて難しいことですよね。   

>たとえば、何も知らないまま、簿記の本を読んでもおそらく理解できません。   

>知らない分野を新たに勉強し始めたい方のために、「入門書」のようなものが存在しているのは、基本的にはそれが理由です。   

>ただ、たとえば英語などは、すでに学校で学んで、知っている内容も多いでしょう。   

>その場合は、今の自分の前提知識がどの程度なのか、試しにテストなどを受けて確認してから勉強するようにしましょう。   

 

 

 

 

 

 


島田佳幸氏  

2024-07-21 22:00:24 | 文化

>毎日新聞   >長野・上田に「9条の碑」を11月披露へ、建立費200万円募金   >毎日新聞によるストーリー・   >8時間・   

> 日本国憲法で戦争の放棄、戦力と交戦権の否認をうたう「9条の碑」を長野県上田市に建立するため、「上小(じょうしょう)地域憲法9条の碑を建てる会」が結成された。   

>憲法公布を記念して制定された文化の日がある11月の披露を目指し、費用200万円の募金活動を進める。   

>【去石信一】   

> 同会は趣意書で「戦争がいかに悲惨でおろかであるかは、かつての日本の加害と被害からも明らか。   

>権力を縛る憲法、戦争しないための9条を守り、恒久平和を実現したい」と望む。   

>共同代表の島田佳幸さん(89)によると、団体や個人による9条の碑の建立は全国に広がっており、県内では中野市や長野市にもある。   

> 碑は自然石を利用し、台座を含めて縦横約2メートル、厚さ約40センチを予定。   

9条全文を彫った御影(みかげ)石の銘板をはめ込み、戦没画学生の遺作を展示している「無言館」近くに建てる。    

> 11日の記者会見には、建立場所の土地を提供し賛同者にも名を連ねた無言館の窪島誠一郎館主も出席。   

9条を市民らに浸透させるため、建立するだけでなく「ディズニーランド行った? パンダ見た? と同じレベルで9条読んだ? と聞けるような、特に若い人の心にスッと入る何か(イベント)をしないといけない」と話した。   

 

日本人だけで話し合っていても効果が上がりませんね。国際紛争である戦争の相手は外国人ですからね。外国人と心を一つにする努力が必要ですね。そうでないとわが国もウクライナのようになりますね。           

 

>同じく賛同者の渋谷泰一信州大名誉教授は「かつてこんな条文があったという墓碑にしてはいけない」と憲法改正論議にクギを刺した。   

 

日本人だけの心構えでは国際紛争は避けられませんね。日本人の外国人に対する説得力が大切ですね。      

 

> 会は616日に結成。   

>現在、約20団体と約15人の個人が加わっているほか、9人の賛同者がいる。   

721日に上田市勤労者福祉センターで「スタート集会」も開く。   

>今後、募金は口座振り込みのほか街頭で集める活動も考えているという。   

>問い合わせは会事務局(09030926210)。   

>憲法9条条文   

> 第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇(いかく)又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。   

> 2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。   

>国の交戦権は、これを認めない。   

 

この条文をプーチン大統領に言って聞かせて効果があるでしょうかね。  

費用対効果の観点から見てどうでしょうかね。何事も一方的であっては効果が無い。   

ウクライナはソ連崩壊により核兵器を放棄した。しかし、プーチン大統領は非核国ウクライナに侵攻し核兵器使用をちらつかせて恫喝した。

これにより我が国の非核三原則に依拠した安全神話は消滅した。非核三原則とは 核兵器を「持たない、つくらない、持ち込ませない」の三原則を指すものと1967 (S42) 12月に佐藤栄作首相は説明した。日本人のお花畑はもうない。

「世界大戦を含むあらゆる戦争はすぐ終わらせられる。講和条約を結んだ場合、あるいは1945年の米国による広島と長崎への原爆投下と同じことをした場合だ」 (ロシアのメドベージェフ前大統領

‘ウクライナでの戦争の教訓は、抑止力によって未然に戦争を防ぐ方が、侵攻してきた敵を後退させることよりも遥かに望ましいということだ。’  (マシュー・ポッティンジャー) 

‘ロシアが力による現状変更を行っている国はG7(主要7カ国)では日本だけだ。北方領土だ。だから、ウクライナ問題で、ロシアを一番強く批判しなければいけないのは日本だ。’ (小野寺元防衛相     

戦って敵に勝つことが善であるならば、戦わずして勝つことは善の善である。わが国は平和国家であるから、善の善を目指さなくてはならない。我が自衛隊はその目的にたいする備えを怠るべきでない。 

'為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり'  上杉鷹山 (うえすぎ ようざん)