他意なく便宜上名前を出すが、私の愛する伊東四朗さんを筆頭に一つ相容れないことがある。
我が子の殺人など痛ましい事件が起こるたびに、どうしてそんなことが出来るのだろうかと。
親は子供が何より可愛いという至極当たり前の感情で生きている人が圧倒的大多数。
それを聞くのが辛くて、ダンスクラスも辞めてまで聞いていたオヤパツを聞かなくなってきた。
そうじゃない親がいるからだと何故わからない?理解できないのは構わない。それが普通だから。
理解しようとしなくても構わない。する必要があるかと言えばないから。
その行為に対して疑問に思うのではなく、そういう人間もたくさんいる「事実」
子供を大事に思う「自分とは違う生物がいる」ことを「認識」して欲しい。
(でも疑問視することによって、当たり前に普通に子供を大事にする自分に安心したいのかもしれない)
そんなことを口にされるたびに、耳にしたネグレクト等で育った「子供」たちが傷つくことを知らない。
そんな普通の親に育てられたかった悲しみを。そもそも改善しないものを後悔しようもないからだ。
生まれてから最初に遭遇するのは「家族」という小さな小さな社会。ここで人格形成される。
他の大きな社会を知るまでは、そこでの規律・規範が間違っていても準拠しなくてはならない。
他の社会とその差が大きいほど、形成されてきた自己の人格にコンフリクトが生まれる。
ネグレクトで育った人たちはここで壊れてしまうか、正しいと思われる方向に移行できるか
その人によって違うけれど、無知の知を理解すればするほど壊されて育った自己肯定感が更に壊れる。
タチが悪いのは、虐待するような親でも「子供が可愛くて♪」などと平気で言えること。
そうよそうよと誰もが同意し、疑うことを知らない。家の中で何が起こってるか他人は知りようがない。
「子供が可愛い、自分のことよりも大事」が大前提に人々の心にあるからだ。
前振りが長いけど、そこで「誹謗中傷」なんですね。
TVをほぼ見ない私でも毎日ヤフーや5chで大体タイトルだけは追うので、それなりには知っている。
今回のりゅうちぇるの件で、またしても錦の御旗の如く誹謗中傷が原因だ悪いだと大騒ぎだ。
誹謗中傷が原因だって証明されてもいないのに。自分が言われてもないのに替りに怒っている。
これまでの自死した人たちも大体そんな感じ。遺書にも誹謗中傷が原因だと書いてもない。
人間だからココロに刺さる嫌なことは確かにある。たくさんある。
しかし本当にそれが原因か?と言えば全くわからないのに。
間違いなく報道がそういう方向に誘導している。と斜め読みしているだけでも感じるほど。
誹謗中傷とは限らないかもしれないが?というエクスキューズのある記事はひとつもないはず。
そこで今朝バービーが発信したことがニュースにのぼったのを見て嬉しく思ったのです。
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2023/07/18/kiji/20230718s00041000694000c.html
これって消されてもよい記事だと思うが、また違うジェンダーの突き上げがあった案件なのかも。
半面では、弱い人ではなく「誹謗中傷をされやすいいろんな立場にある強い人たち」が
言われたり噂を流布されないよう、自死の人々の陰で言論統制のためにしてる側面てあると思う。
誹謗中傷と批判・批評を一緒くたにして、マスコミを動かすことが出来るひとたちが。
あまり仲が良くなかったことや問題がある人間だと、知ってる人は知ってる親と子。
別居して会うこともあまりなかったところで自死してしまった。原因はわからない。
やはりSNSやマスコミなどでの誹謗中傷が原因だとして大々的に取り沙汰し、され。
マスコミに対しては及び腰であるも、個人に対しては開示請求をしてスラップ訴訟のように
精力的に「親である権利」を表象して活動する親。
この親が虐待毒親とは言わないが。親子の中身は他人に知りようもないから。
誹謗中傷は悪いこと?えぇ悪いこと。
子供を虐待するのは悪いこと?えぇ悪いこと。 おんなじ。ごくごく当たり前のこと。
論点は善悪のそこじゃない。
子供を虐待するような親は、子供が自死したら誹謗中傷に対して被害者になれる。
子供を虐待するような親は、自分が大好き。自分の方が大事。だから自分への批判に敏感。
子供を虐待するような親は親で、どこかに瑕疵がある。絶対。先天的か後天的か知らんけど。
自分自身が被害者になれることをたぶん心のどこかで望んでいるのではないかと思う。
赤の他人の中傷ではなく、親のことも原因であるのじゃないかと思っても言う人は一人もいないし
言えない土壌が熟成されてしまっている。親子は仲の良い絆があると信じられているから。
自分の子供が大事な人なら、それこそ悲しくてただただ忍び悼むのでは。まぁ人それぞれだけども。
誹謗中傷が悪いって現世だからこそ重い。言うなら昭和だったらクラスの半分くらいは自死してるわ。
誹謗中傷、批判批評をされたくなければ表に出ない選択をするしかない。芸能人なんかいなくなる。
誰しも好き嫌いはある。一人の人間でも良いところも悪いところも持ち合わせてる。
万人に好かれる人はいないことを理解し教育しなくてはならない。
そして表立って批評や批判を言えなくなると陰でヒソヒソ語られるようになるだけなのです。
正義を気取って動いてみても、受け取り方は千差万別。悪口は潜行して無責任に語られるのです。
更にタチが悪いのが、そんなことから数年経つと、言った人も言ったことすら忘れていることなのです。
真偽も不確かな事をボンヤリ覚えては「そんなことあったね」と「偽」でも「真」になることが悪なのです。
報道だけを見て、死んだ人の残された家族が可哀想。誹謗中傷イクナイヽ(`Д´#)ノ!
と、踊らされてはいけません。そんなことを声高に話したり書いたりすることを恥じなさい。
言うまでもなく至極当たり前な事です。小さい子ならまだしもイイ歳した大人の言うことではありません。
あんたたちはなんにも知らない。私もね。
。。。。。あぁぁなんかダラダラ書いてしまったけど、ココロが苦しくなる話だった。
書かなきゃ良かったけど何か書かずにおられなかった。。。また過去にとらわれてしまう。。。
我が子の殺人など痛ましい事件が起こるたびに、どうしてそんなことが出来るのだろうかと。
親は子供が何より可愛いという至極当たり前の感情で生きている人が圧倒的大多数。
それを聞くのが辛くて、ダンスクラスも辞めてまで聞いていたオヤパツを聞かなくなってきた。
そうじゃない親がいるからだと何故わからない?理解できないのは構わない。それが普通だから。
理解しようとしなくても構わない。する必要があるかと言えばないから。
その行為に対して疑問に思うのではなく、そういう人間もたくさんいる「事実」
子供を大事に思う「自分とは違う生物がいる」ことを「認識」して欲しい。
(でも疑問視することによって、当たり前に普通に子供を大事にする自分に安心したいのかもしれない)
そんなことを口にされるたびに、耳にしたネグレクト等で育った「子供」たちが傷つくことを知らない。
そんな普通の親に育てられたかった悲しみを。そもそも改善しないものを後悔しようもないからだ。
生まれてから最初に遭遇するのは「家族」という小さな小さな社会。ここで人格形成される。
他の大きな社会を知るまでは、そこでの規律・規範が間違っていても準拠しなくてはならない。
他の社会とその差が大きいほど、形成されてきた自己の人格にコンフリクトが生まれる。
ネグレクトで育った人たちはここで壊れてしまうか、正しいと思われる方向に移行できるか
その人によって違うけれど、無知の知を理解すればするほど壊されて育った自己肯定感が更に壊れる。
タチが悪いのは、虐待するような親でも「子供が可愛くて♪」などと平気で言えること。
そうよそうよと誰もが同意し、疑うことを知らない。家の中で何が起こってるか他人は知りようがない。
「子供が可愛い、自分のことよりも大事」が大前提に人々の心にあるからだ。
前振りが長いけど、そこで「誹謗中傷」なんですね。
TVをほぼ見ない私でも毎日ヤフーや5chで大体タイトルだけは追うので、それなりには知っている。
今回のりゅうちぇるの件で、またしても錦の御旗の如く誹謗中傷が原因だ悪いだと大騒ぎだ。
誹謗中傷が原因だって証明されてもいないのに。自分が言われてもないのに替りに怒っている。
これまでの自死した人たちも大体そんな感じ。遺書にも誹謗中傷が原因だと書いてもない。
人間だからココロに刺さる嫌なことは確かにある。たくさんある。
しかし本当にそれが原因か?と言えば全くわからないのに。
間違いなく報道がそういう方向に誘導している。と斜め読みしているだけでも感じるほど。
誹謗中傷とは限らないかもしれないが?というエクスキューズのある記事はひとつもないはず。
そこで今朝バービーが発信したことがニュースにのぼったのを見て嬉しく思ったのです。
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2023/07/18/kiji/20230718s00041000694000c.html
これって消されてもよい記事だと思うが、また違うジェンダーの突き上げがあった案件なのかも。
半面では、弱い人ではなく「誹謗中傷をされやすいいろんな立場にある強い人たち」が
言われたり噂を流布されないよう、自死の人々の陰で言論統制のためにしてる側面てあると思う。
誹謗中傷と批判・批評を一緒くたにして、マスコミを動かすことが出来るひとたちが。
あまり仲が良くなかったことや問題がある人間だと、知ってる人は知ってる親と子。
別居して会うこともあまりなかったところで自死してしまった。原因はわからない。
やはりSNSやマスコミなどでの誹謗中傷が原因だとして大々的に取り沙汰し、され。
マスコミに対しては及び腰であるも、個人に対しては開示請求をしてスラップ訴訟のように
精力的に「親である権利」を表象して活動する親。
この親が虐待毒親とは言わないが。親子の中身は他人に知りようもないから。
誹謗中傷は悪いこと?えぇ悪いこと。
子供を虐待するのは悪いこと?えぇ悪いこと。 おんなじ。ごくごく当たり前のこと。
論点は善悪のそこじゃない。
子供を虐待するような親は、子供が自死したら誹謗中傷に対して被害者になれる。
子供を虐待するような親は、自分が大好き。自分の方が大事。だから自分への批判に敏感。
子供を虐待するような親は親で、どこかに瑕疵がある。絶対。先天的か後天的か知らんけど。
自分自身が被害者になれることをたぶん心のどこかで望んでいるのではないかと思う。
赤の他人の中傷ではなく、親のことも原因であるのじゃないかと思っても言う人は一人もいないし
言えない土壌が熟成されてしまっている。親子は仲の良い絆があると信じられているから。
自分の子供が大事な人なら、それこそ悲しくてただただ忍び悼むのでは。まぁ人それぞれだけども。
誹謗中傷が悪いって現世だからこそ重い。言うなら昭和だったらクラスの半分くらいは自死してるわ。
誹謗中傷、批判批評をされたくなければ表に出ない選択をするしかない。芸能人なんかいなくなる。
誰しも好き嫌いはある。一人の人間でも良いところも悪いところも持ち合わせてる。
万人に好かれる人はいないことを理解し教育しなくてはならない。
そして表立って批評や批判を言えなくなると陰でヒソヒソ語られるようになるだけなのです。
正義を気取って動いてみても、受け取り方は千差万別。悪口は潜行して無責任に語られるのです。
更にタチが悪いのが、そんなことから数年経つと、言った人も言ったことすら忘れていることなのです。
真偽も不確かな事をボンヤリ覚えては「そんなことあったね」と「偽」でも「真」になることが悪なのです。
報道だけを見て、死んだ人の残された家族が可哀想。誹謗中傷イクナイヽ(`Д´#)ノ!
と、踊らされてはいけません。そんなことを声高に話したり書いたりすることを恥じなさい。
言うまでもなく至極当たり前な事です。小さい子ならまだしもイイ歳した大人の言うことではありません。
あんたたちはなんにも知らない。私もね。
。。。。。あぁぁなんかダラダラ書いてしまったけど、ココロが苦しくなる話だった。
書かなきゃ良かったけど何か書かずにおられなかった。。。また過去にとらわれてしまう。。。
うん、全く!
良いお話に感謝😆
あんまり暑いせいでしょうか、去年からずうっとこういうことに憤りを感じていました。
自死したおひとりは私も間近に見ていた人でしたしね。
水風呂にでも入ってきます
諸悪の根源はネットの普及で本論、ガセ構わず、何でも発信できるようになったことかなって思います。ネットで犯罪者の住所や出身高校を暴露する輩。昔、日本人は死者に鞭を打つ民族じゃなかったはずなのに。また、それますが、親ガチャなる言葉があって、私はなるほどって思ってますけど、なるほどと思う当たりの親は裕福貧乏ではなく、人格者が否か。いくら裕福でも、他人を思いやれない、誹謗中傷親はハズレ。
ウチはハズレだったから私みたいなダメな大人ができたのかも(笑)
なんか論点がズレててごめんなさいね🙇♂️
人口2万弱くらいの街での誹謗中傷の方がヒドイですよ(経験談)
むしろ絶対多数のネットより、身近な人々からの表情を考えたら
顔も知らない1億人になんと言われてもその方がラクですね(たぶん)
気にする人というか、フツーに人は承認欲求が強いんですよ。
だから後先考えず良い悪い別にして自分を表象してしまう。
そんなときこそ、それをあげつらう人が大多数。
今はツラクなる人はネット見なかったら解決しちゃうだけのことなんですよね実際。
これが現実社会であれば見ないでいることは出来ませんので死にたくなります。。。
飯島愛も悪い事案を濁して亡くなってしまいましたが、あのコンクリ殺人や、梶原一騎の娘の惨殺などを見るに
むしろ犯罪者を暴露する方が一般社会は安全です。
更に昨今のバカな寿司屋のペロペロなども、抑止力のためには必然かとは思う方ですね私。
おやじさんの言う「死者に鞭打つ」とは違うと思うのね。
ジャニ―さんなんかも死者に鞭打ってイイ方の人かな?
親ガチャかぁ。。。今風ですね
私は祖先ガチャなら最強なんですが親ガチャはハズレでしたので何も言えない