高千穂の夜神楽は、前回素通りでしまったので、今回こそはと、高千穂神社で行われる夜神楽を見に行った。
夏休みで、観光客が多かったのだろう。場内は満員で、立ち見が出た。
神楽は33番まであり、そのうちの4番が観光客向けに、演じられたものだが、そのどれもが実に分かりやすくて面白かった。私の隣にいたアメリカ人も言葉が通じていなくても、神楽の演じる意味が分かったらしく,大声をあげて笑っていた。
面白いのはご神体の舞というものである。
男の神様と女の神様が酒作りしながら,浮気心をのぞかせて、それで家庭円満に収まっているのを、身振り手振り、おかしく踊って見せる。
これは神楽のイメージからは随分はずれて、パントマイムと言った方がふさわしいような気がした。
楽器は笛と太鼓、それに太鼓につるした鉦3種である。単調なメロディーで、この神楽ではリズムの緩急が、踊りの仕草と結びついて重要な意味を持つ。
心の荒廃がひどい現代の都会人には一服の清涼剤として、この神楽を見てもらい
元気になってほしいと思った。また夜神楽を見て、その新しさに驚いた。
神話時代すなわち古代とのイメージで、神楽もそうだろうと一人合点していたが勘が狂った。神楽はユーモラスであり、命の躍動があり、現代に通じる生活感があった。昭和の神楽歌など、自作を自認してはいだが、こちらの神楽の方が私のそれより、よほどナウイ。
私のは神聖さがあるといえばそれまでだが、まじめで堅い。音楽としては新しいのかもしれないが、中味はそれほどまで新しいとは思えなかった。
夜神楽は宮崎の高千穂にある。
夜神楽を見に行く途中で、舞台の年配の女性と知り合った。偶然だが、明日の朝、阿蘇山に上り、それから車で、山鹿の灯籠を見に行くという。私が神仏の歌を作っては奉納する話をしたことから、彼女達は、自身の信仰の話をしてくれた。親鸞の教えを信じて入るので、金粉は何回も経験したという。仏壇にまいっていると、金粉がふりそそぎ、経机の足の部分だけが、金粉のないまま足跡として残ったという。
彼女は学校やってもらえなかったことが未だに残念で、結婚するまでは恨んでいたという。今は離婚して、一人働きながら生活をして、今回久しぶりに車で、友人と二人の旅に出たという。阿蘇駅近くのレストランで、3人で、カレーライスを食べコーヒーを飲んでさようならをした。若い人が代金を払ってくれた。高千穂から、高森。高森から、阿蘇山頂まで、どうしていこうかと私は思案中だったから、この同行3人の旅は本当に楽しかった。