姿かたちよく見目麗しいのは、女性だけとは限らない。
男性でも、男ぶりがよくて、同性でもほれぼれ見とれるれるほどの人が居るものだ。
そんな人を見ていると、この人はきっと、善良で立派な人なんだと、ひとりで決めて、中身も確かめずに、独断と偏見に満ちた評価を下す。
ましてや、背広をきちっと着こなし、気の利いた装身具、たとえばシックな時計、のりの利いたワイシャツやちらっと見える上品なカウスボタン。それに顔に似合う眼鏡などを身に付けて、外見もパリっと整えているときは、中身はどうあれ、外見にすべてその人の人格が現れているようで、中身と外見が一致しているような錯覚をする。そして、その錯覚に基づいて評価をするのだが、評価自体が当てならないのに、それに信頼を寄せて先入観を作ってしまう。
それでも、人間の直感というやつは恐ろしいもので、すべてを見抜いて正鵠を得ている場合もなきにしもあらずだが、私はこのような評価がその人の一瞬のスナップとしてはズバリあたっていることを認めはしても、一つの体に神と悪魔の両極端を併せ持っている人間の、個性なり、資質なりの時系列化されたトレンドを示しているとは思わない。
なぜならば、人は意識的努力によって、自分の綺麗な部分(たとえそれが体の部分であっても、心の部分であっても)を出そうと努力するものであるから。
そして私は人の心の奥底に住む、神と悪魔のお互いを差引しても、なお神性が残る人こそ、美人だと思う。
しかも、こういう種類の美人は年とともに、ますます磨きがかかってその美しさは光彩を放つ。
こんな簡単な美人の見分け方ができるようになるまでに、50年の歳月を要した。
男性でも、男ぶりがよくて、同性でもほれぼれ見とれるれるほどの人が居るものだ。
そんな人を見ていると、この人はきっと、善良で立派な人なんだと、ひとりで決めて、中身も確かめずに、独断と偏見に満ちた評価を下す。
ましてや、背広をきちっと着こなし、気の利いた装身具、たとえばシックな時計、のりの利いたワイシャツやちらっと見える上品なカウスボタン。それに顔に似合う眼鏡などを身に付けて、外見もパリっと整えているときは、中身はどうあれ、外見にすべてその人の人格が現れているようで、中身と外見が一致しているような錯覚をする。そして、その錯覚に基づいて評価をするのだが、評価自体が当てならないのに、それに信頼を寄せて先入観を作ってしまう。
それでも、人間の直感というやつは恐ろしいもので、すべてを見抜いて正鵠を得ている場合もなきにしもあらずだが、私はこのような評価がその人の一瞬のスナップとしてはズバリあたっていることを認めはしても、一つの体に神と悪魔の両極端を併せ持っている人間の、個性なり、資質なりの時系列化されたトレンドを示しているとは思わない。
なぜならば、人は意識的努力によって、自分の綺麗な部分(たとえそれが体の部分であっても、心の部分であっても)を出そうと努力するものであるから。
そして私は人の心の奥底に住む、神と悪魔のお互いを差引しても、なお神性が残る人こそ、美人だと思う。
しかも、こういう種類の美人は年とともに、ますます磨きがかかってその美しさは光彩を放つ。
こんな簡単な美人の見分け方ができるようになるまでに、50年の歳月を要した。