日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

九州の旅は

2008年03月13日 | Weblog
1週間ほどを続いた。宮崎を駆け足で回った。大分では、むっちゃん平和祭式典に出席し、市長から、感謝状をもらい、その足で宮崎に行く。

宮崎には、中学校高校の友達がいるから、どうしても彼らに会いたくなる。
人情のあつさと、人の心を打つ誠心誠意のこもったもてなしにはいつもながら、敬服する。これが友人が大成するための最大の武器になるんだろう。

もう一人の友人は信念の人である。その信念も、半ぱなものじゃなくて鉄のような信念なのである。この信念が彼の邪魔をしたことが、さぞ多かったろうが、彼の口から、「正義と同じ位、人情が大切だ」と、言われたのには驚いた。そして納得した。

そうだ。どんな論理の正確さや正当性でもってして、人の心に訴えるよりも、人情という情の世界に、訴えた方がはるかに人の心にしみとおりやすいのだ。
単なる記者の段階を通り越して、記者の心を読者にを通わせて、両者の間にとうとうと流れる命の水の交流を図らなければならない立場にいると彼は自認してるからだ。近ごろには全く少なくなった骨のある人物。なんとしても大成してほしい。

今まで日向といえば、日南海岸 青島 鵜戸神宮 などをいちばんとしたが、今回高千穂を訪ねてからは頭の中の観光地図は書き換えられた。

より歴史的で、心のふるさとを感じさせてくれる懐かしさがあり、道々は爽やかな風が吹いており、清水の滝は永遠の音楽である。古代から連綿と今も、そして私の死後も、何百年、何千年、同じ音楽を奏でると思うとき、ただ、その時間的なスケールの大きさに驚嘆するほかない。

シェイムリアプは満天の星

2008年03月13日 | Weblog
「あの山で、蚊に刺されたのです。大丈夫でしょうか。?」彼女の友人が僕にそう尋ねた。
「何カ所も?」
「ううーん。1カ所だけ」
「多分大丈夫。でもマラリアに注意した方が。薬持ってる。?」
「いや」
「そうだ。僕の消毒薬、イソジンをとりにかえってくるからに待ってて」
僕はすぐさま、宿に取りに帰り、引き返してくることを告げて、バイクの兄ちゃんを促した。

 急いでいるときは、気が焦る。だのに真っ暗ヤミの中でバイクは立ち往生した。聞けば、ガス欠だという。そんなばかな。こんな夜になって、スタンドがオープンしているのか?僕は不安になった。2人は黙ってバイクを押して、ガソリンスタンドを2軒訪ねたがどこも、閉まってて人の気配がなかった。しかし彼は少しも慌てない。
 オイオイ。まさか、宿とホテルを歩いて往復するんじゃないだろうなぁ。
僕は焦っているうえに、さらに焦った。
ところがカンボジアの、給油所はガソリンスタンドだけではなかった。
道端で、ガソリンをペットボトルに詰めて売っているのだ。なるほど。だから彼があわてないわけが分かった。販売店といえば大げさで、こういう形での、ガソリン販売は机の上にガソリンを詰めた、ペットボトルを10本程度おいているだけ。よくも、こんな危険な取り扱いをするもんだと感心した。
給油するとエンジンは1発でかかった。ホッ。安心のため息が漏れた。
シエムリアプの町はずれの道は、文字どおり漆黒である。街灯も家々の隙間から漏れてくる明かりもない。
時おり通るバイクのライトが、唯一の明かり。その代わり、空には、吸い込まれそうな満天の星。黙って空を見上げた僕は漆黒の闇に吸い込まれて言葉を失った。
夜がこんなに暗い物だとは今の今まで気が付かなかった。いつも都会の夜に慣れてしまっているので光のない自然の夜の暗さに驚いた。
何時か此の星空を駆けめぐる事が出来たらな 青い大空もよい。真っ暗な星空もいい。僕は全てを忘れて漆黒のヤミを見続けた。時間が止まった一瞬だった。
いや、勝手に流れている。
シエムリアプの漆黒の夜のヤミ。見応えのあるいい物だ。日本ではどこにいても必ず光が在る。余程の所へ行かないと光の漏れて来ない所はない。
文明の光のさしこまないところには、漆黒のヤミが人の眼を閉ざして、心の目を開ける。