日々雑感

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火葬場で生存が確認

2013年11月22日 | Weblog
火葬場で生存が確認

中国・安徽省で先天性の疾患により死亡認定された男の乳児が、認定から7日後に火葬場で生存が確認された。病院側は認定ミスを認めたという。中国メディア・人民網が伝えた。

 男児は先月28日に安徽省立児童医院に運び込まれた。診察の結果新生児肺炎にかかっていたほか、両側の内鼻孔が閉塞している先天性異常もあったことが判明、治療とともに外科手術が行われた。しかし回復は思わしくなく、今月12日に両親が治療の放棄を決定、その後の処置を病院に委ねて帰宅した。

 病院は治療を続けるも、18日に「生命反応が消えた」と判断した主治医が死亡証明書を発行。火葬場への移送を担当したスタッフが多忙のため1日病院内に放置されたのち、20日午前にほかの遺体とともに火葬場に運ばれた。

その後火葬場の担当者が、棺の中で男児が声を出し呼吸しているのを発見した。
 生存が確認された男児は、引き続き同病院で治療を受けている。

僕も日本でこういう話を聞いたことがあったので、火葬場を訪ねて釜に入れる前に生存の気配は感じたことがないかと尋ねだ。
係官は一度だけそれらしい経験があるといった。
どういうことなのか聞いてみたところ、ぎゃーという声が聞こえたので、すぐ子供の棺桶を覗いてみたが、異常はなかった。あれは猫がないた声だったのか、空耳か、本当にあの瞬間だけ子供が泣いたのか、洋として判らないが、ひょっとしたら子供生きていたのじゃないか、そんな気が今出もする。という話だった。
日本の場合24時間経過してないと、火葬できないそうだから,死亡診断書は完全な物だと思う。しかしながら死亡診断書が発行されてから
息を吹き返した人も現実にはいるわけで、ごくごく希には奇跡が起こって生還する人もいる。先日のイランの絞首刑執行後の生還などその例ではないか。生か死かはデジタルである。生存か死亡かどちらかで、その中間はない。
今回の場合中国の診断書を書いた医師は停職になったらしいが、人の生死の判断は医師に任されているので、慎重が上にも慎重であってほしい。今回が例外だと言わずに。