日々雑感

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 機上で乾杯

2014年05月27日 | Weblog
 機上で乾杯
 

インドでは何が起こるか判らない。僕は前回インドを旅してつくづくそう思った。万事インド的なのである。日本のようにきちっとしたタイムスケジュールを作った所でそのスケジュール通りに事が運ばない事が多い。しかし日本人の僕はあくまで日本的スケジュールでもって動こうとする。そしてうまく行かないと挫折感みたいなものを強く感じ、その不満の為にインドをどうしょうもない国、お粗末な発展途上国とちょっと後ろ指を指したさげすみの目で見てしまう。
 インドには昔からこの大地に合うような生活のリズムがあり、人々はそれをそのままに継続しているだけのことである。そしてこのリズムの違い、テンポの早さの違いがまさしく文化の差なのであり、その差がカルチュアーショックなのである。郷にいれば郷に従え、なのであるが、急に自分のリズムやテンポを変えることは出来ないのもまた事実である。
ところが今回のこの出来事はこういう種類のものではなくて、丸でばかばかしい話である。
 東京から5人の看護学校の生徒がカルカッタにあるマザーテレサのハウスに研修をかねてインド旅行をした事から、話は始まる。
 僕はその時、カルカッタのダムダム空港にいた。急にあたりが騒がしくなって、日本人の女子学生と思われるヤンギャルが何かあわてた風で、あちこち走り回っていた。顔の表情は皆真剣で、血走った目をしている子もいる。一体何があったんだ、何が起こったんだ、僕はとわづかたらずに じっと見つめていた。
 やがて事情は飲み込めた。このグループの中の誰かがエアーチケットを持っていないことで皆が騒いでいるのである。それも、もうすぐ搭乗が始まると言う段になってのことである。この期に及んで一体どう言うことなんだ、チケットがないと乗れないし、次の乗り継ぎ便だって乗れる保証はない、僕は他人事ながら気になりだした。
 じっと耳をすましていると、どうも一人がホテルを出てくるときにチケットを誤って捨てたらしい。電話の内容はそんなことだった。ひょっとしたらごみ箱の中に捨てたかもしれないので、そのごみ箱をしっかり探して欲しいと言っている。しばらくして掛けた電話では、チケットは見つかったらしい。やっぱりあったんっだな、僕は一瞬ほっとした。しかしよく考えてみるとそれを今から空港まで持ってきてもらうにしても1時間はかかる。後30分で飛行機は離陸しようとしているのに、1時間掛けてここまで持って来たところでどうなるものでもない。所詮は乗り遅れだ。もう一度バンコックまでのチケットを手に入れないと帰れない。さてどうするのだろうか。
 僕は気が気でないのでよけいな事ながら、彼女たちに今までの経緯を聞かせて欲しい、そして僕に出来ることがあったら何か役に立ちたいと申し出た。そうしたら先ほどから一番落ち着いて、ばたばたしなかった子がよろしくお願いしますと言った。どの人がなくした人なのか、と聞いたら、自分です、という。それでは先ほどから走り回っていた子たちはチケットをなくした


この子のためにばたばたしていたわけだ。僕は驚いて彼女の顔を見た。ひとこと小言を言いたかったけれど、ここで何を言うよりもまず真っ先にしなくてはならないことがあると思いなをして言葉を飲み込んだ。即ち今日、明日中に乗れるチケットを手に入れることだ。僕はそのことを彼女に言った。そしてすぐ手配するようにアドバイスしたが、なにせ初めての海外旅行での出来事で知恵が回らないだけでなく、どうしたらよいかさっぱり判らない風情である。当然だろう。これが僕だったら、やはり同じようにたちすくんだだろう。ところが人にはツキと言うものがある。ちょうどこのとき領事館関係者が空港に来ていた。初めての面識で直接は知らないのに、この人が親切にも彼女の相談に乗ってくれた。 彼は彼女が乗るはずだった飛行機にマラリヤ患者を乗せるべく、その仕事で空港に来ていたのだ。その患者と言えば、僕は今朝がたサダルで同席した人だった。灰色の顔をした女がひょっこり僕の前に現れた。僕はセキを詰めて、狭いけれども良かったら、座りませんか、と彼女に声を掛けたのだった。彼女は何を思ったのか急に、私マラリヤにやられたの、と言いながら僕の横に腰を掛けた。マラリヤがどんな病気か詳しく知らないが、伝染病の1つだと思い、僕は警戒して入れ替わるようにして席を立ったのだ。その女を所定の飛行機に乗せてから彼は仕事から解放され、真剣にこちらの相談にも乗ってくれるようになった。所で彼の話では、カルカッタは初めての赴任で地理はもちろんの事、街の様子がまだよくわからないという。それでも分からないなりに彼が協力姿勢を示してくれたことは心の中では大きな支えになった。何をどうして良いか判らない彼女にかわって、とにかく明日の飛行機に乗れるようにチケットをとって欲しいと彼に頼んだが、彼が言うにはチケットは空港ではなくて街に行かないと手に入れられないのではないかと言うことである。今日今から街へ直行しても4時になるのに明日8時のチエックインのチケットが手に入るとも思えない。僕は無駄かもしれないが、航空会社のカウンターで何とか手にはいるよう頼んでみては、もしそれが駄目なら街の旅行代理店に行くが、せめて明日の便の予約だけでもしておかないと、乗れなくなるおそれがある、と彼に言った。彼も同感で、すぐ何らかの手配をしてみると言うことだった。
 さて僕はと言えば余程自分が動き回った方が納得できたし、安心もできた。しかし全く善意で困っている彼女を助けようと懸命になっている彼を差し置いて、手だしすることははばかられた。彼女はついている。ラッキーガールだ。確かに日本人が困っているのを座して見るに忍びない。だが、そうかといって、彼女と縁もゆかりもない人が、彼女のために何かをしなくてはならないと言う理由もない。冷たいようだが僕はそうも思った。、今のところ自分のことは何も心配ないような状態でいるからこそ彼女のことも心配してあげられる。つまり余裕があるのだ。それにしても海外の空港でもし今回と同じようなケースが起こったら果たして、領事館に派遣されている彼のような人に巡り会うことが出来るだろうか。いやこんな事は滅多にないことだ。何処から考えてもやっぱり彼女はラッキーなんだ。きっとご先祖さんが善行を積んでその報いがいま


こんな形で子孫に返ってきているのだろう。僕はこんな事まで考えた。彼女はとみれば、あいかわらずのほほーんと構えている。僕はあきれる前にこんな性格に生まれついた彼女が羨ましかった。恐らく枕が変わって寝付かれないと言うことはないだろう。僕なんかこのインドの旅では常に緊張しているので神経がたって寝付きの悪いことが多く、毎晩睡眠導入剤を用いているというのに。人さまざまだ。

 僕が空港のオフイスでチケットを手配するように言った事が効を奏して新米派遣君は、上手く買えた、とにこにこしながら連絡してくれた。僕は彼女を促してすぐ代金を払い、チケットを手にするようにいった。オフイスにいった彼とにこやかな顔をしながらロビーに戻ってきた彼女に、これで帰れるのだから、明日は時間に遅れないようにと注意して、この幸運を喜んだ。チケットを見るとそれは僕と同じ飛行機じゃないか、よかった。これで間違いなく日本にも帰れる。僕はほっとした。なんと運のいい子だ。仲間は先に帰りたった一人で見知らぬ外国で1日遅れて帰ることに、内心は不安いっぱいだろうと僕は推測したが、彼女は表面は相変わらず,
のほほーんとしていた。
 考えてみればチケットを手配してとってくれた人がいた。明日乗る飛行機にはエスコートしてくれるおじさんもいる。これだ万全の筈だ。もし乗れないと言う事態になったら、この子の面倒はもう誰も見きれない、とにかくついている子だ。僕はそのラッキーさに感心した。
ともかくもハッピーなかたちで事態は進んでいるが、考えてみれば、ここダムダム空港では前回僕はひどい目に遭っていたのである。両替では金をだまし取られ、タクシーでは約束と違った所でつれていかれ、わずか30分ほどの間に2回も胃が真っ赤になるような苦汁を飲まされた所なのだ。僕の感覚からすれば、今回のように助っ人が居ないで彼女一人で、あの態度で事を進めていたら、たちまちにしてここにいる悪党の餌食にされてしまう。男の僕でさえかなり恐ろしい思いをしたのだから、旅慣れない女一人ではどんな罠が仕掛けられるかしれたものではない。僕にいわせれば虎の檻にほりこまれた子羊みたいなものである。危険きわまりない。しかし彼女にはそのことが判っていない。僕があなたはラッキーだと言ってもラッキーの表面的な意味しか判らない。恐らく僕が経験したような深刻な事態は想像だにしないだろうから、きっと理解出来ないに違いない。あつものに懲りてなますを吹くきらいがないでもないが、僕はそう思った。

 僕はチケットが手に入った段階で、今晩はここで一緒に泊まろうと誘いたかった。僕だって明日の便には絶対に乗らないとチケットが無駄になるので20時間も前にここで待機しているのである。その理由はインドでは何が起こるかしれたものではない、また何が起こっても不思議ではないというインド観であった。早目はやめに手を打っておかないとこちらの計画通りには事が


運ばないと思っていた。僕はそういう自分の心つもりを詳しく話さなかった。というのは一口で20時間と言うがどれはそれは気の遠くなるような退屈な時間である。よしんば彼女とここで夜明かしをするにしても話すことはない。2、3時間も話せば話はつきるしその後は黙るしかない退屈が待っている。僕は旅慣れているからいいとしても、恐らく彼女は耐えられないだろうと思ったからである。でも一応泊まるかどうか声は掛けてみた。彼女は派遣館員の車で街迄行き一晩泊まって明日になったらここへ来るという。僕は5時起きしてすぐタクシーに乗ってここに来るように、決して寝過ごしてはいけない、と何回も釘をさして車に乗せた。僕は夜明かし覚悟だがそのことが気になって、1時間おきに目が覚めた。遅れませんようにそれは祈りにも似た気持ちだった。
 翌朝7時過ぎに彼女は若い男の子をつれて空港にやってきた。やれやれこれで二人とも帰れる、顔を見て安心、ほっとした。送ってきた大学生によれば今日は早朝からタクシーがストをやっているとのことだ。それならどうしてここまで来れたのかと聞いたら、スト破りのタクシを雇ってここまで来たという話、ストをしていると本来はここまで来れないはず、だのに彼女はいま僕の目の前にいる。僕はつくづく感心した。途中で何もなかったのかと付き添い学生に聞いたらやばいことがあったという。僕は一瞬青ざめた。もしあの学生が付き添ってくれていなかったら果たして初めての海外経験で果たしてスト破りを決行出来たかどうか。ほほー、感心する前に驚きの感嘆詞がでた。またもや彼女は守られている。これは単なる偶然やラッキーが重なったとは思えない。思い返せば派遣官員との出会いがあり、僕との出会いでエスコートを手に入れ、さらに付き添いの大学生を見つけて彼に付き添ってここまで送ってもらい、極めつけはスト破りタクシーを雇ってチエックインタイムにちゃんと間にあっているではないか。
チケットだってないと断られても不思議ではないし、旅慣れた僕が居ることによってややこしいインドの出国手続きや、タイでの入国手続きがどれほどスムーズになるか、更に早朝大学生に付き添ってもらいストやぶりタクシーでタクシーのストライキを突破しているのである。。恐らく神の助けが働いてすべてが上手く事が進んだのだろう。僕はこの世に神様は居ると思った。
 飛行機は定刻通りに離陸した。インドはぐんぐん遠くなっていく。1時間ほどしたら軽食が出た。僕たちは顔を見合わせてコーラで乾杯をした。それは何よりも、昨日から今日へ掛けての彼女のラッキーにたいしてだった。僕は心からこのことを祝福した。しかしそれだけではない。今回僕も無傷だった。前回のような目には一度も会わなかった。前回よりも一週間も長い日にちであったが、いたって健康で風邪はもちろんの事、下痢の一つもっしなかった。勿論恐怖を感じたことは一度もない。途中気をつけていなければやられたであろう事は何回かあったが、それもうまくすりぬけたし、だまされはしなかった。確かに神経はぴりぴりさせていてつかれたが、それが原因でどうかなった訳でもない。これも乾杯ものである


最後に今日は僕の満00歳の誕生日だったのである。僕の乾杯にはこんな意味が込められていた。我々は顔を見合わせてにっこりほほえんだが、それは心の底からくる安堵と祝福のほほ笑みだった。いまになって考えてみると彼女の身に起こったことは事は僕に人生の何かを見せてくれてるようだった。早い話が彼女との出会いがなかったら僕がこんな文章を書くこともなかったろうに。
 こんな人生芝居を見せてくれるのは一体誰だろうか、僕はこの宇宙の中に壮大な演出者がいて我々は自立的に動いているようだが、その実この演出家の指図に従っているのかもしれない。そんなことを感じたインドの旅ではあった。