リタイアリング・ルーム
インド大陸の中心から見ると、カルカッタは北東にあたる。
日本では北東を鬼門といって人は避ける。インドの鬼門にあたるのがカルカッタである。
この鬼門は私がいつもインドへ入国するときに利用する、インドの入り口である。
バンコク空港を経由してインドに行く時には、僕にとっては、最も入りやすいインドの入り口である。
ところが僕が初めてインドへ行った時の最初の玄関口になったカルカッタは、すこぶる印象の悪いものであった。
前回の経験では、このカルカッタだけは、ろくなことがなかった。両替ではだまされいるは、タクシーに乗れば途中でほっぽりに出されるは、カルカッタではろくなことがなかった。
インドにたいして持っていた尊敬の念は一辺に吹っ飛んだ。お釈迦さまの出た、立派な国民からなる国だと尊敬の念すら抱いていたのに。
僕の持っていた憧れは、音をたててくずれさった。それもわずか30分たらずの間に。
そういうわけで,あれ以降、インドを旅するときには,僕はまず第一に厳重に自分をガードをしなくてはならぬと緊張する。
ニュデリーには朝6時についた。早朝だったのでコンノートプレスまで歩いた。僕はここからお目当てのホテルへ電話をしたら、空室はあるという。これでまずは安心した。
そこで、大通りから少し入った、コンノートプレスの旅行代理店に行き、ホテルもチケットも一緒に頼んだほうが便利で、安あがりだと思い、この代理店を通じて、先程のホテルに電話をかけてもらったら、満室だという。ものの5分もたっていないのに満室になるとはおかしい。
そこで僕は電話を代わり、たった今空室があるといってじゃないかと抗議した。ところがフル、満室の一点張りでらちがあかない。これはおかしい。何かがおかしいと僕は疑念を持った。
つまり業者とホテルは後ろで結託しいるのでは?という思いが頭をかすめたのである。
案の定代理店はあのホテルは満員だから、こちらでホテルを紹介するという。さきほどのホテルでは1泊200ルピー、ところがこの業者の紹介しようとしているホテルは600ルピーだ。
仕方がないから僕はしぶしぶこのホテルに泊まることにした。そうは決めたものの、後味はすこぶる悪かった。
ホテルにつくと、そこには僕と同じようなケースで、送り込まれた日本人の先客があった。
お互いに話をすればするほど、ワンパターンのやり口で、だまされているのがわかった。
銭金の問題ではなくて、これは悔しかった。
なにも旅行代理店に頼むんじゃなかった。ホテルぐらい自分で予約すれば済む。ただそれだけのことをしなかったばかりに、こんな悔しい思いをして。僕は自分に腹が立った。
「畜生。」彼らの罠にひっかけられた。これは悔しかった。
金よりもなによりも、だまそうという根性に対して、又だまされた悔しさに腹が立った。散々インドの悪口を言って、日本人同士慰めあったが、腹立ちは容易には消えなかった。
カルカッタで2つ、ニュデリーで1つ、いやな思いが、僕のインド旅に暗い影を落とした。
ダムダム空港のリタイアリングルーム。
朝の出発が早いので、リタイヤリングルームを使わせてほしいと
僕はエアポートのサービス・マスターにいったら、それなら国内線空港へ行けという。10キロの荷物と10キロのリュックを背負い、500メートルほど離れている国内線空港へ行ったら、係りとおぼしき職員が出てきて
一応の説明はした。
しかし妙にアウトサイドという言葉が耳についた。
煎じ詰めて言えば、空港近くにはゲストハウスが、やすくてたくさんあるから、そちらの方の案内をしようというのである。
僕はとりあわないで、とにかくリタイヤリングルームだと頑張った。そうしたら、係りのところへ案内するから、ここで待っていろ、といって姿を消した。しばらくしたら 先ほどの男は2人連れでやってきて、
「この人が係りだ」という。
僕は先ほどと同じ説明をして、リタイアリングルームを使わせてほしいと言った。彼は黙ったまま腕組みをして考えていたが、「パスポート」といった。
僕は腹巻からパスポートを出して彼に渡した。彼は腕を組んだまま、そのパスポートを見ていたが、インドのビザのページを見て、「1カ月もインド国内を旅していたのだから、宿はこの近くのゲストハウスを紹介する」という。
なんだ。これじゃあリタイアリング・ルームの担当者ではなくて、どこだか知らないが、ゲストハウスのボンビキじゃないか。僕は腹の中でむっとした。
その手口はニューデリーで旅行代理店が紹介したホテル紹介のシステムに実によく似ている。紹介料をせしめる、あのやり口だ。
こんな奴にやられてたまるものか。僕はゲストハウスの件については一切受け答えをせず、この空港の宿泊施設を利用したいの一点張りで、他のことには耳をかさなかった。
2人の間には、しばらく険悪な沈黙が流れた。
僕は改めて「何とかしてほしい。ゲストハウスはノー・サンキュウ」だといった。
彼は「それじゃ仕方がない。他を探してくれて」と吐き捨てるように言った。最悪の場合空港ロビーで徹夜しても良いと腹を決めていたので、
「おまえなんかにたのむか。馬鹿もん。」と日本語で捨て台詞をはいてオフイスを出た。
僕は国際線空港の方へ歩いていった。そうしたら、今僕の相手をしていた職員が走るようにして僕の後を追いかけてきた。
「600ルピーの宿賃を500ルピーにする」という。僕はいらないと断った。
彼はなんとかゲストハウスに泊まるように僕を説得してくる。
僕は意地になって反対した。それでもなお彼は食い下がってくる。
「分かった。それじゃ空港までの送迎のタクシー代はサービスする。それでどうか。」僕はやはり断った。
「あなたは私の親切な申し出を断っているが、それでは一体今夜どこで泊まるつもりなのか。」と半ば脅しを含めて言ってきた。僕は空港ロビーで一夜を明かす覚悟を決めていたので「国際線の空港ロビーで夜更かしでもするよ。」と笑いながら答えた。
「なに?国際線のロビーで夜明しすると?。それはできないよ。カルカッタ空港で夜明かしなんかしてみろ。すぐさま荷物はなくなるよ。あるいは悪い奴に脅されて、金品を巻き上げられるのがオチだ。」と又脅迫めいたことを言う。
「ご親切にありがとう。とにかくここで泊まるよ。カルカッタ空港でね。」僕は顔色を変えることもなくそう答えた。
いやな奴らだ。空港職員なら日本で言う公務員みたいなものじゃないか。お前ら品位やプライドのかけらもないじゃないか。僕は嫌悪感を感じた。
前回インドに来た時に、僕はインドでは何が起こるか分からないということを強く感じた。せっかくスケジュール通りに、ここまでやってきたのに、チケット通りの飛行機に乗れないで、バンコクから関西空港までのチケットまでパーにするのは、我慢のならないことであった。
仕方がない。今夜はロビーで徹夜しよう。僕は一時間おきに目がさめたが、うつらうつらして夜明かしをした。物も盗まれなかったし、悪い奴に脅かされもしなかった。
それにしてもだ。日本ではまずこう言う手のだましはしない。同国人だからということもあろうが、,戦後の混乱期を除いて、このような公務員はいないと思う。貧しい国民性なのか,それとも価値観や風習が違い、生活の仕方がまるで違うから、こんなことになるのだろうか。
東南アジアを一人旅してもインドのような思いをしたところはどこにもない。
たとえば貧しさだけを問題にするならば、ネパールの方がはるかに貧しいと思うが、カトマンズではこんな思いをしたことがない。貧しいからやること、なすことみな貧しいというのは当たらない。やはり国民性か。
だとすれば、例え釈迦のような大聖人が出なくても、礼節をわきまえた
日本のほうが、はるかに優れている。僕は自画自賛した。とはいえ僕は
「本当のインド」を知らない。どこか地方の村に行き、そこで村人と交流をしたときには、ホントのインド人を知ることになるだろう。
象に触った盲目の人が、象とは丸い柱のようなものだと言ったのは、全体像を言い当ててはいないものの、彼が触った範囲で、まるい柱というのは当たっている。と同様に私が接触したインド人、たとえばリキシャワーラー、鉄道マン、旅行代理店、レストランのインド人を信用しないで、うさんくさい輩と見るのも当たっていると思う。
でも僕は、ガンジーが言ったといわれているあの言葉、「インド人の魂はインドの村にある。」ということを忘れてはいない。
インドの村々を渡り歩いたわけではないので、僕に応対したインド人が、平均的なインド人だとは思わない。じゃ、一体あれはなんなのだ。
たまたま質の良くない連中ばかりに出会ったという運の悪さだろう。
僕は自分の素直な気持ちを抑えて、後味の悪さを自分なりにごまかして幕を引いた。