日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

シェイムリアプは満天の星

2008年03月13日 | Weblog
「あの山で、蚊に刺されたのです。大丈夫でしょうか。?」彼女の友人が僕にそう尋ねた。
「何カ所も?」
「ううーん。1カ所だけ」
「多分大丈夫。でもマラリアに注意した方が。薬持ってる。?」
「いや」
「そうだ。僕の消毒薬、イソジンをとりにかえってくるからに待ってて」
僕はすぐさま、宿に取りに帰り、引き返してくることを告げて、バイクの兄ちゃんを促した。

 急いでいるときは、気が焦る。だのに真っ暗ヤミの中でバイクは立ち往生した。聞けば、ガス欠だという。そんなばかな。こんな夜になって、スタンドがオープンしているのか?僕は不安になった。2人は黙ってバイクを押して、ガソリンスタンドを2軒訪ねたがどこも、閉まってて人の気配がなかった。しかし彼は少しも慌てない。
 オイオイ。まさか、宿とホテルを歩いて往復するんじゃないだろうなぁ。
僕は焦っているうえに、さらに焦った。
ところがカンボジアの、給油所はガソリンスタンドだけではなかった。
道端で、ガソリンをペットボトルに詰めて売っているのだ。なるほど。だから彼があわてないわけが分かった。販売店といえば大げさで、こういう形での、ガソリン販売は机の上にガソリンを詰めた、ペットボトルを10本程度おいているだけ。よくも、こんな危険な取り扱いをするもんだと感心した。
給油するとエンジンは1発でかかった。ホッ。安心のため息が漏れた。
シエムリアプの町はずれの道は、文字どおり漆黒である。街灯も家々の隙間から漏れてくる明かりもない。
時おり通るバイクのライトが、唯一の明かり。その代わり、空には、吸い込まれそうな満天の星。黙って空を見上げた僕は漆黒の闇に吸い込まれて言葉を失った。
夜がこんなに暗い物だとは今の今まで気が付かなかった。いつも都会の夜に慣れてしまっているので光のない自然の夜の暗さに驚いた。
何時か此の星空を駆けめぐる事が出来たらな 青い大空もよい。真っ暗な星空もいい。僕は全てを忘れて漆黒のヤミを見続けた。時間が止まった一瞬だった。
いや、勝手に流れている。
シエムリアプの漆黒の夜のヤミ。見応えのあるいい物だ。日本ではどこにいても必ず光が在る。余程の所へ行かないと光の漏れて来ない所はない。
文明の光のさしこまないところには、漆黒のヤミが人の眼を閉ざして、心の目を開ける。


バンコクから始まった。

2008年03月12日 | Weblog
明日はプノンペン サイゴン ラオスを回りバンコクへ戻る。 
神様はよくもまあこれだけバラエティに富まして人間をお作りになったもんだ。皆それぞれの国の言葉を話し顔は皆違う。

僕が働くようになったのは昭和30年代以降のことである。日本経済が高度成長期に差しかかった時に符合して、僕らは働く事だけが唯一の楽しみであり、所得が向上したのでほしい物は金さへ出せば手に入れることが出来た。まずほしかったのは家電製品である。ステレオ、カラーテレビ、テープレコーダーなど憧れの的だった。
50年代に入るとマイカー持つことが出来るようになった。そんなわけで働くことこそが善であり、これが給料と言う形で跳ね返って来た。そこでますます働くことが人生のすべてになった。しかもその右肩上がりの成長が当然のこととして、いつも頭の中は高度成長路線で一杯であった。

ところがである。あるときから路線は大きく変わり始めたのである。すなわち右方上がりから水平、いや、下降ぎみになって来たのである。
勤勉に働く事だけしか知らない企業戦士、働き蜂にリストラの嵐が吹きあれだしのであり、完全に高度経済成長の流れは変わってしまったのである。平成とはそんな時代だ。

平成になって10年が過ぎた。バブルがはじけて経済活動は規模縮小を余儀なくされた。生産過剰が問題になり出した。当然企業は自己防衛のためにリストラを行うだけでなく、従業員の賃金カットをやりだした。その結果どういうことが起きて来たか。先行きに不安を感じた人々は生活防衛に走りだした。つまり不要不急のものは買わなくなったのである。当然消費は冷え込むことになる。

消費者の動態を知る1つの指標とされている百貨店の売上動向を見ても此の線ははっきり出ている。これから1980年代の消費に戻ることはもうないだろう。 そう考えると、平成という時代は我慢の時代ということになるのではないか。
日本の経済を支えて来た自動車、家電産業などはもう、大して期待出来ない。時代の要請に応じて、何か日本でしか出来ないような特殊な製品が成長して日本経済の根幹を支える迄になるには時間もかかろうから、みんなが浮かれるような気分になれる時代ではない。
個人的には、早く引退が出来てよかった。これからおとなしく暮らすだけだ。
バンコクで見た夢はそのまま現実となった。まさに正夢だったのである。

花供養について

2008年03月12日 | Weblog
1,司馬フアンの1人である人が,先生に一筆、色紙をお願いしたら2,3日して先生から色紙が届き
      振り向けば また咲いている 花三千 仏三千    と記されていた。

2,先生はわずかな時間の中で どうして、こんなに気持ちにぴったりしたものができたのか。自分でも不思議なくらいだ。 もう一度つくれと言われても、二度と作ることはできないだろうといわれた由。私も作曲の過程で経験することがあるからそうだと思う。

3,花は心なごませ 仏は安らぎの世界を連想させる。 暖かさにあふれ、ほのぼのとした情感あふれる世界。もしかしたら司馬先生があこがれた、いや、到達した心境なのであろう。

人生の終局近くに見る仏の世界は言葉で言えば司馬さんの読まれた詩(うた)になり
それを私が曲で表すならば ここういう感じの曲になると言うことで私は自分を納得させた

4, 私のイメージでは 広々としたお花畑に咲き乱れる花をバックに三十三間堂の観音菩薩達が花に囲まれて立っておられる。

5, 歌は易しいからすぐうたえるが、此の詩に盛られた境地と、限りなく似たような境地に達するのに私は50才をすぎていた。

6, タイトル 花供養は司馬さんがつけたのではない。私がつけた。それは花を供養するということではない 花をもって佛を供養し見せてもらった佛の世界 (心境)に含まれている花や 仏にそして 司馬先生に対する私の供養の気持ちでもある


10-4 闇の時代

2008年03月12日 | Weblog
戦後50年たって社会の仕組みや経済の仕組みにほころびが目立ってきた。特にバブル現象がおきて今までの仕組みが根本的に問い直される時期に差しかかっている。未だに明確な指針が手探り状態で、闇の中で手探りをしている状態が続く。
歴史的社会状況の認識に、誤解があるのだろうか..。
救済はあるのか。
仏教はよりよい生き方のマニュアルなのか。
ミッテランの言葉 「卓越した科学者は科学を通して神を見いだし近づいた。中途半端な科学者は科学を通して神を遠ざけた。」
生かされて生きている。 自分の生死は自分で決められない。 己以外の何物かによって生かされている。

生かされていると言うことは言い換えれば何物かの支えや後押しのお陰で生きていると言うことである。ここに他力、自力の考え方が生まれるが、自分が一生懸命に生きるための支え、後押しの力を自覚するならば、そこには当然自分の命を支えているもの、後押しをしているものに対して、感謝の念が沸いて来よう。

単に生きているのではない、生かされて生きているのだという現実を悟ったときに初めて人は報恩謝徳の気持ちが生まれるのだ。すなわち神仏の存在に気が付くとき初めて生かされていることへの感謝の気持ちが生まれる。これは当たり前の事だ。考えてみるがいい。人の世で人と付き合う場合、お世話になれば感謝するのはエチケトであり、マナーである。もし人から好意を受けて素知らぬ顔をしていたら、その人は早晩必ず相手にされなくなる。好意を受けたら感謝してお返しをするから、人間関係が円滑になる訳で、感謝もしない、お返しもしない人だったら、こちらから付き合いを断る。これは人情の自然に沿った考え方であり、行為である。

人は自分の希望でこの世に生まれ出てきた訳じゃない 自分の力でどうにもならぬ事を体験したときに人はここに思い当たる。経験しなかったら分からないだろう。
生きているということは、生かされていると大きな力の支えがあると言うこと。
7、日常生活で実感する神仏の力
ノーベル賞受賞の学者が参画したヘッジフアンド、ロングターム・キャピタル・マネージメントがつぶれた。計算されしつくされた、人知の限界を示すものとして注目される。この世には人知を超越した何ものかが存在すると実感したのは私一人ではない筈。この世には人知や努力だけでは、どうにもならない事がある。この真理を実感できるのは人生の1/2以上生きて経験を積まないと分からないこと(理解できないこと)ではないだろうか。つまり40歳以上にならないとこの辺の感覚は出て来ない。

ちょっとしたことだが目に見えない大きな力が働いていることを実感できる瞬間がある。自分の命にしたがって、人生を誠実に生き、まじめに考えた人にのみ訪れる神仏の力の実感である。 見えない大きな力(今仮にこの力を神仏を言っておこう)に支配されていることだけは事実である。 何故か、それは個人が実感することであるから。 絶体絶命と言う場面におかれたときに、一番実感できるのでは?。

8 心の闇(これから21世紀に向かって構築すべき価値観を模索している状態)に乗じて、つけ込むかのようにいろいろな宗教教団が、雨後の筍のように出現している。
多くの中でどれが本物か見分けるのに困る。

本物かインチキか見分けるものさし
1、教祖の人柄、や教祖を取り巻く人達の価値観、宗教観 これに尽きると思う。
2、教団組織への加入、脱退の自由があるか。巧妙な脅しはないか、脱退金の徴収や、不幸が生じるなどの脅迫的なことはないか。
3、金品の強要はないか。金がかからないか。自ら進んで自発的に行う寄進は当然認められる。ようは金を要求されないかどうかである。このうち1つでも疑問に思うことがあれば、その教団のメンバーに加わることは慎重に考えるべきだ。

9、他力と自力 他力か自力かそんな論争は無益である。電車に乗るためには、駅まで自分の力でいかないと、乗ることはできない。さらに電車にのって運んでもらって初めて目的が達成されるのである。それを自分の力だとか乗り物の力だとか言ってみても始まらない。ただ二つの力が合わさって目的が達成されることだけは確かである。どちらに比重を置くかと言うことに関しては人それぞれである。

10いま考える、 物が豊かになれば、心は貧しくなる。物欲に支配されて振り回され心はやせ細る。 物欲は無限、止まることを知らない。これを追いかけると餓鬼道に陥り、自己破滅につながる。

心が基準。心ですべてのものを決めて行く。心がやせ細っては始末が悪い。心を肥やすには 生きる大欲と日常生活の少欲、知足少欲、物欲に振り回されない考え方、生き方が大切。豊かな物に囲まれて生活していても、心が貧しいと、人間らしい心を持ち合わせていないと、それは人間性の喪失につながる。つまり心が貧しければ、人間は人間でなくなると言うことだ 。

科学技術の発達に惑わされて失っている人間性の回復を図る努力が必要になる。
物の世界を追い詰めて、その結果大きな転換期を迎えた。
今こそよく考えなければならない時である。

初めに 神や仏がこの世に存在するかどうかは論理の世界で証明は出来ない。神仏の存在はそれを信じるかどうかにかかっている。信じる人にとっては神仏は存在するのであるが、信じない人にとっては神仏の存在はない。それが現代の常識になっているが、果たして神仏の存在は信じる、信じないで決められるものだろうか。

科学と言う名の下に、人間の思考で解決出来る、あるいは理解出来ることのみが、真実であろうか。 我々がこの世で生活して経験することではあるが、この世の中には人間の力や知恵を超越したものが、存在することをなんとなく実感することがある。偶然として片付けるには、あまりにも不合理で説明がつきにくく、我々はこういうものを、人間を超越した摩訶不思議なものとして神、仏の力のお陰、または御利益という。

人は何か一つのことを徹底的に追求しているときに神仏の世界が有るかどうかと言うことに突き当たる。結果的には神仏の世界を発見する。
フランスの大統領、ミッテランは真の科学者は科学を通して神を発見した、がそこまで到達してない科学者は科学によって神を遠ざけた(見つけることが出来なかった)と喝破した。

人間は自分のからだですら、自由に呼吸を止めたり、心臓の鼓動や胃腸のはたらきをとめることは出来ない 無量寿経のなかで、釈迦が弟子に仏の功徳を説く。
仏が説法をした国や場所では天下は和らぐ。
日、月は清く明るく、雨風は時におうじて適当に降り、災害や疫病は起こらず、国は豊かにして民衆は安らか暮らし、兵や武器は無用。人々は互いに徳を高めて、仁を尊び礼儀と謙譲の道を守ったと。
これからの世に、何か役立つヒントになることがあれば幸いだ。

風邪10-3

2008年03月12日 | Weblog
今年の冬は事のほか寒かった。風邪をひくまいと,冬の間、自宅に引きこもっていたが、とうとう風邪を引いてしまった。

熱が38度5分まで出た。体の節々が痛いし、だるいしとてもやりきれない。医者に行って薬を貰ってきたので大部楽にはなったが、まだ正常には戻っていないから、とても出歩く気にはなれない。

こんな風邪はここ数年経験したことがない。完全に風邪に負けている

そう言えば、ここ1週間ほどはよく眠れなかった。夜中に目が覚めたり、5時過ぎに目が覚めたりして、どうも体のコンデションが良くない。そんな風にして体力が消耗している中で、風邪の菌が忍び込んで、体を犯していく早さは、まるで台風並だった。

喉が痛いなーと思ったら、1晩たたないうちに、もう胸まで侵入。咳はでるは、体の節々は痛むはで、風邪に追いまくられた。風邪を撃退する抗体は手も足も出ないような形だった。

この冬は意識して気をつけたつもりであるが、かかるときはかかるのだろう。気をつけたからといって、病気は防げるものではない。そうはいうものの、やはり御身大切の心がけを忘れないでこの冬を乗り切ろう。

熱が下がって、果物が喉を通るようになると、腹が減ってくる。じっと寝ていると、退屈さに我慢ならならないようになってきて、早速ペンを走らせて、気を紛らわせる。何を書いても良いのだが、日記という形でその日、その時の出来事や心に浮かんだこと等を紙の上に、とどめておくことは、後日それを読み返して、あのときはああだった、こうだったと振り返るのも1興である。そして願わくば、出来事の単なる時系列化ではなくて1つのことについて出来るだけ深く考えて書いてみたいものである。後日のために。










美人

2008年03月11日 | Weblog
姿かたちよく見目麗しいのは、女性だけとは限らない。
男性でも、男ぶりがよくて、同性でもほれぼれ見とれるれるほどの人が居るものだ。
そんな人を見ていると、この人はきっと、善良で立派な人なんだと、ひとりで決めて、中身も確かめずに、独断と偏見に満ちた評価を下す。
ましてや、背広をきちっと着こなし、気の利いた装身具、たとえばシックな時計、のりの利いたワイシャツやちらっと見える上品なカウスボタン。それに顔に似合う眼鏡などを身に付けて、外見もパリっと整えているときは、中身はどうあれ、外見にすべてその人の人格が現れているようで、中身と外見が一致しているような錯覚をする。そして、その錯覚に基づいて評価をするのだが、評価自体が当てならないのに、それに信頼を寄せて先入観を作ってしまう。

それでも、人間の直感というやつは恐ろしいもので、すべてを見抜いて正鵠を得ている場合もなきにしもあらずだが、私はこのような評価がその人の一瞬のスナップとしてはズバリあたっていることを認めはしても、一つの体に神と悪魔の両極端を併せ持っている人間の、個性なり、資質なりの時系列化されたトレンドを示しているとは思わない。

なぜならば、人は意識的努力によって、自分の綺麗な部分(たとえそれが体の部分であっても、心の部分であっても)を出そうと努力するものであるから。
そして私は人の心の奥底に住む、神と悪魔のお互いを差引しても、なお神性が残る人こそ、美人だと思う。
しかも、こういう種類の美人は年とともに、ますます磨きがかかってその美しさは光彩を放つ。
こんな簡単な美人の見分け方ができるようになるまでに、50年の歳月を要した。
















信じる信じない。

2008年03月11日 | Weblog
人は、一生涯に何回か思わず、神様仏様!!!”(助けて)、と叫ぶ時がある。命が生死の瀬戸際まで追い詰められたときは、もう無条件である。

普段何事もないときは、神仏など信じない。と公言していても、いざというときには、こういうパターンをとるのが人の常である。だから信じる(神の存在を)のであるが、通常は、信じるという意識は無意識の世界に埋没して、表面上は信じていないという意識で、生活している。

でも、実は、心の底では信じるものを思っているのである。よほどの自信過剰家か完全なる無智者のどちらかでない限り、本人の意識とは逆に信仰心は、普通の人にはあると見るのが正解じゃなかろうか。

人生プール

2008年03月11日 | Weblog
この世に生まれてきた。今から死ぬまで、人生を生きるということは、たとえれば、この世に出た瞬間から、、泳ぎ方を教わることなく、いきなりプールに放り込まれて、向こう岸まで泳いで渡れと言われているようなものだ。

そして、これは宿命で、どんなことがあっても避けることができない。何が何でも自己責任においてプールの向こう岸までたどり着かなければならないという絶対的な命令である。

泳ぎ方をおそわってから、プールに飛び込んだわけではないので、途中で溺れる者が出たり、まっすぐ進めばいいところを、ジグザクに進んで、自らを消耗したり、折角いい線まで泳いでいるのに、後ろに向かって泳ぎだしたり、全力を出してあまりにも急ぎすぎたために、途中で元気が続かなくなって、極端に、ペース悪くなるものが出たり、そうかと思うと要領よく泳ぎ方を覚えて、なんなく向こう岸わたっていく人もある。

 この人生プールを泳いで渡っていく中で、途中から気がついたことであるが、泳ぎ方の要領を誰かから教えてもらえると、ずいぶん楽になるように思えた。
つまり、人生行路を泳ぎ渡ることを教えてくれる人に出会えたら、きっと独力で、苦労して泳ぎ渡るよりは、要領よく渡れるのではないかと考えた。

いろいろな壁にぶつかって苦労はしたが、人生をうまくおよぎ渡るハウツーものに出会うことができた。それは何かというと僕にとってはお経である。
人生の最高の生き方や、人生そのものを教えてくれるのは大聖人の教えだろう。僕にとって、それは釈迦の教えである。いわゆるお経の中にこそ、最高の人生を送るためのノウハウがギッシリと詰め込まれているのではないだろうか。

難行苦行をくぐり抜けて人生の真理を発見したお釈迦さんの悟りこそが、ハウツーもののエッセンスではないのだろうか。すなわちお経こそ、人生行路を泳ぎ生きるための心構えや技術が、ぎっしり詰まっているものだということに気がついた。
お釈迦さんは自分が悟ったことを人々に教え歩いた。その教えが弟子たちによって、お経と言う形で現在まで残されている。
要するに、お釈迦さんの教えに帰依することが最高の生き方に触れることであり、教えてもらう、いや言葉を変えていうと、仏教に帰依し、その教えを出来る限り忠実に、守ることこそ、最高に幸せな人生を送ることにつながると私は解釈している。日々の務めを果たしながら、お経の精神をそのなかに生かしていくということは、幸せな人生を約束することになるだろう。と、考えたのだ。

人生の大半を過ごしてきて、もう間もなく、日が暮れるという年齢に達して初めて
こういう事が分ってきた。遅きに失する感があるが、それでも良い。今からスタートでも構わない。
 
 釈迦の解き明かした人生の真理の集大成がお経であることは、先ほども書いたが、これは異国語でかかれていて、その意味を解釈するのがとても難しい。ただでさえ難しい哲学を、外国語でかかれた内容を理解しようとするのは大変なことであるが、幸いなことに、仏の教えを専門的に勉強し、一般庶民に、説法という形で、教えてくれる。プロ集団がある。
専門家の教えに、耳を傾けると同時に、自らも、それを日々の生活の中で生かしていく。実践していく。ということが大切なことである。仏の教えは、説法を聞いて、それを実践する。実行する。つまり、行動することにある。


一方的にこの世というプールに放り込まれて、何が何でも向こう岸まで泳ぎ切らないという宿命をもっているのが人間だと観念して、お経をむさぼり読み、どんな些細なことも心して、真摯に受け止め、ひたすら釈迦の教えに忠実ならんと努力することが、波風の少ない穏やかで平穏な人生を約束するに違いないと信じて、生きてきた。

そうしてこういう意識を持ってからの自分の過去の生活を振り返ってみると確かに釈迦の教えの通りの結果が出ているから、お経は味読して理解して上手に人生を生きるハウツーものとして活用すれば心豊かな人生が約束される。


釈迦自らの言葉だとして、まとめられたお経が法句経である。釈迦はその中でいろいろ短い言葉で歌うようにして説法されたと伝えたれているものであるが、その中に、自灯明、法灯明というのがある。

わかりやすく解説すると、人は、まず己を頼りとして生きよ。その生き方は私が説いた教え、法にあると言うことである。つまり、人は自分をよりどころとして、法に沿って生きるならば、まっとうな人生が送れる。ということである。











輪廻転生

2008年03月11日 | Weblog
カルカッタ(・コルカタ)から列車に乗って、バラナシについたら、直ぐガンジス川の沐浴場に出向いた。
年間に百万単位の ヒンズー教徒が訪れるという聖地。これがバラナシである 。
一体ここではどんな儀式があるのか、するのか、興味津々である。

沐浴する人々の姿を見て、こんな汚いところに、こんなに大勢の人が 浸って衛生上の問題はないのだろうか。水は茶褐色に濁っているし、沐浴中の人々は、体を洗い、川の水を飲んでははき出すうがいをする。
それがまるでイモのこを洗うように大勢でやっているので、非衛生なことおびただしい。とても彼らに混じって、沐浴するという気にはなれなかった。またここには動物の死体、場合によっては人間の死体さえも浮かんでいることがあるという。

そこで僕はここで沐浴するのをあきらめて、人のいない上流で川につかった。
水は生暖かく、表面は穏やかな流れのようにみえるが、底のほうはかなり流れは速くて、足を取られそうになった。水中につかりはしたが、彼らのやるように、うがいをしたり、この汚水を聖水として持ち帰るなどと言うことは、どうしても出来なかった。ホテルに帰ってからは直ぐシャワーを浴びて体の隅々まで何回もシャワーで洗い流した。そうでもしなければあの汚い汚水が体にへばりついているのじゃないかという気がして気持ちが悪かった。少なくとも大勢のヒンズー教徒が沐浴して一向に平気な顔をするどころか、満足そうな表情さえ浮かべているさえ、浮かべているのとは全くかけ離れた、気分でいた。同じ事をしても、宗教が違えばこんなに違うものか。僕は体でこのことを体験した。

沐浴をすませたので、バラナシの名物?である火葬を見に行った
。火葬はこの川岸で、薪を井桁にくんで、その上に死体をのせて、燃やすのである。時間を計ったら、2時間くらいで、ほぼ骨灰になっていく。
 骨灰になると、すべてそれらは、ガンジス河の水中になげいれられる。在世した人間は、それで跡形もなく、完全に消滅して終わるのだが、ここから先についての信仰がある。
即ちヒンズー教徒が死ぬと、ここで火葬され、骨灰がガンジス河にながされることによって、魂は常住極楽に往生し、輪廻転生の輪から逃れて、極楽にいて、この世に生まれ変わることはないと信じられているのだ。つまり輪廻の輪から解脱するというのだ。だから死ぬことは悲しみには違いないが、ある一面では、輪廻の輪から逃れる、喜びであり、祝福される部分があるのだろう。

 そういえば先ほど、1団の葬列に出会ったが、バンド付だ。楽隊は
陽気な音楽を、ラッパや鉦、太鼓で奏でてる。葬式ににぎやかな音曲等ならして、不謹慎だとさえ思った。
こういう事の根底に流れる、哲学や儀式には、慣れ親しんでいないところから来る、違和感がある。
それはインズー教と仏教の哲学や儀式のあり方などの違いなのかもしれない。
 死んで生まれ変わるという話は、仏教にもあるし、キリスト教の中にも死んでのちに、パラダイスに行くと言う話もある。
 またチベットのラマ教では、前世の記憶がないと、リーダーには選ばれない、なれないという約束事があり、それについては、かなり詳しくチエックされて、パスした者のみが選ばれるらしい。
いずれも科学的には、証明されたことではないが、時間空間を超えて、共通した死生観があるのは、事実である。

さて輪廻転生ということについて、僕が理解していることを少し書いてみよう。
輪廻転生”とは、人間の本質は肉体の死を以て終了するのではなく、来世で異なった存在となって生まれかわるという思想で仏教やヒンズー教の中にある。またこれに類似する思想は、ヨーロッパなど世界中にある。

バラモン教では、人間には精神や肉体を超越する、その人間の原風景ともいうべき“我”が存在するとされ、それこそ輪廻転生する主体であり、そしてそれはバラモンの創造主梵天(ぼんてん)そのものなのである。

来世で何に生まれ変わるのかは、現世の行い“業”によって決定される。それが良い業であれば、身分の高い人間や神に生まれかわることができ、悪い業であれば、それこそ動物や虫といった卑しい存在に転生してしまうのだ。


輪廻転生とはバラモン教においても仏教においても、現世は非常に苦しいものであるとされる。その苦しみから抜け出すには輪廻の輪から抜け出す"解脱"を達成するしかない。と考える。

解脱の条件とはバラモン教では梵天一如の真理を悟ることで、仏教では無我の境地に達し仏陀となることである。これを"成仏"といい、これこそ仏教の最終目標である。

六道とは天上界・人間界・阿修羅界・畜生界・餓鬼界・地獄界という六つの世界で構成され、人問として存在している現世は人問界にあたる。

しかも仏教に馴染みの薄い先進各国にも輸廻転生思想は存在する。ある調査では英米ともに四人に一人が生まれ変わりを信じているという調査結果がある。  

現代の人々にある輸廻転生思想とは、バラモン教から発生し仏教が2500年問培ってきたそれを受け継いでいるものではなく、あくまで主旨の異なる独自のものであることがいえる。

「生まれ変われる」という抽象的な願望のみが強調されたものとなっているのだ。実際、人々が最近のそのような新興宗教や非科学的といえる輪廻転生思想に惹かれるのは、それを望んでいるからであって、そのこと自体がバラモンや仏教での教えに矛盾している。

元来、輪廻転生とは苦しみであったのだ。また、それを望むということは"生"への欲望であるともいえ、すべての欲望を断ち切り解脱するといった本来の輪廻転生の教えはすでにお座なりにされているといってよい。


物質飽和と情報氾濫が現代人に何らかの精神的「満ち足りなさ」を感じさせていることは事実である。人々にとって現代とは、欲しい物は(ある程度)手に入り、すべての物事について(ある程度)予備知識として知ってしまっている、意外性のない無感動な社会なのである。こういう状態を社会学では「オブ・コース・ステイトメントの世界」と言うらしいが


、このような何もかもが当たり前に存在する現実の世界より、科学的に、常識的にはとらわれない未知が存在する可能性を秘めた宗教や超常現象に人々の関心が集まるというのは、むしろ自然な…ことといえるのではないか。

無論、輪廻転生もそのひとつということになる。古代、「貧しさ」が産んだ輸廻転生が現代では「虚しさ」から興っているといえるだろう。いつの時代においても人問とは現世に満足することができないものである。


古代において輪廻転生思想とは、現世での生活を「苦」とし、死をその苦しみの中のひとつの通 過点として受けとっていた。

、現代人にとっての輪廻転生思想とは、精神的「満ち足りなさ」の反映である。文明の発展によって物欲と知識欲を飽和させられ、現実の世界に新鮮さを感じ得なくなった人々は科学にはとら、われない意外性を求めるようになるのだ。


 しかし、その意外性を求める心理のみでは現代人に宿る輪廻転生思想を説明できるだろうか


無我や六道輸廻といった本来の教義を無視し、自分たちに都合のよい解釈をしている現代人の輪廻観は「死にたくない→生きたい」という人間として、当然にして最も基本的な原理からきているように思う。

科学的に解明され自らも十分に認識している肉体の死は避けることはできないにせよ、それ以外の何らかの形で「自分」を残し、存在自体の死から逃れようとする心理ともいえる。

科学的常識として自らの肉体的・精神的消滅を十分に認識しつつも、心のどこかに白らの永劫性を信じておきたいという心理があり、それが現代人を輪廻転生に惹きつけるのではないだろうか。


ロシアの思想家N・フヨードロスは「死者を蘇生させることこそ、人類最後の目標」という言葉を遺しているが、ようするに人間は永遠に生きたい、などと無体なことを考えてしまう生物なのだ。

そのために輸廻転生思想とは、現代においてはその非科学的思想を以て科学的に実証されている「死」を、認識することから逃れるために機能し、古代においては「死」を不可避のものとして受け入れるための役割を果 たしていたのだ。

輪廻転生とはどの時代にあっても、誰にとっても結局「よりよく生きたい」という人間が普遍的にもつ願望が生み出すもの、ということである







本当のこと

2008年03月11日 | Weblog
政治家に、巷の倫理や道徳を求めるのは、八百屋で魚を求めようとするようなものだ。と現職の法務大臣が言うのを聞いて、なるほど。うまいことをいったものだと感心した。

もう少しかみ砕いてわかりやすく言えば、要するに政治家とは胡散臭いことをする輩からだから、後ろでは、汚れたカネをめぐって取り引きを、日常茶飯事的に行うもので、そのことは大多数の国会議員の実体だから、別に、田中角栄容疑者一人を悪者にまつり上げて騒ぎ立てる事はない。

第一まだ一審であり、有罪が確定したわけではない。三審制の日本では、上級審で、どんな逆転劇が、起こるかも分からないから。

そして国民も国民ではないか。決して政治家のモラルだけがとわれているのではない。政治家を通してのたかりの構造において、庶民も、がっちり結びついているではないか。それならば、いったい誰が、田中容疑者のみを悪玉に仕立て上げる権利があるのか、彼が言いたい事はまぁ、こういうことだろう。

 しかるに日本は法治国家である。たとえどのような理屈をつけようとも、司法の判断と、裁きには従う必要がある。その法の裁きの万人の長たる法務大臣が、我々が抱いているイメージとはかけ離れた政治家の実態を経験上から語ったのである。
 
そして一審で有罪判決を受けた刑事被告人を暗にかばうような発言をした。当然のことながらはこの発言に、同調しない連中はこぞって抗議姿勢をむき出しにした。

つらつら考えるに、おおよそ、人間とは、スケールの違いがあるものの、だいたいこんなものであろうという。現実的理解を持って眺めると、きれいだとは思わないが、何かわかったような気がする。

しかし法意識を頭の上にしっかりすえて、この問題を考えてみると、やはり法務大臣の立場にある人の発言としてはふさわしくない。ある程度そうであろうと推定できるから実態としては、納得できても、むきだしにされると、抵抗感があるから、人間とは不思議な動物だ。

何事にも例外はある。政治家、の中にも、慣れ染まった人がいないかというとそうでもない。清廉潔白で、天下国家の繁栄を心から願い万民の幸福に少なからず、貢献しておられる人種が、数こそ少ないがおられるはず。これら少数の清廉な人種がこんどの問題をどう眺めているのだろうか。



おーい.雲のやつ

2008年03月07日 | Weblog
おーい雲のやつ

おーい雲のやつ.


そこの真っ白な大きいやつ.


今、俺はなー、阿蘇山の草千里で、大の字で寝転がっているんだよ。

お前 、東へ行くんだろう。

堺の上を通るとき、女房に言ってくれ、

浮気はしとらんから 安心せー。とな。

あっ。そうだ。子どもに土産に、ペンダントを買ったとな。

チー子は、まだ1歳だから、わかるように伝えてくれよ。

おーい。 雲のやつ。雷にうたれんように気をつけいけよ。

おーい、雲のやつ。そこの大きいやつ。 頼んだらぞー。

科学の限界

2008年03月07日 | Weblog
今から、1500年さかのぼると、聖徳太子の時代になる。科学は、その時代にもすでにあった。ただ現代のそれと比べると、あまりにも貧相で、科学と呼べるものではなかったかもしれないが、考え方の一つの方法論として存在した。

今から1000年の昔、藤原氏は、栄華を極めた。しかし、その時代にはテレビはなかった。もちろん、冷蔵庫も、電気掃除機も、クーラーも、なかった。
科学の、これらの文明の力はまだ未発達であった。だから当時の人々は、このような文明の利器の存在を知らない。当時の人々にとっては、これらのものは「なかった」のである。

ごく最近になって、これらの文明の明かりが、一般庶民をも照らすようになった。だから、そういう事実に裏づけられて、現代は、科学万能の趣がある。

科学がこの調子で進むと、今から300年、のちには、どのようなものが、この世に出現するか、想像さえつかない。それはあたかも過去の時代の人々が、平成時代の人々の生活を想像することができなかったようなものだ。科学はその積み重ねによって時間の経過とともに、ますますの大きな成果を出すことだろう。

だがしかし、科学で解明されたのは、宇宙全体の法則のごく一部でしかないと思われる。ということは未解明の部分がまだまだ多く残されているということである。科学(人間の頭脳)は未解明の宇宙の法則を説き明かそうと、どこまでも追い求めることだろう。

悠久の時間の流れのなかで、科学はその時代時代の限界性を持っている。つまり、われわれが来ている21世紀初頭には科学はそれなりの限界性を持っている。

もし、科学が宇宙のすべての法則を説き明かしたときには、科学は神になる。
はたしてそんな時代が来るのであろうか。

科学の追い求めるものは無限大で、どこまでいっても、結局は神にはなれないように、私には思えるのだが。つまり、科学には、その時代その時代の限界があるということだ。

ちょっとこれどうです?

2008年03月07日 | Weblog


人間は肉体と精神、心、魂と言ってもいい、から成り立っている。人は死んだときにその肉体は土に帰り、さらに元素に還元される。

それに比べて魂は輪廻転生を繰り返しながら、真実の言葉たとえばお経や陀羅尼
に触れると、仏の世界で修行することになる
。ここでさらにお経や祝詞に触れると、魂はさらに磨かれて神域へ近づく。
魂の内の極わずかの磨きぬかれた魂は善神となって存在する。
つまり、われわれの究極の落ち着き先は善神になることである。


大韓航空機にて

2008年03月04日 | Weblog
 韓国という国が好きなわけではないのだが、僕は大韓航空機は好きである。もちろん、メンバーになっている。
チェックインしたのは、11時半過ぎ。さっそく例のスカイパスを見て、うち込まれたマイル数を確認した。
やれやれ、これで帰れる。明日の朝はソウルだ。窮屈な座席で6時間近く辛抱しなくてはならない。だが、これは格安チケットだから、辛抱するのは当然だ。
 安堵感も手伝って、疲労が押し寄せてきた。しかし、今から自分の座席に着くまでが、ひと仕事である。いつものことだが、今日も自分の席に着くまでは、安心できない。僕は頭の中でそんなことを考えていた。

 日本人に比べると、どうも、韓国人は乗り降りのマナーが悪いようだ。いよいよ飛行機に乗るという段になると、並んでいても平気で、列に割り込むし、後がつかえていても、立ち止まって通せんぼ状態を作る。
後ろの人は、イライラしながら、彼が前に進むのを待っているが、それでも平気である。
これがなければ、大韓航空はもっと快適なんだがなぁ。安いから仕方がないが、僕は我慢がまんと自分に言い聞かせた。

 座席に向かって、乗客が我れ先にと殺到しだすと、僕も負けずに、行儀もエチケットもあるもんかとばかりに、強引にヒトをかきわけて座席番号の方へ進んだ。いつものように、チケットの半ぴらに書かれた座席表を見て、ホステスが指示した方へ、重い荷物を持って、人をかきわけながら進んだ。

探していた番号をやっと見つけて、やれやれと思ったのも束の間、アルファベットの記号が違う。 あれ、??違うじゃんか。入り口では確かに、23番と案内された。が、来てみれば記号が違う。
中に入ってくる人の列に逆らって、僕はその場に立ち止まってしまった。案内をしているスチュワーデスに、座席表を示しながら、イライラして、座席が違うじゃないかと声を荒げだ。そしたら、
「それは2階です。入り口の方に戻って2階に、おあがりください」という。
何? 人を押しのけてまで、ここまでやってきたのに。逆方向すなわち人の流れに逆らって、入り口に行きなさいだと。何たることだ。
僕は入ってくる乗客にぶっつかって、露骨に嫌な顔をされながら逆行して、入口へと人をかきわけて進んだ。

 おかしい。確かに2階はビジネスクラスで、エコノミーではないはずだと思ったが、今まで2階などに、上ったことがないので、ひょっとしたら2階にも、エコノミー席があるのかもしれないと思い、2階に上ったものの、エコノミークラスの座席は見当たらなかった。やっぱり思ったとおりだった。やれやれ、また間違ったか。
何度間違って案内すれば気がすむんだ。
僕は乗務員だったら誰でも良い。捕まえて、声をあげてしっかり案内せいと怒りたくなった。重い荷物を持ったまま、また下に送りなければならないと思っただけでもぞっとする。

 幅がゆったりした座席には、フットレストも付いている。座席の広さも、エコノミークラスのそれに比べて1倍半は、ゆうにある。
体を伸ばすと、床屋の椅子のように、楽な姿勢で寝る体勢だって,とれる。数えてみると、30数座席。ダメもとで、僕は近くにいた、らスチュワーデスを捕まえて、僕の座席はどこかと、とぼけてきいた。
「1番後ろの窓側です。どうぞお掛けください」と彼女は案内した。
「いや、違います。僕の席はエコノミーですよ。」
僕は内心、お前さん,また嘘をつくのか、と反発した。
「本日はこの座席で結構です。お掛けください」。
「本当ですか。重ねていうが、僕の席はエコノミーで、この座席ではないはずです」が、
「いいえ、今日は特別サービスなんです。遠慮なくお座りください」。
一体これはどういう風の吹き回しだ。僕は信じられない。そう思ったが、黙ってしまった。だが、いわれたままに指定の座席に腰をおろした。

 一生に一度くらいは、ビジネスクラスや,ファーストクラスに乗ってみたいと思っていたが、僕の予定では、いよいよこれで海外旅行もおしまいだという、最後の日にでも、乗ってみるつもりでいた。ところが、思いがけなくも、今日、今着席して味わうことができることになったのだ。
このことで、僕の心の中はがらりと変わった。気分が良くなったのである。イライラと、とげとげしい気持ちは、霧散した。
あははー、なんと単純な奴なんだ。この俺れは。僕は自分の軽さに苦笑した。

 先方がよいというから、この席についたまでの話で、それ以上のことは,詮索する必要は何もないのに、席に着くや否や、僕は何故こうしてビジネスクラスに、乗せてもらえるのか。その理由を考え始めた。
エコノミークラスが、オーバーブッキングになり、溢れたエコノミー乗客を何人か選んで、この席にしたのかもしれない。その際,この幸運の中に、僕がいたのかも。
韓国は今、海外渡航自粛で、ビジネスクラスの乗客は偶然にも、誰もいなかったので、スカイパス利用者に融通したのか、それとも、僕はバスの会員として、すでにマイレージで、2万マイルほどたまっている。これをベースに特別サービスをしてくれたのかもしれない。
理由はともかくも、格安キップで6時間もこんな扱いをうけるのは初めてで、非常に気分がよい。自分の無邪気さがよみがえったような気がした。
ああ良かった。たまにはこんなことがあっても良い。僕は先ほどからのくしゃくしゃした気分をすっかり忘れて、ルンルン気分になった。

 座席に座って、荷物の整理をしているときは、空席だった隣の席に、50歳ぐらいの見るからに, 品のない韓国人女性が座った。彼女は席に着くなり、座席の前のフットレストの近くに置いてある僕の荷物を,
足でさし示し、早く楽片付けるようにと,目で合図した。僕はむっとしたが、
こちらの荷物が相手の感情を害しているのだからと思い、急いで窓側に移した。
失礼な奴だ。僕はフカみたいに太った礼儀知らずのこのオバハンは一体何者か、オサトがしりたくなった。
真っ赤な口紅と同じものを足の指にぬっている。マニキュアも家庭婦人のそれではなく、その風体からして、一見しただけで、おミズ系統の女だと思った。本来ならこのビジネスクラスに似合わない無教養な人間ではないのか?。
あつかましい。およそ気配りの気の字もみせず、人の迷惑も考えずに言いたい事を言い、やりたいようにやる。それが開き直って恥も外聞も、失った、どあつかましい女だと僕の眼には映るのだ。
せっかくビジネスクラスの座席に座ってルンルン気分になったのに、いやな奴がきたもんだ。僕は不運を嘆いた。するとまた先ほどの忘れたはずの不愉快な気分がよみがえってきた。

 何を思ったのか、彼女は僕の不機嫌を無視して、急に英語がしゃべれるが、と英語で聞いてきた。
「すみませんが、」そのくらいの前置きができないのか。またいらついた。もともと僕はこの女に好感を持っていない。そこでぶっきらぼうに少しだけと言ってやった。
 彼女は、急に「変な匂いがしませんか。臭くないですか」という。
予想外の質問で、ちょっとびっくりしたが、僕は特別匂いも感じなかったので、「はあ?」 と意味不明の愛想のない返事をした。
それにしても、いったいこの女は、自分のことを何様とだと思っているのだ。お前中心にこの世の中が回っているんじゃないんだ。そう。少しは考えて、ものいったらどうだったらどうだ。僕は心の中でそう怒った。ところで臭いにおい?。僕はこの席に着いてから、異臭を感じたことはないし、まさか上等の席に悪臭を放つものなど置かれているはずもない。また自分としても、昨夜は宿で何回もシャワーを浴びたから、汗臭くわないはずだ。自分自らが臭いものを持って載ってるんじゃないのか?。
 そういえば、韓国人は、ニンニクを常食とするから、ある種の体臭を出していることがある。
僕が初めてソウルへ行ったときに、駅に着いて2階に上がった途端、名城し難いある種の、強烈なにおいに圧倒されたことがある。
体臭は日本人はないはずだ。何をいちゃもんつけているんだ。第一印象が悪いものだから、ちょっとしたことが癪のたねになる。ムキになりすぎていると思うが、それでも腹の虫は収まらない。折角ビジネスクラスに、乗せてもらって、ルンルン気分だと言うのに。これじゃ台無しじゃないか。このばばあ。
急に怒りがこみ上げてきて,爆発しそうになったが、僕は言葉を飲み込んだ。
 しばらくするとやホステスが飲み物をサービスし始めた。オバハンはホステスをつかまえて、臭い臭いと、においのことを連発している。
ホステスも当惑した顔をしながら、あいまいな返事をしている。彼女は二人の乗客を怒らせないようにうまく質問に答えているが、腹の中では困っているのが、僕には手に取るようにわかった。
オバハンはそんなあいまいな返事で、納得するような女ではないが、
前からサービスを終えたワゴンが来たので、ホステスはそのまま後へとひっこんでしまった。
 飛行機のこの狭い空間の中で、においを問題にしてどうなるというのだ。ここは上等の客が乗るところだ。もっと上品にしろ。がたがた言うなら下に降りて、エコノミーに行ったらどうだ。喉元まで、日本語がでかかったが、韓国語や英語では言い方が分らないので、ただ黙る他はなかった。実にはがゆいに思いをしたが、それは仕方がなかった。

 視線を感じて振り向くと、オバハンはちょっと笑みを浮かべたような顔をして、こちらを向いて英語で話しかけてきた。聞きたくもないと思ったが、英語だったら少しは話が通じるので、いやいやながら、相手をした。彼女が言うには、
「韓国からカナダに移住して、もう45年にもなる。5歳の時だからやっと物事が分かる・物心がつきはじめたころで、移民の私はろくすっぽ、教育を受けないで、ただがむしゃらに働いた。そのおかげで母国は非常に経済状態が悪いが、こうして何十年ぶりかで里帰りもできる。いつもはエコノミークラスで、こんな上等の席に座ったことがないうえに、自分はこのようなランクの所では、どのように振る舞えばよいのか分からないので、ふさわしい振る舞いができなくて悲しい。だからめったにこういうところには乗らない。
 ところが、今韓国は経済的に大変だということで、それじゃこの機会に少しでもお役に立てばと思い、今日はこのクラスにした。直行便だったら早いし、安いことは分かっているが、ちょっと旅行もできる身分になったので、バンコク見物をして、韓国に帰るのだ」。
と彼女は言う。

隣の席の僕には,気配りができていないが、この人は異国で頑張って一旗あげて、今故郷に錦を飾ろうとしているのだ。教育も受けずに生活基盤のない異国で、生きることは生易しいことではないが、彼女はどんな苦労したのか知らないが、彼女なりの成功をおさめて、今故郷に錦を飾ろうとしているのだ。
僕は彼女の無礼も忘れて、彼女の身の上話に耳を傾けた。
礼儀作法も知らない。教養もない。しかし生活面では成功している。おそらく欠食したこともあっただろう。しかし歯を食いしばって、努力に努力を重ねてここまでやってきたのだ。ここまでなるには、おそらく大変な思いをしたことだろう。

僕は問わず語らず足らずで、彼女が先ほどからクチにする英語の会話の流ちょうさ関心を持っていた。なるほど。
さっきから英語を聞いているが、非常になめらかで、上手だ。僕はしばし彼女が45年間の間にカナダで身につけた英語の美しい発音に聞き惚れていた。

 「あなたの靴じゃないかしら」
突然彼女は話題を変えた。僕ははっとした。先ほどから、それとなく、悪臭の源を心の中で、いろいろ探していたが、思いあたるのは、靴下と靴以外には考えられない。シャワーは、浴びたが、靴までは洗っていない。そうかもしれない。悪臭、とか、臭いとか、彼女が言った臭いの発生源は僕の靴かもしれない。
そして事実。彼女が指摘したとおり、悪臭の源は僕の靴であった。
さっきのちょっとした身の上話で、心が通じ合っていたので、僕はこれが源かもしれないと率直に認めた。彼女は原因が分かったので、それ以上どうして欲しいとは言わなかった。たた僕の方は、ちょっと気恥ずかしい気持ちになった。しかし、怒りの感情はどこかへ霧散していた。会話によってお互いに多少とも、心が通いあったので、僕は再び元の気分を取り戻して上等席に、座って偉くなったような気になった。

気分はちょっとしたことで、ころころ変わる。僕は気分屋だな。そう呟いて、苦笑をしたが、僕はそれはそれで良いと思った。
なんの悪戯かしらないが、頂上の気分から一転して谷底へ、そしてまた頂上へ。人間は感情の動物だというが、実にその通りで、今回の旅で、それを思い知らされた。と同時に、これは自分の頭の中だけの揺れで、この飛行機が実際に、僕の頭の中のように揺れていたら、地獄を見ることだろうなと恐ろしい気もした。
ビジネスクラスの席で、僕の気分は先ほどからダッチロールを繰り返していた。それで良かったのだ。
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日本初世界へ

2008年03月04日 | Weblog
原理を発見することから、すべてが始まる。だから、原理を発見することがいちばん大切である。ところが、そう原理を発見するためには時間と金がかかる。

日本は実用研究へと飛びつき、それをうまく金もうけにつなげていく。

古来、日本はすべて他国から文明を持ち込んで、それを日本流に同化させてきた。日本初世界へというものではない。基礎研究をおろそかにしている証拠である