無責任はどちらか
小泉元首相が脱原発論を唱えると安倍首相は
「国政を預かる者として反原発論は無責任だ。代替エネルギーの見通しもなく、原子力エネルギーを失ったらどうして電力の安定供給ができるのか。その見通しもないままに脱原発反原発というのは現実論から考えて無責任な話だ」
という。
小泉さんのを言うように「のゴミ処理法も廃棄場所も決まっていないのに再稼動してさらにゴミを増やすという原発の悪循環を断ち切るためには政治首相が決断すべきである」
と言うのは説得力がある。
現在人間の力でコントロールできない原子力は一旦事故を起こすとその被害は金銭で補えないものがある。それは2年経った福島の現状を見るとよくわかる。 2年たっても故郷に戻れないじゃないか。それについて誰がいったい責任を負うのか。それが決められていない。また事故が起こった場合にはその損害をカバーしきれないのは福島の現状を見れば判る。
小泉安倍両氏の考え方は全く噛み合っていない。政治哲学ベクトルが違うのだ。人間が完全にはコントロールしきれない原発を抱え事故が起こったならば福島の二の舞になる事は必定。そんな危険を犯すより危険物を取り除いて国民が安心できる新エネルギー開発の流れを加速させる方が政治家のとる道だと言う小泉さんのどこが無責任発言になるのだろうか。
真に国民の安心安寧を願うならば危険を伴う原発稼働は徐々に減らしていくというのが国を愛する政治家の責務だと思う。福島の事故対策も完璧にできていない状態で、現状を維持並びに再稼動という意見こそ国民に背を向けていると批判されるべきである。
小泉元首相が脱原発論を唱えると安倍首相は
「国政を預かる者として反原発論は無責任だ。代替エネルギーの見通しもなく、原子力エネルギーを失ったらどうして電力の安定供給ができるのか。その見通しもないままに脱原発反原発というのは現実論から考えて無責任な話だ」
という。
小泉さんのを言うように「のゴミ処理法も廃棄場所も決まっていないのに再稼動してさらにゴミを増やすという原発の悪循環を断ち切るためには政治首相が決断すべきである」
と言うのは説得力がある。
現在人間の力でコントロールできない原子力は一旦事故を起こすとその被害は金銭で補えないものがある。それは2年経った福島の現状を見るとよくわかる。 2年たっても故郷に戻れないじゃないか。それについて誰がいったい責任を負うのか。それが決められていない。また事故が起こった場合にはその損害をカバーしきれないのは福島の現状を見れば判る。
小泉安倍両氏の考え方は全く噛み合っていない。政治哲学ベクトルが違うのだ。人間が完全にはコントロールしきれない原発を抱え事故が起こったならば福島の二の舞になる事は必定。そんな危険を犯すより危険物を取り除いて国民が安心できる新エネルギー開発の流れを加速させる方が政治家のとる道だと言う小泉さんのどこが無責任発言になるのだろうか。
真に国民の安心安寧を願うならば危険を伴う原発稼働は徐々に減らしていくというのが国を愛する政治家の責務だと思う。福島の事故対策も完璧にできていない状態で、現状を維持並びに再稼動という意見こそ国民に背を向けていると批判されるべきである。