日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

無責任はどちらか

2013年11月14日 | Weblog
無責任はどちらか

小泉元首相が脱原発論を唱えると安倍首相は
「国政を預かる者として反原発論は無責任だ。代替エネルギーの見通しもなく、原子力エネルギーを失ったらどうして電力の安定供給ができるのか。その見通しもないままに脱原発反原発というのは現実論から考えて無責任な話だ」
という。

小泉さんのを言うように「のゴミ処理法も廃棄場所も決まっていないのに再稼動してさらにゴミを増やすという原発の悪循環を断ち切るためには政治首相が決断すべきである」
と言うのは説得力がある。
現在人間の力でコントロールできない原子力は一旦事故を起こすとその被害は金銭で補えないものがある。それは2年経った福島の現状を見るとよくわかる。 2年たっても故郷に戻れないじゃないか。それについて誰がいったい責任を負うのか。それが決められていない。また事故が起こった場合にはその損害をカバーしきれないのは福島の現状を見れば判る。

小泉安倍両氏の考え方は全く噛み合っていない。政治哲学ベクトルが違うのだ。人間が完全にはコントロールしきれない原発を抱え事故が起こったならば福島の二の舞になる事は必定。そんな危険を犯すより危険物を取り除いて国民が安心できる新エネルギー開発の流れを加速させる方が政治家のとる道だと言う小泉さんのどこが無責任発言になるのだろうか。

真に国民の安心安寧を願うならば危険を伴う原発稼働は徐々に減らしていくというのが国を愛する政治家の責務だと思う。福島の事故対策も完璧にできていない状態で、現状を維持並びに再稼動という意見こそ国民に背を向けていると批判されるべきである。

出会い系

2013年11月13日 | Weblog
出会い系

悪徳業者に金をむしりとられる怖いサイトだから、こちらから一切手を出さないように気をつけている。
「見るだけよ」の世界だが、書き込まれている内容は、深読みするまでもなく、人生の孤独を訴えている。

たとえ夫婦であったとしても、すき間風が吹くやら、相性が悪いやら、仕事で単身長期出張で妻は1人で孤独に追いやられている現実がある。
孤独が思いやられる。

人生なんて本質的には孤独である。 1人で生まれてきて1人で死んでいくそれが人生だ。どんなに仲の良い夫婦といえども同時にうまれ同時に死ぬなんて事はあり得ない。

孤独であると言うのは、あくまで話し相手がいないと言う現実の場面であり、本質的孤独を言うものでは無い。

そこで孤独を紛らわすために外出してショッピングをしたり、サークルに参加したり、誰にも迷惑をかけないようにしてカップリングになるか、その辺どれでもよい。要は孤独から抜け出すこと。
そういう場合に出逢い系を利用するわけだが、ここは悪徳業者の巣といってもいいのじゃないか。気をつけるべし。

未来の子供たちのために

2013年11月12日 | Weblog
未来の子供たちのために

もし仮に核のゴミの処分場が決まって、格納した場合、放射能が人体に影響を及ぼさないように減衰するには、万年単位の時間がかかるということだ。

時間がかかると言う事は、その時間分だけ維持管理費が発生すると言うことだ。ごみを燃やして灰にして畑に撒くと言う具合には簡単に処理ができない。

その莫大な費用を子々孫々まで負担させると言うのか。そうだと言うのなら昭和、平成人は後世の子孫にのために大きなつけを残したことになる。

平成時代と言うのはそんな大きなつけを後世に残さなければ、生きていけなかったのか。

原発再開、新設、継続使用を望む人たちよ。君たちは後世に残る核のゴミ処理問題にどこまで責任を負えるのか。負うつもりなのか。

今が問題で後は野となれ山となれというのであれば、無責任も甚だしい。
そんな無責任な考えを持つ人間が国政をとると言う事は国を滅ぼすことにつながりかねないということになる。



トンボ釣り

2013年11月11日 | Weblog

トンボ釣り

ひょっとして郊外の池の傍だったらできるかもしれない。
トンボーを糸でくくりつけ、それと30センチくらいの長さにして箸の先に括り池の端でくるくる回してトンボが飛んでいるようにすると池上を飛んでいるトンボは先端のトンボにめがけてサカリにくる。
つながったところで手で押さえると、いっちょうあがりである。子供の時分このトンボ釣りをよくやったものだ。

そこで思い出すのは出会い系サイトである。箸をくるくる回して飛んでいるのは偽の女。とんぼを回しているのは業者である。池上を飛んでいるというのは僕と言うオスのトンボであるである。

メストンボが見えにくい糸で結びつけて、くるくる回すとアホな雄とんぼはメストンボめがけて突進する。このときにサイト業者にうまいことを言われ桜が応答していると、しこたま金をとられて、メスをものにするのはごくまれなケースである。

なんて平和な世の中なんだろう。
戦争中なら弾丸だ飛んできてこんなインチキ商法が成り立つ事はなかったのに

無職人は恐ろしい

2013年11月10日 | Weblog
無職人は恐ろしい

田園調布で女子中学生が誘拐された。犯人は3人で45分後府中で逮捕された。
犯罪性のある闇サイトに呼びかけたら身も知らずの男に出会い初めて対面した時その時に誘拐犯となった。
2人が沖縄から出てきて神奈川県にいた青年ふたりである。

思うに、もし2人が職業についていたらおそらくこの犯罪には加わっていなかったことだろう。仕事は無いわ、したがって金がないでは犯罪に走る条件が整っている。
こうして犯罪仲間に加わり人生に大きな傷をつけた。今後はハンディを背負っての職探しだ。条件は以前より困難なものになるだろう。
飯が食えなくても、金がなくても、人間と言うのはどこかで頑張らなくてはならないのだ。踏ん張りが足りなくてこけると人生はめちゃくちゃになる。定職につかない無職人が常に犯罪のふちに追いやられている
無職は危険だ。

席を譲る

2013年11月09日 | Weblog

席を譲る

歳のせいだ。立ちっぱなしだと関節が痛む。座りたいなぁと思っていたら前に座っていた学生さんが席を譲ってくれた。ありがたかったので何回も頭を下げてお礼を言ったら彼ら恐縮していた。

僕らは小学校時代に老人や病人には席を譲りましょうと道徳の時間に習った。そして壮年時代まで教えを守った。

戦後教育ではこういう種類のチケットは道徳として退けられたが、こーゆーエチケットは普遍的なこととして、いつまでも守り続けていきたいものだ。

通りいっぺん一律のエチケットとして定着しているわけでもない。
常識をわきまえた一人の青年が気を利かせて座席ゆずってくれたのだ。

ありがたいと思うと同時に、かの青年のお人柄の良さががしのばれた。



ママ友ルーム

2013年11月08日 | Weblog
ママ友ルーム

子育てに知識不足や経験不足あるいは初めて遭遇する不安など諸問題に現代はどう対処するのか。

従来は子育ては先祖伝来伝承される知恵であった。同居する親は子育てヘルパーとして子育てママを援助した。子供はおばあちゃんの背中で育ったものである。

ところが現代、先祖伝来という知恵が若夫婦との別居によって立ち切られてしまっている。困ったのは子育て未経験のママである。子育てに大切な知識や知恵をどこで学ぶのか。

従来の縦の線からの断絶を補うようにママ友ルームができ始めた。
子育てママが一同に集まって情報交換をしながら育児を進めようというのである。縦のラインが横のラインになって子育て知識や情報が広がっろうとしているのだ。

子育てママルームには相談できる専門家も駐在するそうな。
でも何でも良い。
ママにも育児にも良ければ。これは世代交代の一断面を見事に見せてくれている。

原発のコスト計算の不思議

2013年11月07日 | Weblog
原発のコスト計算の不思議

未だに最終処分場も決まっていないし、したがって最終処理費用が決まることはない。だのに原子力発電がコストが安いから再稼働したいと関西電力は言う。一体コストはいくらなのだろうか。 詳しく説明してほしい物だ。

年収200万以下

2013年11月06日 | Weblog
年収200万以下

労働人口の23パーセントが年収200万円以下の人である。人数に直すと1000万人を超えるのではないだろうか。
年収200万と言うと月割りにすると手取りで15 万円位かな。
この程度の収入だと、ひょっとすると生活保護よりも少ない場合もあるかもしれない。
何人が生活するかにもよるが、限界線上にいる事は間違いない。病気でもなったら奈落の底へ転落するだろう。
3 、40年前は日本人1億人が中流意識に彩られていたが、今はその影もなく痩せ細ってしまっている。

一方で大企業の社長や会長は年俸が1億円を超えている人もいる。
そこで考えるのだが富の公平な分配というのが政府のいちばんの役割だと思うが、そのようにはどうも機能していないみたいである。

高額所得者の中には所得が多ければ多いほど、税率が上がるので日本では蓄財できず、財産を海外で移転しようと考えている人もいる。
自分が努力したお金だからそれを日本に置こうが海外にもちだそうが、個人の自由ではあるけれども、何か大きな矛盾を感じるのは僕だけだろうか。


宝物を見逃す

2013年11月05日 | Weblog
宝物を見逃す

若い時は別にして、高い山から谷底つき落とされるような落差の激しい日常の出来事があれば、それに翻弄されて心が落ち着かない。
落差の少ない日々を振り返ってみて、感謝しなければならないのに、平々凡々すぎると反対に不満が噴き出す。
こんな感情に流れて日々を送っていると、日々の味わいを感謝の気持ちで締めくくることができない。
自分の人生を省みると、みすみす宝物を取り逃がしていいような気がする。



ニュース

2013年11月04日 | Weblog

ニュース

毎日テレビで見ているが、平穏無事で小さいニュースしかない日は何か無理物足りない感じがする。
重大ニュースは大抵の場合悲しむことが多いという事は、求めるものと現実は逆である。

例えば3人が犬に噛まれたと言う事実では気の毒だとは思う反面、こんな小さな出来事がニュースになるのだろうかとがっかりする。

殺人事件は治安が良いといわれる日本でも日常茶飯事で、事件がない日のほうがはるかに少ないという事は、心の中では、3人がかみ殺されたということを期待しているのであろうか。

自分でも本心がどちらにあるのかわからない時がある。いずれにせよ、人が傷ついたり、殺ろされたりすることはよくないことである。

そんな暗いニュースを知って喜ぶのは誰もいないと思うが、魔が差すと殺傷を期待する心と、そうでないように願う心。相反する感情が抱き合わせて意識の上に登ってくることがある。

人間が不幸を願っているのか、人生が不幸にまみれているのか。

平成の演歌

2013年11月03日 | Weblog
平成の演歌

昭和を生きた人間だから、ノスタルジャもあって昭和歌謡にこだわるのかもしれない。

覚えた歌にはロマンがあった。そこには心に響くメロディーと私がいた。おおよそ時代とはかけ離れた、歌もあったが、それはそれとして受け入れられた。
なぜだろうと考えてみるとノスタルジアは別にしても何か心に通じるものがあった。

ところが平成も25年たつというのに心に留まる歌がない。時代感覚が合わないかもしれないが、平成演歌を歌おうとも思わないし、うたいたい歌もない。花は咲く は別にして 。

率直な感想を言えば昭和の作詞家曲家の方が質のレベルが高かった。もちろん曲数の多さも平成とは比べ物にならない。

気にとまり覚えようとする作品がほとんどないというのは、
僕が時代から取り残されているとは思わない。やはり良い作品がないと言う一言に尽きる。



死刑の男が蘇生

2013年11月02日 | Weblog
死刑の男が蘇生

イランで絞首刑になった男37歳が翌日に生きていると確認された
法律家は死刑は未執行の状態だから再度執行が必要だと主調したそうだが死刑執行の24時間後に生存していた場合の規定では法律は無いという議論が交わされて死刑から無期刑に変わった。

滅多に起こることでは無いのだが、人間社会ではこういうことが万が一にも起こるのだということを考慮しておかなければならない。

医者が死亡を宣告してから生き返った人が現に四日市に現れた。という報道の記憶がある。万々一のハプニングだろうが、事は人命に関わることだけに見過ごすことは出来ない。
人間には普通の常識を破る事が数こそ少ないが、あることがある 。

脱原発

2013年11月01日 | Weblog
脱原発

民意は脱原発を望み、政官財の抵抗を押し切り実質的な脱原発を実現しつつある。
世論調査なでは段階的に減らして将来は止めるというのが7割だったが13年には再稼働に反対が6割を占めた 。

電力の3割を担う原発が止まれば経済も生活も崩壊すると思われていたが原発をめぐる政治経済の構造を国民が意識した結果節電が進みデモが起こり原発はとまっていき、それでも生活に支障はなかった

特に関西電力では夏を2つを過ごして原発ゼロは既成事実になりつつある関西電力では原発を動かさなければ赤字になるとはいうが、最終終末処理費が原価に加えていない、原発原価は信用できない。
会社が言う原価とは一体中味は何だろうか。

ドイツでは政治家が脱原発を宣言したが日本では原発に足をとられた政官財の傾向を押し切り、脱原発を実質的に実現しつつある。

小泉元総理は脱原発を主張する。核のゴミの終末処理も出来ないのに再稼働させればゴミを増やすだけでその処理方法が判らないので反対だと言うが、尤もな話である。再稼働派の人達はこの問に誠実に答えなければならない。


生活保護支給

2013年11月01日 | Weblog
生活保護支給

健康で若い人が職業がないから生活保護費を岸和田市に申請した。岸和田市は健康だし若いから就職活動をすればきっとよい仕事が見つかると言って請求を棄却した。
男性は就職する意思も能力もありそして就職活動を真面目にやってみた。しかし仕事は見つからない。切羽詰まってる生活保護をし支給を申請したが却下された。
>
> 今日の判決で裁判官は生活保護を支給することと、今までの損害として60万円を弁償することをつけ付け加えた。
裁判所が言うには求職活動を真面目にやっていたのという判断に理解が足りなかったからだ。その部分が法の精神から逸脱している。

僕はこの判決が常識的なものであると判断した。だから裁判の結果を支持する。
岸和田市の判断はちょっと配慮が欠けたところがあると思う

働ける年齢層の生活保護受給者を増やしたくない、
だから探せば仕事はあるはずだと申請者に求職活動を求めるだが、学歴や資格もなく病気など関連がある困窮者にはなかなか仕事がないのが現実だ判決は普通に就職活動をしていて、ない場合はそれを詳しく調べる必要がある。
困っていたら一旦保護開始しその後に終了の支援をするのが筋道だろう

今回の場合車の免許もなく最終学歴が中卒で労働環境は厳しく同じ働き盛りの30代。一般の人に比べて中卒の失業率が際立って高い 。

行政は生活に困る国民に必要な保護を保証するという生活保護法の趣旨を理解すべきだ 。具体的には就職の手助けをしてもいいくらいだった。