Y's クロニクル

旅行等の一生思い出に残る事から日々の小さな出来事まで少しずつクロニクルに残せたら・・・と思っています。

赤毛のアンの新しいヴァージョン「アンという名の少女」@netflix

2017-06-23 08:05:41 | TV・映画の感想、書評など

最近の心が痛んだ目撃談。

近所の小学校の校庭に沿うようにある細長いささやかな公園で近くの
保育園児たちが遊んでいた。
数人の先生と一緒で課外保育っていうのかしら

その中に男性保育士がいて、なかなかのイケメン先生だった・・・のだけれど、
その一見、爽やかそうな雰囲気とは真逆のシチュエーション

イケメン先生は小さな・・・まだ3,4歳というところだろうか?男の子と正面に対していた。
「す・わ・り・な」「座りな」「ス・ワ・リ・ナ」とひたすら威圧的にその子に命令していた。
男の子と先生の間は3mくらいだったかな~???
仁王立ちに近い立ち方の先生とそれを見上げ動かない子供。
なにか異様な感じがした。

私はその間も歩き続けていたので、ほんの数秒の目撃なのだけれど、
なぜに男の子はその様に「座れ」と命令されているのか前後関係が全く分からないのだけれど
「座れ」と命令されなきゃいけない良からぬ行為をしたのだろうけれど。
子供がかなり見上げなければいけない目線で大人がひたすら「座りな」と発し続けている事は
子供にとってかなり恐ろしい状況じゃない
子供は反抗してというよりは、固まってただただ「座りな」を連発する先生を見つめていた。
正確に言うと1度違うパターンも先生は言った「座りなって言ってるんだからす・わ・り・な

どんな悪い事をしたのかは知らないけれど、もし私がこの子でも1度、命令に従うタイミングを
外してしまい先生にひたすら「座りな」を連呼されても体が動かないだろう恐怖で。

程なく通り過ぎてしまったので、その先は分からないけれど男の子がとても可哀想だった。
トラウマにならなければ良いのにな~と願った。
その保育園にチクってやろうかとも思った
モンスター・ペアレントじゃなくてモンスター・ネイバー
いや、これはモンスターではないだろう・・・

大人が考える以上に心の傷は長い間残る。
とても小さな事と思える事でも傷になる事がある。
そしてその傷が癒えるのは、それを補うだけの温かさに触れ続ける長い年月がいるのだろう。

さて~netflixで「アンという名の少女」原題は「Anne with an "E"」というドラマが先月から配信されました。
モンゴメリーの「赤毛のアン」のドラマ化です。
カナダの会社が作ったドラマをカナダ以外にネットフリックスが配信しています。

大のアン好きの私には嬉しいドラマです。
「人生に必要な知恵は全て幼稚園の砂場で学んだ」という有名な言葉がありますが、
「人生を前向きに生きる知恵は全て赤毛のアンで学んだ」と私的にはなるわけです
大げさじゃなく、本来あったはずの私の中のオプティミスティックな部分・・・ペシミスティックに支配されがちな
そういう部分を引き出してくれたのはアンでした。

シリーズ1は7つのエピソードがあり、原作をなぞって作られてはいるけれど今までの映画やドラマのアンとはかなり
違う作りになっていて、毎回、泣かされてしまいます。

主役のアンはエイイーベス・マクナルティとう子が演じていて、これが原作を初めて読んだイメージとピッタリな女の子
私の中でアンと、これまた大好きだった物語の「長靴下のピッピ」はほぼ同じ容姿のイメージ。
というのは小学校の時に読んだ「赤毛のアン」はまったく挿絵的な物は無かったと記憶。
それに対して「長靴下のピッピ」は表紙にはピッピが描かれていたので、アンはピッピの様な女の子なんだろうと想像していた。
どの映画やドラマでも、今までは自分の中のイメージとは違ったけれど、今回は納得している。

オープニング映像がとても美しい。ウィリアム・モリスっぽい幻想的な映像の中のアン。

主題歌はザ・トラジカリー・ヒップというカナダの人気バンド(私は全く知らないバンド)の
「Ahead by a century」という曲。
この歌詞の中に「リハーサルなんて無い、それが人生」ってあってなかなかね~これがね~
「ぶっつけ本番!!!それが人生」と訳したほうがもっと楽天的でいいかな

毎回、泣けるのは原作とは違いアンの心のバックグラウンドが描かれているから。

夢想家でひたすらおしゃべりし続けるアン。
難しい大人が使う様な言葉をたくさん知っているアン。

そうならざるを得なかった幼いアンが経験してきたであろう辛い過去とそれに向かい合うアンが描かれているのだ。

ご存じのように養父、養母はマシューとマリラ。
彼らは当初、働き手となる男の子が欲しかったので手違いで来てしまったアンに戸惑う二人だけれど
マシューは早くから受け入れマリラは受け入れたいとは思っていなかったが、あるエピソードで変わる。

学校に編入したアンは孤児という事で周囲から偏見の目で見られ、友達にもいじめられる。
その友達の親からは問題児として非難がマリラにも向けられるエピソードが心を打った。

女の子の友達とアンは休み時間にあるおしゃべりに夢中になる。
ある子が先生とその学校の女の子が二人っきりで部屋に閉じこもっていたという話で
アンは「それを親密というのよ」と話す。他の子は「親密」という意味が分からないのでアンは自分の
体験を話す。
それがとうてい幼い子供とは思えないエピソード
「ねえ!その女の子、先生の下半身に手を伸ばした」「私のいたお家では奥さんがそうするたびに子供が出来たのよ」
興味津々で笑い合う女の子達。
それが親の耳に入りアンを退学にしてほしいという要望が出てマリラも親の仲間外れにされてしまう。

厳格なマリラはアンに不信感を抱き、やはり悲しみにくれているマシューに訴えるのだけれど、
マシューの答えが意外だった・・・
当然、マリラはマシューもアンに対する落胆で悲しんでいるのだろうと思っていたのだけれどマシューは
こう言ったのだ。
「あの子の年齢で覚えなくても良い事を覚えなければならなかったアンを思うと切ないのだ」と。
マリラと同じに私もハッと気が付かされた。
表面に出てきている見える物だけを見るのではなく深く深く考えられるマシューの人間性

マリラもそれに気づき、それ以降はアンのおしゃべりや芝居がかった夢想も受け入れるようになった・・・
エピソードのタイトルがとても良い。
エピソード2は「"I Am No Bird, and No Net Ensnares Me"」私は鳥じゃない、だから私は罠にはかからない・・・
エピソード6は「Remorse Is the Poison of Life」後悔のし過ぎは人生の毒・・・
前者は悲しく後者は教訓にしたい言葉です

アメリカではネットフリックス契約者がケーブル契約者を上回ったそうです。
アメリカとかってほとんどがケーブルチャンネルよね?

日本でも徐々にそうなっていくのかな~
ネットフリックスだけではなく動画配信サービス全般に。

私も最近考えるもの。
J:comにフル加入しているけれどCNN,ゴルフネットワーク以外はほとんど見なくなったものね~
Amazonプライムやネットフリックスで映画を見たり見逃していた日本のドラマ・バラエティーなどを
見たり。
そうなるとCNNやゴルフネットワークだけCS契約したほうが良いのかな~とかね。
無駄に料金をたくさん払っているような気がする

そうそう、最近Amazonプライムで見た映画で面白かったのは「アサシンクリード」
ゲームがあるんでしょ?面白そうと思っていて昨年この映画が公開された時に見たかったのだ。
フィレンツェが舞台だっていうしさ。
でもレビューを読むとあんまり良さそうでもない

しかし要するに好みの問題よね
映像が凝っていてハラハラドキドキのアクションの連続
まるで日本の忍者のようなアクションだけど。こんな映画は内容がどうの・・とかは吹っ飛んでしまう。
映画館で3Dで見たかったよ~
ただ一つ残念だったのは、全くイタリア度ゼロ
スペインのアンダルシアが舞台だった・・・それでも面白かったよ~
それと「清須会議」と「テルマエ・ロマエ2」がとても面白かったです

 


村上春樹作「騎士団長殺し」第1部、2部の感想~

2017-03-02 21:36:41 | TV・映画の感想、書評など

前回のブログで村上春樹の新作を読んで、その内容に価値があるのなら
感想を書こうと思ってはいたのだけれど・・・

「騎士団長殺し」は第1部が「顕れるイディア」、第2部が「遷ろうメタファー」 
両巻ともに読んでみて発見があった

それは私が日頃ここに書いている事がこの作品のメタファーだったのではという事。
巡る~巡る~よ♪ 思想は巡る~♪
まあね、全く関係のないと思われる様な出来事が、物理的に全く関係のないと思われる 
環境で同時多発的に発生する事もあるのがこの世の常。
人間、いや生命体は根っこの根っこで思想が繋がっていると説いた人もいるものね~

なぜに私の文がメタファーだと思ったのか?
それはこの作品の最初の最初の章「プロローグ」はこう始まるから。
「今日、短い午睡から目覚めたとき、」 
私の記憶が正しければ・・・半年ほど前に私は「午睡(ごすい)」という言葉を使った。
別に「お昼寝」で良かったのだけれど「午睡」と書くと「お昼寝」という行為から
即座に感じる怠惰という負のイメージを取り払う事が出来るから~
それどころか、高尚さまでお昼寝という行為に付加されるような、ありがたーい言葉だから。 

しかしね、それを私が使うのはともかく、ノーベル賞よ、ノーベル賞。
その呼び声も高い一流作家がとっぱじめから使う言葉選びのセンスがどうなのって思うね。

この小説を読んで一番辛かったのが(←辛かったのかよ~)第2部の中盤に差し掛かった頃。
何度も「もうだめだ・・・」「まだ続くのかよ~」「飽きちゃったよ~」と挫折しそうになった事。
しかし忍耐強い私は自分を励ましながら最後まで読みました~

読んでの感想を一言で言うと「村上春樹は’90代で終わった」
私が村上春樹に異変を感じたのは「海辺のカフカ」だった。
究極のやっつけ小説
しかし世の中の彼への評価は高く「 1Q84」が出版された時にもハルキスト???なんてものが
存在しまるでハリーポッターシリーズの様に発売日には待ちきれないファンが
夜を徹して本屋に並ぶなんていう映像を見せられ(ハリーポッターシリーズは面白いよね~)
すっかり世の中で騒がれなくなってから、図書館で借りやすくなってからが正解だけど、
うんじゃあ、読んでみるか~と手に取った。
まあまあ、今回の作品よりは面白かったかな?
ただ雑な作品だという感想は持った。
確か、なにかしら不思議な力を持った女の子が主要な登場人物だったと思う。
なんだか雑なストーリーの組み立てで、読み手が「あれ???」と思う様な場面では
「だって~この女の子は超能力が使えるから~」ってなエクスキューズで、
納得するしかない作品だった。整合性が無くなると、そこは超能力が整合性を持たせる役割ってね~
じゃあ、なんでもありじゃ~んだったのだけれど、

今回のこの作品もその「なんでもありじゃ~ん 」は無くなるどころか、ほぼ主要な働きをしていた

いくらなんでも、これだけの人気作家だ。
それも日本だけではないらしいグローバルに人気作家だ。
ライトノベルの作家ではなくノーベル賞の呼び声も高い作家だ。
逆に、なにか深遠な意図が隠されているのだろう
私の様なバカな読者にやすやすと分かるはずもない意図が。

そうだそうなのだ
物語の最後の方に、これまたやっつけ仕事の様に東日本大震災を持ち出してきたけれど、
「やっつけ仕事」と感じたのはその震災当日のリアリティがないからなんだけれど・・・

ここからはチョイとしたネタバレになるのでごめんなさいね~
この物語は主人公である肖像画家が6年間結婚生活を送った女性と別居している間に起こった話で 
最終的には復縁し自分の子かどうかわからないが法律的には自分の子である女の子と
3人で暮らしており日常的に家事や保育園の送り迎えはこの主人公が行っているらしい。 
そして震災が起こった当日に主人公は自分が旅をした東北の沿岸が津波に襲われている
映像をリアルタイムでTVで見ていた。

「何もすることが出来ず、言葉を失ったまま 、私はTVの画面を何日もただ眺めていた」
その後で「夕方の五時になると、子供を保育園に迎えに行った」
「私は津波の押し寄せる光景をできるだけ見せないようにした(中略)津波の映像が映ると
私はすぐに手を伸ばして娘の両目を塞いだ」(中略)「きみは見ない方がいい。まだ早すぎる」
「でもほんとのことだよね?」「そうだよ。遠くで起こっている事だ・・・」
「彼女には地震や津波というような出来事も理解できなかったし・・・」
 

主人公は子供に「遠くで起こった事だ」ではなく「遠くで起こっている事だ」と言っている。
ならばこれは地震が起きた当日の事なのではないだろうか
子供は保育園に通っている、そして父親の語った事に対して「でもほんとのことだよね?」と
疑問を投げかける能力があるのだから小学校の就学年齢に遠くはないだろう。
彼らは都心に住んでいるわけなのね、あの日の地震の経験はその位の年齢の子供ならば、
かなりの恐怖を感じただろうし「五時になると、子供を保育園に迎えに行った」などの
呑気な描写にはならないはずだ。それからの数日も日常を直ぐに取り戻したわけではなかったし。
阪神淡路大震災を扱った「アンダーグラウンド」のルポルタージュで村上春樹の作家としの
力量というものにいたく感心した者にとって肩透かしをくらった気がした。
東日本大震災という誰にも忘れようのない大きな出来事をこのような形で挿入してきたことに
唖然としたというのが本音

「やっつけ仕事」と感じるのはもちろん全体を通してなのだけれど、
中でも辟易としてしまうのは読み手の想像力を全てシャットアウトしてしまう事。

物語っていうのはね、非現実的でも読み手の想像力で現実と見分けがつかないという
楽しさがあると思うのね。
想像力を誘う言葉、表現の巧みさがあればなんだけど。
この作品では逆に想像させないという分かりやすい手法に驚いたよ~

例えば、色々な不思議な出来事が起こるとする。主人公は思案する・・・
色々な可能性を考える・・・そして最終的に「○○に違いない!」に収まるわけだ
もうさ「違いない」って言われちゃったらさ読んでる私はね「あーーなんだか単純な
類推だけれど、違いないって言われちゃったらそれに違いないんだね~」と思うしかないのだ。
前作の1Q84は「それは超能力だから~」って言われちゃって、それに同調するしかなかったけれど、
今度は「○○に違いない!」で想像力を与えてもらえないんだよ

そりゃあね、作品は作家のもので、ドキュメントと違うんだから、どういう成り行きになるのか
予想がつかないってないと思うんだ。
作品の取っ掛かりで、予定調和にせざるを得ないだろうから。
でもね、その予定調和を読み手に感じさせちゃあダメなんじゃないの???

この作品の中で「南京事件」について語られる場面があるのだけれど、
それも作者の「違いない!」に満ちている南京事件の解釈が示される。
私はこれについての真実を知らない。歴史的にも真実と定義できるだけの考証をまだ
経ていないのではないだろうか?
それでも作者は「違いない!」と彼自身の史観で読み手の想像力を拒否するのね。
このオリジナルの物語についてはどう決めつけようと作者の勝手だと思うけれど、
史実の判定を断じてしまうのは、はたしてフェアなのかな~と疑問に思ったな。 

第2部は「遷ろうメタファー」とサブタイトルが付いているけれど、
この作品は第1,2部とおしてメタファーなんて無い

第1部「かたちを変えた祝福」の章に出てくる「Blessing in disguise」という言葉は
メタファーになるのかも?と思っていた。
「一見不幸そうに見えて実は喜ばしいもの」なんからしくない???
それが一向にこの言葉が生きる場面は読み取れなかった・・・
ただ全体を通して大震災まで持ち出してきたところを見ると、これが主題なのかもね?とも思う。

終盤になっていよいよクライマックスを迎え起こった事が収束していくのだけれど、
これも「えーーーあの事とこの事は繋がってないじゃん・・それぞれの身に起きた事は
関係ないじゃん」という結末だった。

第1部のサブタイトル「顕れるイデア」となっていて「イデア論」にはとても興味があったのだけれど、
それが語られる事は無い。
語られているっぽいのかもだけれど、薄い

仮に「一見不幸そうに見えて実は喜ばしいもの」が主題だとしたら、
この作品は、あえて凡庸な構成を取り、読み手から想像力を奪い、読書に忍耐を強いて、
この世界のマクロを体現させているのかもとも思う。
歴史や個人の一生は、あらゆるメタファーに溢れており、その中で混乱し適切な選択を
しなかったと後悔しても、イデアにより、まだまだ「喜ばしいもの」に変容できる可能性を
歴史や人生は秘めているのだという賛歌なのかもという非常にポジティヴな感想で終わるのが賢明かな

でもねこのノーベル賞級の大先生に意見するのもなんだけど、
クラッシック、ジャズ、ロックの楽曲と奏者をちりばめたり、車の車種と特徴の見識、
そこはかとなく、登場人物はエスタブリッシュメントを匂わせる手法はもうオサレじゃないよ???
なんでも子宮に回帰すれば良いってもんじゃないよ?
あーそうか~古臭いって分かっていて(注、私は古いものもハッとさせられるオサレで新しさを
感じる芸術がある事を実感しております)あえて「不幸そう」に見せて(作品的に)実は喜ばしいもの
という壮大な実験的作品かもな~



 


最近の映画あれこれ・・・

2016-10-05 08:43:23 | TV・映画の感想、書評など

映画のパンフレットを買う事ってあまりないけれど、思わず買ってしまった。

「シーモアさんと、大人のための人生入門」のパンフ。
このシーモアさんと黒猫ちゃんのイラストが気に入った
イーサン・ホークが初めてドキュメントの監督をしたという事とトレーラーで見たシーモアさんと
そのピアノの音色に惹きつけられ見に行きました~

そして「才能」って何って改めて考えてしまったわ~
なぜならシーモアさんが映画の中でこう語られておられたから。
「人格を作る源はその人が持つ才能の中にある。なんの才能であろうとも」

はて、私に才能なんてものはなーんにも無いと考えているのだけれど、
そうなると、そもそも人格という「格」を私は持っていない、形成されていないのではないか?
そこで、夫に質問「才能ってどんな人でも持っていると思う???」
「広義狭義はあるけれど、あるだろう~」
「そうかな~誰でも持ってたら才能じゃないじゃん!」

「他よりも秀でて」いなきゃ才能じゃないじゃん!
英語で才能って「gift」と「ability」に収斂すると思うんだけど後者の「ability」だと
夫は考えており、前者の「gift」だと私は考えておるわけだ
「ability」・・・能力(潜在的にしても)ない人間なんて確かにいないもんね~
誰でも「can」という可能性はあるもんね~
でもさ「gift」は誰でも貰えるものではないんだよな。
まあいいさ 私の何かしら相対的ではない優れた能力って何なんだろう???
その絶対的ではあれ、授かった何かしらの能力は、おそらく神様がいたとして
それが、生まれてきた私のミッションなんだろうな~
死ぬまで自分自信がこの世に生かされている意味が分からず死ぬのもなんだか
もったいないような気がしてきた 

主役であるシーモア・バーンスタインはギフトを授かったピアニストであったけれど、
色々な思いが重なり50歳を機にピアニストから指導者に転身した。
現在89歳のシーモアさんの数十年ぶりの演奏が聴けるのもこの映画の魅力だ。
とてつもなく優しい優しい心が癒される演奏が素晴らしかった

この映画の中には心に滲みる言葉がたくさん散りばめられているのだけれど、
偉大なるブルースシンガーのサラ・ボーンのエピソードが面白かった。
昔、若くしてとんとん拍子に人気を得た女優さんがいて、共演したサラ・ボーンに
こう言ったんだって・・・
「私、緊張した事なんて一度もないわ」 
サラ・ボーンは答えた・・・
「お嬢ちゃん・・・お嬢ちゃんの演技が上手になったら緊張するって事が分かるわよ~」 

グレン・グールドのエピソードも語られとても興味深かった。
そしてなによりも、経験や人格がその人の顔に現れるというのは本当なんだな~と
つくづく思わされたシーモアさんのお顔
「積み重ねることが一番大事」と仰るシーモアさんの積み重ねられ宝石になったような魂が感じられますね

 

そして初めて映画の予告映像で涙してしまったのが「ヒトラーの忘れもの」

第二次世界大戦時、デンマークはナチス・ドイツに5年間統治されており、海岸には無数の地雷が埋められていたんだって。
その除去作業に動員されたのは、ほとんどが15歳から18歳のドイツ兵捕虜だったわけよ。
地雷除去の経験のない、あどけなさを残した彼らは祖国に帰る日を夢見て飢えなどに苦しみながら
この作業に従事し半数は死亡、もしくは重症を負ったという事実。
これはデンマーク国民もつい最近まで知らない事だったらしい。
戦争は被害を受けた国、被害をもたらせた国、どちらにも悲しみだけを残すものなんだな~

これらの映画はシネスイッチ銀座で上映されます。
ヨーロッパやハリウッドじゃないアメリカ作品を上映する映画館なので、見たい映画が目白押し

その銀座の4丁目のランドマークである日産ビルがいつの間にか解体され、
いつの間にか新しいビルが完成し、映画を見た日にオープンしていた。
とても素敵なビルに替わった。

阪急跡地の東急も似た感じなんだけど、こちらは銀座に融合しているね。
カルティエのビルも新しくなりあの世界で一番おいしい朝食で有名なビルズもあった。
エッグスンシングスもそうだけど、銀座にも出来て嬉しいね~表参道まで行くの面倒だもんね。

そして三越のライオンさんが山高帽を被って、ワンちゃんとコラボしてた。

なんのアニバーサリーなんだ??? 

 

 

 

 


だって人間だもの~のマルコ・ポーロ シーズン2 @Netflix

2016-09-01 08:25:00 | TV・映画の感想、書評など

昨日の水曜日が最終話の配信(12話)だったアマゾン・プライムオリジナルドラマ「ハピマリ」
とても楽しめたドラマだったけれど、
途中から「?」が多くなった
同じ脚本家とは思えないようなイージーでドラマだとしても設定が~になってしまった。
北斗役のディーン様のカッコよさと千和ちゃん役の子が可愛いから最後まで見たけどね。 

しかし、このドラマで最大の収穫は藤原紀香だ
苦手だった紀香の登場を待っている自分に気が付く
このドラマを知る前に自分が藤原紀香を熱望するようになるだろと、
全能であらせられる神様、仏さまだって想像だにしなかっただろう。
コミカルな役で彼女は新境地を得たと言っても過言ではない 

NHKの朝ドラは大地真央のピカピカおばあちゃんを突っ込みながらまでは見ていたけれど、
大地真央退出でリタイア・・・
主人公が創刊した雑誌への熱意や必然性があまりにも希薄で何を描きたいのか分からないもんね

しりすぼみになった「ハピマリ」と朝ドラだったけれど、メチャクチャ面白いドラマがあった。

色々な世界に於いてトップの座にある者、それもそんじょそこらのトップじゃないトップ
トップは孤独であるとか、言われるけどさショボいトップにもなった事のない私のような
人間には想像は出来るけれど想像でしかないわけよね。

トップになったらそれ以上はないわけで、凄いトップのそれ以上の前人未到のトップを求める人、
今の地位を必死で守ろうという人まあ、いろいろなんだろう。

それはそれは凡人いやそれ相当の人でも、そういう特殊な人が当然持っている弱さを
知る事はなかなか難しい。 

その弱さを志とか類まれなる意思を持ってねじ伏せていくのだろうけれど、
人間だもの~悩みもするわけで、その才能の大きさゆえに凡人には考えられない方法などで
平凡に言えばストレスなどの対処をするんだろうな~ 

だからね、私はタイガーはしょうがないと思うんだ。
あら?唐突???
タイガー・ウッズと言えばゴルフを知らない方もご存じのゴルフ界のいやスポーツ界の
スーパースター。
長らくスポーツ選手の収入でダントツの1位を保持していたんだよね

まあさ、私はそのタイガー・ウッズのプレーを見てからというものゴルフにハマっちゃたんだけどさ。
凄いのよ、その強さが
タイガーがゴルフをアスリートのスポーツに変えたんだよ、しかしその結果、色々な部位に怪我をし
手術も複数回・・・今は開店休業状態。
ジャック・ニクラス等の記録を抜けると考えられていたけれど、40歳を前にこの状態では難しいかもね~
しかしタイガーがダントツに強い史上最強のゴルファーであると私は信じているの。

そのタイガーが北欧の金髪美人と結婚しながらも、セックス依存症とか言われてスキャンダルがゾロゾロと出て
ゴルフも一時期、休業し離婚もしたわけね。
「自分は意思が弱くセックス依存症でした」ってタイガーの謝罪会見は衝撃的だったものな
でもね~マルコ・ポーロ シリーズ2を見ていたら、タイガーくらいの人間はしょうがないね~
異常性癖もっちゃってもさ、凡人と違うよ。
そのくらいの異常さを持たなければ、精神は持たないんじゃないかな~人間だもの。
異常性癖といっても犯罪じゃないんだからね、そこはお間違えの無いように・・・
その位トップを維持し続けるっていうのは大変な心の葛藤があるのだろうと思うよ。

そう言えばあの頃アメリカに住んでいる叔母が「あんなにお金を稼いで来る男なんだから奥さんが
間違ってるよ!!!私なら、そんな女遊び見て見ぬ振りするわその位の男よタイガーは
それにタイガーはセクシーでしょ?」って言ってたもんな~

と、まあタイガーの話になっちゃいましたが、ネットフリックスの「マルコ・ポーロ シーズン2」が
面白い事、面白い事。

シーズン1でフビライという一見アンパンマンのようなモンゴリアンがだんだんカッコよく見えてくるという
マジックにかかり野望を持ち、今の時代の私等からすると残虐この上ない手法で国を大きくし
しかし、その揺るぎない信念が見るものを圧倒し・・という展開で楽しめたドラマだった。 

このシーズン2もスケールの大きさではシーズン1をも上回るドラマとしては異例な映像で
アメリカ制作ドラマでありながら、当時の中国、モンゴルの文化、衣装などはタイムマシンで
その時代に戻ったのか?と思わせるほどの凝りようでもある。

シリーズ1がチンギス・ハーンの孫にあたるフビライがモンゴルに留まらず中国をも
手中に収めようと、その野望で突き進む物語なら、シリーズ2は中国、当時の宋を
落とし元と定め統一中国の初代皇帝になりながらも、モンゴル国内で起こる反乱を
静定するために骨肉の争いを繰り広げるという展開。

シリーズ1で父親と共にモンゴルに辿り着いたマルコ・ポーロが人質として
フビライに差し出され、マルコの状況を瞬時に正しく分析する能力を認められ
フビライに重用され、マルコ自身もフビライの揺ぎのない信念と遂行する強さに
見せられ忠誠心を持つにいたるって流れだったわけ。
実の父親に置き去りにされた不信感が揺るがないフビライに父には無い強さを
感じたのだと思うのだけれど、
このシリーズ2では「父と子」というのも大きな意味を持っているように思う。
それは父と子だけではなく血縁・・・夫婦・・・または縁あって親子の様になった者など
の意味というか。

そして何よりも感じたのは偉大な者も持つ人間としての平凡な心持ち。
弱さとは違う、いや弱さなのだろうか
平凡には戻れない、平凡には生まれついていない者の心の葛藤が描かれているように思う。

フビライが子供同然に育てた財務長官アラブ人のアフマドにそそのかされ南宋のラストエンペラー恭帝を
その腕の中で殺害するのだけれど、
恭帝は5歳で皇帝となり直後にフビライによって宋は滅び、ドラマではかくまわれていた恭帝を見つけ出し
フビライのもとへと連れてこられた(史実は恭帝の7歳以降の真実は不明だそうです)
フビライは当初、この幼い皇帝を捕虜として生かすつもりだったし、皇后も修道院での暮らしを望んでいた。
密かにフビライの失脚を狙うアフマドがフビライをそそのかし恭帝は殺害されるのだけれど、
その事がフビライに心の動揺を引き起こす。

幼い皇帝はフビライの腕の中で窒息死させられる直前に泣きじゃくりながらこう問うたのだ。
「殺された人達は泣いてたの?僕は悪い人が殺されるのを何度も見たけれど、
僕も悪い事をしたから殺されるの?」

悪夢にうなされ「永遠の王はいない」と弱気になったフビライに恭帝殺害に絶対に反対であった皇后が非難めいた事を言う。
するとフビライは賢婦と認めている皇后を初めてののしり始めた。
「お前はいつ骨が折れる困難な決断をしたのか
胃の痛む事をした事があるか
弟をその手で殺したことはあるか
全て余がした事だ。
余が決断をし実行した事だ」と。

場面は皇太子の寝室に移る。
皇太子が妃に問う「皇帝として一番大切な事は何だろう?」
悲劇の妃は答えた「決断し、他の選択肢を忘れる事」

野望だろうか?信念だろうか?人民の為だろうか?自分の家の為だろうか?
そのどれにしても世界の殆どを手に入れようとする皇帝は決断した事を後悔してはならないのだ。
その目的の為、綺麗ごとでは済むわけもなく良心がメチャクチャになろうと、
想像を絶する非難を受けようとやるべき事をやらなくてはいけないのだ。
全ての最終決断と責任を一身に背負って。

非人道的だ、もっと方法があっただろう・・・というのは傍観者の意見でしかないものな~
責任を伴わない者は理想的な策を考えるものなのだな~
このシーンを見ていて初めて、どの世界でもトップにいる者の苦悩とそれに打ち勝たなければならない
血のにじむような心のありようを知ったような気がしたし、
また助言という一見、親切めいた事しかできない周りには常に血のにじむような責任は伴っていないという事
で助言を受け入れたとしても、そのどの様な責任も助言を受けた方が負わなければならないんだもんね。 

と、このダラダラしたとりとめのない感想を喜徳にも読んでいただいた方はこう思うのではないだろうか
「あれ?マルコ・ポーロは???」

まあマルコ・ポーロはあれだな・・・このプロデューサーは「フビライ・ハン」という題名に
したかったんじゃないかな?
しかし、それではアメリカ作品、広くはアジア系以外の人々に受け入れられないだろうと。
マルコ・ポーロが主人公ではなく明らかにフビライハンが主人公なのだけれど。

百の目と呼ばれる本来は中国側の道教の僧を演じる、作中でも重要な役割を果たす
人物はトム・ウーという役者さんなのだけど、このカンフー?中国武術のアクションが凄い
その百の目と同じ部族のやはり武術の達人に007などにも出演したミッシェル・ヨー。

まったく、どこを取っても見ごたえ十分で、脚本力のあり方を考えさせられる。
国境が流動的だった他国と異なり、欧米から見れば極東にあたる四方を海に囲まれた小国は
花鳥風月に親しみ稲穂の垂れるさまを眺め、内観していれば良かったのだろう。
常に山の向こう、砂漠の向こう、海の向こうを望み不気味な存在が急襲してくるかもしれないという
環境から育つ大きな大きな視野と世界観。
この広すぎる世界観をこのドラマは見事に描き切っている。
これはどうもシリーズ3に続くのだろうな???


 


ダビンチ、ロレンツォ、チェーザレ少し整理してみた。

2016-03-31 10:27:06 | TV・映画の感想、書評など

「チェーザレ破壊の創造者」が昨年の1月に発売されて以来、第12巻はまだまだらしい

そのようなチェーザレ・ロスの中、面白いドラマが
「ダビンチと禁断の謎」という2013年からFOXで放送されていたドラマをネットフリックスで一挙に視聴。
シーズン1,2と見てウォーーーと面白くなったところで続きはシーズン3へと続く・・・
FOXじゃあもう放送してんの???日本じゃまだ???
見たいよ~続きが知りたいよ~こらえ性が無いんだからさ~ 

このドラマは「バットマン・ビギンズ」「ダークナイト」の脚本家が書き下ろした作品。

ミラノ公が暗殺され、停戦中のミラノとフィレンツェが保っていた均衡が破られる。メディチ家の当主ロレンツォと弟ジュリアーノは
フィレンツェの士気を高めその権力を誇示するため、イースターに盛大なセレモニーの開催を決定。
気鋭の芸術家レオナルド・ダ・ヴィンチに白羽の矢が立ち、彼は同時に
ロレンツォの魅力的な愛人ルクレツィアの肖像画を手がけるように。そして、武器設計にも力を貸すようになる。
一方で、ミラノ公暗殺計画の成功を耳にしたローマ教皇シクストゥス4世は、
ロレンツォが優秀な軍事エンジニア(=ダ・ヴィンチ)を雇ったという情報を得る。
そんな中、ダ・ヴィンチはフィレンツェを訪れた謎のトルコ人と出会い、彼の不思議な話に引き込まれていき・・・。」
という感じで進んでいくドラマ。 

フィレンツェだもの~舞台がさ・・・見ちゃうよね~見ないわけにいかないよね~

エピソード1あたりは退屈だった
だってさ~ダビンチが現代のイケメン風だしさ~他はさ~ルネサンスっぽいしさ~
今でもないだろう!というような物、作っちゃうしね・・・

しかしね、見続けていると史実とリンクしている構成でぐんぐん惹きつけられちゃうのよ~
パッツィ家の陰謀とかね、「全てはフィレンツェの為」という強い意志を持ったロレンツォが
どんどんカッコよく見えてくるしパッツィに殺されてしまうジュリアーノはカッコいいしさ

史実をなぞりながら微妙にフィクションを織り交ぜる手法が面白くもあり「あれ?そうだったっけ?」と混乱させる元でもあり
混乱させる一番の元凶はロレンツォがダビンチの力を借りてフィレンツェを守り抜くってとこだろう。
ロレンツォはミケランジェロを住まわせていたんじゃなかったっけ
一方ダビンチはミラノ王国の宮廷に17年間ロレンツォが派遣してたんじゃなかったっけ?

ダビンチと禁断の謎を解くために冒険の旅に出る助手のニコ少年が実は後のマキャベリ 

憎っくきシクストゥス4世(実は本物の教皇の双子の弟)の甥であるリアリオ卿は冷血で伯父のように憎々しいのに、
あれ???本当はいい人???可哀想な人???と変わりダビンチと協力するかに見えて
シリーズ2の最終話ではあの人類の敵ラビリンスの一味になるの?
そこで終わるか~~~
そのリアリオ卿役のブレイク・リットソンって英国の役者なんだけど、なんとケンブリッジ大学出身だって~
えっつ???学歴に弱いじゃないかって???
ケンブリッジで英文と中世イタリア語を学んだんだって~ 

FOXの作品なのに英国人俳優が多いんだよ~だから英国語が主流なの。

まるでインディージョンズみたいに「天の宝箱」という人類を幸福に導く指南書が入っているらしい宝を
見つける旅にダビンチは出るわけだけど、その天の箱をラビリンスという人類の敵が手にすると人類は
悲惨な道を辿るらしいのね。
その天の箱を見つけるにはダビンチの幼くして別れた母親が鍵になっているわけだけど、
そしてダビンチがまだ乳児だった頃の記憶も天の箱と深くかかわっているワケで、母親は
トルコ人って設定。

天の宝箱を求めてマチュピチュまで行っちゃうんだよ(〃艸〃)
人類の存亡にかかわる秘密が入っている宝にはロレンツォの父コジモとトルコ人も大いにかかわっていて、
テンプル騎士団やフリーメンソンのような秘密結社なんだけど、キリスト教だけではなく、
人類の幸福にトルコ人というイスラムも加担させるという設定が現代らしいね。
ダビンチはその秘密を取り戻すという使命を運命的に託されているの。
 

しかし実際にダビンチは自分が赤ちゃんだった時の不思議な記憶を語っていたらしいの。
それはドラマの下敷きとなっているダビンチの夢と似たようなものなのね・・びっくりぽんや。 

ここまで書いてなぜにチェーザレか
今現在の最新刊でダビンチが登場するから。
ロレンツォが教皇からフィレンツェが破門され混乱している打開策で自らローマと結託している
ナポリに向かうんだけど、これはチェーザレがナポリに向かうのとリンクしてるんだよ私の中で。

で、頭が混乱してきたので時代や歴史の登場人物を整理したかったわけ。
ルクレッツアという美女が重要人物なんだけど、チェーザレの妹もルクレッツアでしょ?
あの当時、イタリアにはルクレッツアという名前の貴族はいっぱいいたのね~混乱しちゃうよ
ドラマで描かれている事柄とチェーザレとの関わり中心にね 

レオナルド・ダ・ビンチ 1452年4月15日誕生~1519年5月2日没 1466年~1476ヴェッキオ工房、マエストロになる。
           1476年、同性愛の疑いで裁判にかけられ無罪。 
           1482年~1499年ミラノ公国に滞在軍事にも関わる。 フランス軍の侵攻でミラノが破れヴェネツィアに避難1500年フィレンツェに帰還。
           1502年、ローマでチェーザレと出会い(出た~)彼の軍事顧問となりイタリア中を廻る。
           1504年~1508年の間に再びフィレンツェ。1515年フランソワ1世がミラノを占領。
           1506年フランソワ1世に招かれアンボワーズ城近くの邸宅で亡くなるまで過ごす。

ロレンツォ・デ・メディチ1449年1月1日誕生~1492年4月8日没 1469年20歳でメディチ家当主とな、その前後オルシーニ家のクラリーチェと結婚。
           1478年パッツィ家の陰謀 1475年あのチェーザレとご学友であるり後のローマ教皇レオ10世、ジョヴァンニが生まれる。

シクストゥス4世   1471年~1484年ローマ教皇として在位。在位中にシスティーナ礼拝堂を建設。

ジローラモ・リアリオ 1443年誕生~1488年没 という事は・・・35歳の頃、パッツィ家の陰謀に関わったという事か・・・
          ロレンツォはその頃30前・・・ドラマではリアリオのほうが若く見える
          このリアリオはドラマの中で重要な役割を果たしているのだよん。シクストゥス4世の甥という事に戸籍上はなっているけれど、
          教皇の庶子であった事は公然の秘密だった。この時代は縁故主義で歴代教皇はその権力を固持する為、庶子を作る事は普通。
          1475年前後に女傑として名をはせたカテリーナ・スフォルツァ当時11歳と結婚している・・・ドラマでは独身っぽいのにな~
          パッツィ家の陰謀は失敗に終わりリアリオがフィレンツェを治めるという教皇の計画も失敗したけれど、彼は後に教皇領司令官となった。

ニッコロ(マキャベリ )  1469年5月3日誕生~1527年6月21日没 ドラマの中でダビンチの助手になったのは10歳前後という事か

我らがチェーザレ    1475年9月19日誕生~1507年3月12日没 という事はシクストゥス4世の在位中にローマで生まれたんだね

ルクレッツア・ドナーティ  1447年誕生~1501年没 ロレンツォの愛人これは事実らしい。フィレンツェの名門に嫁ぎ夫が留守がちで、ある日ロレンツォと
             出会いお互いに惹かれたと。ドラマではダビンチとも愛人関係。そしてシクストゥス4世を装っている双子の弟とリアリオに妹を殺され
             本当のシクストゥス4世は投獄されるのだけれど、その娘がルクレッツアという事のがドラマの設定。
             父の命と引き換えに偽教皇とリアリオからロレンツォの刺客として送られたスパイ。

 

な~るほど~
やはりこのドラマは史実とかなり近い描き方をしているんだね~登場人物は実在し時系列もかなり忠実なんだね
あー勉強になったわ・・・後はどうにかしてシリーズ3を早く見たいものだ。 
5月19日木曜22時よりシリーズ3が日本でも始まるもちろんFOXでね。1週間に1話づつか~まどろっこしいな。