何度も見ているのに「フィールド・オブ・ドリームス」はやはり良い映画
だと思った
・・・今日は「想像ラジオ」の感想なんだけれど、読み終わってなんとなく
フィールド・オブ・ドリームスがなぜこんなに心に浸みるのか
わかるような気がするな~。
さて、なぜ私がこの本を読もうと考えたか
それはいとうせいこう氏のツイッターの私はフォロワーなわけね。
なぜフォロワーかというと、たまたま浅草の何かをツイッターで
検索したら彼がその何かをつぶやいていてから・・
思えば近所の美味しい鰻屋さんに彼のサインがあり
「へー、いとうせいこうも来てるのか」と思った事があり、
で、なぜ「いとうせいこう」という名前に反応したかと言うと、
シティー・ボーイズのライブで共演していて「ずいぶん、芝居がかった芝居だな~」
・・って当たり前かと思った事があり、
私が夫にしたいNO1のみうらじゅんとの「スライドショー」にも共演しており、
それで、なんとなくフォローしたってわけ。
で、フォローしたので時折入ってくるツイートで、例えば震災・原発関係の
発言は勝手にそれまで抱いていた彼に対するイメージとかなりのギャップを
感じ、そうですね・・・もっと客観的に理性的に物事を思考できるイメージだったので。
感傷的な時には独善的なツイートで「そういう感じの人なんだ」と結論付けたワケ。
でそのいとうせいこう氏が「想像ラジオ」という震災の犠牲者がラジオのDJをする・・
という内容のこの小説は、なかなか評判も良いらしいので、
ツイートで勝手に出来つつあるイメージを固めてはアンフェアだと思い、
一つここは彼の小説でも読んでみるかと・・・
おそらくこの小説の舞台は福島なのだろう。
そのDJアークと名乗るその犠牲者は原発の汚染対象区域で、
捜索の手の入らない津波が押し寄せた小高い土地の杉の木の上に、
その魂が存在しているのか、おそらくは誰にも知られぬままその体が
そこにあるのか・・
彼がDJを始めた頃にはハッキリと自分自身の立場が理解できていなかったようで、
そのなかで想像ラジオという番組を始め、
その放送はやはり亡くなった者のみが聴けるという番組。
著者が震災の犠牲者だったら・・と想像を働かせて書かれた小説で、
「故郷の木の上に宿る魂」という想定が大江健三郎の
「燃え上がる緑の木」など一連の小説を彷彿とさせる。
なかなか面白い発想だとも思ったし、読みやすい本でもあった。
ただやはり私が思った「そういう感じの人なんだ~」という思いは
ますます強くなったのでワケで。
ここに「想像ラジオ」から一部抜粋すると・・・
「むしろ僕は彼もまた、死者の声を聞こうとして、その事ばっかり
考えているんじゃないかと思った。で、聴こえないでいる。
実際に聞こえてくるのは陽気さを装った声ばっかりだよ。
テレビからもラジオからも新聞からも、街の中からも。
死者を弔って遠ざけてそれを猛スピードで忘れようとしているし、
そのやり方が社会を前進させる唯一の道みたいになっている」
もうこれに尽きるんです。
「そういう感じの人なんだ~」と思っちゃたのは。
人間は生を受けた限りは生を必ず失うのですよね。
もれなくです、例外は無いわけです。
震災でなくても事故か病気で必ずです。
大きな事件の場合は大々的に一般の知るところとなります。
しかし、ニュースにならないような別れを死者、生者どちらも経験するわけで。
そこには必ず、大きな悲しみと葛藤と前進が起こるわけで。
彼が想像する陽気さを装った人々の心の底に刺さった「棘」のような
後ろめたさや疼きに気がつく想像力には欠けていると感じるんだな~。
皆が真顔で声高に犠牲者を悼み、原発に反旗を翻す行動をとる人以外、
すぐにそんな事は忘れる大多数の何も考えない人達・・とみなされるのでしょう。
世の中は無責任な陽気さに見える心の奥深くにどれだけの悲しみを
仕舞いこんでいる人々が多くいる事か
おそらくいとうせいこう氏は「犠牲者やその家族の悲しみを
我々は忘れてはいけないし、共有しつつ生きていくのが正しい」
という事なのだけれど「我々は共有してます!」と迷うことなく言える
人間よりもその「共有」に後ろめたさや「共有」できないと感じる
心の悲しみを持つ人間を信じたいとも思うのです。
ただ忘れてはいけない事は、その福島に捜索も出来ず、
どこかで眠りについている方々とそれを思う家族や知人が
今現在どれだけいる事か・・
原発問題はからまってこないけれど、それは伊豆大島の
災害の犠牲になられた方もフィリピンで起きた災害での犠牲者も
同じ事で。
そして震災の事でいえば自分の日常をつつがなくこなしながら、
ふとあの日起こった事を考え、心の痛みを覚える訳で、
そのふとした「痛み」は大事な事なんだと思うんだな~。
最初に書いた「フィールド・オブ・ドリームス」は間違いを犯してしまう
人間を優しく優しく包み、そしてあの映画では野球に対する純粋な愛を
共有する描き方が感動を呼ぶんじゃないかな~。
「間違っちゃう人々をそれでも優しく包む」側の人だとツイッターの
フォローをする前までは、なーんとなく考えていたな~。
そんな事を考えた「想像ラジオ」でした。