Y's クロニクル

旅行等の一生思い出に残る事から日々の小さな出来事まで少しずつクロニクルに残せたら・・・と思っています。

ポルトガル編 ベレンの塔などとりあえず観光名所を巡ってみた。

2015-08-21 08:15:22 | 2015イベリア半島西と東の旅

初めて訪れた土地の観光名所はとりあえず一通り見てはおきたい。
なのでジェロニモス修道院から徒歩でも行ける発見のモニュメントとベレンの塔に向かった。

発見のモニュメントは修道院からテージョ川に向かって歩いて行きます。 

ヨットハーバーがありますが海ではありません。サンフランシスコでもありません、アザラシいませんから。

 

どーーーん!発見のモニュメント~

大きいです無駄に・・・新しいです1960年に出来たモニュメントですから。でもガイドブックには必ず
見どころとして掲載されています。 左側~

先頭からエンリケ航海王子、アフリカ・ポルトガル帝国形成のアフォンソ5世そして王族の次3番目という
最高のポジションに陣取っているのが我らがガマ様、インド航路開拓者バスコ・ダ・ガマ、
一人ぬかして5番目はマゼランずーっと端折って最後尾から2人目がフランシスコ・ザビエル。
この写真ではキレている・・・反対側からどーぞ!

あれ???最後尾で手を合わせてる人かな~ザビエル?このモニュメントの天辺にエレベーターで
行く事ができます。リスボアカードがあるので、行ってみました。

まあ、このように眺めは良いですね、暑かったけど 中にはトイレや飲料の販売機もあります。 

で、ここから歩いてベレンの塔に向かいましたが、見えているのに遠い現象
喉がカラッ、カラッになりまいした。

司馬遼太郎氏が「テージョ川の貴婦人」と称えたベレンの塔です。

1515年に着工し1520年に完成したというから古いのね?そんなに古く見えないわね。
テージョ川を行き交う船の監視と河口を守る要塞として使われました。
なので、中に入るとこんな大砲なども。ズド~ン

 

水牢もありました。

もう暑くて上まで登る体力がありません なので写真も極端に少ないです。
訪れた結論として、リスボンは市街地を歩いているほうが楽しいかな?と・・・

市街地に戻る為にジェロニモス修道院方面に歩くとあの有名なエッグタルトのお店が!

パスティス・デ・ベレン。アパートメントで食べちゃったので並んでまで食べる気ゼロ!
それにね~暑くてね~甘い物というよりビールが飲みたかった。
けっしてパステル・デ・ナタは甘すぎませんよ!外はパイがサクサク、中はさっぱり美味しいクリームです 

トラムでカイス・ド・ソードレまで戻り28番トラムの乗れるところまで行きました。
どの情報も28番に乗ればリスボンの名所は回れる観光客に大人気の路線と書いていたので、
28番に乗車

ようやくすれ違えるくらいの細い道もガタゴトと走り、リスボンらしさを満喫と言いたいところだけれど、
この日は誰もガイドブックもなく、私が日本で印刷してきた15番、28番トラムの路線図も忘れ、
どこをどう走っているのかも全く分からず、どこで降りたらよいのかも全く分からないのであった~ 

なのでこの時点ではリスボンの良さの10分の1も分からなかった我々でした~
皆さん!ことリスボンに関しては日本のガイドブックは優秀だと今、読み返してそう思いました。
帰る頃におぼろげながら地理がわかりだし、リスボンは奥深い魅力のある街だな~と思った次第でして 

坂が急な為、こんなケーブルカーもあるよ。

 リスボンといえば消臭力・・・ミゲル君が美声がとどろいたのはサン・ペドロ・デ・アルカンタラ展望台、
このケーブルカーグロリア線の一番高いところにあります。

この景色を見れば「ショーシューゥ♪リキ~」と日本人なら誰しも歌うに違いありません
ここはさまよっていて、偶然たどり着いたんですけどね
天正の少年使節団の足跡をたどりたい等と思いながら、けっきょく消臭力のCMロケ地をたどる旅に
なっていました。。。
あのペーナ宮殿でも第何弾かが撮影されたそうです 

 


ポルトガル編 ジェロニモス修道院とバスコ・ダ・ガマの眠る教会。

2015-08-20 08:18:03 | 2015イベリア半島西と東の旅

実はポルトガルに行くにあたって天正の少年使節団の足跡をたどりたいと考えていたのであった。

1582年2月20日(天正10年)長崎を出港しマカオ希望岬を経てリスボン、シントラマドリッド
トスカーナピサフィレンツェローマミラノ、ベネチアリスボン長崎と旅した
伊藤マンショ、千々石ミゲル、中浦ジュリアン、原マルチノのまだ13歳から14歳の少年が激しい船酔いに襲われながらも
8年半の旅の後、日本に戻りその間に日本の政情は変わってあのバテレン追放令 で悪名高い豊臣秀吉の世になっていて、
彼らに待ち受けていたのは非業な運命だったのだよね~ 

長崎で聖人の列に加わった彼らの像を見たのが、そう思わせる発端だったのかもしれない。
目をキラキラさせてヨーロッパのカトリック諸国で歓待され戻ってきた彼らに待ち受けていたものは殉死とはね~

彼らの周ったイタリアはほぼ行った。ピサではチェーザレに会っていたかもしれないね~
今回はきしくも彼らの足跡の残っているシントラ、リスボンに行くのだ!と旅立つ前には考えていた。

「旅立つ前には考えていた」という事は実際にシントラ、リスボンではすっかりそのような事が頭から抜けていたのです~
シントラでは想像より遥かに素敵な街でうっとりし、リスボンではさっぱり分からぬ地理で苦労していたので

まあ、そんなこんなで天正の少年使節団が立ち寄ったジェロニモス修道院と併設されているサンタ・マリア教会に行きました。

カイス・ド・ソードレから17番のトラムで行きました(リスボアカード使用)電車でも行けるんだけど、
とりあえずトラムの方が旅っぽいかな~と。

大きいね~ジェロニモス修道院。

写真の左側が修道院で右が教会。入り口は一緒で中で修道院の入り口と教会の入り口に分かれています。
修道院の方は凄い行列で、あっけなくリタイアしすぐ入れる教会へ。
修道院の中に入っても広大な修道院で何時間も時間とられちゃうしね~
それに、サンタ・マリア教会には泣く子も黙るあのバスコ・ダ・ガマが眠っているのだ~これさえ見れれば良いもんね~

このサンタ・マリア教会は王家の霊廟となっているの。

ポルトガルは大航海時代に手にした莫大な財力によって教会などを建てたから豪華よ~お金かかってるのがわかります!
サグラダ・ファミリアのようにザツじゃないもん。 

天井はね、サグラダ・ファミリアと同じでヤシの木に見立てた支柱で支えられている。

入り口を入ってすぐ右にはポルトガルの大詩人ルイス・デ・カモンイスが眠っています。

あのロカ岬の石碑に彫られている「ここより地果て、海始まる」の詩人ですね。
彼がなぜここで眠っているか?それはそのお向かい・・・入ってすぐ左の方に関係があるのですね~
カモンイスはバスコ・ダ・ガマの偉業を一大叙事詩として謳い上げたのでした。

その左のバスコ・ダ・ガマの石棺 。

あのガマ様です~どんなに世界史を勉強してなくても、小学生でも知っているであろう世界史を変えた
あのガマ様です~なんかさ~教科書の中の世界的有名人にお墓でも見られるってテンションあがるわ

ガマ様がいたから天正の少年使節団も極東の日本からヨーロッパまで行けたわけだし、
美味しいカレーを極東の日本人が国民食のように食べられるのもガマ様のお蔭だものね
これはロカ岬に到達した時に次ぐ、この旅での感動でした

私はローマでフランシスコ・ザビエルの左手だか右手だかを見そびれているので、それも見たら感動するだろうな・・・
あとなんだろーーー感動しそうなのは???あれだなゴルゴダの丘だな・・・世界史を変えた人物ってやっぱり凄いもんね!

ガマ様の石棺を見たので、ほぼテンションは下がった。でもなかなかこれるとこでもないので見学するか・・・

当然、モノホンのイエスではございません・・・

カトリック教会にありがちなマリア像を鑑賞し、そして珍しくヨセフも!!!

暗くてはっきりとは写せなかったんだけど、珍しくない?マリアとヨセフの婚姻の像。
イエスもいますけどね・・・出来ちゃった婚で後から式を挙げたパターンでしょうな~ 

主祭壇部分です。

この主祭壇の中央、向かって左側にマヌエル1世と王妃マリア、右側に息子のジョアン3世が眠って
おられます 

 

 

 


ポルトガル編 リベイラ市場は旅行者の強い味方!

2015-08-19 08:21:45 | 2015イベリア半島西と東の旅

通りが3D状に入り組んでいるリスボン、歩道がとても狭くそこをトラム、車も通るリスボン、
日本から調べて行っても、お店を探し当てるのが大変
スマホの通信料金もバカにならないので、フリーWIFI以外、常時使うわけにもいかないし。 

いたる所に高台と低地を結ぶ階段があります。最終的に掴めた感ではこのような条件の
一角に美味しそうなレストランが多かったって事。
夕方になると細い段差のある路地のテラス席はとても賑わっていました 

この写真でもわかるように、リスボンの駅やバスターミナルから徒歩5分のホテルだとしても
バッゲージをガラガラ引いて歩いてたどり着こうと思うと大変な目にあいます
サンフランシスコの坂は可愛いもんよ・・・ 

そんなこんなで、お店探しは早々に諦めても、リベイラ市場に行けば、リスボン名物にはありつける

リスボンの人気店が一堂に集まり「タイムアウト」というフードコート形式になっているので、色々なお店の味を
楽しめます。
人気の時間は、まず座席を確保しましょう!
色々な味を楽しむというわけにはいかないけれど、各お店にも席があるので、
そちらは比較的、座席の確保はしやすいです。 

おそらく出店しているのは日本のガイドブックに掲載されているようなお店が多いんじゃないかな?
なのでガイドブックでチェックして狙いをつけるのが正解!
しかし、私は持っているにもかかわらず携帯していなかったので適当にお店を漁った 

お寿司屋さんでマグロ刺しを!赤身もトロのような味わい。きゅうりも丁寧に細工してくれる!
日本人じゃないシェフなのに、器用だな~と見とれた
写真の上部真ん中あたりに見える四角い黒い物は、注文し出来上がると自動販売機の
ジュースの当たりの時と同じに電飾がキラキラ回るようになってるの。 

ポルトガルのタコは、柔らかくて美味しいよね~なんとかマスターしたいものだ。

一押しが豚のロースト
市場の中はフリーWIFIなのでお勧めを調べていたらイカスミのリゾットだと。
そのお店でリゾットと豚のコンフィ照り焼きソースっていうのを頼んだら、これが美味しいの 

「Alexandre Silva」 日本語のブログで引っかかったイカスミリゾットはやはりイタリアのリゾットと
比べるとコクにかけるんだな~
しかしこの豚のコンフィーは9€で食べられるのにボリューム味ともに満点!
まず豚肉が日本の角煮っぽいんだけど、日本でこんなに柔らかな角煮は食べたことが無い 
なのに皮の部分がスーパー・クリスピー
照り焼きソースとあるけれど、甘すぎずくどすぎずグリンピースのピューレと合わせると
高級フレンチ並に美味しい
青梗菜を添えてあるのが中華を意識した感じ?
でも中華でもない、良い意味で東西融合料理 リベイラ市場に行ったらぜひおすすめ

タコのリゾットもそうだけれどポルトガルのリゾットはリゾットというより日本のオジヤに近いと思う。
あっさりしているのね。
それもそのはず、「おじや」はポルトガル語の「Ojiya煮込み料理」から来てるんだね~ 

 


ポルトガル編 ヘリテージ・アパートメンツ近くカイス・ド・ソードレ周辺

2015-08-18 08:24:39 | 2015イベリア半島西と東の旅

我々の滞在先であるヘリテージ・アパートメンツはカイス・ド・ソードレというポルトガル国鉄駅から
10分ほどのところにありました。

アパートを出ると、こんな道になってます。下にどんどん降りていくとテージョ川。

左右を見ると、下の道に繋がる階段があります。

こちらは上の道に繋がる階段があります。

カイス・ド・ソードレはカスカイス(カシュカイシュ)方面の電車の発着所になっています。
川沿い?から海沿いを走る事になります。

奥のクリーム色っぽい建物が駅です。この前はバス、トラムの発着所になっています。
そしてそのすぐ裏側がテージョ川。

 

川沿いと書いて違和感があるのはリスボンはテージョ川に面して広がっている街で、
川といっても海にしか見えないのです。
ここから見る風景は少しサンフランシスコっぽいですね?4月25日橋がゴールデン・ブリッジに見える。 

このテージョ川はイベリア半島最長の川でスペインからポルトガルを経て大西洋に注いでいます。
スペイン側ではタホ川といい、その最西端がリスボン。ほぼ大西洋といっても過言ではないわけで。

川沿いの街というと平坦な街を想像しますが、このリスボンは今まで経験した事のないくらい、
高低差のある街でして、これが地図を見てもさっぱりワケワカメ・・・な状態を我々に与えたのでした。
リスボンの一番の高台からテージョ川までどのくらいの高低差があるのだろう?

一度、Googleマップからダウンロードした地図を頼りにしていたら方向が全く わからなくなり、
地元民に「私達はどこにいるのでしょ~?」と聞いたのですが、グーグルの地図では
全くわからないと リスボンの道は立体的に交差しているので平面的な地図ではカバーできないわけです。
地図に示されているストリート名がある・・・しかし実際はその上か、下かにも道はあるわけで。

意外にも役に立ったのは、日本のガイドブックで妹が携帯していて、それが一番わかりやすかったかな~
地元の方に見せても日本語なので役には立ちませんが・・・
私もガイドブックを買ったのに、全く活用していなくて、今こうして改めて読むともっと活用すべきだったと思う次第です 

この川を正面に見てずーっと左に歩いて行くとリスボンの海の玄関口コメルシオ広場に出ます。
「コメルシオ」とは「貿易」という意味で大航海時代ここは貿易の中心地でいろいろな貿易関係の
施設があったそうですが1755年の地震で壊滅し、修復され現在に至っています。
なのでバイロ・アルト地区(高台)と違い道路も広く碁盤の目に整備されていました。

高すぎて写真に納まりきれませんでしたが、ドン・ジョゼ1世の立派な像が立っていました。
ここはリスボン大地震が起きるまでマヌエル1世宮殿があった場所だそうです。 
ここから海を背にすると勝利の門があります。
この勝利の門の上には上る事ができるそうで、一番上の像の中にはヴァスコ・ダ・ガマも見られるそうです。 

勝利の門はアウグスタ通りの入り口でこの通りは歩行者天国で、色々なお店がありました。
このあたりはバイシャ地区と呼ばれ低地という意味です。 

またカイス・ド・ソードレに戻ります。
駅とアパートメントの中間くらいにリベリア市場があり、これはとても便利な市場でした。

白いドームがある建物がリベリア市場です。ちょうど駅前のトラム乗り場の向かい側にあたります。
2年前くらいに改装を経て、フードコートが併設され朝早くから夜遅くまで営業しているので、
私達は何度かお世話になりました。

市場部分は古く、一般的な市場と同じで色々な食材が売られています。
ポルトガルで食事をするたびに意外だったのは、色々なお料理にコリアンダー(パクチー)が使われている事 
市場でもたくさん売られていました。

 

 

コリアンダー(パクチー)は東南アジア料理、南米料理というイメージですが、そーかー・・・
植民地支配の時代と関係があるのかもね~? 

フードコート部分はとても新しく綺麗なスペースです。

リスボンの有名どころが一堂に集まり、ここに来れば汗だくでリスボン中を歩くこともないわけです
ただし本店のメニューと同じというわけではありません。
 

外にテラス席を持つお店もあります。

お土産屋さんもあり、有名な缶詰専門店、エッグタルトのお店もありましたから、わざわざエッグタルトを
買うためにベレンまで行って並ぶこともないわけです。
トイレも綺麗で、リスボンの名物イワシが描かれていました。

 

アパートから近かったので、お店を探すより喉が乾いたらここでビールを一杯とかトイレに行きたくなったら
市場に寄るなど便利でしたよ
フレッシュジュース、ワイン、地ビール、スィーツ単品で利用できるところが便利です。

リスボンのお土産を扱っているお店の紙袋が素敵でした

 

 

 


ポルトガル編 ヘリテージ・アパートメントの続き・・・

2015-08-17 08:54:19 | 2015イベリア半島西と東の旅

私達は「Heritage Apartments Apostolos」に泊まったんだけど、

ホームページを見ると素敵なお部屋がいっぱい 

さあ、階段を上がって寝室部分です。

私たちのお部屋は赤が基調なのね?寝室の壁も・・・

このカーテンの向こうにはテージョ川と4月25日橋が!!!(イタリア等も日付けがそのまま固有名詞に
なっているよね?なんかの記念日なのでしょう)サンパウロで見るような大きなイエス像もみえるのよ♪

夜景がまた素敵でした♪

洗面台。

アメニティ完備!コットンがコットンキャンディーのように色とりどり♪ キャンドルも♪

トイレが別なのはいいわね。

バスタブはありませんが、シャワーはいままで生きてきた中で最強の水圧
ドライヤーも最新鋭のプロが使うようなハイパワー&カーリーヘアー対応型・・・・って初めて見た!
ヨーロッパの女性は日本のように年配の方じゃなくてもカーリーヘアーの女性多いよね。 

アンジェラに「ブログを書いてるから日本で宣伝するね!」って言ったらお隣の準備中の
お部屋も見せてくれました♪ 

 こちらは2ベッド・ルームの大きなお部屋です。

なんていうこった!!!このリビングの最大の素敵ポイントであるグリーンのソファを映してない
とーっても素敵なソファだったのに・・・ご想像ください・・・

こちらもバゲッジが置いてあったので、まもなくおやつタイムか?
キッチンは対面式になってるのね。

ベッドルームもグリーンを主体としたインテリアでした。