ローマから100kmウンヴリア州のオルヴィエートは凝灰岩が露出した小高い土地に
築かれたとても古い街だ。
イタリアを旅すると車窓から小高い丘に目をやればそこここに古い集落が見られ、
さらに一番高い所には教会の尖塔を見る事ができるでしょう。
ヨーロッパの殆どはキリスト教中心に発展したので、街は教会を中心として造られています。
オルヴィエートはOrvietoと綴り古くからエトルリア人の手で街が形成され、
紀元前280年頃にローマ人に攻め落とされエトルリア人は近隣に散り、それ以来
ラテン語の古い街を意味する「ウルブス・ウエトス(urbs vetus)」と呼ばれそれが訛って
オルヴィエートと呼ばれるようになったという一説もあります。
この周辺は歴代法王とも、とても縁の深い土地柄です。
そのオルヴィエート大聖堂は規模こそミラノ、フィレンツェに及ばないものの素晴らしい聖堂でした
僕達が大聖堂の歴史を紹介するよ~ん チャペル拝観料が3€だよ~ん。
もともと教会があった場所にこのドゥオモの建設が始まったのは1290年の事でした。
事の起こりは「ボルセーナの奇跡」 。
ボルセーナの奇跡は1263年ローマ巡礼に向かったボヘミアの司教がカトリックのミサの時に
行われる聖体拝領のパンと葡萄酒がキリストの血と肉に変るという言い伝えを疑っていたんです。
そんな疑い深い司教がサンタ・クリスティーナ教会(オルヴィエートの近く)でこの儀式を行ったところ、
二つに割ったパンから血が滴り落ちて聖体布を真っ赤に染めました。
この出来事を知った時の法王ウルバーノ4世は1264年に「聖体祭」を定め、この血に染まった布を
納める為に、このドゥオモが建設される事になりました・・・とさ・・・
このドゥオモが完成するまでには300年の年月が費やされています。
ファザードの正面は4本の柱と3枚のブロンズ扉からなっていて・・・
第一の柱・・・創世記 第二の柱・・・tree of Jesse・・・イエスまでの家系図(キリスト教的人類史)
第三の柱・・・キリストの生涯。 第四の柱・・・最後の審判というストーリー性のあるレリーフ
になっています。
一番上のモザイクは「聖母の戴冠式」その下の像は「十二使徒と預言者達」
下のモザイクは「聖母被昇天」 左右のモザイクは十二使徒。
このモザイクの美しさには目を見張るばかり・・・14世紀に造られたバラ窓にしても
真ん中のブロンズ扉上の聖母子と天使の像にしても・・・写真に収めてない
それは、それは美しいバラ窓なのに~。
このモザイク、レリーフの紹介にあたり、他のサイト等を参考にしようとしたら、
かなり誤情報があるんだね~。。。チケットを購入すると貰えるパンフレットには
それぞれについて詳しく説明文があるんだけれど(伊、英)日本のサイトとはかなり違ったり・・・
現地に行ったら、かならず貰えるパンフを参考にして下さいね
そして第一の柱部分の接写。素晴らしく繊細な浮き彫り彫刻これはエデンの園でしょうか・・・
ブロンズ扉の繊細な装飾・・・どれだけ技術を持った職人が、どれだけの人数で、どれだけの年月をかけて・・
どうですか~ 遠景ではただの美しい柱の模様が近くで見るとこの精密さ
完成までの300年もの間、その技術が連綿と受け継がれていた事になります。
彩色とデザイン性の美そこには数学的な知識も必要とされたはずです。
大きなドォウモの全体を楽しむのも 良いものですが、極々近くでこの様な仕事を
見る事は驚きの連続でもありますね~
ファザード(正面)以外は実にシンプルな大理石のストライプ、内部の壁も基本的に同じデザイン。
外部はゴシック建築で、内部はロマネスク様式ですが。
紀元前の古ーい時代シリアのアレッポにもこのデザインがみられます・・・その影響かな~?
12~3世紀だと、まだまだオリエントは先進国でしたから流行はあちらから?
シエナの大聖堂もファザード以外はこのデザインらしいです。ローマ、フィレンツェでも
部分的に見られますね。
内部は撮影禁止でお見せできませんが素晴らしいフレスコ画が残されています!
ルカ・シニョレッリの作品でこれはミケランジェロ以前の最高傑作とされています。
イタリア最大のパイプオルガンも素晴らしいものでした。
お見せできないのが本当に残念です・・・
ドゥオモは高台にあるので見晴らしも良いです。
この日はあいにくの天候でしたが、晴天の日にこのモザイクが陽の光を受けて
輝く様は素晴らしいのじゃないでしょうか
ドゥオモの広場には可愛らしい時計の塔。これは「マウリツィオの塔」というイタリアで
一番古い時計付きの塔です。 塔の上に立つ「マウリツィオ」と名づけられた1348年のもの。
教会の庭にはこんなキリットした目元のネコちゃんが・・・
ランチの時間までオルヴィエートの街を探索しました。