「四十にして惑わず 五十にして天命を知る」
FESCO設立後の十年は、まさにこの格言の実践。最近「天命を知る」ことの真意を悟った。「人間五十年も生きれば、自らの使命が解る」ではなく、「今まで大きな転機に耳元で聴いた声が、実は天命であった」のだと。
創業一年目の登記上本社は、日本総研の私の机。出資企業8社によるネット上の会社、バーチャルコーポレーションを企図。
二年目から日本総研一番町事務所の一角を借り、実態のある会社に。ソニーや松下電器のような大手優良企業工場から、省エネ診断要請が多いことにびっくり。自治体からは、三重県庁の北川知事経由で省エネ診断依頼が。出資企業の力を借りて、総合的な省エネ診断にまい進。コンプレッサーやコージェネが何かも良く知らないのに、省エネのプロを装って、内心冷や汗をかきながら、先方担当者と工場を巡回。しかし、なかなか採算が。
三年目のGW明け、某顧客から連休工事の強烈なクレームが。担当者と一緒に、四国から九州までのお詫び行脚が懐かしい思い出。あの時の豊後水道は五月晴れ。
三番町の単独事務所に移ったのが、四年目の初夏(00年6月1日)。社員も20名近くに。四期目(01年3月期)は、なんとしても単年度黒字をと意気込むも、またもや赤字決算。ベンチャー死の谷への恐怖を満喫。
コージェネのオンサイト事業スキームと出会って、五期目にやっと単黒達成。NEDOの合理化補助金も追い風に。
六期目から、いよいよ上場を視野に。ただ、省エネESCOだけでは、成長に限界も感じ、バイオマス発電へ果敢に挑戦。最初に手がけた山形バイオマス計画の住民説明会は散々な結果に。それは03年2月末のこと。その約一年後、八期目04年2月1日の日曜日に岩国計画の最終住民合意達成。最終的に地域住民に理解・歓迎され、喜びもひとしお。さらに、後発ながらも電力小売に挑戦。バイオマス電力をベースにした日本で最初のグリーンPPSを。
上場は第九期の途中05年3月4日。忘れもしない春の大雪と東証での打鐘。
上場後の翌年06年・第十期は、正月早々から試練の連続。そして、現在に至り、FESCOはまだ大海の荒波の中。
今こうして十年の歳月を振り返ると、いつも自分の背後で「何か大きな力」の存在が。それは天の声だったと今は断言できる。天はその時々に合わせ試練を与え賜うたが、あきらめずへこまず乗り切れば、必ず最後は庇護していただける。
最近、私の耳元で聞こえる天の声は、
「この苦境を乗り切れば、FESCOの未来は明るいよ」と。
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