3月10日
朝0949に函館駅を発ちます。駅で知人を発見。みどりの窓口に座っていたので、お客さんが途切れるのを待って声をかけました。私の娘より若い青年ですが、すがすがしい仕事ぶり。これからは彼らがJR北海道を背負っていくのてすね。
さて、1049に東京行のはやぶさ18号に乗車。乗客は予想よりもずっと少ない。4時間切ったら急に増えるなどとは思えません
がらんとした車内は八戸まで続き、やっと盛岡でほとんどの席は埋まりました。
やはり北海道と東京圏との交通は航空機というのは未来永劫変わることが無いだろうと思います。
北海道民が上京すると言うのは、あくまで「晴れの日」です。したがって千歳から普段は乗れない「飛行機」に乗ることが当たり前のことだし、一種のステータスでもある。私がJRを乗り継いで12時間かけて娘の居る石川県に行くなどというのは、多くの人にとっては信じられないことなのです。
すなわち「内地に行く」=「飛行機に乗る」こと。
さて、1504に東京について、狭くて天井の低い東京駅のコンコースを上越新幹線のホームへ急ぎます。これが東京かと思うほどに汚れきたなくて狭い駅構内。12分で離れて、とき327号で新潟へ向かいました。
1704に雨の新潟に到着しました。昨年から連続して泊っているためか
フロントの男性が私の顔を見知ってしまったようです。
朝0949に函館駅を発ちます。駅で知人を発見。みどりの窓口に座っていたので、お客さんが途切れるのを待って声をかけました。私の娘より若い青年ですが、すがすがしい仕事ぶり。これからは彼らがJR北海道を背負っていくのてすね。
さて、1049に東京行のはやぶさ18号に乗車。乗客は予想よりもずっと少ない。4時間切ったら急に増えるなどとは思えません
がらんとした車内は八戸まで続き、やっと盛岡でほとんどの席は埋まりました。
やはり北海道と東京圏との交通は航空機というのは未来永劫変わることが無いだろうと思います。
北海道民が上京すると言うのは、あくまで「晴れの日」です。したがって千歳から普段は乗れない「飛行機」に乗ることが当たり前のことだし、一種のステータスでもある。私がJRを乗り継いで12時間かけて娘の居る石川県に行くなどというのは、多くの人にとっては信じられないことなのです。
すなわち「内地に行く」=「飛行機に乗る」こと。
さて、1504に東京について、狭くて天井の低い東京駅のコンコースを上越新幹線のホームへ急ぎます。これが東京かと思うほどに汚れきたなくて狭い駅構内。12分で離れて、とき327号で新潟へ向かいました。
1704に雨の新潟に到着しました。昨年から連続して泊っているためか
フロントの男性が私の顔を見知ってしまったようです。