「違うでしょう。船頭の腕次第でしょう」
お嬢様は手強い。
鉄さんは慎重に二人を乗船させると、素早くとも綱を解いた。
高志も慣れた手付きで、船を岸壁から離す。
たちまち船は巨岩の門をくぐり、入江を背後に置いて行く。
千恵も清子も口を噤(つぐ)んで、瞳を一杯に見開いている。山が小舟を追いかけ、のしかかろうとして
いるかのようだ。
やがて千恵が誰にともなく言った。
「こんなに素敵な所だったんだ」
姉は妹の言葉に肯き、あやは眼を細めて遠ざかる入江の奥の小さな家を見ていた。
巨岩の門を出てほんの少こし山に沿って進んだ所で、早くも高志はエンジンを切った。
「もう、ここなの」
千恵が身を乗り出して、思わず船べりの底を覗きこむ。水は青々として澄んでいるが、岩も海藻
も何も見えない。
「結構深いんだよ。ここから漁港の方へゆっくりと流して行く。いいポイントでアンカーを打つ。
この辺りは僅かに根を外しているからね根がかりの心配はない。しかしいずれ根の近くだからソ
イやアブラコ、ガヤもくる。
イシガレイやタカノハも狙える。始めていいよ」
高志は前日に岩場から鉤竿で採っておいた餌のエラコを小分けにしてバケツに入れて姉妹に配
り、自分とあやの分は木の箱に入れ、残りは網袋に入れて海に吊るした。