大川小学校の生き残り

2020-01-14 18:41:11 | 日記
 2011年3月11日に発生した東日本大震災で多くの児童と教職員を亡くした宮城県石巻市の大川小学校の生き残りの只野哲也さんが20歳の成人式を迎えた。全児童77人中74名が、教職員11人中10人が犠牲となった大きな被害を出して損害賠償の訴訟にもなるという異例の大惨事だった。それは助かる見込みが予想されたにも関わらず教職員の採った行動に疑問があるからである。学校側には地震津波の起こった際の行動が一応定められていてその行動の通りに児童を引率し津波をかわそうとしたらしいが津波があまりにも大きく行道の想定をはるかに超えていたものだった。
 小学校の先生だからおそらく若い女性の先生だっただろう。マニュアル通りの行動でそれを超える咄嗟の判断がまだ無理な年齢であったであろうが、裏山に逃げろと進路を決めていれば随分と違った結果になっていただろうことは容易に想像がつく。
 その行動に走って生きながらえたのが今日成人式を迎えられた只野哲也さん20歳である。現在東北学院大学2年生でその体験を語り続けているという。同級生を失った悲しみ辛さはこれから只野さんが年を経るにしたがってよりおおきくなるであろう。大川小学校を襲ったあの大津波の映像を見るにつけ先生が児童を引率して避難したあの小高い丘はまるで大河のような大洪水の水が怒涛のように流ている。小学生の子供が耐えられるものとは到底思えないような大津波であった。あの映像と破壊された小学校の姿は遺産として後世の皆さんに知ってもらうべく残しておくべきだ。

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