まだ2月の半ばというのに今日は4月の桜の咲く時期の陽気になった。朝は曇りでどうなるかとゆううつだったが10時頃からすっかり青空に変わり午後はグンと気温が上がった。その陽気に誘われて定年間際によく行ったゴルフ練習場までドライブをしてみた。片道約20キロの道である。久しぶりの景色に目がクルクルとして運転に支障を来す場面もあった。4月上旬に高齢者の運転講習会がありその予行練習も兼ねてのドライブであるが、昨年に目の手術などもして心配したがなんとかやり遂げた感ありである。
それにしても今日の陽気はどうしたことか。まるで春本番の気温上昇である。ウグイスも桜の芽も春の準備をしていることだが、今日のように急激な変化では戸惑っているいことだろう。今年の春一番の発表はこれではどうなるのだろうか。風はなかったので発表はしなかったが陽気ではまさに春一番の今日だった。
今日の朝刊に野村克也さんの死去のニュースがトップで掲載されている。天使人語でも取り上げられている。人語の作者はよく記憶されているようで「壁ぐらいには使えるだろう」として南海ホークスの球団が採用したのが始まりだった。確か野村さんがこのことを述懐しておられたのを記憶している。壁とは投手の練習用のキャッチャーのことで正式なベンチ入りの選手ではないのであった。
当時の南海ホークスの野球はテレビ中継がほとんどなくてというよりもパ・リーグがセ・リーグに比べて人気がなくて野球といえば王・長嶋のいる巨人といわれ巨人の試合はどこに行っても球場の席は大入り満員だったが、南海の地元あの狭いすり鉢状の大阪球場でさえガラガラ状態だった。セ・リーグの甲子園球場も同様で相手の対戦が巨人戦のみ球場が観客で埋まった。巨人は強い素晴らしい球団で球界の盟主として君臨していた。現在でもその名残かどうか選手人生の最期は巨人で終わりたいという選手も多いのではないだろうか。これから野球人生に進もうとする若者がいちばん憧れ希望する球団はやはり巨人であった。優秀な人材が巨人に集まり過ぎるということでこの弊害を改めようとしてドラフト制が採用され今では公平に各球団に行き渡るようになった。