雨水

2020-02-19 16:21:31 | 日記







































































































































 雪が雨に変わるころとされるのが雨水だが昨夜は今季いちばんの冷え込みだったのでないだろう。しかし午後になってグンと気温が上昇して陽光はまさに春そのものの強い陽射しになった。春先の今頃は降雪があり5センチほど積もる日があるが今年はどうか。明日からは気温が少し上がるとの予報である。



















































































































































今季いちばんの冷え込み

2020-02-18 09:03:52 | 日記
 昨夜からの冬型季節配置で今季いちばんの冷え込みだった。朝屋根にうっすらと積雪を記録。今季二度目の降雪だった。寒気の峠は今日とのことでこの後気温が若干ながら上昇するとの予報だ。
 新型肺炎の罹患者が増加傾向で神経質な状況が継続している。大阪市や阪神地域には今のところ患者は発生していないが油断は禁物であろう。天皇誕生日の一般参賀が取りやめというニュースはショックだった。せっかくの新天皇誕生でその最初の誕生お祝いができないということで楽しみにしておられた多くの国民の落胆が目に浮かぶ。病原菌をばら撒いた当事国の中国の全人代の行事も取りやめとかだが、共産党員の会議をしているどころではない状態でその時間があるのなら病原菌がどうして拡散したのか、また中国全土の公衆衛生の状況を把握してその対策を早急に知り防止の手段を執り行うようにしなければなるまい。おそらく発展地域の沿岸部はなんとか整備されているだろうが、奥地の砂漠と隣り合わせの地域は昔と変わらぬ貧弱な社会環境ではなかろうか。航空母艦建設とか一帯一路などの景気の良いお話をしている場合ではあるまい。外よりも国の内部を整備しなければとてもじゃないが一等国にはなれないことを周さんは知らなければならない。いやもうそれはご存じのことと思う。
 GDPが猛烈に減少傾向とある。消費税増税に台風の惨禍もあるだろうが人々の欲しいものの欲求がないのが最大の原因だろう。国民の得られたであろう所得が軍事予算に向けられているのかもしれないし、あのH2Aロケットのように宇宙科学や次世代宇宙開発方面にも向けられているのかもと思う。景気はなかなか上向かないのは致し方ない。

確定申告始まる

2020-02-17 09:18:19 | 日記
 今日から平成31年度と令和元年の確定申告の受付が始まる。早速税務署宛に発送準備にかかることとするが、当地では役場に持参すれば受け付けてくれるので毎年そのようにしている。郵送代が助かるのでこれを利用している。もう糊づけして準備万端である。
 今日は朝から太陽の陽射しがまぶしい。3日ぶりの陽光に心も何かしら晴れ晴れとした感じである。洗濯ものが生乾きなので家内が庭の干し竿に掛けなおしている。
 今日の朝刊は岩手陸前高田市の様子をトップニュースに採り上げている。街ができても人戻らずといった見出しである。徐々に人口が回復はするだろうが以前のような姿にはもう戻らないのではないだろうか。東京近辺や大阪近辺に移り住んだ方々も多いはずで一旦そこでの生活環境を憶えてしまうとなかなか元には戻らないのが人の心だろう。早いものでもうすぐ3月11日の日がやってくる。あれから満9年が経過する。あの災害で世の中が変わったのだ。ガラリと人の考え方も変わった。

バカ陽気

2020-02-13 17:50:16 | 日記

 まだ2月の半ばというのに今日は4月の桜の咲く時期の陽気になった。朝は曇りでどうなるかとゆううつだったが10時頃からすっかり青空に変わり午後はグンと気温が上がった。その陽気に誘われて定年間際によく行ったゴルフ練習場までドライブをしてみた。片道約20キロの道である。久しぶりの景色に目がクルクルとして運転に支障を来す場面もあった。4月上旬に高齢者の運転講習会がありその予行練習も兼ねてのドライブであるが、昨年に目の手術などもして心配したがなんとかやり遂げた感ありである。

 それにしても今日の陽気はどうしたことか。まるで春本番の気温上昇である。ウグイスも桜の芽も春の準備をしていることだが、今日のように急激な変化では戸惑っているいことだろう。今年の春一番の発表はこれではどうなるのだろうか。風はなかったので発表はしなかったが陽気ではまさに春一番の今日だった。


野村克也さんーその2

2020-02-12 16:18:27 | 日記

 今日の朝刊に野村克也さんの死去のニュースがトップで掲載されている。天使人語でも取り上げられている。人語の作者はよく記憶されているようで「壁ぐらいには使えるだろう」として南海ホークスの球団が採用したのが始まりだった。確か野村さんがこのことを述懐しておられたのを記憶している。壁とは投手の練習用のキャッチャーのことで正式なベンチ入りの選手ではないのであった。

 当時の南海ホークスの野球はテレビ中継がほとんどなくてというよりもパ・リーグがセ・リーグに比べて人気がなくて野球といえば王・長嶋のいる巨人といわれ巨人の試合はどこに行っても球場の席は大入り満員だったが、南海の地元あの狭いすり鉢状の大阪球場でさえガラガラ状態だった。セ・リーグの甲子園球場も同様で相手の対戦が巨人戦のみ球場が観客で埋まった。巨人は強い素晴らしい球団で球界の盟主として君臨していた。現在でもその名残かどうか選手人生の最期は巨人で終わりたいという選手も多いのではないだろうか。これから野球人生に進もうとする若者がいちばん憧れ希望する球団はやはり巨人であった。優秀な人材が巨人に集まり過ぎるということでこの弊害を改めようとしてドラフト制が採用され今では公平に各球団に行き渡るようになった。

 あのガラガラ観覧席での試合が多かった野村さんの選手時代、セ・リーグの巨人はどこに行っても大歓声のまさに野球選手の華である大入り満員の球場での試合ばかりで野村さんもきっとこのような試合で勝負したかったに違いない。それがあの「王・長嶋はひまわりで私は月見草」という言葉が生まれたのだと思う。名選手必ずしも名監督ならずといわれたが野村さんは名選手と名監督の両方の華を手にされた。指導者としての人気は王長嶋に勝るとも劣らずではなかったか。ただ惜しむらくは84歳というまだまだこれからという時に旅立ったのは残念のひと言と私は思う。