令和新天皇の最初の天皇誕生日である。天気もよさそうでなによりのことでお祝い申し上げます。令和元年は5月1日からであるのでその年の2月23日はまだ平成の御代だった。
新天皇は今年60歳だ。そこでふと自分の60歳を思い出してもいいのではと思う。今から19年前である。19年前といえばそう日本経済と日本そのものの生き方体質が大きく変貌しようとする時期だった。サラリーマンは終身雇用というもので守られて定年まで自分で辞めない限り生きて行ける時代だった。それほど成果を上げなくても会社におられた。サラリーマンは気楽な稼業というもんだという歌さえあった時代が戦後の昭和に時代だったが、バブル崩壊が始まりサラリーマンも定年まで気楽に勤められる時代ではなくなって来始めたのが19年前のあの荒んだ時代だった。護送船団という仕組みで守られてきた金融機関で潰れる心配はないという神話だった金融機関が潰れ始めた。北海道拓殖銀行に山一証券の倒産である。
個人も自分の資産を自分で守らなくてはならない時代がやってきた。銀行には1千万円の上限が設けられてそれ以上の預金は銀行が保証しないというものだ。所謂ペイオフというものである。
私は60歳の定年を待たずに会社から退職を言い渡された。ショックだった。退職半年前には役職を外されその気配を感じながらの会社勤めだった。会社からはいち応再就職斡旋を受けて様々な小企業に勤めたがほぼ半年で辞めていた。幸い当時の失業保険はそれなりにありまた会社の企業年金があって何とか凌げたが年金受給までの4年間は相当の苦労話の連続であった。
会社の従業員解雇が始まって最初が私だったように思う。なぜ私がと会社に不信感が大いに漂い悩んだ。がそれから2年3年経過すると他の従業員にもそれが始まった。よく言われるリストラの始まりであった。それが原因かどうか知らないが私より若くて元気なやつが急死する事態が3人4人もありノイローゼになるものもいた。定年まで在職を許されたものも結構いたがその人たちも毎年行われるOB会には出てこないのが多い。昔羽振りの良かったあの人はどうしたのかしらなのである。平成31年間は大地震が2回もあり風水害は毎年のごとく日本列島を襲い長崎雲仙では未曽有の火山噴火がありなどなどまさに災害の平成時代でありさらに加わるといえば私たちの生き方働き方を根本的に変化を要求される時代だったのではないだろうか。平成は昭和の残滓の清算の時代だったといえる。