Hi! みんな元気?とても忙しくてどこかへ行ってしまいたくなった。そしていつもと同じようにサット家を飛び出し、どこへ行こうかと駅前で思案中、ハタと気づいた。お金持ってない!お金がないのではない。お金を財布に入れ忘れたのだ。今となればどちらも同じ。ガ~ン仕方なく、ほんじゃ、近くの国分寺跡辺りぶらぶらするか、久しぶりに。なんて、切り替えの早いkinoppyはいつものお決まり散歩コースを歩きはじめた。
駅から徒歩15分ほど南へ下ると、「お鷹の道」って散歩コースがある。徳川家のお鷹場だったらしい。
昔ホタルが自生していた。野川の源流。ホタルを呼び戻す会などが蛍を育てているが、放し飼いはまだできないようだ。いなくなった(絶滅した?)ものを再び呼び戻すのは難しいだろう。
こんな細い道(時々鴨が遊んでいるのを見る)を500m程行くと、現在の武蔵国分寺、国分寺跡に辿り着く。その途中こんな看板に出くわす。お鷹の道方面と真姿の池湧水群を分ける看板。まずは左へ曲って、湧水を見て来よう。
こんな感じ。旗がでているのは、近所の農家の野菜売りの宣伝。
こんな感じで、ペットボトルを持参湧水を汲んでいく人が沢山いる。でもそのままでは飲めないらしい。
後方に階段があるのが見える?これを上って行くとまさに現代って感じの大きな道路に出るんだけど、逆にその道路からここへ降りて来たらビックリするよ。タイムマシーンに乗って突然昔に戻ったような・・・。
先程の看板の所に戻って、しばらく行くと
林の中に1軒のカフェが見えてくる。
久しぶりに寄ってみようか。中はね、こんな感じ。本当は1階の、窓から外が見える席が好きなんだけど。女の人が一人で座っている所。真ん中はお土産など売り場。心配しないで。珈琲代くらいは持ってたんよ。
二階はこんな感じ。良く見たら国分寺が描いてあるね。
ブルーベリーチーズケーキと湧水を使って入れた珈琲。
さあ、一息入れたら出発~。カフェの近くにこれから行く武蔵国分寺跡の地図があるよ。現在地とかいてある所。史跡の駅がここ おたカフェ。国分寺~講堂跡、金堂跡、七重の搭跡を巡って行くよ。
現在の武蔵国分寺。国分寺市HPによると真言宗豊山派の寺院。本尊は薬師如来。武蔵国分寺の後継寺院。本堂は真新しい感じで、市の文化財になってないらしく、再建時期などの紹介はない。ちなみにすぐ傍にある薬師堂、仁王門などは(18世紀の再建)歴史的な説明がある。
楼門。1895年(M28)に東久留米市の米津寺から移築されたものだそう。
初めてこの楼門を見上げた時、秋の夕日に輝いてものすごくきれいで感動した。また夕暮時に来よう。
楼門を真っ直ぐ南に向かって歩くと元町通りにでる。道路を渡って武蔵国分寺跡。
左手の石段を上ると金堂跡の広場。お兄さん?がずっと座って読書中。金堂は桁行き7間(36m)×梁行き4間(17m)の礎石建物。諸国国分寺中最大規模。
こんな大きな木が沢山ある。
小さい女の子が見える。
近づいてみよう。可愛いね。
女の子がいた所の向かいは講堂跡。奥が国分寺。この辺は桜の名所。講堂は金堂と同規模の礎石建物。
通りを挟んでつい数年前まで発掘作業が行われていた、中門、南門、七重の塔跡。キャッチボールをしているね。大木の傍にはこちら側金堂跡の石の標識。
この辺りまでは良く来るけど、ここから先(東方面)は広すぎてそうそう散歩に来ない。どんどん東へ向かって歩くと、「エッ!こんなに広かったの?」と驚くくらい林が続く。中は公園になっていてみんな自由に遊んだり通り抜けたりしている。税金は高いけど国分寺市民って幸せなのかも。
そうこうしている内に七重の塔跡に到着。
金堂・講堂跡から東方200mに位置し、「金字金光明最勝王経」を安置する国分寺の重要な施設だった。三間(10m)四方の礎石建物で、高さは60mほど。平成15年の地下レーダー調査により西方55mの地点にもう一つの塔跡が発見された。
イメージ沸いたかな?武蔵国分寺復元図。昨年資料館で撮った。(今は休館中。)あれ?七重の搭がない?写ってないだけか?
七重の塔跡から畑を少し超えて行くと、こんなバラックのような建物。
ここが何かと言うと国分寺プレイステーション。kinoppyもお手伝いに来たことがある。子供たちの貴重な遊び場。
柿の木と木の間にロープを張って綱渡り。木が折れないかといつも心配するけど大丈夫みたいね。
火を起こして、ジャガイモや、ウインナーやコーンやマシュマロや何でも良いの。みんなで焼いて食べる。長い棒にさして焼いて食べると本当に美味しいよ。柿が見事になってるね。
向こうの方ではツリーハウスで遊んでいる子供達。のこぎり、金づちを使って、工作をしたり、何でもありの遊び場。
元気な子供達にエネルギーをもらって、そろそろ帰ろう。元来た道を国分寺跡の可愛い花達にさよならを言おう。
撮影は11月。投稿が遅くなってゴメン。いつも素通りしているこの辺りだと思うけど、改めてこうしてみると、なかなか良い所でしょう?
みんな、じゃ、またね。
駅から徒歩15分ほど南へ下ると、「お鷹の道」って散歩コースがある。徳川家のお鷹場だったらしい。
昔ホタルが自生していた。野川の源流。ホタルを呼び戻す会などが蛍を育てているが、放し飼いはまだできないようだ。いなくなった(絶滅した?)ものを再び呼び戻すのは難しいだろう。
こんな細い道(時々鴨が遊んでいるのを見る)を500m程行くと、現在の武蔵国分寺、国分寺跡に辿り着く。その途中こんな看板に出くわす。お鷹の道方面と真姿の池湧水群を分ける看板。まずは左へ曲って、湧水を見て来よう。
こんな感じ。旗がでているのは、近所の農家の野菜売りの宣伝。
こんな感じで、ペットボトルを持参湧水を汲んでいく人が沢山いる。でもそのままでは飲めないらしい。
後方に階段があるのが見える?これを上って行くとまさに現代って感じの大きな道路に出るんだけど、逆にその道路からここへ降りて来たらビックリするよ。タイムマシーンに乗って突然昔に戻ったような・・・。
先程の看板の所に戻って、しばらく行くと
林の中に1軒のカフェが見えてくる。
久しぶりに寄ってみようか。中はね、こんな感じ。本当は1階の、窓から外が見える席が好きなんだけど。女の人が一人で座っている所。真ん中はお土産など売り場。心配しないで。珈琲代くらいは持ってたんよ。
二階はこんな感じ。良く見たら国分寺が描いてあるね。
ブルーベリーチーズケーキと湧水を使って入れた珈琲。
さあ、一息入れたら出発~。カフェの近くにこれから行く武蔵国分寺跡の地図があるよ。現在地とかいてある所。史跡の駅がここ おたカフェ。国分寺~講堂跡、金堂跡、七重の搭跡を巡って行くよ。
現在の武蔵国分寺。国分寺市HPによると真言宗豊山派の寺院。本尊は薬師如来。武蔵国分寺の後継寺院。本堂は真新しい感じで、市の文化財になってないらしく、再建時期などの紹介はない。ちなみにすぐ傍にある薬師堂、仁王門などは(18世紀の再建)歴史的な説明がある。
楼門。1895年(M28)に東久留米市の米津寺から移築されたものだそう。
初めてこの楼門を見上げた時、秋の夕日に輝いてものすごくきれいで感動した。また夕暮時に来よう。
楼門を真っ直ぐ南に向かって歩くと元町通りにでる。道路を渡って武蔵国分寺跡。
左手の石段を上ると金堂跡の広場。お兄さん?がずっと座って読書中。金堂は桁行き7間(36m)×梁行き4間(17m)の礎石建物。諸国国分寺中最大規模。
こんな大きな木が沢山ある。
小さい女の子が見える。
近づいてみよう。可愛いね。
女の子がいた所の向かいは講堂跡。奥が国分寺。この辺は桜の名所。講堂は金堂と同規模の礎石建物。
通りを挟んでつい数年前まで発掘作業が行われていた、中門、南門、七重の塔跡。キャッチボールをしているね。大木の傍にはこちら側金堂跡の石の標識。
この辺りまでは良く来るけど、ここから先(東方面)は広すぎてそうそう散歩に来ない。どんどん東へ向かって歩くと、「エッ!こんなに広かったの?」と驚くくらい林が続く。中は公園になっていてみんな自由に遊んだり通り抜けたりしている。税金は高いけど国分寺市民って幸せなのかも。
そうこうしている内に七重の塔跡に到着。
金堂・講堂跡から東方200mに位置し、「金字金光明最勝王経」を安置する国分寺の重要な施設だった。三間(10m)四方の礎石建物で、高さは60mほど。平成15年の地下レーダー調査により西方55mの地点にもう一つの塔跡が発見された。
イメージ沸いたかな?武蔵国分寺復元図。昨年資料館で撮った。(今は休館中。)あれ?七重の搭がない?写ってないだけか?
七重の塔跡から畑を少し超えて行くと、こんなバラックのような建物。
ここが何かと言うと国分寺プレイステーション。kinoppyもお手伝いに来たことがある。子供たちの貴重な遊び場。
柿の木と木の間にロープを張って綱渡り。木が折れないかといつも心配するけど大丈夫みたいね。
火を起こして、ジャガイモや、ウインナーやコーンやマシュマロや何でも良いの。みんなで焼いて食べる。長い棒にさして焼いて食べると本当に美味しいよ。柿が見事になってるね。
向こうの方ではツリーハウスで遊んでいる子供達。のこぎり、金づちを使って、工作をしたり、何でもありの遊び場。
元気な子供達にエネルギーをもらって、そろそろ帰ろう。元来た道を国分寺跡の可愛い花達にさよならを言おう。
撮影は11月。投稿が遅くなってゴメン。いつも素通りしているこの辺りだと思うけど、改めてこうしてみると、なかなか良い所でしょう?
みんな、じゃ、またね。
武蔵国分寺跡は桜満開の時には出かけて写真を撮りますが、新しいアングルが見つからずいつも変わり映えしない写真を撮ってます。
東寺などは4度も焼失したが、家光によって再建されたとのこと。
江戸の武蔵国分寺も再建してくれれば七重の塔が見られたのに・・・と思いますね。
に位置していたから選ばれたと聞いています。府中は確かに今でも文化的にも地理的にも多摩地区の中心地ではありますが、東京文化最前線の現代では府中も国分寺もふるぼけた地方の印象は否めないです。自然豊かな点だけは誇って良いかと。飛び出してくる子供も昔のままの感じがします。(現実は違いますが・・・。
楽しくなります。日本人が出ると応援が楽しくなるオリンピックと一緒です。(笑)
国分寺は住んでいる所ですので興味はありますが、やはり何も残っていないと、魅力は半減ですね。