映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

愛する映画の舞台を巡る旅Ⅳ ~モスクワ(ロシア)その⑩~

2020-04-25 | 旅行記(海外)

**赤い首都**

関連映画:『イースト/ウエスト 遥かなる祖国』(1999)

『ラブレス』(2017)

その⑨につづき

 いよいよ最終日。旅に出るといつも思うが、過ぎてみればあっという間。

 

朝7:20のモスクワ。ホテルの窓から

 

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 【6日目のスケジュール】~クレムリンとグム百貨店、帰国の途

(前日行けなかった)ノボデヴィッチ修道院 → クレムリン(ウスペンスキー寺院 → 大砲の皇帝 → 鐘の皇帝 → 武器庫)→ 赤の広場 → グム百貨店(&昼食)→ 空港


 
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 最終日の朝食。パンケーキが美味しかった。ジャムはアプリコット。この日のジュースはこけももジュースはやめて、オレンジジュースに。シリアルも美味しかった。……嗚呼、もう遠い昔みたいな気がするなぁ。

 


ホテルのロビー

 

ホテル全景(バスの中から)

 

 出発は8:30。まずは、前日、大渋滞で予定が変更になり行けなかったノボデヴィッチ修道院へ。ホテルからはバスで15分くらい。

 

修道院そばの発電所

 

 こちらは、モスクワ市の暖房にかかる集中発電所とのこと。このおかげで、どの建物も中はとても暖かいのね、、、。

 この近くでバスを降り、歩いてすぐのところに池があり、その対岸に修道院が。1524年にスモレンスクがモスクワ大公国に併合されたのを記念して建てられた女子修道院。ここの墓地には、チェーホフやショスタコの墓もあるという。

 


ノボデヴィッチ修道院

 

 池は薄く凍っている様子。例年の冬なら、もっと厚く氷が張っているんだろうなぁ。こちらは入館予定はないので外から眺めるだけだったのだが、工事中で全景が見られないかも、と言われていたのだけれど、十分美しい外観を眺められただけでもラッキーだったのかも。

 再び、バスに乗って、いよいよクレムリンへ。子供の頃、ソ連からのニュースっていうと「ハイ、こちら、モスクワのクレムリン前です!」などと、特派員(今はあんまり言わないですね、これ)という人が言っていて、それが耳にこびりついているんだが、クレムリンとは固有名詞ではなく、城・城塞の意味で、ロシアのあちこちにクレムリンはあるということ。でも、私の中では、クレムリン=モスクワ(というか赤の広場)、なんだよねぇ。

 バスを降り、国立図書館の脇を通り、、、

 

国立図書館。銅像はドストエフスキー

 

 セキュリティチェックを受けて、メインの出入り口である、クタフィア塔~トロイツカヤ塔へと向かう。

 

トロイツカヤ塔

 

城壁の隙間から、、、

 

兵器庫の前に並ぶ大砲(ナポレオンから奪取したものらしい)

 

国立クレムリン宮殿(中には大きなイベントホールがあるらしい)

 

国立クレムリン宮殿前から聖ワシリー寺院を臨む(左の黄色い建物は大統領府)

 

大統領府(元老院)

 国旗が揚がっているからと言って、プーチンがいるとは限らないのだそうだ。
 

ウスペンスキー大聖堂と大砲の皇帝

 

大砲の皇帝とパトリアーシェ宮殿。弾の方が大砲の筒より大きい、、、

 

 この大砲は、1586年に作られたブロンズ製で重さは40トン。もちろん、これまで一度も発砲されたことはない。

 

大クレムリン宮殿

 

 こちらは、1894年に焼失した歴代皇帝の宮殿跡に建てられたもの。一般公開はされておらず、現在は、外国要人等との会見に使われているとのこと。

 

クレムリンからモスクワ川を臨む

 

 で、この後、ウスペンスキー寺院内へと向かう。

 

 

 

 

フレスコ画の数々

 

 ウスペンスキー寺院(大聖堂)は、地震により倒壊した後、1479年に再建されたという。地震……?? ロシアでも、大聖堂が倒壊するような大地震があるの??とビックリ。サンクト・ペテルブルクでは、絶対に地震はないから、塔が土台に固定されていない、ってナターシャさんは言っていたのに!

 皇帝の戴冠式や総主教の葬儀にも利用されたそうで、クレムリンの中心に建っている。イタリア人の建築家が設計したとのこと。

 この後、武器庫へ。この武器庫とダイヤモンド庫は、特別の予約が必要なんだそうで、元々は、ダイヤモンド庫を見学する予定だったのだけれど、昨年末くらいに旅行会社から「ダイヤモンド庫はツアー見学禁止になった」とのお知らせが、、、。で、代わりに武器庫へご案内します、ということになったわけ。

 武器庫というから、武器が一杯陳列してある博物館かと思うが、そうではなくて、全部で9室からなる歴史博物館である。ロマノフ朝時代の衣裳や馬車、王冠などの宝飾品、中でもインペリアル・イースターエッグがウリ。エカテリーナ2世が実際に着用していたドレスなども展示されていた。

 宝飾品など、贅を尽くした品の数々は目の保養になるのは確かだが、……まあ、これでもか、っていう展示品の数々で、ハッキリ言ってかなり疲れる。おまけに撮影厳禁なので、画像は1枚もない。武器庫だけで、1時間半くらい見学していたのではないかしらん、、、。

 

イワン大帝の鐘楼

 

鐘の皇帝

 

 1735年に作られた、高さ6.14メートル、重さ200トンの「世界最大」の鐘。鋳造中の事故で割れてしまったんだとか。

 

アレハンゲルスキー大聖堂

 

 

 

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 この後、グム百貨店に行く途中で、土産物屋に立ち寄り。まだマトリョーシカをゲットしていないから、良いのはないかなぁ~と物色。あんまり大きくなくて、でも一番小さいマトリョーシカにもちゃんと丁寧に絵付けされているもの、、、と思って探すと、意外に顔が気に入らなかったり、模様が気に入らなかったりで、見付からない。

 でも、パッと見て一目で気に入ったのに出会いました!

 

 

 正確な値段を忘れてしまったんだけど、確か、5,000円弱くらい。ちょっと高いなー、と思ったけど、他に似たようなのもないし、色もちょっと珍しいし、何より、この子に呼ばれた気がしたので、これはご縁だと思ってゲットしました。

 ちなみに、お店の方にもらった案内によると、一番小さいマトリョーシカに願いを込めながら行きを吹きかけ閉じ込めておくと、願いが叶うと言われているのだって。ただし、願いが叶うまで開けてはいけないと。願い事なんて、、、、この歳になるともうそんなもんないんだけど、今なら、早くコロナが収まりますように、、、とかかしら。

 

グム百貨店外観

 

グム百貨店内部、吹き抜けが明るくて素敵

 

 実は、グム百貨店では、あまり時間がなく、昼食込みで自由時間が1時間弱だった。本当は、いろいろお店を見て回りたかったんだけど(別に買いたい物があったわけじゃないが)、お昼を食べて、ちょっと見て回って集合時間になってしまった。

 

 

 バイキング式のお店で、あれこれ欲張ってしまったのも時間がなくなった要因の一つかな。これで、555ルーブルだから、1,000円ちょっと。白い飲み物は牛乳ではなく、ヨーグルトドリンク。濃厚すぎて、食事のお供には向いていない。でも、その他は全て、すごく美味しかった。デザートのフルーツも。

 

 

 ワシリー寺院に別れを告げて、バスへ。

 嗚呼、楽しかった、ロシア!! 大好きになったよ、ロシア!!! ありがとう、ロシア!

 

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 帰りの飛行機は、17:00発のJAL422便。時期が時期だったせいか、やや空いている感じだった。行きと同じく、隣はいなくてラッキー。

 

 

 このご飯にチキンカツの乗ったメインは、ハッキリ言って、イマイチだった、、、。味がない、というか、塩忘れたんじゃないの?という代物。まぁ、あんまりお腹空いていなかったから別に良いのだが。お味噌汁は、やっぱり美味しかった。

 映画は、『ドクター・スリープ』を見たんだけど、なんかもう、全然キューブリックの『シャイニング』とは別物の思いっきりB級な、しかも全く怖くない“なんちゃってホラー映画”になっていて、疲れているのも手伝ってか、ボーゼンとしてしまった。ユアン・マクレガーって、どうしてこうB級映画ばっかし出てるの?? 原作者のキングは、こういう方がお気に入りなのかね? 私は、断然キューブリック版が好きだわ。

 

 

 到着2時間前に出た朝食。ハムチーズサンド。ビックリするぐらい、パンが美味しくない。大丈夫か、JAL、、、。

 定刻(8:35)より大分早く、8時過ぎに成田に到着するが、行きのモスクワでの機内検疫もなく、さっさと降ろされる。それはまあ良いのだが、驚いたのは、入国審査の前にも後にも、サーモカメラも何もなく、完全にフリーだったこと。呼び掛けすらない。まるで警戒心がないこの入国審査体制に、こっちの方が怖くなる。大丈夫か、日本、、、。

 ……と危惧したとおり、あれから一月後には、オーバーシュートだなんだと騒ぎ出した。その後の展開も含め、今の状況があるのも当たり前だろ、、、としか思えない。

 

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 というわけで、稚拙なロシア旅行記はこれで終わりです。長々とお付き合いいただきまして、ありがとうございました。

 

 

 

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愛する映画の舞台を巡る旅Ⅳ ~モスクワ(ロシア)その⑨~

2020-04-19 | 旅行記(海外)

**赤い首都**

関連映画:『イースト/ウエスト 遥かなる祖国』(1999)

『ラブレス』(2017)

その⑧につづき

 ちょっとザワつく中、パンとスープが出て来たんだが、落ち着かない感じで食べたせいか、パンは美味しかったんだけど、何のスープだったかあんまし記憶にない、、、。

 

 

 で、10分も経っていないくらいだったと思うけれど、アンドレさんが入ってきて、続いて迷子のご姉妹が現れ、皆、おぉ……!って感じで拍手が、、、。妹さんの方が「どうもお騒がせしてすみません」とおっしゃって、お姉さん共々、深々頭を下げておられたけれど、まあ、ともあれご無事で良かった。

 ……ってことで、メインのロールキャベツをいただく。

 

 

 ご覧のとおり、野菜たっぷりで、中身の肉はみっちりだったけど、味もさっぱりで美味しかった。かなりボリュームがあったけど、さっぱり味のおかげで完食。

 

 

 デザートは、砂糖たっぷりのドーナツ。中にはクリームとかは何も入っていなくて、見た目よりしっとりしていて美味しいのだが、甘い上に、既にロールキャベツで結構お腹がいっぱいだったこともあり、1つは残してしまった。

 で、この後、店を出てバスに戻りながら、例のご姉妹が、迷子の顛末を教えてくれた。

 修道院を出るときに、お姉さんがどうしても買いたい物があるということで、売店でほんの1~2分買い物をしたので、ちょっとツアーの列から遅れてしまった。けれど、列の最後尾の男性はちゃんと見えていたので、大丈夫と思っていたらしい。でも、そこでお姉さんが何かに躓いて転びそうになり、妹さんが支えて、やれやれと顔を上げたところ、最後尾の男性の姿が影も形も見えなくなっていた!! 小走りで行けば何とかなると思って、急いで最後に男性の姿を見た辺りまで来たけれど、もう誰も何も見えなくなっていて、完全にはぐれてしまった、、、ということらしい。

 困ってウロウロしていたら、パトカーとおまわりさんが見えたので、ロールキャベツが美味しいことで有名なお店なら、きっと聞けば教えてくれるに違いないと思い、妹さんは(ロシア語は話せないのでやむなく)英語(?)で「ロールキャベツ! ジャパニーズツーリスト!!」と連呼したんだとか。……ま、当然まるで通じなくて、心当たりの旅行会社に電話して問い合わせてくれたらしい。……ということをしているところに、アンドレさんとL子さんが探しに来て、事なきを得た、、、んだとか。

 妹さんの話し方が面白くて、笑ってしまった。「ロールキャベツ! ジャパニーズツーリスト!!」を連呼したってのが、みんな爆笑だった。ロールキャベツって、そもそも(多分)和製英語だろうし。そう言われたロシアのおまわりさんが困惑する様子が何となく目に浮かぶ。でも、ちゃんと旅行会社に問い合わせてくれるなんて、なかなか親切ではないか。

 そう、今回の旅行ですれ違ったロシアの方々は、皆、親切だったなぁ。愛想はないんだけど、聞けば、ちゃんと説明してくれるし、分からないなりに伝えようとしてくれる。スマホの翻訳機能を使って教えてくれた店員さんもいたし。怖いオバサンもいるにはいたけど。私も、旅行中の外国人には親切に応対しよう、と改めて思った。


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 この後、モスクワへバスで戻ったのだけれど、途中、ものすごい渋滞していて、モスクワに着くのが予定より大分遅れてしまった。私は、途中まで爆睡していたのだけど、目が覚めたら、全然バスが動かないのでびっくり。抜けてみて分かったけど、工事による渋滞だったみたい。

 予定より1時間以上遅れてしまった様なので、当初の予定にあったノボデヴィッチ修道院は明日訪れることになり、赤の広場へ向かうことに。

 「赤の広場」は、共産主義の「赤」ではもちろんなく、もっと古い時代から「赤の広場」と呼ばれていて、「美しい広場」という意味。ロシア語では「赤い」は「美しい」の意味だと、アンドレさん。

 

モスクワ中心部。高級店が立ち並ぶ(バスの中から)

 

 

劇場と老舗ホテルメトロポール

 

赤の広場前。まだ、クリスマスの仕様

 

こちらは翌日訪れる予定のグム百貨店

 

クレムリン。こちらも明日訪れる予定

 

 

 いざ、世界遺産の聖ワシリー寺院へ。対モンゴルの勝利を記念して1560年にイワン雷帝によって建てられた。中心の塔の高さは46メートル。9つの塔からなり、別名ボクロフスキー聖堂とも呼ばれる。

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 中は、思った以上に狭くて、階段も人一人がやっと上れる幅しかない感じ。上階まで行くと、こちらの方々が、、、。言ってみれば、聖歌隊のおじ様たち。前回の記事で書いたとおり、ロシア正教は音楽に楽器を使用せず、全て声楽でアカペラ。このおじ様たちも、この後、その美しい歌声を披露してくれた。

 で、いたく気に入ってしまって買ったのが、こちらのCD。

 

 

 1,550ルーブルだから、3,000円ちょっとくらいなら、まあそんなに高くないし、こういうのはここでしか手に入らないから即買い。帰ってから早速聞いたんだけど、宗教音楽だけじゃなくて、あの有名な「カリンカ」を始めとしたロシア民謡や舞曲、チャイコの曲など、21曲も収録されていてなかなか聴き応えがある。今のように、暗いニュースばかりで気が滅入る夜など、ボリュームを抑えて聴くには癒やされてちょうど良い。 

 次に訪れたのは、救世主キリスト教会

 

 1883年にナポレオンのロシア侵攻を阻止した祖国戦争勝利を記念して建てられたのだが、革命後、スターリンによって1931年に爆破(!!)された。この建物は、それ崩壊後の2000年に再建されたもの。高さ103メートルという偉容は昔のままらしい。内部の撮影は禁止。

 

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 夕食は、宮殿レストラン。……なんだが、せっかくの宮殿といわれるその建物、もう着いた頃には真っ暗で、写真を撮ったものの、全然使いものにならないものばかり。

 

 

 食べかけの美しくない皿画像でスミマセン。こちらは、サラダ代わりなのか、冷たい野菜ピラフ、って感じだった。味は悪くないけど、かなりボリューミィ。

 


 

 

 鶏のカツ。ちょっとお疲れ気味で、あんまし覚えていないんだが、デザートもあったはずなのに、なぜか画像がない。撮り忘れたみたい。

 たまたま、迷子のご姉妹と同じテーブルになって、いろいろお話を聞いた。お姉さんからのお誘いで、ロシアなんか全然興味なかったんだけど、エルミタージュの「大使の階段」の画像に一瞬で心奪われて来てしまった! んだとか。お姉さんは、これまでアジア各地やモンゴル、南米などにも行かれていて、かなりの上級ツーリストらしい。「迷子なんて不覚だわ!!」とおっしゃっていたのが可愛かった。

 この後、バスでホテルへ戻って、明日はいよいよ帰国日ってことで荷物をまとめるなどして、早めにベッドへ。

 

ホテルの窓から

 

 いよいよ明日は最終日。

 

 

その⑩へつづく

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愛する映画の舞台を巡る旅Ⅳ ~モスクワ(ロシア)その⑧~

2020-04-11 | 旅行記(海外)

**赤い首都**

関連映画:『イースト/ウエスト 遥かなる祖国』(1999)

『ラブレス』(2017)

その⑦につづき

 このツアーも残すところ、あと2日。モスクワに移動したので、関連映画も変更しようと思ったのだけれど、モスクワ舞台の映画というと、『ラブレス』くらいしか思い付かないので、やはり、ロシアに興味を持った切っ掛けになったであろう『イースト/ウエスト 遥かなる祖国』を挙げておきます。

 

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 【5日目のスケジュール】~セルギエフ・ポサート、赤の広場

セルギエフ・ポサート 世界遺産トロイツェ・セルギエフ大修道院 → 昼食 → モスクワへ戻る → ノボデヴィッチ修道院 → 聖ワシリー寺院 → 救世主キリスト教会 → 宮殿レストランにて夕食


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 こちらのホテルの朝食も、サンクト・ペテルブルクのホテルと同じくらいの充実ぶり。グラスのオレンジ色のジュースは、もちろん、こけももジュース。ハムやサーモンに隠れて見えにくいのだが、チーズが美味しかった。

 L子さんとたまたま同じテーブルになり、話題はやはり新型コロナウイルスのことに。L子さんが言うには、このツアー出発直前に、すわロシア入国拒否!!というデマが旅行業界に流れたらしく、慌ててL子さんも大使館に確認の電話を入れたという。すると、拍子抜けするほど普通の様子で「そんな話はありません」と、にべもなかったとか。

 でも、正直なところ、私もその可能性は大いにあると思っていたし、そうなっても仕方がないなー、くらいに諦めモードではあった。今振り返ってみれば、あの時期(2月最終週)はもう本当にぎりぎりのタイミングだったのだと、改めて思う。L子さんとの会話も、まだ余裕があった。


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 セルギエフ・ポサートまではバスで1時間半ほどあるということで、この日の集合は7:45と少し早め。

 

ホテルを出発したところ(バスの中から)

 

 ご覧の通りの曇天。サンクト・ペテルブルクよりは、やはり少し寒い。中央の建物はスターリン様式の、今は確か博物館だとアンドレさんは言っていたような気がする。こういうスターリン様式の建物を見ると、ワルシャワを思い出す、、、。

 評判の悪いスターリンだが、スターリン様式の建物は、壁がものすごく厚くて、夏涼しくて冬暖かいように出来ているらしい。

 

モスクワ方面渋滞中(バスの中から)

 

 スターリンといえば、共産主義時代、モスクワやサンクト・ペテルブルク市民たちは郊外に皆、“別荘”をタダで国からもらったんだとか。この話については、サンクト・ペテルブルクでナターシャさんからも聞いた。

 別荘といっても色々で、アンドレさん曰く、多くは“小屋”みたいなものだとか。共産主義時代に、農民たちの不満をかわすために、郊外に結構広い土地を与え、そこで野菜等を作って自給自足が可能になるようにしたという。大戦後の食糧難をどうにか乗り切ることが出来たのは、多くの国民が自給自足していて辛うじて飢えをしのぐことができたからだと。

 今のロシア人たちは、平日をモスクワやサンクト・ペテルブルク等の都会で過ごし、週末は郊外の別荘に行って、田舎暮らしを楽しむという。この別荘のことを「ダーチャ」といい、詳しくはwikiに解説があるので、ご興味のある方はそちらをどうぞ。

 

視界狭し、、、

 

 雪は降っていないのだけれど、霧がかっている道をひたすら行き、9時過ぎに、目的地セルギエフ・ポサートの世界遺産トロイツェ・セルギエフ大修道院に到着。
 

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 このセルギエフ・ポサート(ガイドブックによっては、ポサードと表記されている)は、「黄金の環」の一つ。黄金の環とは、ガイドブックによれば……

「モスクワ北東に点在する古都群で、首飾りのように円を描いて点在することから“黄金の環”と呼ばれる。黄金に輝く教会を中心の城塞(クレムリン)が築かれ、イワン雷帝(4世)が中央集権体制を構築するまでロシア諸公国の首都として栄えた。ロシアにおける精神文化、芸術、建築等の源が形成された地域として知られている」

とある。黄金の環の中で最もモスクワに近く、城壁に囲まれたトロイツェ・セルギエフ大修道院をはじめ、教会、聖堂が建ち並ぶ宗教都市。つまり、トロイツェ・セルギエフ大修道院は、この町の中心的な場所なのだ。

 


修道院の入口へ

 

 バスを降り、少し歩く。少しだけど雪が残っていて、ようやく冬のロシアに来たんだ~~、と視覚的にも実感できた。このトロイツェ・セルギエフ大修道院は、正式には「至聖三者聖セルギイ大修道院」と日本語訳されるようで、至聖三者とは「三位一体」のこと。1425年、聖セルギイによって設立されたロシア正教でも重要な修道院だ。

 

修道院入口

 

入口通路壁画には聖セルギイの生涯が描かれる

 

トロイツキー聖堂

 

 中には入れたけれど、賛美歌が歌われお祈りが行われている最中だったので、ちょっと撮影できなかった。聖セルギイの墓所の上に建てられ、棺が安置されている。棺に額を付けた後キスして信者の方たちが次々お祈りしていた。このお祈りは、多分、今は禁止されているのかも、、、。というか、外出禁止なのだろうか、今は彼の地も。

 そういえば。ロシア正教の音楽は、楽器を使用しないのだって。全て、アカペラの歌のみ。

 上の画像の左隅に映っている幾何学模様の壁の建物は、トラペザ聖堂で、トラペザとは食堂の意味。こちらの建物には、画像のトロイツキー聖堂の間に見える階段(人がいるの分かりますかねぇ、、、?)から上がって入る。

 


トラペザ聖堂内部

 

 ちょっとアングルがヘンなのは、この横でお葬式が行われていたから。そちらが入らないように、静かに、、、。男性は脱帽、女性は頭部をスカーフで覆うか着帽。

 とても美しい内部で、やはり金ピカ。正面上部の壁画は、最後の審判。

 


最後の審判

 

ウスペンスキー大聖堂

 

 イワン雷帝の命により、モスクワのウスペンスキー大聖堂(この翌日に訪れた)を模して1585年に建てられたのだという。手前のピンクの建物は、聖水の管理をしている建物小聖堂だとか。アンドレさん曰く、飲めるけど、日本人は飲まない方がよい(お腹壊す可能性アリ)とのことだった。その左側に見える青い天蓋の所には聖水の湧き出る泉があるのだけど、この季節だから当然水は出ていない。観光シーズンは人だかりになるそうな。

 

大鐘楼

 

 1740年に建てられたロシアで最も高い鐘楼。高さは88メートル。ロシア革命によって鐘が取り外され破壊されたが、2004年に修復された。

 で、トラペザ聖堂に入れてもらう時間まで、少し時間があったので(といっても20分くらいだが)自由行動となって、入口に近いところにショップがあったので覗いてみる。さすが、修道院のショップだけあって、イコンやら書物がたくさんあったが、日本語のガイドブックを発見。

 

 

 狭いショップの隣の部屋に行ってみると、少し広めの部屋に民芸品がたくさんあって、琥珀のアクセサリーなども色々あったが、私はこちらの絵皿を記念に。

 

 

 確か、470ルーブルくらいだったから、1,000円しないのかー、と思って購入。ちゃんと皿立てもセットでお姉さんが袋に入れてくれた。愛想はないけど親切なお姉さんだった。

 このガイドブックにあった大修道院の俯瞰画像が素晴らしかったのでスキャンして拝借。

 


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 さて、この後、まだ11時前だったけれど、この町でロールキャベツが美味しくて有名といわれている(?)お店へランチに向かう。

 

修道院から歩いて5分ほどのこちらのお店へ

 

 思っていたほどではないにせよ、外はやはり寒いので、建物の中は暖かくてホッとなる。皆それぞれ適当な席に着き、ランチョンマットを見ると、、、


 

ひらがなが、、、

 

 

 そして、飲み物はやっぱりこけももジュース。これはもちろん、それぞれ好きな飲み物を頼むんだけれど。私は何となくつい、こけももジュースを頼んでしまう。……で、ホッと一息ついてたら、突然、背後のテーブルが騒がしくなる。

「2人いない!!」

 え゛ーーー、いないって、どなたが?? 見れば、添乗員のL子さんもアンドレさんも探しに行ったのか、いない。

 ツアーと言っても皆が皆、ちゃんと名前を認識しているわけじゃない(名札つけてるわけじゃないし)。で、誰がいないの??と皆で顔を見合わせる。あのご夫婦? ゛いや、あそこにいらっしゃる。……えぇ、、じゃあ誰だろう?? 

 あ、分かった。あの姉妹のお二人じゃない?? と。そうだそうだ、、、となり。歩いてほんの少しの距離とはいえ、確かにメインの通りからちょっと入った所にあるお店だから、はぐれてしまったのかも知れない。

 ランチ、どーなる!?


その⑨へつづく

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愛する映画の舞台を巡る旅Ⅳ ~サンクトペテルブルク → モスクワ(ロシア)その⑦~

2020-03-31 | 旅行記(海外)

**列車の旅**

関連映画:『マチルダ 禁断の恋』(2017)

『オネーギンの恋文』(1999)

その⑥につづき

 エカテリーナ宮殿のあるツァールスコエ・セローから、サンクトペテルブルクまでバスで40分くらいなんだが、ちょっと渋滞していて昼食を取る予定のお店に着いたのは13時くらい。この後、15:10発のモスクワ行き列車に乗らなければならないので、あまりゆっくりもしていられない。

 ……で、お店に着いたはずなんだが、なぜか建物の中が暗い。皆で、「え、、、ここ??」みたいな感じになる。ナターシャさんが店内に入っていき、1分くらいで、ちょっと引きつった顔をして出て来て 「はい、皆さん、別のお店に行きます!!」と。

 え?? 訳も分からず、皆すごすごとバスに戻り、バスは音もなく発車する。で、ナターシャさんが車内アナウンス。「はい、ちょっとお店が変わります。ここから10分くらいの所です」……ううむ、何があったのだろう??

 これは翌日、添乗員のL子さんに聞いたんだけど、当初のお店の入っていた建物が停電になってしまい、料理が作れなくなったんだとか。お店の人はナターシャさんに電話をしたが通じないので、ナターシャさんの所属する旅行会社に連絡したらしいが、ナターシャさんにはその連絡が来ていなかった、、、ということらしい。なるほど、ナターシャさんが引きつっていたのもムリはない。

 10分どころか、20分くらいして、ようやく別のお店に辿り着く。もう13:30過ぎていたと思う。とはいえ、お店から駅までは割と近いらしいし、1時間半はあるんだから、、、、と旅行者たちはのんびりしたものだったのだが、ナターシャさんは結構焦っている様子。お店に着いてから、料理が慌ただしく次々に出て来て、何となく気ぜわしい感じで急いで食べる、、、。

 

 正直なところ、このお店の食事について、あまり味をよく覚えていない、、、。スープは結構酸味が強かったことと、デザートがケーキというよりパンみたいな食感だったことくらいかな、覚えているのは。

 ものの40分弱で、ナターシャさんに追い立てられるように店から出る、、、。

昼食をいただいたお店

 

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 サンクトペテルブルクとモスクワ間の移動は、飛行機で設定されているツアーが多いのだけど、このツアーも初日のモスクワからサンクトペテルブルクは飛行機だったが、モスクワへ戻るのは列車が設定されていて、それもこのツアーを選んだ理由の一つ。

 やっぱり外国の列車に乗ってみたい。別に鉄子じゃありませんが。

 面白いのは、その列車の行き先地が駅名になっていること。だから、これから私たちが乗る列車は、サンクトペテルブルクのモスクワ駅から発車するのだ。そして、着くのはモスクワにあるレニングラード駅。つまり、サンクトペテルブルクの旧名。分かりやすいでしょ? とナターシャさんは言っていたけど、日本人の私からすると、何となく違和感があるなぁ。

 で、着いたのがモスクワ駅。この駅では、バスから列車までスーツケースをポーターが運んでくれた。

 

サンクトペテルブルクのモスクワ駅(画像はwikiからお借りしました)

 

駅舎の天井がキレイだった

 

 駅舎に入ってすぐのところでセキュリティチェックがあり、ナターシャさんに導かれるまま、あまり駅舎の中を見る余裕もなくホームへ。駅舎の待合には結構人がいたと思うけど、写真を撮りそびれる。ホームに着いたのは、15時前だったから、まあ何だかんだでやっぱり結構ギリギリだったのだ。ナターシャさんが焦ったのもムリないか、、、。

 

ロシアの新幹線「サプサン号」

 

パスポートを見せて乗車

 

2等車内部

 なかなかゆったりしていてイイ感じの車内。外は寒いけど、中は十分暖かい。足下も寒くない。定刻になると、アナウンスもなく、音もなく、静かに発車。

 

ちょっとロシアに来たという感じの風景

 

 モスクワまでは約4時間。出発して1時間くらいは車窓を眺めたり、お隣の方とお話したりしていたけど、やっぱり疲れているのか、いつの間にか爆睡。ふと気付けば、もう外は真っ暗。

 モスクワに到着するちょっと前に、マスクを着けたお兄さんたちがやってきて、体温を計られる。直接当てることなく検温できる器具を額に。お隣は、額の次に手の甲も出せと言われたので、私も額の次に手を出したら「アンタは結構」という感じで次の人の方へ、、、。へ? となったが、どうやら、額でちょっと高めの場合は、手の甲で再検温ということらしい。

検疫中

 

 この赤いファイルを持ったお兄さんが、まあまあイケメンぽかったんだけど、何しろ顔の半分以上がマスクで隠れていたから、本当にイケメンだったのかは不明。その隣でこちらに背を向けているお兄さんは、よく見たら腰に手錠を挟んでいた。これって、検温拒否して暴れたりしたら手錠されるってこと??などと妄想してしまったが、どうなんだろう。

 いやしかし、この時点ではまだロシア、、、というかモスクワもまだ、COVIT-19はそれほど猛威をふるっていなかったのだ。何となく、水際で防いでやるぞ!というロシアの気概が空港でも列車内でも感じられたのだが、1か月後には、もう外出禁止措置がとられているとは、、、。COVIT-19、恐るべし。

 どうやら、列車内の人は全員、検疫クリアした様子で、何事もなく列車を降りられた。モスクワのレニングラード駅に着いたのは、定刻通り、18:59でした。

 
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 列車から降りるときは、自分でスーツケースを降ろして運ばなければならない。私は、席のすぐ近くに自分のスーツケースが置かれていたので自分で降ろして運んだが、ホームに降りると、やたら身体のでっかい赤いジャケットを着たオッサンが、私たちツアーのタグの付いたスーツケースをひょいひょいと次から次へと列車から降ろしているではないか。この人誰?? と思ったら、L子さんが「アンドレさんですか??」と聞いている。ああ、この人がモスクワでのガイドをしてくれる方なのね、と納得。

 一同、荷物をゴロゴロ引きずって、バスへ。

 

モスクワのレニングラード駅(バスの中から)

 

 ホテルまでは、渋滞していて1時間くらいかかり、アンドレさんのモスクワ紹介を聞きながらウトウト、、、。

 

モスクワの渋滞

 

ホテル近くの商業施設

 

 ホテルには8時頃到着し、8時半からホテルのレストランで夕食。

 

 時間もちょっと遅めだし、あまりお腹も空いていなかったけど、このサラダは美味しかった。白身魚はちゃんと味が付いていたが、ご飯の方は塩気のないピラフみたいな感じだった。デザートはあったはずだけど撮り忘れたみたい。

 食事も終わって、部屋に戻り、ウェルカムスイーツが美味しそうで食べたかったが、もうお腹一杯で入らないから、写真だけ。剥き出しで置いてあるのもちょっとビックリ。清掃した後に置いてくれてるんだよね?? ま、信じるしかないけど。

 

翌日、ちょっと干からびたマドレーヌをいただきました(美味しかったけど、当たり前だが表面が乾燥していて、、、)

 

 

 

 何だかんだで今日も疲れた~~、と、風呂に入って、早々にベッドに潜り込む。明日は、セルギエフ・ポサート。集合時間が早いので早く寝たのでありました。

 


その⑧へつづく

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愛する映画の舞台を巡る旅Ⅳ ~サンクトペテルブルク(ロシア)その⑥~

2020-03-25 | 旅行記(海外)

**宮殿の並ぶ街**vol.6

関連映画:『マチルダ 禁断の恋』(2017)

『オネーギンの恋文』(1999)

その⑤につづき

 【4日目のスケジュール】~エカテリーナ宮殿&モスクワ移動

エカテリーナ宮殿 → 昼食 → 高速列車にてモスクワへ → ホテルで夕食
 

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 今日は、夕方モスクワへの移動。しかも電車で! 電車で移動できるからこのツアーを選んだと言ってもいいくらい。楽しみ~ でも、その前に、こちらも楽しみなエカテリーナ宮殿の観光。何と言っても、あの『おろしや国粋夢譚』のロケが行われた場所。

 出発はこれまでより少し早めの9時ちょうど。


 

ホテルのロビーで集合。中央の髪の長い女性がナターシャさん

 

 サンクトペテルブルクのホテルからは、バスで40分くらい。10時に開くので、やはり今日も少し待つことに、、、。バスからは宮殿のそばで降ろされて、ちょっとだけ歩いて庭園の方へ。ご覧の通り、この日は薄曇りで、寒い。


池が凍っている、、、

 

 『おろしや国粋夢譚』で、大黒屋光太夫がラックスマンと馬車を降りたのは、こちら側ではなく、多分、反対側の方だったのではないか、、、。ちょっと風景が違う。光太夫が宮殿を見てギョッとする豪華な門が見当たらない、、、。(これ、実は内部から外を見たとき見えたのだけれど、写真撮りそびれました)

 

 
凍った池から宮殿を見る

 白い箱状のものがいくつか見えるが、これは冬の間は大理石の彫像を覆っているのだとか。水分を含んで凍って破裂するのを防ぐのだそう。どんな彫像があったのかしらん。

 時間になったので、入口へ。こちらも荷物は小さいバッグ一つだけ。あとはクロークへ預け、さらに脚カバーを履かされる。建物内はとっても暖かいのでコートなしでOK。

 で、いざ、中へ入って、まずは正面玄関、、、。

 

赤いカーテンが美しい

 

 これ、映画の中でも光太夫を演じる緒形拳が上がって行った階段。ちなみに、お花は造花だった、、、。ま、しょーがないよね。

 

伊万里焼がはめ込まれた装飾

 階段を上がって、すぐに大広間が、、、。

 

 

 ここで、光太夫がエカチェリーナ2世に謁見したのであった、、、。映画では、緒形拳が義太夫を謡っていたけど、あれは完全な創作みたい。ドイツに破壊されて修復し、この部屋だけで金が7キロ使われたんだとか。

 

天井画「ロシアの勝利」真ん中のブルーの円形にEの文字(エカチェリーナのE)

 

こちらにもEの文字

 

控えの間にあるデルフト焼きのペチカ

 

 このペチカは、隣の部屋と共用で背中合わせで作られている。下部の金色の扉から薪を入れて焚いて、同時に2部屋を暖めることができるようになっている。こんなペチカがいくつもあって、暖かそう。

 

 控えの間に辛うじて残ったというオリジナルの金の天使。ちょっと黒ずんでいるのが、オリジナルのもの。上の方にあるエカチェリーナの胸像も。あとは全て修復したもの。

 

黄金装飾の仕切り壁

 

アラベスクの間

 このターコイズのようなブルーは、エカチェリーナ2世が大好きだった色だそう。この色の建物は、大抵、エカチェリーナ2世時代のものと思って良い、とナターシャさん。

 

黄金のアンフィラーダ

 アンフィラーダとは“吹き抜け”のことらしい。井上靖の「おろしや国酔夢譚」にも描写がある。

「光太夫は夢心地になっていた。階段を上ると、左右に長い廊下が見渡せたが、光太夫は右手の方へ導かれた。寄せ木でいろいろな模様が描かれている恐ろしく長い廊下の床を、光太夫は一歩一歩足を運んでいった。光太夫には長い廊下と見えていたが、正確に言うとそこは廊下ではなかった。たくさん並んでいる部屋部屋の窓に近い入口の扉が尽く開けられると、一本の長い廊下となるように造られてあり、そこを光太夫は導かれて行ったのである。(中略)幾つかの部屋を通過して行った。赤大理石の間、青大理石の間、肖像画で埋めつくされた間、琥珀の間。」

 赤大理石の間、青大理石の間、はよく分からないが、もしかするとコレかな。

緑のはピアノだそうな

 

肖像画の間にあったエカチェリーナ1世の娘のエリザヴェータ・ウナペトローヴナ

 

琥珀の間

 琥珀の間は、撮影禁止とネットのにわか予習で見ていたのだが、今回のツアーでは撮影OKだった。それとも、ナターシャさんが禁止し忘れたのか?? 皆さん撮影していました。

 ナチスに徹底的に収奪され破壊されたものを、1,000万ドル以上かけて(ドイツも出資している)20年かけて修復したってんだから、ものすごい執念。モノクロの戦前の写真を基に修復したそうだが、よくぞまぁ、、、という、溜息しか出なかった。

 

絵画の間

 

“寄せ木でいろいろな模様が描かれている”床

 

緑の食堂

 

ロマノフ朝の系図

 下から上へと描かれているらしい。一番上が、ニコライ2世の5人の子だと思う。

 ……というわけで、何だかんだと1時間ちょっとの観覧を終え、昼食のためにサンクトペテルブルクへと戻るのだが、、、、。

 

 


その⑦へつづく

 

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愛する映画の舞台を巡る旅Ⅳ ~サンクトペテルブルク(ロシア)その⑤~

2020-03-16 | 旅行記(海外)

**宮殿の並ぶ街**vol.5

関連映画:『マチルダ 禁断の恋』(2017)

『オネーギンの恋文』(1999)

その④につづき

 本館を見終わり、しばし休憩タイム。

 エルミタージュ美術館には6時間の滞在で、この“6時間”というのが、このツアーを選んだ理由の一つではあったのだが(他のツアーは大抵、3時間か、長くて4時間)、はて、6時間どこをどう見ようか、と行く前ににわか予習していて結構悩ましかった。何しろ、展示数が多すぎるし、そもそも建物が広過ぎて部屋も多過ぎ、迷路みたいで、初めて行った人間が要領よく見て回れるとは到底思えなかったからだ。

 さすがに、そこのところは旅行会社も心得たモノで、「6時間ありますよ~、行っといで~」と、入口でいきなり羊たちを放牧することなく、“この辺を押さえておけばとりあえずOK!”というところを、ナターシャさんが牧羊犬よろしく連れて見て回ってくれる。これは、人にもよるだろうが、私には有り難かった。

 大抵の部屋はフラッシュNGの撮影OKだから、写真も撮り放題。この時期、コロナ騒動の影響でいつもはわんさかいる中国人の群れがいなかったので、ナターシャさんも「こんなに空いているのは珍しい」というほど、絵を見るのに黒山の人だかりということもなかった。

 ……で、この休憩タイム、ショップに寄ってゲットしたのが、こちら。

 

トートバッグ&ガイドブック

 エルミタージュ美術館にはネコがたくさんいることは有名だが、ネコグッズもたくさんあると、事前にネットで見ていたので、ショップをのぞいてみた。が、私が狙っていたネコの付箋は見当たらず、、、。そもそもショップ自体が思っていたよりショボいというか、グッズが充実しているというほどでもなく、絵ハガキや美術関連本はたくさんあったけど、、、という感じで、ちょっと外した感じだった。

 ので、とりあえずは、日本語版のガイドブック(350ルーブル≒700円、安い、、、)と、ネコのトートバッグ(700ルーブル≒1400円、まあ安い?)を。鞠子って、、、そういう名前のネコがいるんだろうか? よく分からないけど、まあ、記念に。

 休憩終わりで、クロークからコートをピックアップして、新館へ移動。

 

広場を挟んだ向かい側にある新館

 
 こちらの新館、旧参謀本部の建物だって。2014年にオープンしたばかり。展示室は4階だから、エレベーターで4階まで上がる。4階から見下ろして、足が竦む、、、。

 

 

新館には、近代の西洋画が中心に展示されている。ドガ、ゴーギャン、ルノアール、マチス、モネなどなど。カンディンスキーもあった。

 

 

 

 

 6時間いても、結局、彫刻や工芸品などは(ゴールデンルーム以外は)まったく見られなかったし、見られた部屋も、あまりにも展示品が多過ぎて、正直なところ何をどこで見たのか、もう頭の中は混乱を極める。ガイドをしてもらってこれなんだから、ガイドがなかったら一体どうなっていたことやら、、、。私みたいに、ミーハーな美術好きにとっては、このエルミタージュは“どう見れば良いか分からない美術館”だ。プロのガイドさんでさえ、全館の部屋の配置を覚えるのに非常に苦労したというのだから、当然と言えば当然か。

 何年か前にも東京で「エルミタージュ展」を開催していたと思うが、そういった一定の切り口で見せてくれる美術展の方が、絵画の一つ一つをある程度理解しながら鑑賞するには適しているかも知れないなぁ、と思った。美術史や美術に詳しく、この美術館の所蔵品をある程度把握しているレベルの人は、やはり実際にこの美術館まで来て鑑賞する意義があるだろうが、私のようなド素人が泥縄で予習して行ったところで、何時間滞在しようが、美術品の価値に見合った鑑賞は出来ない。

 私が印象に残ったのは、数々の美術品よりも、この宮殿そのものだった。豪華な部屋の数々、調度品等々。あまりにも装飾が過ぎて、少々ゴテゴテ感を禁じ得ないが、、、。こんなところで暮らしたら、ものの数日でイヤになりそうだが、一生に一度くらいほんの数時間見学するには目の刺激になって良い。

 もう一度行きたいか? と問われると、正直なところ迷う。行って再見した絵画はあるけど、恐らく今回以上に落ち着いては見られないだろうし。だったら、他の美術館に行きたいかなぁ。なんにしても、デカ過ぎる、多過ぎる。……そう、落ち着いて見られない、これが一番、再チャレンジを迷う理由かも。


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 巨大迷宮を6時間も彷徨い、ヘトヘトになった一行は、夕食へと向かう。

 

こちらのお店でディナー

 今日のメニューは、「キエフ風カツレツ」だって。


こちらが「キエフ風カツレツ」 ブレちゃった、、、

 肉はチキン。バターを肉で巻いてカツにしているらしいのだが、肉は胸肉っぽくややパサつく感じだったが、切るとバターがジュワ~でまあまあ美味しかった。手前の白いのはご飯。ちょっと、というか、かなりベチョッとした米飯で、ハッキリ言ってイマイチ。付け合わせはロシア版コールスロー。

 

 デザートは、まるごとリンゴのコンポート??シロップ漬け?みたいの。白いのは粉砂糖。なんだが、なぜかあまり甘くない。リンゴの酸味が結構残っていて、不思議なデザートだった。

 一緒にいただいたのは紅茶。紅茶というと、ロシアではティーバックで出てくることが多いらしく、ここでもそうだった。ナターシャさん曰く、ロシアの紅茶はあんまり美味しくないから、それをごまかすために、ロシアではジャムを舐めながら紅茶を飲むのだとか。ジャムを入れた紅茶をロシアンティーと言っているのは日本人だけみたい。もちろん、私もそう思い込んでいた。……ま、確かに、あまり特筆するような美味しい紅茶ではなかったですね。ジャム舐めながら飲んではいないけど。


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 で、この日の夜の予定は、バレエ鑑賞。オプションではないので、もちろんマリインスキー劇場で鑑賞というわけにはいかない。劇場は、エルミタージュ美術館の並びに併設されているエルミタージュ劇場。

 

エルミタージュ劇場

 エカチェリーナ2世が個人的にバレエやオペラを楽しみたい、ということで作られた私的な劇場ということで、席数も約300と少なく、ご覧の通り実にこじんまりとしている。席は自由なので、私は真ん中の後ろから2番目くらいの席を選んだ。 

 

オケピットも狭い

 

オケピット前から客席を見る

 

 最初はまばらだった客席も、開演時間が迫るにつれて人がどんどん入ってきて、最終的には8割方埋まっていた。ナターシャさんに言わせると、いつもは中国人で溢れているが、今はほとんどいないので空いているんだそうだ。まあ、マリインスキーだとかなりお高いだろうから、こちらはきっとお手頃なんだろう。もし、再訪する機会があれば、そのときはマリインスキーで鑑賞したいな。

 

幕間にロビーでアイネクライネ。1stVnのお姉さん上手いなーと思っていたら、コンミスだった

 

 肝心の演目はというと、ロシアバレエの十八番「白鳥の湖」。正直なところ、私はバレエ音楽は好きな曲がたくさんあるが、バレエ自体はあんまし興味がなく、今までバレエの舞台を劇場で鑑賞したことは数えるほど。この「白鳥の湖」については、あの『リトル・ダンサー』のラストシーンに出てくる英国ロイヤルバレエのマシュー・ボーン演出「スワン・レイク」東京公演を20年近く前に渋谷のオーチャードホールで見たが、本来の白鳥湖とは大分違うからねぇ、、、。

 でも、チャイコの音楽自体は好きで割とよく聴いている。チャイコの管弦楽曲は、シンフォニーもコンチェルトも苦手だが、バレエ音楽だけは素直に“いいなぁ~”と思えるのよね。

 なので、この公演、バレエもそこそこ楽しみではあったが、演奏の方が楽しみだった。

 


オケのメンバーがバラバラと入ってくる

 

 幕が開いたら撮影禁止なので、残念ながらバレエの画像はないのだけど、バレエが大好きで熊川の追っかけをしていたというツアーのお仲間曰く、バレエ自体は「まあまあ」だったそうだ。確かに、私の目にも、それほど「すんごい上手い!」とは映らなかったので。ダンサーは皆若い人が多く、小柄な東洋人もいた。オデット・オディールと悪魔はさすがに上手いなぁ、と思ったが、王子様はルックスも含めて普通っぽかった。

 ただ、やはり上背がある人が多いので、舞台映えするし、私が一番興味を引かれたのは衣裳だった。ロシアというと、フィギュアスケートの選手たちの衣裳がとてもステキなのが印象的だが、この日のバレエの衣裳もステキなものばかりだった。まあ、それを間近に見られただけでも良かったというもの。

 オケの演奏は、思ったよりは上手で、指揮者もさすがに慣れたものという感じだった。気になったのは、トロンボーンが2本しかいなかったんだが、編成はたしか3本だし、チューバはいたので、バストロンボーンは一体どこへ、、、??まぁ、特にバランス的に気になるほどではなかったから良いのだけれど。ホルンはもうちょっと訓練すべし、って感じだったけど、木管は皆さま割とお上手だった。弦もまあまあ、、、かな。

 終わったら盛大な拍手で、そこそこ盛り上がり、ツアーのお仲間たちも堪能されたみたいだった。……とはいえ、今日はハードな1日だったから皆さん、帰りのバスの中はシーンとしていて、お疲れだった様子。もちろん、私も、、、。

 翌日はモスクワへの移動日。荷物のパッキングをして、お風呂入って、バタンキュ~であった。

 

 

その⑥へつづく

 

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愛する映画の舞台を巡る旅Ⅳ ~サンクトペテルブルク(ロシア)その④~

2020-03-14 | 旅行記(海外)

**宮殿の並ぶ街**vol.4

関連映画:『マチルダ 禁断の恋』(2017)

『オネーギンの恋文』(1999)

その③につづき

 今日は体力を要する1日。朝からしっかり食べる。……といっても、前日の朝食と代わり映えせず。

 


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【3日目のスケジュール】~エルミタージュ美術館&バレエ鑑賞

エルミタージュ美術館(6時間)→ 夕食 → バレエ鑑賞(エルミタージュ劇場)

 

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 前日同様、9時半出発。

バスの車窓からホテルの全景が撮れた(ホリディイン・モスコフスキエヴァロータ)

 

アレクサンドリンスキー劇場前の有名なエカテリーナ2世像(足下に愛人がいっぱい。こちらもバスから)

 

 この日は朝から快晴! ナターシャさんが言うには、サンクトペテルブルクで1日中快晴の日というのは、年に数日しかないのだそうな。「ほとんど曇っているか雨か雪です」とのこと。

 ……とかいう説明を受けながらバスで15分ほどで、エルミタージュに到着。

 

エルミタージュ美術館

 ご存じ、旧冬宮。ここが歴史の舞台になっていたのかぁ、、、。

 いくら快晴とは言え、この宮殿前広場は吹きっさらしでネヴァ河からの冷たい風がもろに当たる。この時点の気温は確か氷点下だったはずなので、めっちゃ寒いっ!! それでもめげずに写真を撮る。

 ここでも、前日の聖イサク寺院同様、開くのが10:30からということで、寒風吹きすさぶ中、撮影しながら10分くらい待つ。

 

アレクサンドルの円柱

 これは、1812年の対ナポレオン戦争(祖国戦争)の勝利を記念して建てられたもの。確か、ナターシャさんが「この柱は、自分の重みで立っています。土台に固定されていません。ロシアには地震が絶対にないので、大丈夫なんです」とか言っていた。え゛~~~、怖いよ。

 この広場は観光シーズンになると、音楽が演奏されたり、大道芸が出ていたりするらしい。でも、この時期はご覧のとおり。ここで、スターリンの追悼集会が開かれたのか~、とか、血の日曜日事件の現場になったのか~、とか思いながらも、あまりそれをリアルに想像することは出来ず。ま、当然か、、、。

 で、ようやく時間になり、私たちは右側の方の入口から入る。大きい鞄(A4サイズ以上)は持ち込み禁止で、クロークでコートを預け、セキュリティチェックもある。

 

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 あ、そうそう。ちょっと余談。

 ロシアでは、パスポートをホテルに預けるという、びっくりな決まりがある。この旅の出発前に、添乗員のL子さんから「パスポートとVISAのコピーを念のために必ず持ってきてください」と言われ、それまでにネットでその情報は得ていたけれども、“やっぱしそうなんだぁ、、、”と、正直不安だった。……けれども、行ってみたら預けた方が良いことが分かる。

 というのも、ロシアはスリが異常に多いらしいのだ。ナターシャさんもしょっちゅう口を酸っぱくして「スリに気を付けて、荷物は絶対に抱えて持って」と繰り返す。この美術館の中にもごく当たり前のようにスリがいるんだとか。しかも、それが一見の観光客にはまったく見分けがつかないらしい。我々のツアーはガイディング・レシーバーを持っていたので、多少離れた所からでもナターシャさんのガイドが聴けるようになっていたが、美術館に入る前に「私にはスリは見分けられるから、スリがいたら小声で“スリがいるから気を付けて”と言うから、聞き逃さないように!!」と念を押されたほど。

 慣れない観光客にとっては、パスポートを持ち歩くのは危険だから、、、ということで、一応まともなホテルでは預けることになっているらしい。まあ、それ以外にも理由はあるかもだけど。個人的には、もしかして全部コピーとられてたりして、、、などと妄想していた。が、よく考えれば、空港でICチェックされているんだから、そんなアナログなことするわけねーよな、と勝手に自己完結。

 ちなみに、この旅行中、全くスリが分かりませんでした。そして、幸いなことに被害にも遭いませんでした。

 

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 まず、本来別料金になっているという「秘宝室ゴールデンルーム」から鑑賞。一応、このツアーのウリの一つが、このゴールデンルームを見られるってこと。予約が非常に取りにくいらしい。

 そんな秘宝室なだけあって、こちらは、撮影禁止だったので画像がない(ネット上にもまったく見当たらない)のだが、、、。人数制限があり、ツアーは2グループに分けられる。我々の予約時間は10:45~。なので、入口でしばし待機した後、入場。

 ナターシャさんの知識量に唖然呆然となりながら説明を聞く(プロのガイドなんだから当たり前といえば当たり前だが)。

 紀元前4~6世紀頃の埋蔵品から出て来た金製品がこれでもか、ってくらいに展示されている。王冠、耳飾り、首飾り、腕飾り、壺、鏡、櫛、、、とにかく金で出来ているものばかり。目がくらむ。

 おまけに、めちゃくちゃ細工が細かい! 日本の江戸時代の工芸品等も相当なものだが、いやもう、それを超える精巧さ。いくつかルーペ越しに見られるようになっているが、ルーペで見て驚愕する。そこには、ミクロの小宇宙、、、じゃないけど、ミクロの世界が広がっており、しかも3Dなのである。……って、こればかりは実際に見てみないと想像がつかないと思われるのだが。

 その他、16~17世紀頃のムガール帝国の品、エメラルドやルビー、ダイヤが散りばめられた水差し、皿、鏡、短剣等々、、、、一体いくつあるの??というくらい。

 撮影禁止も納得の収蔵品で、これを見るだけで午前中一杯かかる。でもそれだけの価値はある。もし、このゴールデンルームに入れなかったら「お一人様3,000円を返金させていただきます」とツアーの注書きがあったので、ここを見るだけで約3,000円ということだ。日本での特別展などと比べても、めっちゃ高い!!と思っていたが、見終わってから、まあ、これだけのモノを維持管理していくには、相応の値段かな、と思い直した。

 工芸品がお好きな方は必見だと思う。是非是非!!

 

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 ここで、昼食。館内のカフェでグリーンサラダ・サンドイッチとコーヒー。

 

 税込み450ルーブルで、約900円弱。まあまあかな。このサンドイッチは、とっても美味しかったので。食べるのも難儀したけど、それくらい具だくさん。甘い系のパンも一杯あって心引かれたけど、とても食べきれないので諦める。

 

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 再び集合し、本館へ。画像オンパレードでどうぞ。 

ご存知「大使の階段」

 

エカチェリーナ2世の“夫”「ポチョムキンの肖像画」

 

ピョートルの間の玉座と「ピョートル1世とミネルヴァ」

 

 

「1812年戦争ギャラリー」イケメンを探せ!

 


1812年戦争ギャラリーにある「クトゥーゾフの肖像」

 

大玉座の間(ゲオルギウスの間)の玉座

 

有名な「孔雀時計」ポチョムキンからエカチェリーナ2世への贈り物

 

「孔雀時計」の隣にあった象嵌細工のテーブル

 

ダヴィンチ「聖母子」

 

ラファエロ「聖母子」

 

ラファエロの回廊

 


ロレンツォ・ロレンツェッティ「イルカと少年」

 

ミケランジェロ「うずくまる少年」

 

小イタリア天窓の間

 

カラバッジョ「リュートを弾く若者」

 

大天窓の間

 

ナターシャさんが一番好きだと言っていたカナレット「フランス大使のベネツィア到着」

 

レンブラント「放蕩息子の帰還」

 

テントの間

 

ルーベンス「ローマの慈愛」

 

ルーベンス「バッカス」美しい青年のはずが、、、。酒嫌いのルーベンス。さしものバッカスも酒を飲み過ぎてかように醜くなった、、、だそうな

 

「アレクサンドルの間」アレクサンドル1世を記念した部屋

 

黄金の間

 

エカチェリーナ2世、お決まりのポーズ

 

 ムダに色々撮った中の一部です。他にも、ダナエとか撮影したはずなんだが、、、まあ、撮ったところで大してキレイに撮れないし、絵をキレイに見たいなら画集なり図録を買った方がよほど良いのだけどね。実際、自分が撮った画像で絵をじっくり堪能するわけじゃないし、、、。「行ったどぉ~~」という自己満足ですね、これらは。

 この後、新館へ。もうここまででかなりヘロヘロ状態。

 


その⑤へつづく

 

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愛する映画の舞台を巡る旅Ⅳ ~サンクトペテルブルク(ロシア)その③~

2020-03-10 | 旅行記(海外)

**宮殿の並ぶ街**vol.3

関連映画:『マチルダ 禁断の恋』(2017)

『オネーギンの恋文』(1999)

その②につづき

 昼食後、バスに乗って十数分で、血の上の教会に到着。

 何とも不思議な名前の教会だけれども、1881年にアレクサンドル2世が暗殺された場所に建てられたことから、その名がつけられたもの。完成は1907年というから、割と新しいのね、、、。

 事前に聞いてはいたものの、やっぱり改修中、、、。何とも残念なお姿。しかもメインの屋根の玉ねぎに、、、。

 我々信者でないものにとって、あの屋根は“玉ねぎ”に似ているから、“玉ねぎ”と形容するのだが、本来あの屋根は“炎”の形をしているのだそうだ。ナターシャさんの説明によれば、祈りの込められた神聖なる炎の形としてあの屋根は作られており、決して「玉ねぎではありません」とのこと。

血の上の救世主教会

 

 しかし、この教会の凄いのは、何と言っても内部の総モザイク壁画、、、。いやぁ、もうただただ見上げるばかりでした。

これ全部モザイクです

 

 

 

 

 

 

 

 

 この教会も、共産主義時代は閉鎖されて、第二次大戦時などはジャガイモ倉庫にされていたんだとか。内部もかなりダメージがあったらしい。ソ連崩壊後にかなりの年月をかけて改修し、今は教会としての機能はあまりないらしいが、メジャーな観光寺院になっているということだ。

 共産主義時代のことについては、ナターシャさんは「本当にヒドかった」と度々言っていた。今の若いロシア人は、もうその時代を知らないので、監視社会だったことなどは「ホントにそんなだったの??」という反応らしい。日本人から見たら、今のロシアも相当なもんだという印象だが、共産主義時代とは比べものにならないくらい自由らしい。「頑張っても、皆、同じお給料ですから、頑張る意味がありませんでした」というナターシャさんの言葉が印象的だった。


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 血の上の教会を後にし、一行はツアーのお約束、お土産店に連れて行かれる。一通り眺めたけれど、あまり興味もなく、ナターシャさんが、スタバのロシア限定のタンブラーを買いたい人がいたら、スタバに連れて行ってあげるよ~!という声に、当然そちらを選ぶ。お土産店から歩いて1分。

ネフスキー通りにあるスタバ

 

 店内は東京のスタバとほとんど同じイメージだが、建物の特徴としてかなり天井が高いことくらいかな、違いは。いきなり日本人観光客がどやどやと7~8人、広くはない店内に入ってきて、店員さんもちょっと驚いていたが、棚にあるマトリョーシカタンブラー発見!

ロシア限定・マトリョーシカタンブラー 
 

 1,050ルーブルなので、大体2,000円くらいかな。◯天で10,000円近い値段で出品されていたり、アマゾンでも5,000円近くで出ていたりと、調子に乗ってんじゃねぇ!って感じだけど、そこまでしてゲットしたいモノか?? まあ、カワイイけど。

 実は私、ほとんどスタバ行かないし、ましてやマイ・タンブラーなんて、、、って感じなんだけど、何と、この旅行から帰ったら、毎日使っている地下鉄の駅構内に新しくスタバが出来ているではないか!! これって、マイ・タンブラー買ったから使え、ってことか? などとタイムリーな出来事にちょっと驚いたりして。せっかくだから使ってみようかな、と思っているところであります。

 タンブラーを買った後、集合時間までほんの少ししか時間がないけど、サンクトペテルブルクの中心街、ネフスキー通りをちょっとだけツアーのお仲間と歩いてみる。

 

なぜかフレディ(だよね?)のオブジェ、、、

 

百貨店(?)、店頭ディスプレイがカワイイ

 

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 お買い物タイムが終わり、神秘のブルーモスクへ。

サンクトペテルブルク・モスク

 “1910年に、ロシアに中央アジアが編入されたことから、ブハラの首長に敬意を表して起工された。8000人以上からなるイスラム教徒社会の利益を尊重した、アレクサンドル3世の時代である。1913年に竣工し、ロシア最大のモスクとなった。収容人数は5000人。2本の 尖塔の高さは49メートル、建物の丸屋根の高さは39メートル。

 このモスクの丸屋根は、サマルカンドのグリ・アミール廟(15世紀に建設)にそっくりである。グリ・アミール廟には、中央アジアの征服者であるティムールの遺骨が収められている”

~ロシアビヨンドより~

 こちらは、中には入らず、外観のみの見学。外観だけでも十分眼福。。。

 

 

 予定が前後し、お次はペトロパブロフスク要塞へ。このネヴァ河が、例年であれば凍るというのだから、この冬がいかに暖かいかがよく分かる。

ネヴァ河沿いの小さな島全体が要塞

 

ロストラの燈台柱

 こちらは、1810年に建てられたもの。敵軍の船首(ロストラ)を柱に飾って勝利を祝う、古代ローマの習慣を模倣したものだって。何とも威容な燈台。上ることは出来ないらしく、下から見上げるだけ。100メートルくらい離れた所にもう1本あり、独特な色合いで、2本が遠くからでもかなり目立っていた。……2本入れて写真撮ったつもりだったのに、、、入っていなかった。自分のカメラセンスのなさに、毎度ガッカリする。

 

ロストラの燈台柱とエルミタージュ

 

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 この後、夕食までに少し時間があるからと、ナターシャさんがスーパーマーケットに連れて行ってくれた。あんまし時間がない中、お店の写真を撮り忘れたんだが、とりあえずの戦利品。

ジャムのせチョココーティングクッキー

 @55.78ルーブルで、100円ちょっと。安い~! これ、昔、マクビティからオレンジのが出ていて大好きだったのだが、今はもう売っていない。ヨーロッパではあるみたいで、3年前にワルシャワでもゲットしてきたのだけど、見ると反射的に買ってしまう、、、。ストロベリーはちょっとジャムがキツい味だったけど、オレンジはやっぱし美味しかった! 大切に大切に、1枚ずつ食べています。

 

ロシアと言えば、、、のアリョンカのチョコ!

 ロシアのチョコといえば、この印象的なパッケージのアリョンカ。これ、赤ちゃんの顔だと思っていたんだけど、アリョンカという女の子の名前なのね。しかも、創業者はドイツ人だとか。エカチェリーナ2世といい、ロシアどドイツはやはり深い仲ですな。

 上のは職場で配る用。@231.86ルーブルで、450円くらい、まあまあのお値段。美味しかった!! もっと買ってくれば良かったとちょっと後悔。下のは自分とウチの人(とお土産)用で、激ウマ! @127.29ルーブルで、350円くらい。こっちの方がお得感アリかなぁ? 

 

インスタント・ボルシチ

 お湯を入れるだけでボルシチが味わえる。これもお土産用込みで一杯買ってきた。@17.29ルーブルだから、30円くらい。安っ!! ハッキリ言って、めちゃくちゃ美味しい。箱買いしてくれば良かった、、、。

 

シベリカのクリーム

 皆さんが寄って集って買ったので、ハンドクリームは棚からなくなるという、、、。こちらは、どうやら脚用らしいのだけど、手に塗っている 香りも柔らかくて、ベトつかずサラッとしていて、職場でも使えるかも。このパッケージがカワイイ。286.39ルーブルだから、550円くらいかな。安いと思う。冬用だ、とナターシャさんが言っていたような気がするが、まあ、別にいつ使っても良いでしょ。

 とにかく、外もホテル内も、めっちゃくちゃに乾燥していて、この旅行中、せっせとクリームを手に塗っていたけど、帰ってきたら手の甲などガサガサになっていた。夜寝るときも、鼻の中がカピカピになるので、クリームを塗ったくらい。枕元にも水を置いて、夜中に何度か飲んで、、、という具合。いやぁ、マジであの乾燥っぷりは辛い。湿度計があったら計ってみたかった。10%台だったんじゃないだろうか。

 

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 この日のディナーは、“壺焼きシチュー”と聞いていた。

前菜のポテサラ
 

 美味しかったけど、普通にポテサラだった。

 今回のツアーの夕食は、一応、コースっぽかったんだけど、ベトナムのときみたいに、一気に全部出て来ちゃうことはなかったのだが、割とアッサリしていて、前菜のサラダ → メイン → デザート&コーヒー、って感じだった。一人一人にサーブされるので、取り分けたりする必要もなく、気楽で良かった。

 


メインの壺焼きシチュー

 

 蓋になっているのは、パリパリのパイ生地ではなく、どちらかというと、モチッとしたパン生地っぽかった。シチューにパンを浸して食べる、みたいな感じ。こちらも美味しかったけれど、普通にビーフシチューだった。

 

デザート

 イチゴの入っていないミルフィーユみたいな甘~いケーキ。かかっているのは、やっぱし、こけももジャムのソース。冷えていて美味しかった。

 

いただいたのは、こちらのお店。

 

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 というわけで、お腹一杯になって宿に戻る。今日は、割と余裕のあるスケジュールだったので、あまり歩き疲れたわけでもなかったけれど、明日はエルミタージュ6時間と、夜はバレエ鑑賞だから、ちゃんと体調を整えておかねば、と思ってTVをつけたら……

 なんと、『インドシナ』を放映しているではないか!! ロシアに興味を持った切っ掛けになったレジス・ヴァルニエ監督作にこんなところでお目にかかるとは! これは何かの縁~?? ロシア語吹き替えだったんだが、元のフランス語が完全に消えていないので、思いっきり音声が二重で聞こえるという、、、。ロシアでは外国映画を放映するとき、こういう風なのかねぇ?

 相変わらず鼻の調子はイマイチのままだったけど、お風呂に入って、薬のんで、早めにベッドに入りました。エルミタージュ&バレエ、楽しみだ~!

 


その④へつづく

 

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愛する映画の舞台を巡る旅Ⅳ ~サンクトペテルブルク(ロシア)その②~

2020-03-08 | 旅行記(海外)

**宮殿の並ぶ街**vol.2

関連映画:『マチルダ 禁断の恋』(2017)

『オネーギンの恋文』(1999)

その①につづき

 翌朝は、7時から朝食で出発は9:30だったから、ゆっくり7時に起きて身支度し、中2階みたいなレストランへ。普通にホテルのバイキングという感じで、インドのように朝からカレーみたいな、ロシアっぽいものは特になく、、、。

クロワッサンがすごく美味しかった。真ん中のニシンのマリネもgoo

 

あと、このフルーツポンチみたいのが非常に美味しくて、3日連続でいただきました

 

ホテルの窓から。8:00前でもこの暗さ

 


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 【2日目のスケジュール】~サンクトペテルブルク市内観光

聖イサク寺院 → 血の上の教会 → 青銅の騎士像 → 昼食(ボルシチ)→ ペトロパブロフスク要塞 → ブルーモスク → スーパーマーケット(買い物)→ 夕食

 

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 9:30過ぎにホテルを出発し、聖イサク寺院へ。現地ガイドはナターシャさん。日本に住んだことはないけど、何度か行ったことはある、とのこと。もう成人した息子さんがいるのだそう。とっても流暢な日本語で分かりやすく有り難い。

 ホテルからは20分くらいだったかな。聖イサク寺院に到着。

聖イサク寺院

 が、10:30にならないと中には入れない、、、とナターシャさん。開くまで時間があるから、青銅の騎士像を見に行きましょう! ということで、歩いて行くことに。寺院の裏(?)にある、アレクサンドロフスキー庭園を入っていく。

庭園に向かう途中から見た聖イサク寺院

 

 庭園の向かいにある旧・元老院(だったと思う)

 

青銅の騎士像

 

 ピョートル1世の銅像。これを題材にプーシキンが長編叙事詩を書いたんだとか。エカテリーナ2世はこのピョートル1世のことが「大好きだった」(byナターシャさん)ので、この銅像を建てたんだ、、、とか。台座には「ピョートル1世へ、エカテリーナ2世より、1782年」と書かれているそうな。

 ご覧の通り、まったく雪がないのだけど、ロシアもこの冬は歴史的な暖冬だったそうで、例年は、氷点下10℃とかに普通になるらしい。それでもモスクワよりは海に近いので暖かいのだそうだ。

 ……とはいえ、ネヴァ河から吹いてくる風は冷たく、ブーツに3足千円の発熱靴下とかいうモコモコの靴下を履いていたけど、足下から冷える感じだった。帽子を被っていたんだけど、純粋に防寒として帽子が大事だと感じたのって、吹雪いたときのスキー場で以来かも、、、。

庭園からネヴァ河の対岸メンシコフ宮殿とクンストカメラ(薄緑の建物)、ペトロパブロフスク要塞(右端の金色の尖塔のようなの)を臨む

 

 メンシコフ宮殿は、ペテルブルクで最も古い建物の一つで、ピョートル大帝の友人、アレクサンドル・メンシコフ公爵の宮殿だそうな。クンストカメラは、ピョートル大帝のコレクションが展示された博物館でかなりレアなものが展示されているらしく興味あったのだけど、今回は中は見られなかった。

 

庭園の隣にある旧海軍省

 

 で、そろそろ時間になったから、寺院に行きましょう~!とのことで、寒風の中、寺院へ戻る。

 


 寺院の前にある旧馬術演習場(今は博物館)

 

 戻る途中で、寺院の(多分)東側を通ると、柱に傷が、、、。これはもちろん、第二次大戦中の独ソ戦でのもの。ドイツ軍の大砲が当たったらしい。

左から2本目の柱にでっかい傷

 いよいよ寺院に入場。

 

入口の天井

 

 ロシア正教といえば、、、イコン。知らなかったのだが、ナターシャさんの説明によると、ロシア正教では「彫刻はほとんどない」代わりにイコンなのだとか。確かに、ほとんど寺院内に彫刻は見当たらなかったけど、建物の外観にはレリーフなどもふくめて彫刻がある。

 


 中に入ってまず目に飛び込んできたのが、、、

 とにかく、金ピカ、、、、。

聖イサク像、ピョートル大帝の守護聖人だそう


 

天井には聖霊のシンボルである鳩 

 

上部は最後の審判、中央の真ん中には最後の晩餐

 

アップで撮ってみましたが、、、

 

キリストの復活を表したステンドグラス

 

 

 共産主義時代は、ロシア正教は禁止されていたから、この寺院は倉庫(博物館だったかな)にされていたそう。まあ、壊されなかっただけマシなんだろう。壊されてしまった貴重な文化財は一杯あるみたいだし。

 それにしてもこれだけ内部が金ピカだと、ちょっと頭がクラ~ッとなってくる気がする。よくぞこれだけ隙間なく描いたモノだとただただ圧倒される。何かこう、異次元の世界に連れて行かれる感じは確かにするよなぁ、、、。

 

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 たっぷり寺院を見た後は、こちらのお店で昼食。

天井にはワインの瓶が一杯ぶら下がっていて面白い

 

ボルシチとピロシキ

 ボルシチは、ロシアでは「冷蔵庫のお掃除メニュー」(byナターシャさん)なんだとか。ビーツさえ入っていれば、後は何を入れてもOKだそうで。白く見えるのはサワークリーム。ロシア人はサワークリーム大好きで、何にでも入れるんだそうだ。味は少ししょっぱめだがすごく美味しい。

 ピロシキの方は、鶏の挽肉入りで(中身を撮り忘れた!)、こちらはかなり淡泊なお味。揚げてある割に油っぽくもなく、このボルシチと一緒に食べるにはちょうどよいバランスかも。


 

ペリメニ(ロシアの水餃子)

 これ、美味しかったんだけど、量が多すぎてちょっと残してしまった。もちろん、サワークリームがのっていて、味は割と濃いめ。皮はモチモチしていて、実に美味しかった。

 

デザートのクレープ

 上にかかっている赤いのは、こけももジャム。クレープと言っても、もっちりしていて、かなりヘヴィだった。半分残してしまった、、、、。

 十分お腹も満たされたところで、次は血の上の教会へ!!


その③へつづく

 

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愛する映画の舞台を巡る旅Ⅳ ~サンクトペテルブルク(ロシア)その①~

2020-03-04 | 旅行記(海外)

**宮殿の並ぶ街**vol.1

関連映画:『マチルダ 禁断の恋』(2017)

『オネーギンの恋文』(1999)

 


 以前から一度は行ってみたかったロシア。多分、レジス・ヴァルニエ監督の『イースト/ウエスト 遙かなる祖国』(1998)を見て衝撃を受けたのがそもそもの始まりだったような……。その後も、いろいろロシア映画は見たけれども、その度に興味をかきたてられるのだった。

 まあ、建前上、サンクトペテルブルクが舞台の映画ってコトで、関連映画に『オネーギンの恋文』なんぞ挙げてみたけど、大した意味はありません。『マチルダ 禁断の恋』は、まだエカテリーナ宮殿ロケなどの記憶に新しいので挙げてみましたが。むしろ、あの「罪と罰」を巡る旅にした方が良いくらいかも。なので、映画とはまったく関係のない旅行記になります

 ロシア語は、ハラショーとスパシーバしか知らないし、字も読めない。何より、おそロシアというくらいだから、ちょっと怖いイメージもあり、こりゃツアーで行くしかないだろうと、いろいろツアーを漁っていたところ、バレエ(orオペラ)鑑賞込みで、しかも、サンクトペテルブルク~モスクワ間は列車移動、というこのツアーを見付けたのでした。これは、おひとりさまツアーではないのだけど、この時期のヨーロッパツアーは概してお安いし、一人部屋の追加料金も安かったので、昨年の11月頃に申し込んだ次第。

 年末にVISAの申請書類を出して、年明けてからVISAが降り、いよいよおそロシアに行ける!と思ったところで、新型コロナウイルス騒ぎ。これはもしかしたら入国拒否でツアーキャンセルかなぁ、、、と心配していたけれど、無事に出発できることとなりました。 


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 出発は成田から。10:50発モスクワ行きJL421便。集合は、8:20だったので、自宅を6時頃に出て7時半過ぎには無事に成田に着く。第2ターミナルに行くと、まだ時間もあるし、、、ってことで、まずは両替。事前に添乗員さんから電話で、1日当たり3,000円くらいで現金のご用意を、と言われていたので、5泊7日だけど、まあ、15,000円くらいで良いか、、、と両替。1ルーブル2.25円で、6,600ルーブルと150円のおつり。あまりレートは良くないけどルーブルはここでしか両替できないから仕方ない、、、。

 その後、カウンターに行って、添乗員のLさんとご挨拶して、JALカウンターで荷物を預ける。ここでは「2週間以内に中国へ行かれましたか?」「ダイヤモンドプリンセス号にご乗船されていませんでしたか?」と聞かれる……。ま、仕方ないよね。当然「いいえ」と答え、とっとと出国手続きを済ませる。



10:50モスクワ行き。S7航空とのシェア便

 

皆さんマスク必須、、、

 前日にWebチェックインを済ませ、2-4-2の座席で、窓側2席の通路側の席を選んでおいたのだが、お隣はラッキーなことに空席。実は、ちょっと出発2日前から鼻タレで体調万全ではなかったので、2人席を独占できたのは有り難かった。



黄色いのはキウイジュース

 キウイジュースを頼んでみたけれど、あんましキウイって感じでもなかったような。これは鼻タレで嗅覚が鈍っているからか?

 映画はいろいろあり、『ジュディ 虹の彼方に』を見始めたんだが、どうもイマイチっぽいのですぐやめた。もともと機内では集中して見られないタチなので、やはり集中力の不要なものにしようと、『マチネの終わりに』を選んでみた。

 見始めたところで食事。メニューが配られて“若き料理人たちによる機内食”とか書いてある。で、出されてきたのがコレ。


メインは、牛肉と野菜の旨煮ごはん添え

 “イエローチキンカレーアジアンスタイル”と選べたんだけど、牛肉にしてみた。まあ、悪くないけど、、、という感じ。奥に3つ並んでいるのは、左から、たたき牛蒡のすりおろし林檎和え、蒸し鶏のミモザ風、ツナとチーズのおからサラダ。おからサラダが割と美味しかった。あと、お味噌汁も濃くてなかなかgoo。この後、ハーゲンダッツのミルクアイスがデザートに配られた。

 で、再び『マチネ~』の続きを見始めたが、薬が効いてきたのか眠くなって、数時間ウトウトしたみたい。目が覚めて、再び続きを見たけど、、、ううむ、まあ感想はまたの機会に書こうと思う。その後、『英雄は嘘がお好き』を途中まで見たけど、こちらも、ううむ、、、という感じで、帰りに続きを見る気にはならなかった。

 そうこうするうちに、軽食が出る。

 意外にもスープが結構美味しかった。フルーツがショボくて泣けたけど、、、。まあ、こんなもんか。

 約10時間で無事にモスクワに着いたはいいが、「これから機内で検疫があるからそのまま着席していてください」とアナウンスがあり、しばらくすると、ごついマスクをしたオバサンがサーモカメラを構えて入ってくる。端から念入りに一人ずつ映して体温チェックをしているらしい。私は熱はないけど鼻タレでちょっと頭がボーッとしていたので、もし引っ掛かったらどうしよう、、、と思ったけどクリアしたらしい。機内で1人でも引っ掛かったら、全員降りられなかったんだろうなぁ。その場合は、やっぱり14日間隔離なのだろうか……、などと考えながら、ホッと胸をなで下ろしつつ飛行機を降りる。


モスクワ・ドモシェドヴォ空港

 ロシアの入国審査はえらく時間が掛かると聞いていたが、確かに、かなり念入りにチェックしている様子だった。何度も何度もパスポートの写真と実物を比べられ、すっぴんで眉毛がなくなった顔だったので余計に何度も見られたのかも知らんが、でっかいマスクを着けた若い男性審査官だったけど、首傾げて見比べられるのも、あんましイイ気はしないものだね、、、。入国カードにサインをさせられ、出国カードと一緒にパスポートをぞんざいに返される。「bye!」だって。スパシーバ!と言ってみたけど、無反応。

 一旦、荷物をピックアップして、ペテルブルク行きの国内線S7航空チェックインに向かう。チェックインはサクサク済んで、出発までしばし自由時間。


 

ヘンなオブジェ発見!

 この後バスに乗せられ、寒風吹く中、タラップを上がって機内へ。LCCではないと思うけど、かなり席は狭い。1時間半のフライトだけど、軽食が出る。

 パンがパサパサなのはご愛敬。かなりボリュームがあり、半分残してしまった。ドリンクはコーヒーかジュースか選べたけど、ジュースがちょっと変わっていたので敢えてジュースを選ぶ。こけももジュースらしい。この後、このこけももジュースはしょっちゅうお目に掛かることに。

 アッと言う間にサンクトベテルブルクに到着。


サンクトペテルブルク・プールコヴォ空港


こぢんまりとした空港。

 ここからバスでホテルへ。30分くらいだったかな、、、。鼻タレの上に、結構疲れてぐったり。ホテルに着いたのは午後8時半頃だった。


なかなか良い感じの部屋

 

お湯の出も良いし、水も用意してくれてあるし、キレイだし、ホッとする。ここにはこれから3泊するのだから。


TVをつけたらコロナのニュース

 ま、入国拒否に遭うこともなく、なんとか宿に辿り着けて良かった。明日からいよいよ観光だ! 

 

その②につづく

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愛する映画の舞台を巡る旅Ⅲ ~アグラ(インド)その⑧~

2019-05-11 | 旅行記(海外)

**タージ・マハルの街**vol.3

 

関連映画:『その名にちなんで』(2006)

 『ヴィクトリア女王 最期の秘密』(2017)

 

 

その⑦につづき

 アッと言う間に女子ツアーも最終日。

【4日目のスケジュール】

 ①アグラ城→②象嵌細工工場見学→③昼食(ターリー料理)→④デリーへ移動(バスで約6時間予定)→⑤デリー空港着→⑥JAL740便(20:20発)にて帰国の途

 希望者のみ早朝ヨガ体験なるメニューがあったけれど、私は興味ないのでパス。何だかんだで前日のアーユルヴェーダが堪えたのか、事前に申し込んでいたのは5名だったけれど、参加したのは3名だったそう。

 6時には目が覚めてしまったので、とっとと起きて身支度し、朝食へ。前日夕食をとったレストランに再び行くが、やはり混んでいた。

 ホテルの中庭

 

 集合時刻の8時半に皆さん集合し、バスに乗って、いざアグラ城へ。

 

 アグラの街は、やはり中心はタージ・マハルで、街のどこからでもタージ・マハルを見ることが出来るように、建物も高さ制限があるんだとか。確かに、アグラ城へ行く途中の道からもチラッとタージ・マハルが見えた。

 で、15分ほどバスに乗ったところで到着。

 入り口。何ともいかつい城壁が長々と連なる。まさしく要塞

  まだ朝早いからか、人が少ない。空気もちょっとひんやりしていて気持ち良い。このアグラ城は、シャー・ジャハーンがタージ・マハルを建設後に、皇位継承争いに負けて、息子に幽閉された場所として有名。1666年に74歳で亡くなるまでの7年間を過ごしたんだとか。

 

堀が、、、。深くて広い

  建てられたのは、1565年。高さが20メートルの城壁が2.5キロメートルも築かれている。第3代皇帝から5代シャー・ジャハーンまでがこの城を拠点としていたらしい。

 

 チケット売り場。アラームさんがチケット購入してくれている上に猿が、、、

  猿がとても多くて。反対側を見ると野良ワンコ。

このワンコは、私の後ろ、アラームさんの頭上にいる猿に反応しているのです

 

 ここをくぐっていざ入場

 

ジャハーンギール宮殿

 ちなみに、手前に見える囲いのような所には、シャー・ジャハーンが使用していた石造りの浴槽が置かれている。

 

 イスラム様式の建物に、ヒンドゥー様式の装飾が施されているんだとか

 

皇帝の居室。ハーレムだったらしい、、、

 

ハーレムの中庭。ここに皇帝の女性がたくさんいた

 

暑いときは水を通して、上部に見える穴(5つの)から水が出てくる仕組みになっているんだとか

 

 

北部ラジャスターンの民族衣装だそう

  カラミさんはイケメン探索に余念がなかったけれど、さすがに最終日となればあまり期待できないと思って諦めていたのだが、こちらの方々が「写真撮りたい?」と声を掛けてきてくれる。物欲しそうにしていたのかしら、私たち。

 すかさず、是非是非! と、撮らせてもらう。アラームさん曰く、この方々は、ラジャスターンから来た人たちだろうとのこと。この衣裳がそうだという。

 

うっすらタージ・マハルが見える(中央やや下。見えます?)

  ここからタージ・マハルを眺めていたシャー・ジャハーンはどんな気持ちだったのか、、、。

 

シャー・ジャハーンが幽閉されていたというムサンマン・ブルジュ内部。噴水まである、、、

 

 皇帝謁見の間ディワニ・アーム

  奥に玉座があるんだが、外から見ても柱に遮られてバッチリは見えないように設計されているとのこと。でも、現代人の観光客たちは玉座のすぐそばまで入れちゃう。

 

高いところが玉座。下に囲いがある台は、書記官のためのもの

 

  最後も猿に挨拶して、アグラ城を後にする。

 

 

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 日程表にはなかったのだが、お昼の前に象嵌細工の工場へ見学に。 

工程を見せてくれる

ラピスラズリ、マラカイト、アメジスト等の石を

このように細かくして、、、

模様に併せて嵌めていく

 

 案の定、ここでも観光客用の売店があり、素敵なテーブル(の天板)などもあり魅力的だが、高いし、冴えない我が家には到底似つかわしくないので、何か記念に小物でも、、、と物色するが、どれもそこそこ良いお値段。ここはパスかな~、と思っていたら、可愛いコースターを発見。マダムも見付けて、早速値段交渉。

 1枚、1,000ルピー(1,600円くらい)というので、私は、現金を使い切りたいというのもあって「まあ、それならいっか……」と思ったが、マダムは「高い! 900なら買う!」と強気。え、、、と思ったが、ことの成り行きを見届けたくなる。店員さんもなかなか引かない上に、私が1,000で良いという顔をしていたからか、梱包し始めてしまう。すると、マダムは「いや、900、900にしてくれないなら買わない!!」と飽くまでも引かない。すると、店員さん、観念したのか笑いながら「じゃあ900でいいよいいよ!」と、私まで100ルピーの値引きにあずかる。ありがとう、マダム!

 というわけで、ゲットした大理石のコースターがこれ。……まあ、確かに、1,600円はちょっと高いかなぁ。でも、旅の記念だし。コースターとして使うのはもったいないので、部屋に飾ってあります。

 

 

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 お腹も空いたところで、ランチ。インドに来たからには、ターリーを食べなければ。最後の食事にターリーがあって良かった!

ランチのお店。ドアの横に立っているのはリアルおじさんです

ちょっとスカスカなターリー。こんなもん?

  ナンはお代わり自由。ベジタリアンなイメージがあったが、チキンカレーもあって、味はとても美味しかった。量が少ないように思ったけれど、全部食べたら結構お腹一杯になるものだ。

 ちなみに、一番左の茶色い丸いのは、グラーブ・ジャムンという激甘お菓子。揚げドーナツをさらに甘いシロップに浸してある感じ。この大きさなのでどうにか食べられた。

 皆さんと、「イチローは毎日、朝からカレー食べるんだって!」「そうそう、奥さんが留守にするときは留守の間分のカレー作って冷凍しておくらしいよ!?」「はぁ?? 自分で作りゃイイじゃん……」などとワイワイ喋っていたところ、アラームさんが男性を連れてやって来る。何かと思えば、、、。 「この人、昨日のアーユル・ヴェーダのお店のオーナーです。皆さんにお詫びに来ました」と言うではないか。

 その男性は、両手を合わせて「皆さんに寒い思いをさせてしまってゴメンナサイ」と流暢な日本語で謝罪の弁。やはり移転したばかりで、まだ改装が終わっていない部分もあって、ちょっと室温調整が上手く行かなかったんだとか。だから、昨日いただいたお金は全部お返しします、、、とのことで、昨日支払ったそのお札そのものが返ってきた。円で払った人は円で、ドルで払った人はドルで、ユーロで払った人もユーロで。さらに、お詫びということで、有名な“medimix”というソープとローズウォーターが配られた。

 ……まあ、今どき、ネットなどでネガティブなレビューでも書かれれば、そのまま営業危機になりかねない。この対応は、まあ妥当だろう。

 でも、ここでオバサンたちは終わらない。気に入らなかった点をイロイロとオーナーに言う人も。「もっと良いオイル使って欲しい」「せめてベッドとベッドの間にカーテン付けて欲しい」……etc。オーナーは分かっているのかいないのか、ニコニコ。

 

 

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 お腹も満たされ、後は帰るのみ。

 ……とその前に、少し時間があるから、スーパーに寄ってみよう、とアラームさん。スーパーはそもそもインドには少ないと言っていたアラームさんだが、この近所にあるという。で、行ってみたら(写真をすっかり撮り忘れたのが残念なんだけど)、1階は服や電化製品、2階は食料品や雑貨が所狭しと並んでいる。皆さん、ばらまき用のお土産やら何やら、イロイロ買い漁る。私も、レトルトカレーをゲット。

実はまだ食べていないという、、、

 

 で、今度こそ、バスで一路デリーを目指す。予定では6時間となっていたけど、もう少し早く着くだろうとR子さん。

 途中、トイレ休憩で、昔のドライブインみたいな所に立ち寄る。トイレのことを書いてこなかったが、今回、ホテルかお店しかトイレは使用してこなかったけれど、ホテルはもちろん、お店のトイレも結構キレイだった。そして、このドライブインのトイレも、思っていたよりゼンゼン清潔だった。ここのトイレを出るときに、約30年前に行った中国は、北京はそうでもなかったが、内陸に行くと場所によってはトイレの周辺が悪臭立ちこめて到底近寄れたモンじゃなかったが、今はどうなんだろう、、、などと思った。

 そして、このバスの中で、またまたアーユル・ヴェーダの話題が。R子さんが「先ほどのお店のオーナーが、ツアー代金に元々入っていた料金もお返ししたいということで、ただしドルでの返金になります、、、」と言って、現金で25ドルずつ返金された。そっか、、、やっぱりシロダーラのオプションが目玉で併せて1万円くらいのコースだったわけね。

 

 

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 何だかんだと、5時過ぎには空港に到着する。かなり早く着いた感じ。

 ここで、ヨーロッパから参加のロスバゲのお姉さんとアラームさんとお別れ。結局、最後までロスバゲの荷物は出てこなかった、、、。しかも、彼女の飛行機は夜中発で、出発の3時間以上前には空港に入っちゃダメと言われ、入り口でさようなら、、、。実際、入り口できっちりパスポートとeチケットをチェックされた。

 チェックインカウンターへ行くと、張り紙が、、、。成田空港周辺、積雪のため、出発が遅れる見込み……というようなことが書いてあった。まあ、それは良いとして、来るときはビジネスにアップグレードだったけれど、帰りはどうかなぁ~、なんてムシの良いことを期待していたが、案の定アップグレードなどなく、予定どおりのプレミアムエコノミー。

 出発まで各自過ごすということで、ラウンジへ。

 お昼が結構お腹一杯だったため、食欲もあまりなく、、、、

 

 

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 で、いよいよ搭乗。

これがプレミアムエコノミーの席

  座るなり、いきなりCAのお姉さんが「お待たせして申し訳ございません。お待ちしておりました」と会釈して挨拶してくれるので、ふと顔をよく見たら、ビックリするような美人! ひゃぁ~~、これはラッキー! 聞かなくても分かっているのに「荷物、足下に置いても良いですか?」等とどーでも良いことを聞いてお話したいのがバレバレ。これまた美しい笑顔で「はい、どうぞ、こちらへ」と座席の下に置いてくれる。一瞬疲れも吹っ飛ぶ。芸能人などにもいない、いわゆる正統派の確かな美人、、、という感じ。いるんだなぁ、、、こんな美しい人が、と惚れ惚れしてしまう。 

 

アメニティは、袋はビジネスよりグレードが下がるけど、中身はまったく同じ

 

 予定時刻より20分くらい遅れて離陸したが、何だか疲れていてグッタリ。1時間ほどで夕食が配られる。

 

海老と茸のキッシュ、スモークサーモン、そば、フレッシュフルーツ、ブラックカラントケーキ

  何というか、そばが一番美味しいと感じた。やはり胃も多少は疲れていたのだろうか、、、。

 映画も、あまり見る気がしなかったが、とりあえず、往路で見た『泣き虫しょったんの奇跡』が途中だったから、それを最後まで見て、ううむ、、、何だかなぁと思ってしまった。瀬川晶司氏がプロになれずに大学へ進学してサラリーマンになり、その後、特例のプロ入り試験を経て、見事異例のプロ入りを果たすというところが駆け足で終盤に描かれていた。が、正直言って、どちらかというと、この話はこちらの方がメインになるのではないだろうか。だって、異例中の異例の出来事は後半なのであって、奨励会からプロ入り出来ない挫折譚なんて別に珍しくもなんともないわけで。バランスがオカシイと思ったんだけどね。……まあ、でももう疲れていたし、どうでも良くなっていた、そんなこと。

 かと言って、ウトウトはすれども眠れない。でも美人のCAさんが飲み物を持って歩いてきてくれるだけで、喉など渇いていなくてもコーヒーを入れてもらったりして、ちょっと良い気分になれたのだった。やっぱり美人は良いなぁ、、、人を幸せな気持ちにしてくれる。例えオシゴトとはいえ、ニッコリ笑顔を向けられると、疲れも忘れてしまう。ずっと見ていたい美人っているのね。

 でも、アッと言う間に朝食の時間になって、配られたのがこちら。 

昆布佃煮おにぎり、五目おにぎり、鶏の七味焼き、筍手火山煮、卵焼き、青高菜

  おにぎり2コはちょっとキツい。お持ち帰りしないで、みたいなことが書いてあったけど、持ち帰ってきました。

 プレミアムエコノミー、確かに、座席幅は広めだし、足下も少し余裕があるけれど、これならエコノミーでも大差ないなぁ、と思った。差額を考えると、エコノミーで十分だろうと思う。ビジネスは確かに、差額を出す意味はあるかも知れないが、大事な仕事ならともかく、所詮観光旅行ならエコノミーで良いのかな、、、と。

 

 

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 何だか、帰路はアッと言う間だった。行きは長く感じたのに。揺れも帰りはほとんどなく、行きでまあまあ揺れた東シナ海上空で若干揺れたかな、、、というくらい。

 そして定刻通り、午前7時前に着陸。

 この日の1週間ほど前に、同じ、デリーからのJAL740便が成田で、滑走路の凍結で滑走路からはみ出しちゃった、、、という事故(?)があったんだけど、雪は多少降ったらしいが、この日は何事もなくゲートに到着。

 入国手続きもスルスル済んで、R子さんと挨拶して、旅は終了。

 初めてのインド。思った以上に面白かった! 是非また行きたい!!

 これにて、拙いインド旅行記は完結です。長らくのお付き合い、ありがとうございました。 

 

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愛する映画の舞台を巡る旅Ⅲ ~アグラ(インド)その⑦~

2019-04-29 | 旅行記(海外)

**タージ・マハルの街**vol.2

 

関連映画:『その名にちなんで』(2006)

 『ヴィクトリア女王 最期の秘密』(2017)

 

 

その⑥につづき

  キツキツにサリーを着せられ、タージ・マハルでかなり歩いて、結構皆さんお疲れ気味。これを見越して、このタイミングでアーユルヴェーダをスケジューリングしたに違いない、などと女子ツアー参加者たちは癒やされる気満々でバスの中でも会話がアーユルヴェーダに集中。全員、オプションのシロダーラを希望していることからも、その期待の高さが分かる。

 

 このような所を抜けて、ランチのお店からバスで10分ほどすると、なんだか街外れの寂しい場所に。そして、アラームさんが「はい着きました~、皆さん、着きましたよ~」と言う。皆、……え、ここ??みたいに顔を見合わせながらバスを降りる。

 周りにはそれと思しきオシャレなとまではいわずとも、小綺麗そうな建物も見当たらず、……え、どこ?状態。が、アラームさんはスタスタと、空き地の隣に建つフツーの(ってインドでのフツーなのでご想像ください)建物に入っていくではないか。

 ……イヤな予感。

 促されるまま私たちも続くと、中は意外にもとてもキレイでホッとなる。階段で2階に上がり、そこで、ある部屋に通される。男性が机の向こうに座っているから、「ああ、ここでカウンセリングをこのおじさんがするのね……」と、きっと皆さん内心思ったはず。

 全員が座ると、その男の人は座ったままで、別の男性が入ってくる。さらによく見ると、壁から配線コードが剥き出しになっていたりする。……再びイヤな予感。

 入ってきた男性はいきなり言い訳を始める。「このお店はついこないだこの建物に移転してきたばかりで、今まだちょっと改装中」とか何とか。道理で配線が、、、。そして、間髪を入れずにシロダーラの集金。シロダーラは、60米ドルか、6千ルピーか、7千円かを現金払い。私は、家に米ドルが何故か一杯貯まっていたので念のため持ってきた米ドルで支払い。円で払うのが一番お得かな。……でもまあ、これは結局全額戻ってくることになるんだが。

 はい、じゃぁ、皆さん2人ずつどうぞ~、となって、え、、、カウンセリングは? あの机の向こうに座っているオジサンは何??

 

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 で、カウンセリングもなく1部屋2人ずつということで順番に施術部屋に案内される。私は、ガティマンエクスプレスでも隣になったカーマ爆買いお姉さんと同部屋に。

これが私たちの通された部屋(施術が終わってからめげずに撮影)

 

 部屋に入ると、手荷物をロッカーに入れて、針金に毛の生えたような鍵を掛けてくれるお姉さん。そして、微笑んでジェスチャーしながら“off, off”と繰り返して、紙製のパンツを渡してくる。……え、この仕切りも何もないところで脱げと?? 思わず、「え? here?」と言ってしまうが、お姉さんは微笑んでいるだけ。仕方がない、脱ぐか、、、。

 タンクトップとパンツになったところで戸惑っていると、お姉さん、今度は、“all, all”と言うではないの。マジか、、、。爆買いお姉さんは私の背後にいるからどうしているか見えなかったけど、それにしたって、他人様の前でまっぱになるのはちょっと、、、。がしかし、紙パンを渡されているということは、やっぱしall脱ぎ&紙パン履け、ってことだよなぁ、、、と思い直し、仕方がない、思い切って紙パン一丁になりましたよ。

 日本で何度もエステに行っているけど、施術を受ける際、必ずまっぱ姿が見えないようにお姉さんが考慮してくれる。うつ伏せから仰向けに姿勢を変えるときも、お姉さんから身体が見えないようにバスタオルで目隠ししてくれる。それがフツーだと思っていたし、それなりの金額をオプションでも払っているのだから、インドといえども日本と同じレベルのホスピタリティを期待していた私としては、まず、唖然とするような出だし。ひょ~~、でもまあ、要は施術よ施術、と自分に言い聞かせ、気を取り直す。

 が、そんな格好になってみると、この部屋、スゴイ寒い!! ってことに気付く。全身、さぶイボ。しかし、お姉さんはお構いなしに、ベッドの上をトントンとやって、ここへ寝ろという。日本のエステと同じくうつ伏せになろうとすると、違う違う、仰向けになれ、と身振りでダメ出しされる。え゛ーーー、仰向けかよ! しかも、タオルを掛けてくれるわけでもなく、まっぱの女性が2人、ベッドの上に、まな板の上の鯉状態。思わず「寒っ!!」と言ったら、爆買いお姉さんも「寒いですよね!」となって、ようやく毛布のようなものを掛けてもらう。

 そして、目を覆うように紐のようなものをぐるりと頭に巻かれて、ちょっときつめに縛られる。いやぁ、、、何だか全てがあり得ん、って感じなんだが、この期に及んで、私はまだ、「それでもきっと施術はサイコーに素晴らしくて気持ちよいに違いない」と自分に言い聞かせていたのであった、、、ごーーん。

 どうやら、最初にシロダーラをするため、仰向けにされたらしい。何やら頭の方でガタガタとお姉さんたちがやっていて、オイルを温めている様子。その間、まっぱに毛布だけで待たされる。、、、寒い。

 すると突然、真っ暗になる。え、、、これって、エステみたいに部屋を暗くしてくれたのかな? 音楽でも流れてくるのかしらん?? と思ったが、お姉さんたちが慌てている感じで、30秒くらいしたらパッと明るくなる。目隠しされていても明るさは分かるが、これは一体、、、? その後、もう一度、また真っ暗になったので、さすがにこれは 停電か、、、? と思ったが、よく分からなかった。

 そんなこんなでしばらくすると、ようやくオイルを額に垂らし始める。ううむ、、、何とも言えない感触だ。でもまあ、気持ち良いと言えなくもないのか??などと思っていると、お姉さんが「気持ちイイ?」と日本語で聞いてくる。仕方がないから「気持ちイイ」と答える私。他にどう答えろっての。

 ……がしかし!! しばらくすると、このオイルが熱くなってくる。マジでちょっとこれこのまんま続けたら火傷するだろ!!! くらいの熱さになってきて、さすがに「熱い!!」と文句を言ったら、お姉さん、片言の日本語で「熱い?」とか言って、中断。

 この辺りになってようやく、いかに察しの悪い私でも、これはヤバいかも、、、と思うようになっていた。どうして途中でオイルが熱くなるの??……嗚呼。

 温度を調節したオイルを再度額に垂らされて、垂らしたオイルは、髪を伝ってベッドの下で受け、それを温めて再利用する様だ。これを何度か繰り返す。途中、寒さに耐えられず再び「寒い!」と訴えたら、毛布をもう1枚掛けてくれる。2枚掛けてもらうと、どうにか暖かくなり、別にシロダーラが気持ちよかったわけじゃないが、多分疲れていたからか、ちょっとウトウトしてしまう。

 で、シロダーラが終わると、今度は、身体のマッサージ。まず、オイルで温めたストーンをトントンと身体に当てていく。この温かいストーンは気持ちよいのだが、何しろ部屋が寒いので毛布を剥がれて、正直言って、ゼンゼン気持ちよさを堪能できる気分じゃない。ストーンでオイルをのせた後、今度は手でマッサージ。ここでまた信じられないのだけど、お姉さんの手が冷たい!! あり得ん!!! でももう、文句を言う気力はなく、寒いわ冷たいわで、ただただ早く終わってくれ、、、という感じ。

 脚からマッサージをし、脚はまだ毛布をめくられても我慢できたけど、上半身はほとんど拷問に近い。こんな過酷なマッサージ初めてだわ、、、と思いながら、お姉さん、胸も下腹部も容赦なくマッサージしてくる。もういいって、、、と言いたくなる。

 そんな具合で背面もマッサージされ、一通りメニューが終わる。ああ、終わった、、、、とホッとなる。シャワー浴びて暖まろう! と思っていたら、お姉さんに着替えろと言われる。え、、、シャワー浴びさせてもらえるんじゃ? と思ったが、お姉さんたち片付けを始めている。爆買いお姉さんは黙々と着替えているし、これは着替えるしかないらしい。

 髪の毛も身体もオイルまみれで服を着て、部屋から出ると、他の人たちは皆もう施術が終わっていて、待っていた。そして皆、口々に「寒い!」と言っている。そうか、私たちだけじゃなかったんだ、、、、。そして、皆、これからシャワーを浴びる感じではない。このまま帰るの? と思っていたら、アラームさんに「はい、じゃあ、行きましょう!」と言われて、皆、すごすごとバスに乗り込むのであった、、、、ごーーーーん。

 

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 エステの店を後にして、バスで20分くらいだったろうか、ホテルへ到着。 

 またまたマリーゴールドのレイをホテルの方に掛けてもらい、ウェルカムドリンクを出される。ロビーでアラームさんたちがチェックインをしている間、私たちは隣のラウンジで待たされる。

 ここで、7人のおばさんたちから、一気にアーユルヴェーダへの不満が噴出する。聞けば、他の方々も皆、私たちの部屋と同様に寒くて、突然真っ暗になったのはやっぱり停電で、最初に言われていた施術後にはシャワーに入れるというのもナシで、一体どーなんってんだ?? ってことに。……ま、当たり前だよね。高いお金払ってんだから。

 もともとツアーに含まれていたアーユルヴェーダの料金に加え、オプションで7千円払っているわけで、トータル恐らく1万円くらいだろうと思われるが、およそ1万円の内容とは思えない。3千円でもいかがなものかという感じだ。とにかく、寒いのが最低。マッサージの上手い下手よりも、寒い部屋に冷たい手ってのがあり得ん!! カラミさんなど、施術の途中で中断してもらって靴下履いたとか……。おまけに、こんなオイルまみれで放り出されて、何なんだ一体!って感じだったかな。

 ある人が「これ、添乗員さんに言いませんか? 納得できないわ」と言い、皆、賛同。チェックインを終えて来たR子さんに率直なところを話す。R子さんもちゃんと話を聞いてくれ「とにかく会社に報告し、対応を考えますのでお時間ください」とのことだった。R子さんに文句を言ってもしょうがないけど、まあ、それも添乗員さんのお仕事だからしょうがいないよね。

 やっぱりこういう時に、海千山千の者たちは違うなぁ、と実感。若い女子集団だったら、ここまでちゃんと抗議できなかったんじゃないかしらん。イマドキの子たちはもっとしっかりしているか。いずれにせよ、社会で揉まれてきたおばさんたちは、たくましい。

 今夜は最後の夜だから、皆で揃って夕食を、ということで、1時間後にレストランに集合となった。ああ、とにかく早く部屋に行ってシャワー浴びたい!!!

 

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 ……と、ようやく辿り着いたホテルの部屋。なんだかえらくホッとする。1時間後の集合に間に合うよう、とにかく、シャワーシャワー。

 こちらのホテルは、前日までのホテルよりお湯の出が良くて嬉しい。オイルまみれの身体を洗って、ようやくサッパリする。

 1時間後、集合場所のロビーへ行くと、何と皆さん、まだオイルまみれのまま。スッピンで集合していたのは私だけだった、、、。皆さん、さすが。人前にスッピンでは出てこないんだ、ひょえーーー、、、とひたすら感心。あたしゃ我慢できんかった、すんません。

 ここで、ホテルのWi-Fiがつながらないと皆でまたまた文句を言い(結局最後までちゃんとつながらなかった)、半地下になっているレストランへ降りて行く。

 レストランはかなり広いけれど、なにしろホテルが大きいのでお客さんも多いらしく、えらく混んでいる。アラームさんが交渉して個室を確保してくれた。

 

 ビュッフェ形式だったけど、なぜか白いものばかりになってしまった。器に入っているのはグリーンカレーみたいなカレー。デザートの皿は、右側の黒っぽいのはブラウニーみたいなチョコケーキ(激甘)、左側のは、ゼリーとは違うちょっと歯ごたえのある固めの、超超激甘の氷菓子みたいの。一口でギブアップしました。

 隣がR子さんだったので、添乗員の裏話を色々聞けて楽しかった。このツアーの出発日の翌日、関東は大雪の予報だったのだけど、もし、大雪で飛行機が飛ばなかったらツアーはどうなるの? と聞いたら、欠航にならない限り飛ぶまで待って行きます、とのこと。ツアーキャンセルになることは、まあないらしい。ただ、台風とか、もう欠航が確実なときはツアーキャンセルになる場合もあるとか。……などなど、他にも笑えるエピソードも色々聞いて、アーユルヴェーダの悪夢もどこへやら。

 翌日の出発は8時半とゆっくりめだけど、部屋に戻って荷造りしてさっさとベッドへ。いよいよ、明日は最終日!

 

 

 

その⑧につづく

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愛する映画の舞台を巡る旅Ⅲ ~アグラ(インド)その⑥~

2019-04-13 | 旅行記(海外)

**タージ・マハルの街**vol.1

 

関連映画:『その名にちなんで』(2006)

 『ヴィクトリア女王 最期の秘密』(2017)

 

 

その⑤につづき

 いよいよツアーのハイライト(?)、タージ・マハルへ。

 サリー屋さんでサリーに着替えてバスに乗り、10分くらいだったかでバスから降ろされる。「はい、ここから電気自動車に乗り換えていただきます」とアラームさん。

 

 排ガスでタージ・マハルが汚れないようにということらしい。何年か前に、タージ・マハルが黄ばんでしまったというニュースを新聞で読んだ記憶があるが、私たちが訪れる数日前に、修復作業が全て終わったんだそうな。修復作業を見るのも面白そうだから、終わる前でも良かったけど、折角ならキレイなタージ・マハルを見る方が良いのかしらん。

添乗員のR子さんも一緒に撮った全員の貴重な1枚

 

 このような、電気自動車というよりは、カートに乗り換えて、人並みを縫うように走り、入り口のすぐ近くまで移動。歩いても別に大して問題ない距離だったけど。

 

カートを降りて入り口へ歩いて向かう

 

チケット窓口(アラームさんが買いに行ってくれる)

 

 ここでもまた、フマユーン廟のときのようなコインを渡される。入り口では結構厳重なセキュリティチェックがある。大きい荷物は持っては入れないと事前に言われていたので、貴重品以外はバスに置いてきた。貴重品のみの手荷物も、一応調べられる。

赤いテントの奥の人が固まっているところでセキュリティチェックを受ける

 

 そしていよいよ見えてきたのが、メインゲート。

 

 上の方に並んでいる“ぎぼし”状のものは“チャトリ”というらしく、このアングルからでないと前後で22あるチャトリ全部は写せないよ! とアラームさんに言われ、頑張って撮影。辛うじて22コ、映っている。

メインゲート正面 

 

ゲート上部の象嵌細工

 

 そして、このメインゲートをくぐると、、、

 

 ジャーン! 現れたのは、あの麗しい姿のタージ・マハル。それにしても、すごい人、人、、、、。このゲートから廟までたどりつくのに(まぁ、写真撮ったり説明受けたりしながらだったからだけど)歩いて楽に30分はかかったと思う。

 

 廟に入る手前の所で足カバーを履いて、いざ中へ。中は一切撮影禁止。

 中は、しかし、狭いし割と素っ気なくて、象嵌細工がそこここにあって光を当てるとほのかに石が光るとか説明を受け、ものの数分でまた外へ出てくる。

 まぁ、とにかく美しい大理石の廟をご覧あれ。

 

 この塔のような高いのは、ミナレットというのだけど、実は垂直に建っていないのだ。よく見るとたしかに廟の反対側の方にほんの少しだけ傾いている。これは、地震などで倒れたりしたときに廟を壊さないためのものだと、アラームさんの説明有り。確か、前日のクトゥブ・ミナールでも同じような説明があった。ちなみに、ミナレットとは、礼拝告知用の塔。ミナレットを持つ霊廟は、このタージ・マハルが最初だと言われているらしい。

 ムガル王朝第5代皇帝シャー・ジャハーンが亡くなった王妃ムムターズ・マハルのために立てた廟。それにしても、なんとまあ巨大で麗しいお墓。正直なところ、大理石がこんなに美しいとは初めて知ってオドロキだった。ツヤがあって、美しい女性の肌のことを「大理石のような……」と例えるのを小説だか映画だかで見聞きしたことがあるように思うが、まあ、本当に冷たくて艶のある美しさにうっとりしてしまう。

 関連映画に挙げた『その名にちなんで』は、ジュンパ・ラヒリ著の同名小説が原作の映画で、原作がとても良かったので映画も見たのだが、原作にはないシーンが映画にはあって、その舞台がこのタージ・マハル。アメリカ育ちの主人公のゴーゴリが、両親の故国インドに来て、このタージ・マハルを訪れるというシーン。インドにあまり好感を抱けていない様子だったゴーゴリが、このタージ・マハルに強い感銘を受ける。原作にはやや及ばない映画だったけど、このタージ・マハルのシーンは非常に印象的だった。 

 

 

 

  とにかく、メインゲートをくぐって何だかんだで2時間近くはいたと思うのだけど、やはりサリーを着た東洋人が固まっているとちょっと目に付くのか、やたらと「写真撮らせて」という人が多く、撮影時間だけで半分くらいとられていたのでは? というくらい。

 勤続30年の休暇を利用していらしていたカラミさん(激辛が大好きな方だったので)が、「ターバンのイケメンと写真を撮りたい!!」とこの日の朝からバスの中で宣言されており、私たちも、行き交うターバンの男性を漏れなくチェック。「あ、あの人、イケメンじゃない!?」とか、おばさん集団はこういうときにパワーを発揮してしまう。……とはいえ、カラミさんのお眼鏡にかなうターバンのイケメンはなかなか現れず、、、。何人かと撮っていたみたいだったけど、成果はあったんだろうか。

 余談だけれど、この旅では、あまり、というか全く、イケメンに出会わなかった。男性は皆とってもフレンドリーだったけど。……思えば、インド映画に出てくるインド人の男優でも、イケメンといってパッと浮かんでくる人、いないもんなぁ、、、。三大カーンとか、悪くないけどイケメンかと言われるとビミョーだし。強いて言えば、『ヴィクトリア女王 最期の秘密』(2017年)アリ・ファザールはイケメンかも。ジュディ・デンチも「彼はハンサムね」と言っていたし。

 、、、というわけで、自由時間をとる余裕もなくなり、名残惜しくもタージ・マハルを後にする。

 

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 何だかんだとお昼を過ぎていたので、お腹はぺこぺこ。締め付けられているサリーを着たまま、中華のランチ(写真撮れなかった)。タージ・マハルでかなり歩いたので、みんな結構疲れていて、夕方はアーユルヴェーダだったから「上手く考えてあるスケジュールだよね」などと、みんなこの時点からアーユルヴェーダへの期待が上昇。

 あまり時間がなかったのか、慌ただしくランチを食べて、着付けてもらったお店へサリーを着替えに。着せてくれたお姉さんが脱がせてくれ、締め付けから解放されホッとする。もう少し緩くても全然問題なかったと思うのだけど。多分、サリーは本来ゆったりと着やすく動きやすい物なんだと思う。まあ、でも滅多に着る機会はないだろうから良い経験だった。

 

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 この後、当初のスケジュールにはなかったカシミヤ店に立ち寄り。紅茶のお店と同様、一通りカシミヤの説明を聞く。カシミヤにも色々あって、やはり標高の高いところに住んでいるヤギから作った物ほど高価になるらしい。そのお店にあったもので一番高価なものだと、大判ストールで7~10万円ほどするものだった。多分、日本で買ったら1.5倍かそれ以上はするのでは?

 私はあんまりストールとか使わないので、ウチの人にと思ってグレーのシンプルなマフラーを買ってみた。5,000円くらい。多分、日本の百貨店とかで買ったら1万円はすると思うが、旅から帰ってきて家でしげしげ眺めていたら、その肌触りの良さといい(スベスベ、ふわふわ)、優しい暖かさといい(じんわり、ほんわり)、モーレツに惜しくなって、どう考えても猫に小判としか思えず、自分のものにしてしまうことにした。マフラーのお土産があるなんて言ってなかったし、ハナからお土産など向こうも期待していないから、私の心変わりなど気付いてもいないのだ、ウチの人は、ムフフ。

 

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 さて、カシミヤ店を後にした一同は、美味しいチャイをいただけるという所へ。ホテルなのか、高級カフェなのか、イマイチ分からなかったけれど、ラウンジに通され、、、

 チャイとお菓子が出される。このチャイ、砂糖は入っていなかったんだけど、かなりスパイシーで、のどごしがピリッとする感じ。紅茶屋さんで買ってきた粉末のチャイもスパイシーでやっぱり辛みを後から感じるので、インド本場でのチャイはかなりスパイスの効いているものなんだと知った。日本でも美味しいチャイをインド料理店などで飲んだことがあるけど、こういうスパイシーさは感じたことがなかった気がする。一度、このスパイシーさを知ると、日本でいただくチャイは、ただの甘いシナモンミルクティーに思えて物足りない、、、。

 皆、疲れていて、いやが上にもアーユルヴェーダへの期待値が上がりまくる。「ああ、早くマッサージされたい!」とか「アタシ、寝ちゃうかも……!」とか、「シロダーラって頭が凄く気持ちいいんでしょ!」とか、もう、その話題ばかり。

 ちなみに、シロダーラとは、オイルを額に垂らして、その後頭をマッサージするもの。日本では、アーユルヴェーダはリラクゼーションの一種と思われているけど、実はインドではれっきとした医学の一分野らしい。シロダーラも医療行為とされ、日本では(法的に)できないものとされているようだ。

 まぁ、でもここはインド。本場に来たのだから、オリジナルの伝承医学を経験できるに違いない。きっと、この全身の疲れが癒やされるに違いない。

 と、期待に胸を膨らませて、いよいよ、アーユルヴェーダへと向かった一行。……まさか、この後、あんな展開になるなんて、このとき誰が想像していたことだろう、、、。

 

 

 

 

 

 

その⑦につづく

 

 

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愛する映画の舞台を巡る旅Ⅲ ~デリー→アグラ(インド)その⑤~

2019-03-29 | 旅行記(海外)

** 列車の旅 ** 

 

関連映画:『バジュランギおじさんと、小さな迷子』(2015)

 

 

その④につづき

 本日はいよいよアグラへ移動。楽しみにしていた列車の旅! このツアーに決めたのも、この列車の移動があったから。

【3日目のスケジュール】

①ハズラット・ニザムディン駅→②8:10発ガティマンエクスプレス乗車(9:50アグラ着)→③レンタルサリー屋さん(サリーに着替え)→④タージマハル(2時間ほど)→⑤昼食(中華料理)→⑥本場のチャイにてティータイム→⑦アーユルヴェーダ体験(シロダーラ含めて90分)

 本日も盛りだくさんなメニュー。

 朝5:30にモーニングコールが鳴る予定だったけれども、5時前には目が覚めてたので起きてしまった。身支度をしていると、早々にモーニングコールが鳴り、え、もう5時半か?と思ったら、まだ5時過ぎだった、、、。

 列車内で軽食が出るとは聞いているけど、朝食を食べないと落ち着かない私としては、一応、何でも良いからお腹に入れておきたい。朝食は6時からということで、6:30にロビーに集合だから、そのまま出発できるよう荷造りして6時過ぎにレストランへ。まだ開いたばかりだったが、ほぼ昨日と同じメニューのビュッフェ。早いからか、朝食を食べていたのは、ツアー内で私を入れて3人だけだった。

 皆さん、時間厳守。6時半にはバスに乗り込み、ハズラット・ニザムディン駅へ。デリー駅ではないのね、、、。

 気温は分からなかったけど、多分、7~8℃だったのでは。かなり寒い。

 ガティマンエクスプレス(ガティマン急行)は、2016年から運行している新しい列車。今のインドでは最速だそう。ハズラット・ニザムディン駅は始発駅なのだって。

 アラームさんは「エアインディアはいつも遅れるけど、ガティマンエクスプレスは遅れないよ」と言う。

 『バジュランギおじさんと、小さな迷子』では、少女シャヒーダーがパキスタンからお母さんとデリーまで電車で来て、パキスタンに帰る途中でお母さんとはぐれてインドに取り残されたのだった、、、。あの列車の路線は何というのかな。調べてみたけどよく分からなかった。

 ニザムディン駅は階段が多くて、荷物を運ぶのが大変だということで、ポーター希望の人は600ルピー(or1,000円)で承ります、、、と事前にお知らせがあった。東北からお越しのマダムが「私、お願いします」とポーター希望し、ほかの人々は自前。

 40分くらいで、駅に着いたらしい。

駅前ロータリー

 

ハズラット・ニザムディン駅

 

 で、バスを降りるなり、わらわらと寄ってくるポーターの方々。荷下ろしをしているとどんどん増えるポーターの数。すかさずアラームさんが値段交渉開始。

赤い服を着ているのがポーターの印(左の赤いマフラーしているのがアラームさん)

 

 が、これがなかなか交渉成立しないらしく、だんだんアラームさんの口調も喧嘩腰っぽくなってくる。おいおい、、、大丈夫か? と思って見ていると、アラームさんが、自分のとマダムのと2つスーツケースをゴロゴロ引いて動き出す。どうやら、値段交渉が決裂したみたい。アラームさんも絶対引かないところがスゴい。

 すると、ポーターのお兄ちゃんたち、慌てたのか数人がアラームさんに着いてくる。どうやら、その値段でいいから運ばせて、ってことを言っているみたいだが、アラームさん無視してスーツケース両手で引きずってスタスタ歩く。私たちも、好奇心の塊でコトの顛末を見届けるべく必死で着いて行く。

 ……で、駅の入り口に来て、ようやくそのうちの1人と交渉が成立したらしく、お兄さん、タオルをぐるぐるっと巻いて頭に乗せたかと思うと、マダムのスーツケースをその上にひょいと乗せ、すいすいと階段を上がっていく。

 見ていた私たちは、しばしボーゼンとなって、良かったね、、、インドでの交渉はあれくらい強く出ないとダメなんだね、、、などとホッとするやら驚くやら。

 

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 階段を上がったり下がったりしたものの、それほどヘビーでもなく、どうにかホームに降り立つ。

 

工事中……??

 

 ちょうどこのツアー出発の1週間くらい前に、インドで列車の脱線事故があったというニュースが日本でも流れていたが、このような様子や、かなりスゴイ車両(ホントに旅客車?みたいなの)が通ったり止まったりしているのも見ると、メンテナンスとか確かにちょっとどうなんだろう、、、と思う。

 列車を待っている間に、座席のくじ引き。7人+2人のガイド&添乗員で計9名のツアー、3人と6人に座席が分かれているからということで、R子さんお手製のくじを引き、私は66番。3人組の方らしい。

 ……そうこうするうちに、ガティマンエクスプレスがやって来た。さすが、国内最速特急とあってキレイな車両。

 

ガティマンエクスプレス

 

66番はここ

 

両隣は、窓側にまたもマダム、通路側にはカーンマーケットのカーマ・アーユルヴェーダで爆買いしていたお姉さん。

列車内。ほぼ満席っぽかった

 

 この写真に写っているお兄さんたち、この数分後、マジ喧嘩をおっぱじめてビックリ。一人が帽子を被った男性の頭を思いっきり殴りつけていて、数人が止めに入りながら車両から出て行って、おいおい、、、と思って見ていたら、数十秒後に、帽子の男性以外みんな何事もなかったかのように戻ってきて、またビックリ。

 ちょっと写真では分かりづらいが、車両の座席が、半分は進行方向向き、半分は反対向きに固定されている。我々3人は進行方向向きだった。

 しばらくすると、音もなく列車は動き出し、時計を見れば、8:10ちょうど。定刻出発!

 駅を出ると、田んぼのような光景が広がり、写真撮ろうとしたところへ、早くも軽食サービスが始まり、、、

軽食というより、しっかり朝食だった

 

 慌ただしく配られたものがこれ。真ん中のアルミホイル色のものがカレー。

ベジタブルカレーだった

 

 このカレー、割と辛めで、非常に美味しかった! やっと本場のカレーを食べた感じ。辛いというよりスパイシー。カレーの横のはパラーターというらしいがチャパティといわれれば聞いたことある。ナンとはちょっと違うけど、まぁ、これをカレーにつけて食べると何とも香ばしくて美味しいのであります。

 マダムは辛いのが大好きだそうで、嬉しそう。爆買いのお姉さんも、美味しいを連発。

 パンにはバターとジャムも付いていて、マンゴージューズがすごく美味しくて感激! 後からカップにお湯を注ぎに来てくれ紅茶をいただきながら、甘いものも、、、と思ったが、結構お腹がいっぱいになったので、これはお持ち帰りに。……と思っていたら、この後さらに、バナナが1本ずつ配られてきて、これがまた日本で食べるバナナとほとんど同じなんだけど、何だか妙に美味しく感じたのは、列車の旅のおかげかな。

 1時間40分しかないから、さっさと配って、さっさと食べて、さっさと回収! って感じだったけど、想像以上に充実した軽食サービスで大満足。

 そして、アッと言う間に(ホントにアッと言う間だった)アグラに到着してしまった。9:50の定刻到着だった! 

 

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 列車を降りたらもの凄い人で、写真を撮っている余裕などなく、アラームさんを見失わないように着いていくのがやっと。

アーグラー・カント駅

 

 ……どうにか、駅の外に出たところで、後ろを歩いていた添乗員のR子さんが、「あ! アタシ、リュック忘れた!!」と叫ぶ。えぇっ!!となって振り返ったが、R子さんは「先行っていてください~~」と言って、スーツケースを引きながら駅の方に既にダッシュしている! 「あ、スーツケース(持って行きますよ、の意味)~~!」という私の声はもう届かなかった。

 しかし、さすが添乗員さんは、動きが違うというか、ムダがない。アッと言う間に人混みに消えたかと思うと、数分でニコニコ人混みから現れた! 「いや~、間に合いました。すみません!」などと言いながら、ちゃんと背中にはリュックが背負われており、私たちもホッとする。

 ここからバスに乗り、サリー屋さんへ。このツアーは女子限定の女子ツアーだからか、ちょっと女子っぽいメニューがあるのが面白い。サリーを着る機会なんてめったにないだろうから、着替えるのは面倒だけど、ちょっと楽しみだった。

 

アグラの街並み。選挙?ただの宣伝?こういう看板はいたる所にあった

 

 駅からバスで15分くらいだったろうか、サリー屋さんに到着。ここで、サリーをレンタルして着付けてもらう。

サリー屋さん

 

 ものすごいたくさんのサリーの中から好きなのを選べと言われても、正直言って困る。サリーは着てみたいが、それで記念写真を撮ろうとか、そういう思い入れはまるでなかったので、パッと目に付いたものを選択。方やじっくり選ぶ人も……。

 選んだ人から地下へ降り、そこで店員のお姉さんにサリーを着せてもらう。

 サリーって1枚の布で完結していると思っていたけど、違った。半袖の上着(というのか)をまず着る。私は、7分袖のTシャツの上から着たが(タンクトップになっている人もいた)、この上着は丈は短くて、バストとお臍の真ん中くらいまで。ボタンをしっかり留めて、さて、ここから大きな1枚布をくるくると身体に巻き付ける。といっても、ただ巻き付けるのではなく、布の折り方、襞の入れ方があるらしく、店員さんは(当たり前だが)実に手際よく布を操り、私の身体に巻き付けていく。ウエストをかなりぎゅうぎゅうに絞られてピンで留め、背後から前身頃に布を肩に掛けるように垂らすが、ところどころでズレないようにピン留めする。このピンで留める際に、グイッと絞められるので、正直言ってちょい苦しい。

 ……で、アッと言う間に着付け終了。ホント、5分かそこらだったと思う。私はこの日、ボトムはジーンズを履いていたんだけど、サリーの裾からジーンズの裾がちょこっと出ていたのを見つけた店員のお姉さん、これを見えないように折れと言う。なので、仰せの通りに折ったんだけど、折りが甘かったのか、まだ少しジーンズがのぞいていて、それをお姉さんは見逃さず、「まだ出てる!」といわんばかりに指さすので、すみません!って感じでどうにか折り込んで隠すと、「よろしい!」という感じでニッコリ笑ってくれた。

 プラス1,000ルピーで、アクセサリーもコーディネートしてくれるというが、私はパス。でも3人の方々は、サリーに合ったアクセサリーをお姉さんたちが見立ててくれて(これがホントによく合っていてキレイだった)髪飾りやイヤリングなどしていて、とってもキレイで素敵だった。

 アラームさんの説明によれば、サリーを着る際は、下着を身に着けないんだそうな。つまり、パンツも履かないってこと。インドでは、外で用を足すことも多いから、女性はそういう場合、サリーを着たまま(捲ったりせず)用を足すんだそうな。「便利だよ~」とアラームさん。……なるほど、、、まぁ、暖かい所ならパンツ履かなくても良いと思うけど、日本で冬場パンツ履かなかったら絶対風邪引くよな、、、などと心配してしまった。この日も朝寒かったが、インドだって朝晩は寒かろうに、、、と思ったが、そういえば、列車の中でサリーを着ているおばさまたちがいたが、お腹が見えていたよなぁ、、、。つまり地肌にサリーを着ているということ。しかも半袖で、上着は着ていなかった。慣れれば寒くないのだろうか、、、。

 、、、というわけで、全員着替え終わったところで、再びバスに乗り、サリーを着た7人のおばさんs、いざ、タージ・マハルへgo!!

 

 

 

その⑥につづく

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愛する映画の舞台を巡る旅Ⅲ ~デリー(インド)~その④

2019-03-20 | 旅行記(海外)
**カオスの首都** vol.4

 





その③につづき

 昼食は、ベジタリアンカレーだそうで、こちらのお店へ。  


 やはり観光客御用達のお店らしく、外国人でいっぱい。飲み物が出てくる前に出て来たのはこちら。このお店はタンドリーチキンがウリらしく、、、

 

タンドリーチキンとコロッケ風の揚げ物


 こうして見るとショボいし、小さいチキンだけど、味は確かに良かった。続いて飲み物のマンゴーラッシーが出て来て 



 カレーが出てくるまでの間に、自己紹介タイムとなる。参加者7名、1人ずつ、このツアーに参加した理由みたいなものとか、どこから来たかとか、、、。

 現地集合した方は、ヨーロッパ在住の方で、デリーに来る前にバラナシに行ってガンジス川の日の出を見てきたんだとか。おまけに、空港でロストバゲージに遭い、この時点で2日経っていたけどまだ荷物が出てこないと(結局、最後まで出てこなかった)。

 あとの6名は、サイクルリキシャに一緒に乗った東北から参加のマダム以外は、皆さん、首都圏近郊からご参加。勤続30年の休暇を利用して、とか、連休を利用して催行決定しているツアーを探したらこのツアーが目に付いた、とか、皆さん、参加の動機はイロイロ。おひとりさまツアーに複数回行っている人も何人かいらした。

 ……とか話しているうちにカレーが出て来た。


 緑のは見たとおりほうれん草カレー。ベジタリアンカレーということだったけど、バターチキンもあった。やっぱり定番なんだろうか、これは。観光客向けだからか、どれもあまり辛くなくて拍子抜け。超激辛はさすがにちょっと、、、だけど、私は辛いの好きだから、何となく物足りなさもありながら、味は悪くない。ナンは当然おかわり自由。


 ちゃんとデザートのアイスクリームとチャイも出て来て、かなりお腹一杯になる。

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 空腹も満たされたところで、お次はクトゥブミナールへ。

 午前中に行ったフマユーン廟より時代は遡り、12世紀末~13世紀のインド最古のイスラム遺跡群とのこと。
 

 

クトゥブミナール


 「勝利の塔」という意味らしい。高さは72.5メートル。1206年に奴隷王朝を打ち立てるクトゥブ・ウッディーン・アイバクが、北インドを制圧した記念に建立したのだが、建立時は最下部の1層目だけで、その後、後継者により建て増しされていったそう。以前は、内部に入れたそうで、369段の階段があるんだとか。今は入れないけど、入れても369段上る根性はないなぁ、、、。高所恐怖症だし。

 このアイバクという人は、自分の力を誇示するために、もともとあったヒンドゥー教の寺院を破壊して、その廃材も利用しつつ、これらのイスラム建築を造ったんだとか。でも、アイバクは王朝を築いたわずか4年後に没している。その時点で、この塔の1層目は完成していたらしい。

 

有名な錆びない鉄塔(右側)


 

サンスクリット文字でチャンドラグプタ(2世)を称えているらしい


 この鉄柱、「アショカ王の鉄柱」と呼ばれているんだけど、実際は4世紀グプタ朝のインド統一記念で建てられたもの。以来、1700年経っているけど錆びていないことで有名。純度99%だから、と言われているらしいけど、確かに鉄なのに錆びないのは不思議。とはいっても、柵があるのは多くの人が触って(御利益があるらしい)ちょっとだけど錆びが出て来たからだとか。今はご覧の通り触れない。

 グプタ朝は仏教が最も栄え、ヒンドゥー教も浸透した時代だということだから、この鉄塔がアイバクに破壊されなかったのは幸運だったのか。それとも、どこかから持ってこられたのか? ここにこの鉄塔があるのも、実は謎らしい。

 アラームさんの解説は詳しいけど、「チャンドラグプタ」なんて高校生以来聞いた単語のような、、、。

 

 

インドは84手だそうな


 こちらは、エロチックなレリーフなんだって。イマイチよく分からないけど、“84手”が彫られているのだとか。……というアラームさんの解説を聞いて、ロスバゲのお姉さんがすかさず「84手もあるの? 日本じゃ48手って言われてます」とアラームさんに質問する。アラームさんが何て答えていたのかは聞いていなかったけど、、、。多分、雨風でちょっと浸食されちゃっててハッキリは分からないなぁ、残念。
 
 で、ここで解散となり、また30分後に出口で集合となる。

 

回廊

 

 

回廊の柱のレリーフ

 

 

回廊から見上げるクトゥブミナール


 

クトゥブミナール壁面の彫刻。コーランが刻まれているとのこと


 

モスク礼拝堂の跡(崩れてしまったのだ)


 何でも、この建造物の工事に携わったのはヒンドゥー教徒(or仏教徒)だったから、イスラム建築の工法を知らず、イスラム独特のアーチ型が持ち出し構造になっていたため崩れてしまったのだとか。

 

 

 


  それにしても、インドの建造物に施された彫刻の見事さには圧倒されてしまう。とにかく至る所レリーフで装飾されていて、一体、どれだけの労力と技術を要したのかと想像すると、気が遠くなる。実に細かい作業だったに違いない。

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 というわけで、世界遺産に圧倒されて、お次はカーンマーケットへ。ここも自由行動。

 カーンマーケットは、デリーでは有名なマーケットで、観光名所化しているらしい。外国人も多かった。高級店が並んでいて、服飾、化粧品、雑貨、食品、、、と専門店が目白押し。

 


 この裏路地で、インドの旅で最初で最後のネコに会ったんだけど、うっかり写真を撮り忘れた。インドでは、圧倒的に犬が多くてネコはここでしか見なかったなぁ。きっと、いるところにはいるのだろうけれども、、、。

 ここでは、私は職場へのばらまき土産(チョコのお菓子)をゲットしただけで、あとはお店を見て回った。紙製品のお店があって、可愛い便箋やら付箋やら紙袋やらがたくさん並んでいたけど、まぁ、東京に戻ればこういうのは一杯あるもんなぁ、、、と冷めた目になってしまって、ブツは買わず。カーマ・アーユルヴェーダで爆買いしている方がいらしたけど、皆さん、あんまり精力的に買い物していなかったみたいだった。見る方が楽しいんだよね、こういう所は。

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 本日の予定を終えて、ホテルに戻って夕食。

 

 


 卵スープに癒やされた、、、。

 明日はいよいよ、アグラへ移動! 楽しみにしていた電車の旅。6時半集合だから、今夜は早く寝よう。






その⑤につづく



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