映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

パリに見出されたピアニスト(2018年)

2019-10-11 | 【は】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv67838/

 

 以下、公式HPよりあらすじのコピペです。

=====ここから。 

 忙しなく人が行き交う、パリの主要ターミナル 北駅。耳を澄ますと、喧騒の中に美しいピアノの音色が聴こえる。

 ご自由に演奏を!

 そう書かれたピアノに向かうのは、おおよそピアニストとは思えない、ラフな格好をした一人の青年だった。彼の名はマチュー・マリンスキー。パリ郊外の団地で母親と妹、弟と暮らしている。決して裕福とは言えない家庭で育ったマチューは、幼い頃にふとしたきっかけでピアノと出会い、誰にも内緒で練習していた。クラシックは時代遅れだと思い、ラップを聴いている地元の仲間にバレたら、とんだお笑い草だ。

 ある日、マチューが駅でピアノを弾いていると、その演奏に足を止めた男が一人。パリの名門音楽学校コンセルヴァトワール(パリ国立高等音楽院)でディレクターを務めるピエール・ゲイトナーだった。マチューの才能に強く惹かれたピエールは、声をかけ名刺を渡すが、マチューは逃げるように去ってしまう。

 その夜、仲間と盗みに入った家でグランドピアノを見つけたマチューは弾きたい衝動を抑えきれず、警察に捕まってしまう。実刑を免れないと言われたマチューに手を差し伸べたのは、ピエールだった。コンセルヴァトワールでの清掃の公益奉仕を条件に釈放されたマチューは、ピエールからもう一つ条件を言い渡される。それは、女伯爵との異名を持つピアノ教師エリザベスのレッスンを受けることだった。ピエールは、マチューをピアニストに育て上げる夢を持ったのだった。

 望まないレッスンに、マチューは反抗的な態度。エリザベスも匙を投げかけたが、ピエールの進退を賭しての熱意に動かされてレッスンを続けることに。

 そして、ピエールは国際ピアノコンクールの学院代表にマチューを選ぶのだった。課題曲はラフマニノフの「ピアノ協奏曲 第2番 ハ短調」。コンクールまで4か月。3人の人生をかけた戦いが、いま、始まるーー。

=====ここまで。

 

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 この秋は、やたらクラシック音楽がメインディッシュにのった映画が目に付くんだが、何で? そして、前回の『レディ・マエストロ』の記事でも書いたが、その手の映画は大抵ハズレなので、わざわざお金払って見に行って文句タラタラの感想を書くのがオチ。だったら見に行かなきゃ良いものを、やっぱり気になってしまうってのが我ながら困ったもんだと思う。

 ただ、本作は、ホントにハナから見に行く気はなかったんである。予告編からしてハズレの匂いがぷんぷんしていたから。

 だったら何で見に行ったの?? と言われそうだが、その理由は単純。某全国紙の映画評で、映画ジャーナリストの林瑞絵さんというお方が、こんなことを書いていたからだ。

 「炭鉱町の少年がダンサーを目指す英国映画「リトル・ダンサー」の影響下にある本作は、芸術に献身することの崇高さを思い出させる」

 この一文で、私は迷うことなく劇場行きを決めた。こんなこと書かれては見ないわけにはいかないのだ、私にとっては。『リトル・ダンサー』のタイトルを出した以上、それに見合った作品かどうかチェックされることは承知の上なんでしょうよ。

 ……というわけで、見に行って参りました。そして、予想どおり、、、というか、その遙か上を行くハズレ映画で憤りを超えて泣きなくなった。『リトル・ダンサー』の影響下、ってどこが?? 貧しい少年が才能を見出されて、未来が変わったってとこ? だとしたら、あまりにもお粗末。安易に、映画史に残る珠玉の作品のタイトルを語って欲しくないわ、マジで。

 

◆超自己チュー男、その名はピエール。

 まあ、文句を言いたいところはいっぱいあるけど、私が一番気に入らないのは、ピエールだね。こいつが本当に嫌だ。何でこんな人物設定にしたのか、理解が出来ない。

 ピエールってのは、主人公の不良青年マチューの才能を見出す音楽学校のディレクターなんだが、駅で一心不乱にバッハを弾くマチューを見付け、彼を名のあるコンクールに出そうと早々に決める。で、この決める理由がふるっている。普通に考えれば、それくらいマチューの才能に惚れたから、ってことだと思うでしょ?

 違うんだよね。

 このピエールって男は、自分の立場が危うくなっているどん詰まり状態を切り抜けるために、特異な経歴のピアニストとしてマチューを仕立て上げ、その話題性を狙い、ディレクターとしての名声を上げることを企んだのよ。……サイテー。

 まあ、結果的に天才を発掘したのだったらええやん、という結果オーライの見方もあるでしょう。でも、『リトル・ダンサー』云々というのなら、それはダメです。私が許さん。

 上司に、何年もコンクールの優勝者をこの学校から出していないことを責められ「クビだ」と言われたピエールは、臆面もなく「マチューを優勝させたら注目されるはずだから見ててくれ!」等と言うのである。んでもって、マチューが結果的にそのコンクールで優勝すると、ラストシーンではピエールのその後として、NYで出世を果たしている姿が描かれている。……この映画は、マチューが主役ではないのかね?

 『リトル・ダンサー』で、ピエールの存在に該当するのは、恐らくウィルキンソン先生だろう。でも、思い出して欲しい。ビリーがオーディションに合格してロンドンへ旅立つときのウィルキンソン先生との別れのシーンを。彼女は、ビリーの才能を伸ばすことだけを考えていたのでは? 自らは、再び炭鉱街のバレエ教室の先生にひっそり戻っていったではないか。「あなたの人生はこれからだ」とビリーにはなむけの言葉を贈って。だから、見ている方は感動するのでは?

 

◆音楽を何だと思っているのか。

 しかも、本作のタテ糸であるはずの“マチューの成長譚”としては、あまりにも平坦過ぎで、こんなんでコンクール優勝できるほど、プロの世界は甘くない。

 平坦にならないようにシナリオ的に苦心した跡は見られるが、とってつけたようなエピソードをいくつか継ぎ足した感じで、却って映画としての質を下げている。どんなエピソードかは、書くのもメンドクサイほどどれもこれもくだらない。しかもそれらをどうやって克服したのかも描かれていない。全て何となくスルーだなんて、観客をバカにしているとしか思えない。

 ……というか、本作全体に言えるのは、音楽に対する敬意が感じられないってこと。

 それが最も顕著に出ているシーンは、マチューがコンクールに遅れてきたシーンだろう。遅れてくるのも、まあ、現実には論外だが、それは百歩譲って良いとして、マチュー自身の行動ではなく、ここでもやはりピエールなのだよ、問題は。

 時間になっても会場に表れなかったマチューに代わり、本来コンクールに学校が出そうと考えていた男子生徒を代打で出すことになる。男子生徒は舞台に上がり、ピアノの前に座る。しかし、そこでマチューが会場に着いた、ってんで、ピエールが「出場するのはマチューだ!」とか叫んで、ピアノの前に座っている男子生徒は、満員の聴衆の前でマチューと交代させられるのである。

 こんな暴挙を許すコンテスト主催者も映画とは言えいかがなものかだが、そもそも、こんなシーンを書く制作陣こそクソ喰らえ、である。コンテスタントに、こんな屈辱を強いるシーンを描くということは、音楽家に対する敬意など微塵もないどころか、冒涜だ。もっと言えば、音楽を、ただの感動物語の道具としてしか考えていないから、こんな馬鹿げたシーンだ書けるのだ。

 一昨日見た『蜜蜂と遠雷』の終盤でも、盛り上げるためだと思うが、有力なコンテスタントが出場時間に間に合わないかも……! というシーンがあったけど、ああいうのはハッキリ言って邪魔なだけだからやめた方が良い(原作にもあるのか?)。そんな安っぽい仕掛けをしなくても、観客に手に汗握らせるストーリーなんていくらでもあるだろうよ、と思う。(映画としては『蜜蜂~』の方がマシだったと思います、念のため。感想はまた後日)

 

◆その他もろもろ

 マチューを演じていたのは、ジュール・ベンシェトリ。あの『アスファルト』でユペールと共演していて強烈な印象を残していた子が、青年になっていた。『アスファルト』では可愛かったけど、本作では、まあ、カワイイっちゃカワイイけど、役柄的にもあんまし好きじゃないのもあって、イマイチな印象だった。何でこんな駄作に出演したのか、不思議だ。

 というか、そういう意味ではもっと不思議なのが、クリスティン・スコット・トーマスが出ていること。彼女の役は、まあ、本作の中では一番マトモな役だと思うが、それにしても、、、である。相変わらず流暢なフランス語はさすがだし、演技もさすがなんだけど、なんかもったいない。

 ランベール・ウィルソンは、いい役者さんだけど、本作では役がちょっとね、、、。彼は、ピエールの人物造形に納得していたのかねぇ? 不思議だわ。

 あと、マチューは音楽学校で恋愛もするんだけど、ハッキリ言ってマチューの色恋なんかは本作ではいらんと思う。少なくとも、本作でのマチューの恋愛は、まったく存在意味がない。こういう、意味のないエピソードを入れている点でも、本作のシナリオはダメダメだ。

 ホントは、3つだったんだけど、クリスティン・スコット・トーマス好きだし、エリザベスは魅力的な女性だったから、1個プラスしました。

 ところで、監督のルドヴィク・バーナードというお方は、本作を“おとぎ話”として撮ったと言っている。おとぎ話ねぇ、、、。他力本願で成功を手に入れられるお話のことですか、おとぎ話って?

 

 

 

 

 

少なくとも私は、本作を見て「芸術に献身することの崇高さ」なんぞ思い出しませんでした。

 

 

 

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コメント (2)
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