映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

ある画家の数奇な運命(2018年)

2020-10-11 | 【あ】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv71177/

 

以下、上記リンクよりあらすじのコピペです(青字は筆者加筆)。

=====ここから。

 叔母の影響で芸術に親しんできたクルト(トム・シリング)。彼には、精神のバランスを崩して強制入院していた叔母の命をナチス政権の安楽死政策によって奪われた悲しき過去がある。

 終戦後、クルトは東ドイツの美術学校に進学し、そこで出会ったエリー(パウラ・ベーア)と結婚。ところが、エリーの父親(セバスチャン・コッホ)こそがクルトの叔母を死に追いやった元ナチ高官だった。

 やがて、東のアート界に疑問を抱いたクルトは、エリーを連れて西ドイツへと逃亡し、創作に没頭していく。

=====ここまで。


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 このセンスの悪い邦題にゲンナリしそうになりながらも、監督はあの『善き⼈のためのソナタ』のフロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルクだし、上記キャストに加え、『帰ってきたヒトラー』のオリバー・マスッチ氏もご出演とあれば、まあ、3時間超えでも見ておこうかな、、、と。

 3時間超えなんて、久しぶりだし大丈夫かなぁ、と心配しながら劇場へ行ったものの、杞憂に終わりました。


◆フィクションかノンフィクションか。

 作品にもよるが、私はあまり事前予習はしないで見る方だ。でも、旧作の場合は、みんシネで評判が良さそうなものだと“見てみようか”となることもあるので、その場合は、大抵ネタバレのレビューも平気で読んでしまう。ネタバレが致命傷になりそうな映画の場合は読まないこともあるけれど、あまりネタバレに神経質ではない。

 ……というのも、どんな作品も、実際に見てみないとレビューで書いてあることなどピンとこないと経験上分かっているから。見る前にレビューやプロの書いた批評をどれだけ読んでも、結局はボンヤリとしか分からないのであり、作品を実際に見て感じて、その上でレビューを読めば、そこで初めてレビューや批評の文章がくっきりと輪郭を持って頭の中に入ってくる。たとえネタバレを読んでいても、それが実際の作品鑑賞の妨げになったことは、多分、一度も無い。

 本作も、某全国紙の評を事前に読んでいた。そして、そこには、本作の主人公クルトのモデルが、あのゲルハルト・リヒターであることが書かれており、私でもその名は知っているので「へぇ~」とは思ったが、実際に劇場で鑑賞している間、その予備知識が鑑賞の邪魔になることはなかった。

 しかし、ネットの感想を見ると、リヒターの半生を描いた映画、つまり“ある程度ノンフィクション”という前提で感想を書いている人が結構いるので驚いた。公式HPに「映画化の条件は、人物の名前は変えて、何が事実か事実でないかは、互いに絶対に明かさないこと」という監督とリヒターの間の条件が紹介されており、それについて、伝記映画としてあり得ない!と怒っている人もいた。リヒターの名前を謳っておいて、中身はフィクションじゃねえの??と。

 けれどもたとえ、リヒターの伝記映画として宣伝していたとしても、映画は映画であり、映画で描かれていることなんて基本はフィクションだと思って見ておいた方が安全なのではないか。フィクションとノンフィクションというのは極めて曖昧で、自伝を基にした映画であっても、映像化している時点で最早“作りモノ”になっている、という前提を、見る側はきちんと弁えなければならない。基にした自伝だって、どこまで真実が書かれているかなんて、著者以外、誰にも分からない。もっと言えば、ドキュメンタリーだって、被写体がカメラの存在を認識している時点で、既に作りモノになっている可能性は高い。「ドキュメンタリー=完全なる真実」などと無邪気に信じる人は少ないだろうが、「ある程度真実」だと捉える人は少なくないだろう。この辺が、映像作品の危うさだと思う。

 だから、本作は、飽くまでもリヒターの人生をモチーフにしたフィクションなのだ。リヒターの半生を描いた映画ではない。ところどころで符合点があったとしても、だからノンフィクションということにはならない。これは、映画なんだから。


◆画家映画の割に、、、

 序盤で出てくるクルトの叔母エリザベト(ザスキア・ローゼンダール)が本作のキーパーソン。幼いクルトに強烈な影響を与えることになるこの女性は、美しく、感性豊かで、ナチが唾棄すべき退廃芸術とこきおろす美術作品を「大好き」と言うような人。このエリザベトとの序盤のシーンがどれも画的に非常に印象的で、画家映画のお約束、“作風が決まるまでの苦悩”から脱出するに当たっての鍵になると、見ている誰もが予測がつくだろう。

 そして、実際、クルトが作風を確立させていく過程で、エリザベトが生前残した言葉「真実は美しい」「真実から目を逸らさないで」が、クルトの作品となって具現化される。真実は美しい、、、かどうかは疑問だが、この辺りの展開はなかなか感動的。そして、その作品が、クルトの義父ゼーバント教授に、義父がひた隠す過去に直面させることになり、二重の意味を持たせているのもなかなか巧みな構成だと思う。

 クルトと恋に落ちて結婚する相手エリーの父が、エリザベトを死に追いやった元ナチ高官、という設定はいかにも出来過ぎで、ちょっと鼻白む感じもあるが、だからこれは映画なのだということである。

 このゼーバント教授という男、ホントに最低な人間で、見ていて非常に不快だった。SSの隊員でもあったこの男は、とにかく名誉欲と自己保身の塊みたいな人間であり、信念などなく、いかに安全に世渡りするかということしか頭にない。戦後、ソ連の捕虜になったときでさえ、「ゼーバント教授」と呼ばれることに拘り、自らの保身のためには娘の身体を傷つけることも厭わないという、狭量かつおぞましい人間なんである。

 しかも卑劣漢で、統合失調症と診断されたエリザベトを「不要な人間」判定しておきながら、自ら手を汚すのはイヤだからと不妊手術は部下にやらせる。部下が拒んでも押し付ける。

 ……まぁ、こういうエリートは、私も現実に何度か遭遇したことがあるので、いつの時代にもどこにでもいるんだろう。私が現実に出会ったのは、ほとんど(というか全員)男だったが、エリート(というか、いわゆるその時代でステータスがある)とされる男は、ゼーバント教授ほど卑劣ではないにしろ、基本的には冷血で自己中だった。別にそれならそれで構わないが、人にそれを指摘されると逆ギレするところが、どうにもこうにも小っちぇんだよね。自覚して開き直ってるんならむしろ尊敬するのに。どんなに偏差値が高くても、ああいう手合いはサイテーだ。

 あと、全体に気になったのが、エリザベト以外の女性の描き方。エリーは、服飾デザイナーの卵のはずだったんだが、クルトとデュッセルドルフに来てからも服を作っているシーンはチラッと出てくるだけで、基本、クルトとセックスしているシーンがほとんど。親の支配から脱しきれないところとかも含めて、エリーの人物像がぼやけているのはいただけない。また、エリーの母親(演じている女優さんが、ケイト・ブランシェットによく似ている)もかなり??な人で、自分の娘の堕胎手術を夫がするのに止めようともしないし、基本、全て夫の言いなりなんである。まあ、あれだけ強権的な男を相手に為す術無し、、、ってことかも知らんが、あまりにも夫婦間で葛藤がないのが不思議だ。かと言って、陰では娘に寄り添うとかでもなし、ホントに主体性のない女性で、見た目は美しいのに中身空っぽでガッカリする。

 とはいえ、全体に見れば3時間という長尺にもかかわらず、緊張感が途切れない良い作品であることには違いない。特に、東ドイツ時代の描写が面白かった。あんな絵ばかり描かされていれば、疑問を抱くのも当たり前だろう。ホントに、独裁国家ってロクでもないことばっかり国民に押し付けるんだな、と改めて認識した次第。ベルリンの壁が出来る前に西側に出られて良かったよね。

 画家映画だから、当然、画家として作風を確立するまでの苦悩が描かれ、それが本作の後半なんだが、正直言って、この後半は退屈はしないが東ドイツ時代ほど面白いとは思えなかった。私自身が現代アートに全く興味が無い(というか、ゼンゼン分からない)ので、そういう世界を見せられても、何だかなぁ、、、という感じになってしまうのよね。

 まあでも、画家映画=不幸映画、という私の勝手な公式は、本作には当てはまらないです。クルトはちゃんと成功するし。エリーは、父親のひどい仕打ちに苦しみながらも、子どもを授かることが出来たし。最初は格差婚だったけれど、それも解消されたし。


◆その他もろもろ

 クルトを演じたトム・シリングは好演していた。『コーヒーをめぐる冒険』のときより、かなり大人になったなぁ、、、という感じ。6年で印象が変わった気がする。エリーを演じたパウラ・ベーアと身長がほとんど変わらないみたいで、小柄なのかしらね。

 そのパウラ・ベーアはほとんど裸のシーンばっかりで、こりゃ撮影大変だっただろうとお察しする。もちろんキレイなんで良いのだけど、前述したとおり、役者としてはあまり演じ甲斐がない役なんじゃないかしらん、、、。

 本作の真の主役と言っても良い、ゼーバント教授を演じたセバスチャン・コッホは素晴らしかった。虚栄心に満ち、シレッと卑劣なことをしてしまう、サイテーな人間を、実に巧みに演じていた。終盤、クルトの描いたエリザベトの絵を見て打ちのめされたシーンは、本作の白眉だろう。ほとんど、クルトを喰ってしまっていた。

 でも、私が一番素敵だと思ったのは、美大の名物教授ファン・フェルテンを演じていたオリバー・マスッチ。芸術家として何が大事か、ということを、クルトに気付かせる。そのシーンでのマスッチ氏がめちゃくちゃカッコイイ。こんな教授がいる学校、羨ましい。この人にもモデルがあるらしく、戦後ドイツの現代アートの基盤を気付いた人だということだ。

 画家の映画だけど、絵はあまり出て来ない、、、というか、出てくるんだけど、本作内ではあまり重要なファクターとしては扱われていない、、、ように感じた。

 まぁ、良い映画だと思うけれど、『善き⼈のためのソナタ』の方がかなり優れている映画だと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

現代アートをどう見れば良いのか、分からない。

 

 

 

 


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コメント (4)
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