作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv10459/
以下、上記リンクよりあらすじの(長いので)要約です。
=====ここから。
ルイジアナ州ニュー・オーリンズ。セント・トマスの希望の家で働くシスター・ヘレン(スーザン・サランドン)は死刑囚、マシュー・ポンスレット(ショーン・ペン)から何度か手紙を受け取る。マシューは相棒と二人でカップルを惨殺し、州立刑務所に収監されていた。ヘレンはマシューの求めに応じ刑務所を訪れ、彼と面会する。傲慢で冷酷そうなマシューは印象こそ悪かったが、共犯者が無期懲役なのに、不利な証拠が重なって彼だけ死刑が確定したという事実に彼女は疑問を持つ。
執行の日が近づく中、ヘレンはマシューの精神アドヴァイザーとして、彼と毎日数時間をすごし、彼の心に少しでも近づこうと努力を続ける。マシューは犯行否認を相変わらず繰り返していたが、ヘレンには心を開きはじめていた。
死刑当日。結局、上訴審は却下。死にゆくマシューに勇気を与えられんことを……と、ヘレンは神にひとり祈る。最後の面会。マシューはヘレンに、犯行の事実を告白した。「ウォルターを撃って殺したのは自分だ。レイプは自分もしたが、ホープを刺したのは相棒だ。今は二人の死に責任を感じる。昨夜は二人のために祈った」と。
処刑台に縛られたマシューの最後の言葉は、処刑に立ちあった被害者の遺族への謝罪だった。マシューの葬儀。彼はヘレンらの教会の墓地に葬られた。
=====ここまで。
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タイトルは知っていたものの、スーザン・サランドンが苦手なのでスルーしてきたのですが、私の好きなメゾソプラノ歌手ジョイス・ディドナートが本作を下敷きにした同タイトルのMETライブビューイングで見られる(アンコール上映)ので、予習のために見ました。
ちなみに、この映画、長らくゾンビ映画だと思っていました、、、ごーん。
◆死刑制度の是非を問うているらしいが、、、
上記あらすじにあるとおり、最終的にマシューは、自身がカップルの男性を殺したことを認めて、冤罪ではないことが明らかにされる。とはいえ、共犯者も同じことをしていながら(どっちかというと共犯者の方が主犯っぽく描かれていた)死刑を免れているわけだから、マシューだけ死刑が執行されるのは不条理である。
見ていて終始、空しかった。冤罪であればもちろん死刑は許されないし、冤罪でなかったとしても死刑で被害者が報われるわけではないし、どっちに転んでも誰一人救われないのだからね。
本作は、死刑制度の是非を問うという趣旨もあるらしいのだが、そういう意味で言うと、あまり成功していない気がするね。だって、結果的にマシューは真犯人だったわけで、死刑制度賛成派の人にしてみりゃ「そら見たことか」じゃない? 賛成派の人に死刑制度について考えてもらいたいってことでしょ? 反対派の人が本作を見て賛成派になるとも思えないもんね。
それに、マシューが罪を認めたのも刑が執行される直前で、それまでは「やってない!冤罪だ!!」と喚いており、死刑執行を目前にして涙ながらに謝罪の言葉を述べたとしても、それは自分の死が現実的になったからこその言葉で、死刑を免れていてその心境に至ったかどうかは甚だ疑問である。
ただまあ、死刑執行(薬物注入)の描写がものすごく微に入り細を穿って描かれており、どっちかというと、賛成派の人にこの描写を見せたかったんかな、、、とも思う。けど、賛成派の人は、あれくらいでは考えは変わらないと思うわ。人を殺したんだから、それくらいアタリマエ、、、で変化なしじゃない?
……と、こんなことを書いている私は、死刑賛成派だろうと思われるだろうが、私は明確に死刑には反対である。理由などは「白い牛のバラッド」(2020)に書いたとおりだが、この考えはこの先も変わらないだろう。私が死刑に反対なのは、他にも理由があり、これは感情論になるが、結局、死んでしまった時点で犯人は罪から逃れられてしまう、、、という要素が大きい。
ネット上で、「(犯人は)生きていられれば笑うこと(良いこと)もあるだろうが、殺された者はもう笑うことは出来ないのだから、死を以て償うしかない。死刑には賛成だ」みたいな書き込みを複数見たけど、まあ、それは一理あるのだけど、逆に、拘禁されて生きていると苦痛も結構あると思うんだよね。特に、殺人などの重罪犯の場合は。
マシューが終身刑だったらどうだっただろうか。罪と向き合い真摯に反省しただろうか。しなかったかも知れないけど、したかも知れない。だけど、死刑で死んじゃったら、その時点でマシューはあらゆる苦しみから解放される。私が遺族だったら、それも何だか許し難い気がする。こっちは苦しみながら生き続けていかなきゃいけないのに!ってね。
犯人には「死ぬ方がマシだと思い知るような状況で苦しみ続けて欲しい」というのが、私の本音かな。それがどんな状況なのかは、具体的には分からないが。犯人の人権を考えると、それもなかなか難しいのだろうが、だからと言って、この世から葬って解放してしまって良いのか。「死刑になりたかった」などと嘯く凶悪犯に、意味のある刑罰なのかね。……正解は分からない。
◆主役の2人とか、METとか、、、
スーザン・サランドンの演技は、正直、暑苦しくて見ているのがシンドイ。本作もそうだった。何でそう感じるのか、、、。別に、彼女の演技がもの凄いオーバーアクションだとか、頑張り過ぎている感じとかではないのだけど、あの大きな目が見開かれると、どうもなぁ、、、と思ってしまう。
で、本作の彼女を見ながら思い出したのが、竹中直人。彼のあの目を見開いた演技が私はダメなのだが、、、。あのダメな感じと似ているかも。
ショーン・ペンは巧いと思うが、元々あんまし好きな俳優ではないし、マシューもなんだかなぁ、なキャラだし、、、ってことで、主演2人が苦手だったのが致命的かも。
映画自体も真摯に作られた良作に違いないが、好きか嫌いかで言えば、好きではない。
監督を、スーザン・サランドンの当時の夫(結婚してない?)ティム・ロビンスが務めている。ティム・ロビンス、最近見ないなー、と思っていたら、「ダーク・ウォーターズ 巨大企業が恐れた男」(2019)で激変していてビックリしたのを覚えている。
本作をオペラ化した舞台映像をMETライブビューイングで見たんだけど、ストーリーはほぼ映画と同じで、ビックリだったのは、死刑の描写が映画と同じくらい詳細だったこと。舞台でここまでやるか、、、と衝撃だった。というのも、このオペラの演出は、舞台上にスクリーンを配して映像を巧みに取り入れており、そのスクリーンに注射針を刺す瞬間や、薬剤が注入されるところもじっくり映され、映画とほとんど同じだったのだ。ここまでするのは、やはり、この手法が本当に人道的な刑罰と言えるかを問いたいのではないか、と改めて感じた次第。
とはいえ、本作をオペラ化する意義は「めぐりあう時間たち」(2002)ほどには感じられず、ただただジョイス・ディドナートの美しい歌声を堪能した、と言う感じだった。もちろん、本作で予習した段階でオペラ自体にも期待はしていなかったので、それで十分だったんだけど。
“Dead Man Walking”とは、死刑囚が刑場へ歩いて行くこと。