美しく知性も兼ね備えているが貧しい若い女性。本代を手に入れるために質屋に通ってくる彼女に惚れた質屋の主人の中年男。彼女を説得して、結婚。しかし、妻の、隠しようのない美しさと若さ溢れる肉体に、中年夫は次第に嫉妬の塊となっていく。
あっという間に夫婦仲は冷え切り、しかし、必死に夫婦の関係を維持しようと足掻く夫。彼のそばを離れそうで離れない妻の真意は・・・? そして、妻が出した答えとは。
1986年の本邦公開以来の貴重なデジタル・リマスター版リバイバル上映。ブレッソンのキレッキレの描写は、本作も健在。
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若い女性を演じるのは、17歳のドミニク・サンダ。もう、メチャメチャ美しい。これぞヴィーナス、って感じ。しかし、実生活では彼女は既にバツイチだったというのだから、さすがというか、何というか、、、。
この『やさしい女』というタイトルですが、、、。はて。本作の主な登場人物は、ドミニク・サンダ演じる若妻と、夫、お手伝いの老女の、ほぼ3人ですから、やさしい女とは、それはほとんど若妻のことを指していると考えて間違いないでしょう。
で、私は、正直、この若妻が「やさしい女」とは思えないのですよ。なぜかって、ここから先、ネタバレバレなんで、悪しからず。
若妻は、なんと投身自殺しちゃうんです。しかも、夫婦の住まいの窓から。こんなピリオドの打ち方をする人が「やさしい」んでしょーか。
と、思ったんですが、この作品、徹頭徹尾「夫(=男)の目線」で描かれている訳です。それを考えると、なるほど、彼女こそが「やさしい女」なのか、と。つまり、「男にとってやさしい女」ってこと。
あれほどの美しさと知性がありながら、貧しさゆえに、あたかも質草のように、質屋の主人である冴えない中年男と結婚し、一緒に暮らしてあげるだけで、それが優しさだろう、って話。ものすごく俗悪な思考でスミマセン。でもまあ、そういう見方もアリかなと。
なぜなら、本作は幕開けがいきなり、若妻の投身自殺のシーンであり、その後は、ベッドに横たわる若妻の遺体を前に、お手伝いの老女に対して、夫が若妻との思い出を延々と語る、という構成なのです。つまり、若妻が本当は何を考えていたのか、何を思っていたのか、まったく分からないワケ。
これこそが、この夫の妻に対するありのままの姿だってことでしょ。要するに、妻の内面的なことを、何も理解していなかった、彼は。というか、そもそも理解しようとしていなかったのね。自分目線でばかり彼女を見て、「質屋だからって軽蔑してんのか」「余所に男がいるんだろ」と、そんなことしか彼女に対して考えていないのね、この夫は。
実際、若妻が夫を軽蔑していたかなんて、分かりません。夫が「貯蓄したい」という言葉に軽く拒絶反応を見せるシーンがあったり、結婚を迫る中年夫に「あなたの望みは愛ではなく結婚だわ」等と突き放すシーンがあったりはしますが、彼女の心を語るセリフはありませんので、実際、彼女が何を考えていたのかは、分からないのです。夫も、もちろん見ている我々も。
おまけに、若妻にエエカッコしたいのは分かるが、自分の過去を偽る、、、というか隠すのよ、この夫は。何で正直に自分をさらけ出せないのか、と、若いならなおさらガックシ来るわさ、妻としては。
ただ、何度も夫の店から出ていったり、家から出ていったりするんだけど、結局、夜になると帰ってくるんだなあ、この若妻は。こいういうところも「やさしい女」なのかも。
とにかく、ほとんどセリフがないので、若妻と中年夫の視線や仕草から、イロイロと想像するしかないんだけど・・・。
しかし、、、もし、この穿った解釈が当たらずとも遠からじだったとしたら、、、。ある意味、男のロマンを絵に描いたようなハナシなのかも、という気がしてきた訳です。自分には過ぎた若く美しい妻、ちょこっと浮気もしているみたいだけれども、どんなに揉めても必ず自分の下に帰ってきて、夜はお互い欲望を満たし合い、寝ている間に銃を向けられていたこともあった様だが、「あなたを尊敬します」とわざわざ言いに来てくれたではないか、彼女は。しかも、自分の妻として自ら命を絶ったことで、彼女は永遠に私のもの。これ以上、男の独占欲を満たしてくれるオハナシがありましょうか。
それはさておき、、、、
やはり、若妻は、夫を「軽蔑」していたんだと思います、実際に。なぜなら、ブレッソンのそれまでの作品『スリ』にしても、『ラルジャン』にしても、「金」で人生を翻弄される話を描いていて、どう見てもブレッソンは金に支配される人を「軽蔑」している節があるからです。、、、いや、軽蔑というよりは、「憐み」を持った視線でしょうか。
そして、本作の主人公、中年夫の職業は、質屋の主人。しかも、前職は銀行員。どっちも「金」を扱う商売です。
でもって、ブレッソンは、そういう男の悲しい「性(さが)」を描きたかったのでは、と。「金」などというものに支配され、人の心に寄り添い、いたわり、愛する、という、人としてかなり「鍛えられた」精神を要する営みができない。どこか、欠落した男。妻がいなくなっても、結局、妻の心を推し量ることのできない哀れな男。
それを、セリフを一杯の雄弁な脚本にしてしまえば、おそろしく通俗的なメロドラマに成り下がるのは目に見えている。だから、こうして、極限までセリフを省いた、映像だけで二人の関係性を見せる作品に仕上げたのだろう、と。
、、、ま、そうはいっても、現実問題、お金は大事。地獄の沙汰も何とやら、って言いますが、ある意味、真理だと思いますし。ただ、お金は人生を豊かにする「ツール」であって、それを目的にすると、人生どころか自分自身が貧しい人間に成り下がりますよ、ってことを、ブレッソンおじさまはおっしゃりたかった、、、のかも知れません。
バーカ、そんなありふれた陳腐なところに落とすんじゃねぇ!! ってブレッソンさまに怒られそう、、、。ひぃ~~。
原作は未読。ちなみに、原作を読んだ映画友は「原作も、よー分からんかった」と言っておりました。
ブレッソンは「お金」がキライなの
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きれいな女優は腐るほどいるけど、ドミニク・サンダみたいな神のような罪のような美貌の女優はいませんよね~。フツーには生きられないんだろうな~。未成年ですでにバツイチって、すごいわ~。
ブレッソン監督の作品って、まだ一作も観たことがないです。何か難解なイメージが。ワケワカメ系の芸術映画って苦手だから、躊躇してしまします。でも若く美しいドミニク・サンダだけでも一見の価値がありそうですね。
そうなんですよ~、ドミニク・サンダの美しさは、ちょっとこの世のものとは思えません。作中、ほとんど、っつーか、全く笑わないんですが、でも恐ろしいほど美しい。あれはフツーには生きられませんでしょ、そりゃ。ドロンさまと同じで(あっちは俗っぽいですが)。
ブレッソンの映画は、私もこれが3作目です。なんか、ぜい肉をとことん落としまくった鶏ガラみたいな(でもダシがメチャメチャ美味い)映画です。、、、て、意味分かりませんね。。
おっと。やさしい女も男も、お気を付けなすって!!ましてや、加えてルックスの良い男なんて。