作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv87526/
以下、上記リンクからあらすじのコピペです(青字は筆者加筆)。
=====ここから。
面倒見がよく、絵がうまくて優秀、両親の影響から医師を志し、医学部に進学した8歳ちがいの姉(マーちゃん)が、1983年頃、事実とは思えないことを叫び出した。統合失調症が疑われたが、医師で研究者でもある父と母はそれを認めず、精神科の受診から姉を遠ざけた。
その判断に疑問を感じた弟の藤野知明は、両親に説得を試みるも解決には至らず、わだかまりを抱えながら実家を離れた。映像制作を学んだ藤野は、姉が発症したと思われる日から18年後の2001年から、帰省する度に家族の姿を記録しはじめる。
一家そろっての外出や食卓の風景にカメラを向けながら両親の話に耳を傾け、姉に声をかけつづけるが、状況はますます悪化。両親は玄関に鎖と南京錠をかけて姉を閉じ込めるようになり……。
=====ここまで。
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公開前からTwitterのTLに情報が流れて来たり、チラシを見たりして、気にはなっていたのだけれど、その内容から、見るのをためらっておりました。でも、ソフト化も配信も予定はないとの公式メッセージがTLに流れて来たのを見て、やはり見に行っておこう、、、と勇気を出して劇場まで足を運びました。
見終わって、、、見て良かったと実感しました。が、是非ご覧ください!といろんな人に言うのも憚られる、というのが正直なところですね。今回の感想はかなり長くなります、、、悪しからず。
◆答え:「どうしようもなかった」
本作のタイトル「どうすればよかったか?」への答えはシンプルで「早く医療機関に繋げるべきでした」である。
……そんなことは、監督の藤野氏は重々承知なのであって、むしろ、監督の本心としては「どうすれば親を動かすことが出来たのか?」ではないだろうか、、、と感じた。
両親共に医師で研究者。実は、マーちゃんに最初に大きな症状が現れたとき(マーちゃん24歳、監督は高校生)に救急車で運ばれた病院があるのだが、監督はなぜかその病院に付き添えず(途中で帰宅させられた)、翌日、赴任先から父親が病院へ行き、マーちゃんを連れて帰宅した。父親は言ったそうだ。
「マーちゃんには全く問題ない(と精神科医は言った)」
監督は、自身が大学生の頃からマーちゃんが統合失調症であり、早く医療機関に診せるべきだと分かっていた。分かっていたからこそ、あの手この手で両親に働き掛け、自身でも専門家を探した。「お姉さんを診てみよう」と言ってくれる専門家も現れ、マーちゃんを診せる日時も決まった。けれど、約束の日時に現れたのは、マーちゃんではなく、母親だけだった。
その時の母親の弁が、その後のマーちゃんの未来を暗示していた。
「お父さんがその先生の書いた論文を読んで、あんな論文を書くような人は信用できないから、マーちゃんを診せるわけにはいかない」(文言は正確ではありません)
その後も、弟である監督が足掻いて善後策を提示しても、両親が握り潰してしまうのだった。医者を始めとした第三者も、結局は「ご両親の了解がないと、、、」となり、監督は成す術無しなのである。両親は「(マーちゃんは)統合失調症ではない、勉強ばかりさせた両親に対し復讐するため、統合失調症のように振るまっているだけだ」と監督に説明していたという。
身内に何か深刻な問題が起きた場合、大抵「なぜこんなことに?」「どうしてそうなった?」と理由を探すものだ。根底にあるのは「ウチの子に限って、、、」だろうが、探したところで理由の正解には永遠に辿り着かないし、問題の解決の助けにもならない、、、にもかかわらず、「なぜ?」「どうして?」が堂々巡りになる。
マーちゃんの両親も、統合失調症という病名を受け入れられない半面、自分たちの育て方に何らかの理由があるのではないかと感じていたのだろう。自身のプライドが高い分だけ、自責の念(というか挫折感といおうか、、、)も強かったはず。だから、マーちゃんが自分たちに「復讐」しているなどという言葉が出てくるのだ。
「どうすれば親を動かすことが出来たのか?」という問いに対する答えは、「両親の自責の念を少しでも軽くすること」だったのではないか、、、という気がする。マーちゃんを医療に繋げるためには、まずは両親をカウンセリングなどに繋げた方が良かったのかも知れない。
……が。その一方で、私はそれがさらに高いハードルであることも分かる。
レベチの話なので、引き合いに出すのは気が引けるが、私が20代で拒食症になったときに、精神科医に「お母さんと一緒に来てもらった方が良い」と言われたことがあり、それを母親に伝えたら、全身全霊で拒絶された。表情から仕草から動きから、とにかく全身で「止めてよ!冗談じゃない!!巻き込まんといて!!!イヤやわそんなん!!!!何でアタシがそんなん行かんならんの!!!!!」と金切り声を上げて拒絶の強い意思を表した、、、。
母親の口癖は「家の中のことを絶対に外で喋るな」だった。とにかく、家族に起きたあらゆることを家の中に閉じ込めておく主義の人だった。
幸い、私は自力で何とか拒食症を脱したが、プライドの高い親は自身の弱みを外に向かってさらけ出すことが、死ぬより怖ろしいのだと思う。カウンセリングや精神科に罹るなど、自身の人生に対する敗北を認めることであり、落伍者の烙印を押されることであり、自分を全否定することだったのではないか。少なくとも私の母親はそうだった。
だからこそ、マーちゃんの両親も自責の念(挫折感)は強烈だったはずだが、それに向き合おうとしなかった。仮に、監督が両親をカウンセリングに繋げようとしても、上手く行かなかったに違いない。奇跡的にカウンセリングに行ったとして、「親のせいではない」などとカウンセラーに言われようものなら、100%逆切れして終わりだろう。
なので「どうすれば親を動かすことが出来たのか?」の問いには、「何をしてもダメだったと思う」という絶望的な答え一択のように思う。あの両親の下に生まれたことが、マーちゃんの運命だったのだ。
どうにもならないことが、人生には、世の中には、ある、、、残念ながら。
◆親は“絶対的権力者”あるいは“独裁者”。
本作内では描かれていなかったが、マーちゃん自身も、自分が統合失調症であることを認めていなかったとパンフに書かれていた。20代で発症し、国家試験を受けることなく医者になれなかったマーちゃんを、両親は、自宅での研究に参加させ、論文の翻訳をさせていたという。その頃の写真もパンフにはあるが、なぜか(家の中なのに)白衣のようなものを着ており、どこか怯えた様子に見える。
医学部に入るのに4回挑戦しているというから、3浪したのだろう。それだけでも聞いていてシンドイが、もっと幼い頃から、単身赴任している父親に勉強の経過を報告したり、成績を報告したりさせられていたというエピソードをパンフで読み、いたたまれなくなった。両親の研究に参加させられていたのも、父親の意向が強く働いていたらしい。
中盤で、監督が母親とだけ話しているシーンがある。監督がマーちゃんを医療に繋げるべきだと言うのに対し、母親は「パパに死ねっちゅうようなもんだよ」と繰り返し言っていた。私には、父親のせいにしているだけにしか聞こえなかった。
その前後で、自宅玄関ドアの内側ノブにチェーンをグルグル巻きにして南京錠が取り付けられている画が出て来る。マーちゃんが勝手にアメリカまで行ってしまい、NYで保護されるという事件があったからとのこと。(余談だが、その時点で症状はかなり進んでいたはずだが、自宅から空港まで行って飛行機に乗って、、、ということは出来るのか、、、と驚いた。)
南京錠のついたドアを見て「ああ、家から出さないためなんだな」と感じたが、それは、当然マーちゃんもそう感じたわけで、監督はあるインタビューで「あの南京錠を付けてから、姉はより自閉的になっていった」「病院に行かなかったということと、あの南京錠をかけたというのは同じくらい大事なこと」と語っている。それに続いて、こうも語っている。
「(姉の)部屋に鍵をかけていたらこれは本当の監禁ですけど。窓から出ていこうとすればできたので、100%の監禁とは言えない。ただ、姉には、家から出るなという両親からの意思表示になる。それを受け、姉は出なかった。だから、南京錠をかける「悪人」のイメージとは違っていたとしても、むしろ「ふつうのひと」が南京錠をかけてしまうのは問題で、伝えないといけないことだと思っています」
ラストシーンで、母親もマーちゃんも亡き後、監督が父親にマーちゃんのことを問うている。父親は「ママが隠そうとしたからそれに従っただけだ、ママの考えでああなった」という趣旨のことを話していた。
両親はどちらも、互いのせいにしているのだ。
南京錠をかけるのは、夫婦のどちらが言い出したのか。聞かされた方は反対しなかったのか。「南京錠つけたらどうだ?」「そうだね」「じゃあ南京錠買ってくるか」「明日買って来るわ」……などという夫婦の会話を想像すると、グロテスクである。これに類する会話が無数にあったと想像できる。
マーちゃんの葬儀のシーンでは、棺に国家試験の参考書などがいっぱいに入れられていて、私は胸が詰まる思いだった。死してなお、父親はマーちゃんに医師になることを強いているのか、、、。これはもう、虐待を超えた拷問ではないか。
マーちゃんが自身を統合失調症と認めなかったのは、両親が認めなかったからだ。親の意向を、子は驚くほど敏感に察知する。それは、統合失調症になっていても同じ、あるいはさらに敏感になっていても不思議ではない。
親とは何なのだ、、、と、私は本作を見ながらずーーーーっと思っていた。やはり、この言葉が浮かぶ。“絶対的権力者”あるいは“独裁者”。逃げられれば良いが、逃げられない子にとってはまさに“アリ地獄”だ。
◆家族のグチは他人に聞いてもらえ!
両親が高齢になり、母親が認知症でマーちゃんの世話ができなくなったため、父親はマーちゃんを入院させることに同意した。
3か月の入院を経たマーちゃんは、驚くほど症状が寛解していた。表情も柔らかくなり、あの間断ない瞬きが自然な瞬きになっていて、何より監督との会話が成立していた。まさに“別人のよう”であった。
結局、その後、マーちゃんは肺がんで亡くなるが、退院してから亡くなるまでの様子は、映像で見る限り穏やかで、笑顔も多く、健康的だった。がんを患っているようには、全く見えなかった。
前述したように、私の母親は「家の中のことを絶対に外で喋るな」と言ったが、それには「家族同士なら何を言っていても良いが」という前置きがあった。でも、「家族同士なら」はウソで、真意は「親は子に何を言っても良い」であり、「子は親に言ってはいけないことだらけ」=「親に逆らうな」が実態だった。だから、子は家の外で親に言えないこと(親へのグチ)を言うのだが、それが何かの折にバレると、母親の逆鱗に触れて、私は張り倒された。
、、、これ、書いていて思ったけど、まさに独裁国家だよね。独裁者に逆らうな、外部に向かって国家内で見聞きした問題を喋るな。喋ったら粛清される。
張り倒された当時は、自分が悪いと思っていたが、大人になって、明らかに母親の言っていることの方がオカシイと思うようになった。
つまり、親や子のグチなど、他人に話していた方がよっぽど罪が軽い。一時的には恥になるかも知らんが、言葉は悪いが、他人は所詮他人である。関係が死ぬまで続く他人はそうはいない。他人はそこまで自分たちに興味もないし、いずれ忘れる。
けれど、家族(血縁)は、大抵の場合、死ぬまで関係が続く。家族に対して吐いた毒は、吐かれた者の心に一生残る。決して消えない。どちらが罪が深いか、答えは明白だろう。
実際、私の母親は、夫(私の父親)の悪口を姉と私に言い、姉の悪口を私に言い、私の悪口を姉に言っていた。父親は、たまに母親のことを母親の目の前で私に罵っていたが、陰で母親の悪口を言うことはなかったし、姉と私が2人で両親の悪口を言い合ったこともほとんどない。そうして、現在、家族がどうなったかと言えば、娘の一人(私)が修復不可能な断絶状態になっている。それは、私が、マーちゃんと違って、親から逃げられる身体であったからで、もし、私も判断能力を失っていたら、恐らく、拒食症からもっと深刻な状態に陥って、自宅軟禁されていたかも知れない。姉は、あの母親の支配下で生きる術を、本能的に身に付けて行ったのだろう。私にはそれが出来なかったから、現在断絶しているというわけだ。
家族の問題を他人に話すことで、解決の糸口を見つけるのは、むしろ良いことだ。解決の糸口にまで至らなくとも、家族に言ったら死ぬまで禍根を残しかねない毒は、他人に聞いてもらうことで心を軽くできる。それだけで、多少なりとも問題の深刻化を防げる。
今、家族に問題を抱えている人は、当事者同士で感情をぶつけ合うべきではない。ぶつけたくなったら、誰か心開ける赤の他人に聞いてもらった方が良い。家族の問題を、家の中に閉じ込めるのは絶対に間違っている。
本作を見て、その思いをますます深くした。
マーちゃんが一人で渡米したのは、両親からの逃亡だったのではないか。
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