去年訪れて携帯の写真で記事を載せたが、
デジカメのをアップし忘れていた。
世界遺産登録の関連で色々調べていて見つけた。
せっかくだからアップする事にする。
この大浦天主堂は正式には「日本26聖殉教者天主堂」。
あの1597年2月5日、西坂の丘で磔の刑に処せられた
26聖人の為に建てられた教会だ。
1864年12月29日に完成し、翌年1865年2月19日に、
フランス・ロシア・イギリス・オランダの艦長・水夫達が見守る中、
モンセーニョル・ジラールによって祝別された。
(上の記念碑より抜粋)
この殉教者天主堂で、カトリック教会界を歓喜させる出来事が
ひと月もしないうちに起こったのだ。
3月17日、浦上山里村の隠れキリシタンがプチジャン神父に、
「私たちは貴方と同じ信仰を持つ者です」と告げた。
江戸初期の大弾圧で絶え果てたと思っていた日本で、
キリスト教が生き延びていた事実に狂気乱舞したろう。
そういうキリスト教界では有名なこの教会を始めとする
教会群なのだから、世界遺産に採用されるのは確実だ。
しかし、この告白以後にまた殉教の嵐が待っていたのだ。
明治政府は江戸幕府の禁教令を破棄せず持続し、
各地で大弾圧が吹き荒れた。
隠れるのを止めて続々とカトリック教徒になったのだから
弾圧する側は簡単に捕まえる事ができ、拷問を加えて棄教を迫った訳だ。
その大弾圧での悲劇は五島・奈留島での「牢屋の窄」の悲劇で知られるが、
長崎では「浦上四番崩れ」が有名だ。
4回目の大弾圧だったが、金沢以西の各地に3,394人の信者が送られ、
614名が死んだ。(資料館の資料より)
他人の信仰する宗教が違うというだけで、こんな惨い事ができる人間が
俺達の先祖にいたんだというのが悲しい。
俺達日本人も非人道的な事を宗教がらみでやっていたんだという事を
忘れないようにしないと拙いだろう。
宗教絡みで人を殺すなど絶対にしないと誓う事が、この殉教者教会を
訪れた人間がやるべき事だろう。
必ず隣にある隠れキリシタン関連の資料館を訪れて弾圧の歴史を確認すべし。
外観とキリシタン弾圧資料の写真