案外とコースタイムが長いんだ。
若くて元気のある時だったら、唐松から不帰キレットで行っただろうがなあ。
今じゃ猿倉からピストンか白馬岳から寄るくらいだ。
ここはいつも混んでいるのが困る。
寝るのはテントで何とかなるが、湯船の混んでるのは勘弁。
北アルプスの秘湯なら高天原温泉だろうが、
まず鑓温泉をやらないとなあ。
小屋解体の日ならトイレがあるはずだから都合がいいが。
まあ普通に9月の土日を避けて行くしかなさそう。
この鑓温泉を楽しんでから白馬岳を越えて蓮華温泉に降りて汗を流すのもいいぞ。
お馴染みのY氏と知り合った雨飾山の記録。
手帳の記録は味も素っ気も無いので可能な限り思い出してみる。
これ以来ずっと付き合っているのだから山の出会いとは面白い。
今は季節列車となってしまった夜行急行とタクシーで入山した。
1999年10月22日(夜行日帰り)(単独)
7:00-8:30荒菅沢8:50-10:00稜線-10:30山頂11:45-12:30昼食13:00-14:30
木曜の夜行に乗っている。普通は金曜日の夜だろうに、さすが遊び人の面目躍如。
しかしそのお陰でY氏と知り合ったんだからスゴイといえばすごい縁ではある。
まあ多分良く寝てないままに歩き出したのだろうが、うまいことタクシーに4人相乗りできたのは幸運だった。
入り口の休憩舎で充分寝られるのはちゃんとチェックしている。再訪する際の参考にするつもりだったらしい。
道は沢沿いをちょっと歩き枝尾根を乗り越して荒菅沢に下り、
稜線を目指したと思う。沢の中に沢グルミやら柳の大木があった。
この枝尾根の登りでほぼ同じペースで歩く単独行の男性にどこから、何で来たのかと聞くと
八王子、車との返事。こりゃ好都合と、早速帰りの同乗を打診すると快諾してくれた。
道々山の話をしたのだろうが情けないことに全く思い出せない。ダメな脳細胞なり。
荒菅沢からは布団菱が格好良かった。それと雪が削り取った長い溝があちこちにあって変わった景色だった。
稜線への途中でやたら渋滞しているところがあったが、たどり着いてみると2Mも無さそうなちょっとした岩場だったので呆れた。
さすが百名山だけのことはある。笹平も人の波だ。金曜日でこの数なんだから明日はとんでもないだろう。
紅葉は全体にくすんだ色でイマイチだったが、ちと遅かったらしい。
南峰で2人の記念写真をとってもらうが、初対面なのに違和感も無かったらしい。
2人して白馬から槍までの絶景をスケッチしたり、のんびりして下山した。そのスケッチを
見ると、唐松岳の右の不帰キレットの上に剣岳、左にどっしりした五竜岳、双子峰の鹿島槍、爺ケ岳、その先に槍が見えている。中腹を雲海が洗っている。なかなかの眺望だ。
降り着いて無料の共同浴場で汗を流して帰ったのだった。
この翌年に大雪に2人して出かけたのは以前書いたとおりだ。皆さん山の出会いは大事にしましょう。
北アルプスの記録も一応最終回となったが、それがウェストンと同じルートを歩く徳本峠越えとなったのが面白い。
ここ数年Y氏と行こう行こうといいながら、なかなか都合や日程が合わなかったり、道が崩れたりして延び延びになっていたのだ。
やっと行ける事になり楽しみに歩いたのだが期待通りだった。
最初は行ける所まで行って、寝袋もなしでビバーグしようというY氏の提案を面白いと思ったが、やっぱり還暦を過ぎたオジン2人がやるのはちと無謀と幕営に変更した。
道はさすがに先人が歩いただけあって足に優しいコースどりで、静かな歩きが楽しめた。
2009年8月22日-23日
(山中1泊2日)(Y氏同行)
いつもの6:14高尾発松本行きでノンビリ各駅停車の旅だ。
18キップは貧乏山屋には最高の移動手段だが、Y氏にはちと迷惑かも。
タクシーで新島々から行ける所まで行こうと思ったが大して中に入らない。
Y氏によるとドル箱の上高地があるのでガツガツしてないのだろうとのことだが、こちらとしてはちょっとでも無駄な歩きを省きたかったのに思惑がはずれて残念。
1.初日 島々から岩魚留小屋
11:00-16:00
退屈な歩きもまとわりつくオオムラサキがまぎらわせてくれたり、サンダルで雨傘をザックにさした若者と行き会ったり、戦国期の悲劇というか当時は常識的な出来事の石碑を見たりして、どうにか小屋までたどり着く。
あの若者は素人ではなかろう。
小屋のスタッフの休暇下山だろうが峠の小屋だと時間的にちと?
あとは釣りの若い男女1組と単独の中年釣師一人と会ったきりの静かな歩きだ。
道は二俣からの右岸沿いの道が崩壊地4箇所ほどあり、うち一箇所がちょっといやらしい。
行政もこの道の保全はちと難しいだろうから、そのうち沢の中を歩いてしか行けなくなるんでないか。
沢沿いなので涼しく夏向きのルートで、道さえよければ人気コースになるのだがそうすると五月蝿くなるのでこのままがいいか。
それにしても峠道などと同じで、昔の人のコースどりが本当に上手なのには感心する。
一回ポッキリでなく日常的に使うんだから当然といえば当然なのだが。
桟道が結構出てくるが古くてちょっと危なっかしいのもあった。
おまけにご丁寧に一人づつ渡れと書いてあるのがあったりして笑った。
小屋は誰もいない。
今年は営業しなかったらしい。
来年は土日祝祭日はやるみたいだが相当に荒れているし、経営は非常に困難だろう。
残念だがそのうち廃業になるかも。
傍らにカツラの大木があり、その横にテントを張った。
沢沿いで見上げる空が狭いのが残念だが、静かな夜だ。
軽いので羽毛シュラフで寝たが、Y氏はあまりの寒さにエマージェンシーシートを被って寝たらしい。
寝袋なしでは8月末でもちと厳しかったか。
2.二日目
小屋から徳本峠を越えて上高地
6:15-8:15力水-10:00徳本峠10:15-12:00明神-13:00
左岸沿いの道だが結構岩が道を覆っていて歩き辛いところがある。
大雨が降るとあちこちで危険箇所が発生するから尾根ルートと違い沢沿いの道はリスクが大きい。
カツラの大木があちこちにあり、気分の好い歩きなのだが足が上がらず、Y氏に置いていかれる。
Y氏はドンドン先行するM氏と違って待ってくれるので不安が無い。
一旦右岸に換わって最後にもう一度左岸に渡り返してちょっとで力水だった。
ここで2人とも500のペット1本を冷たい水で満たして峠を目指した。
ここからが案外と長く、いつもの通り、「まだかよー、長いなー」と
毒づきながら歩いた。
もうちょっと気の利いたセリフを考えたがいいかも。
やっと峠が近づいてきたが雲がかかってないように祈る。
苦労して登りついて山が見えなかったらガックリだ。
どうにか登りきったら小屋は古いのを一部残して建て替え中だった。
全部建て替えているのかと思っていたが、さすがにあの売りのつっかえ棒は残したらしい。
小屋の横に出てみると、おおー明神が正面だ!
あの長い道の終わりにこんな風景が展開すれば誰でも感激するだろう。ウェストンの喜びようは並みでなかったろう。
沢筋には細いが残雪があり、ちょっとしたアクセントになっている。
これは上高地からの逆ルートはとんでもないお馬鹿。
歩くのが案外と多いのがよく分からない。
鯛の尾頭つきの無い祝い膳を食べてるようなもんだ。
山慣れしたオヤジが逆ルートで島々へ降りるというので水はあちこちで汲める、いざとなれば営業してない岩魚留小屋の軒下で寝られると教える。
観光で来た大阪からの若者にY氏が山の解説をしてやっている。
写真を撮りましょうと言ってくれたが、二人して断る。
写真では感動は写せない。
先行した若者の後を追って我々も上高地目指して下山したが、明神からバスターミナルまでが何か一番きつかった気がする。
観光客でごったがえする道をトボトボと歩き、ビールで乾杯して宿題の山を終えた。
次回からは当分のあいだ南アルプスの記録だ。
最後のステップで池に着いて上を見上げた途端、圧倒的なボリュームに押し潰された。
それこそ馬鹿みたいに「なんだ、こりゃー」「スゲェー」「・・・・・・」。
続く言葉が出てこない。
まるで怪盗ルパンがマントを広げたような、怪鳥が羽を広げ今にも襲い掛かって来るような、黒っぽい岩の巨大な広がりが、そのサメ歯のような稜線でホワイトブルーの空を切り裂き、その頂点の左斜め上空には白い円形の月が異空間の入り口然として輝いている。
その岩壁の下には黄色や赤の紅葉に縁どられた静かな池があった。
「穂高の瞳」の奥又白池だ。
池の正面から下を見れば人だらけで喧騒に包まれた上高地が小さく見える。
遠く富士や南アルプス、八ヶ岳なども見えるが皆蛇足でしかない。
長い岩稜歩きの苦労はあの最後のワンステップで驚愕と歓喜に変わり、あとは余韻に浸ってただ静かな感動に身をまかせるだけなのだ。
この一瞬のために我々は黙々と歩いて来たのだ。
できれば池の畔で静かな夜を過ごしてみたいなどと思ったりしたが、あの一瞬のあとはすべて蛇足。
30分ほど深い感動に包まれたあと、我々は幕営地の徳沢へ降りた。
2006年10月15日(日帰り)(Y氏同行)
6:45-10:40奥又白池11:15-13:50テント場
前日JRとバスで上高地に入り、徳沢にテント泊。Y氏は徳沢ロッヂに寝た。
紅葉はちょっと遅かったかもしれないがまあまあだ。
パノラマコースを右に分けて松高ルンゼ右の枝尾根に急な登りから取り付き、潅木と岩の道をひたすら歩く。
途中にデイパックがデポされており、持ち主らしきオジンとすれ違った。
ちょっとした岩場を斜め上方にトラバース気味に通過。ここが一番の難所。
あとは岩に慣れていれば何ということもない道だ。上部には新雪だろうか、薄く残っている。
最後は草付きをトラバースしてあの最後のワンステップだった。
詳しい道の情報は他のサイトの記録がいくらでもあるので、あの一瞬の感動を伝えるのに集中してみたが、まあ無理だろう。
岩に苦労しない人で、静かな空間に身を置きたい人は行って見るべし。
「大雪」「屋久島」と合わせて三大別天地と言っておこう。
次の同じくY氏との「徳本峠越え」で一応北アルプス最後の記録だ。
94年に山をやりだし、翌年の秋山に同僚のM氏、I氏の3人で歩いた。
槍や白山などの素晴らしい眺望、10年に一度の鮮やかな紅葉とそれまでで1番の山行だった。
M氏はもうこのブログ常連の人物だが、I氏はこの後数年して日帰りの山しかやらなくなったので初登場だ。今後南アルプスの「荒川三山と赤石岳」他に登場予定。
前夜新宿からの夜行バスに乗り、上高地に入った。
1995年9月29日-10月1日(山中2泊3日)(M氏、I氏同行)
1.初日
上高地から涸沢ヒュッテ
5:50-6:40明神7:50-8:30徳沢-9:45横尾-11:15本谷橋12:20-14:20
早朝だと言うのにこの人混みはなんなんだ。いくら上高地といってもすご過ぎないか。
なんかとんでもない夜になりそうだ。
退屈な歩きで横尾に着いて、槍に行くという昨夜のバスでM氏の横に座った中年女性とお別れだ。
M氏が「槍なんか止めて俺達と一緒に涸沢に行こうよ」とナンパしてる!
おいおいそりゃあいくらなんでもちと無理でないか。
予想通りにオヤジ三人で仲良く歩き出したが、左に屏風岩が大きい。後ろには蝶ケ岳の稜線が霞んでいる。
本格的な登りが始まる本谷橋で昼飯とするが、あちこちに食事や休憩のパーティーがいる。
色づいたなか、稜線を右手に見ながら黙々と足をあげる。石の階段が現れ小屋の近いのを知らせてくれた。小屋に着き、おでんを売っているテラスに出て文字通り絶句!
青空と岩壁の下に黄色と赤、緑の塊があっちこっちで虔を競っている。
うーん、すごいの一言。噂には聞いていたがこれほどとは。三人とも無言で呆けたように突っ立ている。丹沢の紅葉など横綱の前の取りてきみたいなもんだ。恐れ入りました。
おでんとビールで小腹を満たしながらしばしこの絶景を楽しむ。もう2度と見られないかもしれないんだから、しっかりと瞼に焼付け、脳に刻み込んでおこう。
至福の時間の後は対照的な難行が待っていた。夕食の後のフトンの割り当てで2人で1枚と言っている。「ゲェッ、汗臭いオヤジと同衾かよ」と明日の本当の地獄を露知らず、暢気なことを口走った。
まああの紅葉を見たんだから我慢するかと自分を納得させて何とか寝た。
2.二日目
涸沢ヒュッテから北穂-奥穂、涸沢小屋
5:15-8:35分岐ー8:50北穂高岳-9:30分岐-11:45涸沢岳-
12:30-穂高岳山荘12:50-13:20奥穂高岳-14:00山荘-16:00
さあ今日は楽しい岩稜歩きだ!張り切って歩き出したが、いやあー何度見ても素晴らしい紅葉だ。朝日に輝く稜線といい、天下一かもしれないと本気で思う。
北穂南稜への登り始めで短い梯子が出てきたが、この数年後だったか続けて2人の女性が滑落死したらしい。
後ろを振り向くと涸沢カールの色とりどりのテントの上にゴジラの背みたいな前穂高岳がボリューム満点。
分岐からわずかで待望の北穂頂上だ。大キレットの先の槍が鋭く天を突いている。
ここも眺望の絶景だ。真西正面に笠ケ岳、そのはるか彼方に案外と大きい白山、黒部五郎岳、槍、常念、蝶、南アルプス、富士、前穂とまあ豪華絢爛たる山岳風景だ。
北穂の小屋はこじんまりしていて混雑時は大変だろう。しかし涸沢まで2時間もあれば降りるだろうからいいか。
さて先は長いし、あまり岩が得意でない2人なので奥穂を目指そう。
分岐の先のドームを廻りこんだ先のテラス状の岩で軽く食べる。
一旦鞍部まで下り、今度は涸沢岳へ登り返す。なんともダイナミックな登下降ではある。
途中で行き違った2人組が真下で休んでいる。落石を起こせば大変だ。北穂を少し登った所で休むべきだろうがといっても始まらない。慎重に手足を動かす。
廻り込んで滝谷側に入った所で女性二人が座り込んでいる。キレ落ちたトラバースだが下を見たら恐怖で足がすくんでしまったらしい。ホールドはしっかりしているので3点支持さえやれば何でも無い所なんだがなあ。このままじゃあまずかろうと、足の置き場を教えてなんと越えさせた。片方の若いのが山慣れていなくてトラブったらしい。
いつまでもかまっていられないので冷たいようだが先行する。
奥穂の小屋が見えると今度はザレの下りだ。こっちの方が厄介なんだが、転倒もせず無事到着。
小休止して奥穂を目指すが、テント場が超狭い!こりゃスペース確保は大変だぞ。
テント派には稜線上でもあるし、ちと使いづらいテント場ではある。
登りだしてすぐの梯子で大失敗。直径5cm程の石を落としてしまった。ガラガラと派手音をたてて落ちていったが道を外れていて事なきをえた。危ない危ない。
奥穂の頂上からはジャンダルムが案外と丸っこく見える。予定では奥穂の小屋に寝て、前穂から岳沢へ下山の予定だったが明日が天気悪そうなので今日降りることにした。
ザイテングラードを降りるので小屋に戻ってみると先刻のオネエ達がいて若い方が泣いている。
緊張がとれてホットしたんだろう。頑張ってちょうだい。
岩道を一気に駆け下るが後続の2人がついてこない。横尾は諦めて涸沢小屋泊まりに変更。
これがとんでもない地獄行きの選択だったとは。まあちょっとは救いがあるんだが。
行動時間が10時間を超えていたし、まあ妥当な判断だったとは思うが、想像を絶する客の襲来だったのだ。
夕方テラスに出てみると、件のオネエ達がいた。明日は沢渡に置いてきた車で帰るというので、松本まで送ってもらうことにする。時間調整がちと難しいが、何とかやれるだろう。
さて地獄とは何とフトン一枚に4人だと!!
頭と足を入れ違い、つまりオイルサージン状態に、おまけに横になってくれだと?!
なんてこったい。トイレにでも行った日には空間が無くなってるじゃないか。まったくとんでもない事になったぞ。
この時は野宿のやり方も知らなかったし、諦めて指示通りに横になって寝たが、その後寝たのか、はたまたトイレに起きたのか、全く憶えていない。あまりの悲惨さに脳細胞が自壊したのかもしれない。
最終日の3日目はオネエ達と無事ドッキングして、沢渡から松本まで送ってもらった。
まあこれがあの地獄でチラっと垣間見えた天国の空というわけだ。
次回はY氏と歩いた秋の奥又白池。