AFPBB 2024年12月21日
『ギリシャ旧王族が市民権申請、国名意味する姓に左派反発』
1974年の軍事独裁制から共和制移行の後、君主制が廃止され、その後旧王族の多くは亡命したようです。
1994年の社会主義政権は条件付きで市民権取得を認める法律を制定しました。
なんで、今頃になって❓と思いますが、国に帰りたくなったのでしょうかね❓
故エリザベス2世女王の配偶者のフイリップ殿下は、デンマーク王子とギリシャ王子の資格を持っていましたが、結婚するとき放棄しました。
ウイキペデイアの記述を読むとヨーロッパの王族は婚姻関係が多く、ほとんど親戚同士の関係が多いようです。
ここで、ふと思ったのがオーストリアのハプスブルグ家です。
ウイキペデイア
【ハプスブルグ家】
起源は1020年代の更に前の、どこかの王族だろうと思います。
記述では・・・
アウストラシアのエテイション家の分家でありライン川上流域を発祥地とする。
家祖は10世紀の東フランク王国アルザスのブライスガウに存在した「グラントラム金満侯」である。
以下延々と続きヨーロッパ最大の王朝になります。
<当主称号>
神聖ローマ国王、以下多数
<国>
ハプスブルグ帝国、以下多数
まあ、すごいですね。
第1次世界大戦の混乱の中、ハプスブルグ帝国は解体されます。
1918年最後の皇帝カール1世が亡命し、ハプスブルグ帝国は消滅しました。
その後、一族はオーストリア共和国への入国を禁止されます。
1961年、長男のオーットー元皇太子が権利を放棄しオーストリアへの入国を許されました。
権利放棄の理由や事情は、「ハプスブルグ法」の項目を見てください。
オットーがドイツ選出、息子のカールがオーストリア選出で欧州議会議員を務めているようです。
その栄華を示す城の数々(記述の末尾に写真や簡単な説明があります)
本拠のウイーン
ホーフブルグ宮殿
シェーンブルグ宮殿(夏の離宮)
チェコ
プラハ城
現存する世界最古、最大の城
ブダ城 ハンガリー
スロバキア
ブラスラヴァ城 本来はハンガリー王の居城です
建物が壊され、再建中
管理者が、微妙です(ウイキペデイアの記述)
モラヴィア王国、ハンガリー王国、チェコ、スロバキア
ここは、まだハプスブルグ家が一部の所有権を持っているのでしょうか❓
ハプスブルグ法(ウイキペデイア)
この法律によりパプスブルグ一族はオーストリア国内の財産を没収されました。
ところが他のオーストラリア貴族は、この対象になっていません。
色々、問題はあるようです。
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